なみだ)” の例文
ずっと後年になって、ある時突然とつぜん、親の老いたことに気が付き、己の幼かった頃の両親の元気な姿を思出したら、急になみだが出て来た。
弟子 (新字新仮名) / 中島敦(著)
生残た妻子の愁傷は実に比喩たとえを取るに言葉もなくばかり、「嗟矣ああ幾程いくら歎いても仕方がない」トいう口の下からツイそでに置くはなみだの露
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
死顔しにがほ」も「くろわらひも」なみだにとけて、カンテラのひかりのなかへぎらぎらときえていつた、舞台ぶたい桟敷さじき金色こんじきなみのなかにたヾよふた。
桜さく島:見知らぬ世界 (新字旧仮名) / 竹久夢二(著)
白い魚の方でも李一を見詰めたが、李一はなみだぐんで見返すのであった。いつか町から買って来て放した魚であることを知りました。
不思議な魚 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
折角せっかく爆弾をおとしてやろうと思ったことも今は無意味です。敵軍の指揮者たちは、無念のなみだをポロポロとおとして、口惜くやしがりました。
太平洋雷撃戦隊 (新字新仮名) / 海野十三(著)
そしてふたたび教師にその眼を移したのであるが、その時、塚原義夫のきょとんとした黒い瞳には珍らしくなみだが浮んでいるのであった。
白い壁 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
沈黙だまった女は花のようにやさしい匂いを遠くまで運んで来るものだ、なみだのにじんだ目をとじて、まぶしい燈火に私は顔をそむけた。
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
飯たき久七が茶碗酒ちゃわんざけをあおって、なみだ鼻汁はなをいっしょにこすり上げているさわぎ。いやもう、裏もおもてもたいそうなにぎやかさ。
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
珊瑚は何かいいたそうにしながら何もいわないで、俯向うつむいてすすり泣きをした。そのなみだには色があってそれに白いじゅばんが染まったのであった。
珊瑚 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
水兵服を着て頭を分けた、可愛いチャアリイの写真が、発見のよすがにもと、毎日アメリカの新聞に掲載されて、人の親のなみだをそそった。
チャアリイは何処にいる (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
春生はそれを聞くと、あわただしく、もう一度兄の身体をで廻して見た。そして、見えぬ眼から溢れるなみだを、頬に流しながら叫んだ。
雲南守備兵 (新字新仮名) / 木村荘十(著)
かくてもあられねばつまたる羽織はおりをつとくびをつゝみてかゝへ、世息せがれ布子ぬのこぬぎて父の死骸しがいうでをそへてなみだながらにつゝみ脊負せおはんとする時
……ハアテ……この蛋白質の団塊かたまりは、なみだと鼻汁の製造場のようにも見えるし、所謂いわゆる章魚たこくそに類似した物のようにも思える。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
賣てとかき口説くどき親子の恩愛おんあいかう暫時しばしはても無りけり漸々やう/\にしてつまお安はおつなみだ押拭おしぬぐ夫程迄それほどまでに親を思ひ傾城遊女けいせいいうぢよと成とても今の難儀を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
無慈悲な運命にもなみだはあろう。あるとも思われないような万が一の𢌞めぐり合わせということも世間にはある。頼むのは、ただそればかりだった。
親ごころ (新字新仮名) / ギ・ド・モーパッサン(著)
その時疾翔大力は、まだ力ない雀でござらしゃったなれど、つくづくこれをご覧じて、世の浅間あさましさはかなさに、なみだをながしていらしゃれた。
二十六夜 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
そう呟く五郎の眼には、熱いなみだが溢れていた。——これで分った。劇団の秘密と云うからには、例の怪殺人事件に相違ない。
劇団「笑う妖魔」 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
読経も一きりになつた頃、僧の注意で、年老いた牧夫の見納めの為に、かはる/″\棺の前に立つた。死別のなみだは人々の顔を流れたのである。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
石のようになって、睫毛まつげなみだをさえめていた弦之丞。はッと吾に返って、眼がしらの露を払い、銀五郎の頬へ自分の頬をピタとつけて耳に口。
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そんなこといまして、途中とちゅうわたくしとすれちがときなどは、土地とちおとこおんなみななみだぐんで、いつまでもいつまでもわたくし後姿うしろすがた見送みおくるのでございました。
私の前に坐っていた古女房が「昔の殿でしたら、これ以上の雨にだって、御いといなさらずにいらしったものですのに」とすこしなみだぐんで応えた。
かげろうの日記 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
49 そして、悲嘆にくれた青年が、その胸にいくら熱いなみだをそそぎかけながらかき抱いても、氷の花嫁は再び生き返りはしなかった……。(溶暗)
氷れる花嫁 (新字新仮名) / 渡辺温(著)
ほろほろとおちなみだの中に、ハッキリとした葉子の離反が、鋭い熊手のように、胸の中を、隅々までも掻き廻し始めた。
