ひつぎ)” の例文
これらの草稿は、やつぱり、自分のかねての決心どほり、自分のひつぎと一しよに寺に納めて後世を待つべきものではなかつたかしらん。
上田秋成の晩年 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
白い蒲団ふとんの下に、遺骸は、平べったく横たわっていた。離れた首は、左の肩先に横向きに添えてある。涙ながら、人々は、ひつぎおさめた。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
お前はひつぎふたをするのです。修道女たちがそれを礼拝堂に持ってゆきます。死の祭式を唱えます。それからみな修道院の方へ帰ります。
その大勢のみる前で母のひつぎに土をかけたのであるから、他人の死骸なぞを一緒に埋めれば、誰かの口から世間に洩れる筈である。
女侠伝 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「初ちゃん」はそれから幾日もたたずにひつぎにはいってしまったのであろう。僕は小さい位牌に彫った「初ちゃん」の戒名は覚えていない。
点鬼簿 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
奥田は東京市の名市長として最後の光栄をひつぎに飾ったが、本来官僚の寵児ちょうじで、礼儀三千威儀三百の官人気質かたぎ権化ごんげであったから
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
ヴェニスを出発してバイロイトに向ったひつぎは、国王の使者と、全欧の芸術家と涙に濡れた群衆に迎えられ、盛大の限りを尽して
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
寺僮と我との足音は、穹窿のあひだに寂しき反響を喚起せり。寺僮のひつぎはかしこにと指して、立ち留まるがまゝに、我はひとり長廊を進めり。
柏のひつぎの底に、経帳子きょうかたびらにしようと自分が選んでおいたあの絹衣きものにつつまれた白骨をとどめるのみで、あわれ果敢はかなく朽ちはてているであろう。
初雪 (新字新仮名) / ギ・ド・モーパッサン(著)
ひつぎが外へ運び出されて、これも金ぴかの柩車きうしやに移されたのは、少し片蔭ができた時刻であつた。私は兄と他の人達と、後ろの方の車に乗つた。
町の踊り場 (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
かくして尊き魂は、かの女のふところを離れて己が王國に歸るを願へり、またその肉體の爲に他のひつぎを求めざりき 一一五—一一七
神曲:03 天堂 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
ひつぎが墓に運ばれる時、広場に集まった生徒は両側に列を正して、整然としてこれを見送った。それを見ると、清三はたまらなく悲しくなった。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
思出のがあるならば婚礼の夜の衣裳といったようなものを、そしてあるかぎりの花で彼女のひつぎのすきまは埋めたかった。
松井須磨子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
その夜は、清浄無垢な保に対面するには心の準備がいるとて一夜を寝室にこもり、翌朝はやく紋服に着かえ、保のひつぎの安置されている室へ入った。
道標 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
が、思い当る……葬式とむらいの出たあとでも、お稲はその身の亡骸なきがらの、白いひつぎさまを、あの、かどに一人立って、さも恍惚うっとりと見送っているらしかった。
陽炎座 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
忠義なハルメソンとその子が王のひつぎを船底に隠し、石ころをつめたにせの柩を上に飾って、フィヨルドの波をこぎ下る光景がありあり目に浮かんだ
春寒 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
しかし、君長ひとこのかみの葬礼は宮人みやびとたちの手によって、小山の頂きで行われた。二人の宿禰すくねと九人の大夫だいぶに代った十一の埴輪はにわが、王のひつぎと一緒に埋められた。
日輪 (新字新仮名) / 横光利一(著)
武田信玄の死骸なきがらは、楯無たてなしのよろいに日の丸の旗、諏訪法性すわほうしょうかぶとをもって、いとも厳重に装われ、厚い石のひつぎに入れられ、諏訪湖の底に埋められてあり
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
彼はその日の朝、白銀しろがねの涙をひつぎおおいに散らしながら、十分の敬意を表して、その死人を墓所へ運んだのであった。
上下かみしもをつけて、袴を高く、膝頭までからげて、素足に、草鞋——それは、斉彬のひつぎを警固するための服装であった。
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
ひつぎはビロードの天蓋の下の立派な葬龕ずしに安置してあった。そのなかに故伯爵夫人はレースの帽子に純白の繻子しゅすの服を着せられ、胸に合掌がっしょうして眠っていた。
廊下のめに暗室があって、そこに棺桶かんおけがあって紙をり、もとの奉化府州判のむすめ麗卿のひつぎと書いてあった。
牡丹灯籠 牡丹灯記 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
ひつぎの門を出ようとする間際まぎわけつけた余が、門側もんがわたたずんで、葬列の通過を待つべく余儀なくされた時、余と池辺君とははしなく目礼もくれいを取り換わしたのである。
三山居士 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
この時、がやがや家の中がさわがしくなって、ちょうど祖母のひつぎが出る処であった。ぬかる田圃道を白い幕の廻された柩が、雨風にひらひらと揺られながら行った。
不思議な鳥 (新字新仮名) / 小川未明(著)
中央に、写真の置かれている粗末なひつぎがある。写真の顔は女だ。それもまだ若い女のように見える。……不意に、ある予感が彼をとらえた。彼は歩きはじめた。
夏の葬列 (新字新仮名) / 山川方夫(著)
その薄ら明かりの夢の上を、一人の人影も見えない幽鬼めいた渡し舟が、ひつぎのようにすべり動いていた。夜のやみは濃くなっていった。河は青銅のようになった。
枳園の終焉しゅうえんに当って、伊沢めぐむさんは枕辺ちんぺんに侍していたそうである。印刷局は前年の功労を忘れず、葬送の途次ひつぎ官衙かんがの前にとどめしめ、局員皆でて礼拝した。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
死して文人の手に葬らるるにしかず、丈草じょうそうかつて汝が先祖を引導す、我また汝をひつぎにおさめて東方十万億土花の都の俳人によするものなり、何の恨みか存ぜんかつ
湯フネ・酒フネまたは馬フネなどの例があり、ひつぎのことをもフネというた、天皇崩御ありて玉体を御霊柩に納めまつることを御舟入と申す言葉がこれを証明している。
二、三の山名について (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
着飾つた坊さん、はだし位牌いはい持ち、ひつぎ、——生々しい赤い杉板で造つた四斗だるほどの棺桶くわんをけで、頭から白木綿で巻かれ、その上に、小さな印ばかりの天蓋てんがいが置かれてある。
野の哄笑 (新字旧仮名) / 相馬泰三(著)
ひつぎかまどの方へあずけられて、彼は皆と一緒に小さな控室で時間を待っていた。何気なく雑談をかわしながら待っている間、彼はあの柩の真上にあたる青空が描かれた。
死のなかの風景 (新字新仮名) / 原民喜(著)
ごろむつまじくかたり給ふ二二殿原とのばらまうで給ひてはうむりの事をもはかり給ひぬれど、只師が心頭むねの暖かなるを見て、ひつぎにもをさめでかく守り侍りしに、今や蘇生よみがへり給ふにつきて
先刻さっき窓越しに、太いぶなの柱を二本見たので、それが棺駐門であるのを知ったのだよ。いずれ、ダンネベルグ夫人のひつぎがその下で停るとき、頭上の鐘が鳴らされるだろう。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
その上に白い紙が貼ってあって「もとの奉化州判符女、麗卿之ひつぎ」としるし、その柩の前には見おぼえのある双頭の牡丹燈をかけ、またその燈下には人形の侍女こしもとが立っていて
世界怪談名作集:18 牡丹灯記 (新字新仮名) / 瞿佑(著)
するとみのりは不意に立ち上がって、泳ぐような手付きをしながらひつぎそばへ進み寄った。そして、死骸しがいの上へ最後の愛撫あいぶをしていたが、経帷子きょうかたびらに包まれた腕に触れたとき
宝石の序曲 (新字新仮名) / 松本泰(著)
準備が思ひの外早く出来上つたので二時頃ひつぎが家を出た。平三は父や弟と同じ様に白装束に草鞋わらぢを穿いた。柩が家の周囲を一𢌞して野路へ掛るまで平三は肩を入れて居た。
厄年 (新字旧仮名) / 加能作次郎(著)
ところが、広間のまんなかには白いしゅすのクロースでおおわれたテーブルの上にひつぎがのっていた。その柩は絹織物グロドナブルで包まれ、白い分厚な飾りひだが一面に縫いつけてあった。
ひつぎは地面においてあった。その上に死んだ人の名と年齢とがしるしてあった。「ジョージ・サマーズ、行年二十六歳」あわれな母は人手にすがりながら、その頭のほうにひざまずいた。
ちひさな葬式さうしきながらひつぎあと旋風つむじかぜほこりぱらつたやうにからりとしてた。手傳てつだひ女房等にようばうらはそれでなくても膳立ぜんだてをするきやくすくなくてひまであつたから滅切めつきり手持てもちがなくなつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
朝霞の亡骸は用意してきたひつぎにおさめ、青侍どもに担がせてその夜のうちに深草ふかくさへ持って行き、七日おいて、泰文のところへ、朝霞が時疫じやみで急に死んだと、あらためて挨拶があった。
無月物語 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
喬は家産を傾けて費用を弁じ、顧の家族と共に顧のひつぎを送っていって、二千余里の路を往復したので、心ある人はますますそれを重んじたが、しかし、家はそれがために日に日に衰えていった。
連城 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
家へ帰ってみると、ひつぎに供えた花の香気が、まだそこいらに残っていた。
(新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
さくき、花をくうし香をくような事は僕婢ぼくひの為すがままに任せていたが、僧をひつぎおさめることは、其命を下さなかったから誰も手をつけるものは無かった。一日過ぎ、二日過ぎた。
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
ひそかにひそかにけだものの子のその親をひつぎのなかにいれにけるかな
小熊秀雄全集-01:短歌集 (新字旧仮名) / 小熊秀雄(著)
葬儀委員長は田川大吉郎たがわだいきちろう氏であったか、それとも斎藤勇さいとうたけし氏であったか、私の記憶はあやふやである。高倉先生のひつぎを担うお弟子さん達の中に鳴尾君はいた。私はふいに鳴尾君が顔をしかめるのを見た。
西隣塾記 (新字新仮名) / 小山清(著)
さまざまな葡萄酒や甘露酒の罎がいろいろな形や質のジョッキや、水差しや、細口罎などと共に、その食卓の上一面に散らばっている。食卓の周りには、ひつぎの架台に腰をかけて、一座六人の者がいた。
輿を解くのが一仕事、東京から来た葬儀社の十七八の若者は、真赤になってやっと輿をはずした。白木綿しろもめんで巻かれたひつぎは、荒縄あらなわしばられて、多少の騒ぎと共に穴の中におろされた。野良番はくわをとった。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
かきおろすひつぎにうごく日のひかり夾竹桃は今ぞくれなゐ
夢殿 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
その揺籃を見るやうにおまへのひつぎも見るやうに!
いともせはしくひつぎの釘を打つごとき……そは