夢鬼 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
これが二ケ月前であつたなら、目にあふれるやうななみだをたたへて、格子の外から母を呼んですがつたことであらう。
三十三の死 (旧字旧仮名) / 素木しづ(著)
笑いはなみだより内容の低いものとせられ、当今は、喜劇コメディというものが泪の裏打ちによってのみ危く抹殺まっさつまぬかれている位いであるから、道化ファルスの如き代物しろもの
FARCE に就て (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
彼は往来に立ちすくんだ。十三年前の自分が往来を走っている! ——その子供は何も知らないで、町角を曲って見えなくなってしまった。彼はなみだぐんだ。
過古 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
ルイとボナパルトと敵と味方のなみだを吸って黒いゴセックの堆積が、いかに多くの荘厳と華麗と革命と群集の興亡的場面を目撃して来たのであろうことも
しかし、それよりももつと惡い私の煩ひは、云ふにも云はれない心のみじめさだつた。そのみじめさは、無言のなみだになつて、私の眼からぼろ/\とこぼれた。
相変らず情熱と誠意を以てなみだの名画をこしらえて、大向うを退屈させたりする芸当は出来やしませんよ。
華々しき一族 (新字新仮名) / 森本薫(著)
「涙ぐましも」という句は、万葉には此一首のみであるが、古事記(日本紀)仁徳巻に、「やましろの筒城つつきの宮にもの申すあがきみは(吾兄わがせを見れば)なみだぐましも」
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
そのなみだだった。そんな豹一を見て、女は、センチメンタルなのね。肩に手を掛けた。豹一はうっとりともしなかった。間もなく退学届を出した。そして大阪の家へ帰った。
(新字新仮名) / 織田作之助(著)
など書きつらねたるさへあるに、よしや墨染の衣に我れ哀れをかくすとも、心なき君にはうはの空とも見えん事の口惜くちをしさ、など硯の水になみだちてか、薄墨うすずみ文字もじ定かならず。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
何がさて空想でくらんでいた此方このほうの眼にそのなみだ這入はいるものか、おれの心一ツで親女房に憂目うきめを見するという事に其時はツイ気が付かなんだが、今となってう漸う眼が覚めた。
と腹立紛れに粂之助の領上えりがみを取って引倒して実の弟を思うあまりの強意見こわいけん涙道るいどうなみだを浮べ、身を震わせながら粂之助を畳へこすり附ける。粂之助は身の言分いいわけが立ちませぬから
闇夜の梅 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、笠打敷て時のうつるまでなみだを落しはべりぬ。
大菩薩峠:34 白雲の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
積る朽葉くちばにつもる雪、かきのけ/\さがせども、(中略)ああ天我をほろぼすかとなみだと雪にそでをぬらし、是非ぜひなく/\も帰る道筋、なはからげの小桶こをけひとつ、何ならんと取上げ見れば
案頭の書 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
宮地氏から借りた金で武蔵野村に行き、いよいよ筋肉労働を始めたのは五月の七日であった。初めの中は毎日、その日の十一時間の労働のことを思っては、まぶたなみだを溜めて出て行った。
彼は手桶の水を一杯ずつ柄杓ひしゃくんで母の墓石にそそいだ。青い碑を伝って流れ落ちる水が、音も立てずにふかふかした赤土に吸込まれてゆくのを見て、浅田はなみだぐましい心持になった。
秘められたる挿話 (新字新仮名) / 松本泰(著)
私は私の、悩みの多かったけれど、それをくぐってしだいに一つの恵まれた静けさに向かって成長してきた魂の歩みの記録として、これらの手紙に対して、愛とそしてなみだをさえ感じます。
青春の息の痕 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
そこには朝っぱらからひとり引籠ひきこもって靴下の修繕をしている正三の姿があった。順一のことを一気に喋りおわると、はじめてなみだがあふれ流れた。そして、いくらか気持が落着くようであった。
壊滅の序曲 (新字新仮名) / 原民喜(著)
かの武士、左門が愛憐あはれみの厚きになみだを流して、かくまで一九漂客へうかくを恵み給ふ。死すとも御心にむくいたてまつらんといふ。左門いさめて、ちからなきことはな聞え給ひそ。凡そ二〇えきは日数あり。
と、娘がなみだながらミハイロの処へ来て、十銭ばかり貸して呉れといふ。
椋のミハイロ (新字旧仮名) / ボレスワフ・プルス(著)
いま、私のまぶたの裏に、故郷の乳房が映ったのだ、なみだが漂う。
わが童心 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
お松は変になみだっぽくなり乍ら、後をも見ずに歩き出していた。
反逆 (新字新仮名) / 矢田津世子(著)
あゝ 橄欖樹のたかうれに 星くづ白くちりぼひてなみだ
希臘十字 (新字旧仮名) / 高祖保(著)
溢れるなみだの うたふのを……雪のおもてに——
優しき歌 Ⅰ・Ⅱ (新字旧仮名) / 立原道造(著)
夕暗は、濃く、なみだぐましくめた。
春深く (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
冬の日 しづかになみだをながしぬ
測量船 (新字旧仮名) / 三好達治(著)
それ世はなみだ雨と時雨しぐれと 里東りとう
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
かこつなみだや水の音
北村透谷詩集 (旧字旧仮名) / 北村透谷(著)