“後家:ごけ” の例文
“後家:ごけ”を含む作品の著者(上位)作品数
野村胡堂10
吉川英治6
夢野久作4
岡本綺堂4
長谷川時雨4
“後家:ごけ”を含む作品のジャンル比率
文学 > 日本文学 > 小説 物語1.3%
文学 > 日本文学 > 詩歌0.4%
文学 > 日本文学 > 評論 エッセイ 随筆0.1%
(注)比率=対象の語句にふりがなが振られている作品数÷各ジャンルの合計の作品数
彼の母というのは、妙光尼みょうこうにといって、いうまでもなく、織田家の忠臣森三左衛門可成よしなり後家ごけである。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「その庄司のお嬢様を清姫という——一説にはお嬢様ではない、まだ水々しい若い綺麗きれい後家ごけさんであったとも申します」
大菩薩峠:05 龍神の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
その身の事ども打明け話し候を聞くに、得念は木挽町こびきちょうに住居致候商家の後家ごけと、年来道ならぬちぎりを結び
榎物語 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
だケエに十年も後家ごけ立デデせ、ホガガらワラシもらわらの上ララそだデデ見デも
地方主義篇:(散文詩) (旧字旧仮名) / 福士幸次郎(著)
余程教育ある婦人でも後家ごけて通すというような美しい意気をもって世を過すという婦女子はチベットにはほとんどないです。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
「富坂のおすゞ坊、後家ごけのおこのの娘で、年は十九、やくは厄でも、こんな綺麗な娘には神も佛もばちは當てねえ」
「眼の色變へて乘出すのは穩やかぢや無いぜ、お前に藥草の葉つぱをくれるんだから、いづれ場末の生藥屋きぐすりや後家ごけか何か」
家の中には紛失物は無いらしく、天井裏からボロきれに包んで、少しばかり纒まつた金の出て來たのも、後家ごけらしいたしなみでした。
この、のら息子の母親というのは、小野政秀おのまさひでの旧臣の後家ごけで、於通にとっても、育ての親——乳母のおさわなのである。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
裏の畑に向いた六畳の間に、樋口とこの主人あるじ後家ごけの四十七八になる人とが、さし向かいで何か話をしているところでした。
あの時分 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
「取扱い所勤務中遠山藤とおやまふじと申す後家ごけへ通じ合いそうろうが事の起り。——何だ下らない」
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
後家ごけ孀婦そうふの淋しき人々にも、勿論もちろんこの時には仕事があったが、それは一年の永い日数に比べると、幾らでもなかったのである。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
平次はその足で直ぐ壁隣りの相長屋、後家ごけの内職で細々と暮して居るお角といふ大年増の家を覗きました。
それを聞いて、与兵衛らはひどく驚いたらしく、いまは後家ごけとなった女房のお才をはじめ、親類一同を奥の間へ呼びあつめて、俄かに評議を開いた。
半七捕物帳:50 正雪の絵馬 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
と云ふのは、この頃、大黒座で打つてゐる役者一座の一人が、さうたび/\、後家ごけさんや娘に買はれに來るのだと思はれては、迷惑だからであつた。
泡鳴五部作:03 放浪 (旧字旧仮名) / 岩野泡鳴(著)
「根岸の後家ごけさんとやらがおかしな真似をするというから、行って見ようと思っていたところなんだ」
大菩薩峠:10 市中騒動の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「さうだらう、——どうも揃つた道具らしいが刀だけが後家ごけになつて居るのは可怪しいと思つたよ」
「わかる、わかる、おばばの気持はよくわかる。さすがは、新免宗貫しんめんむねつら家中かちゅうで重きをなした本位田家の後家ごけ殿だけのものはある」
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
たけにあまる黒髮くろかみきりはらへばとてれは菩提心ぼだいしん人前ひとまへづくりの後家ごけさまが處爲しよいぞかし
経つくゑ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
その従姉といふ人は後家ごけさんで、あの有名なN会堂のすぐがけ下に住んでゐました。
死児変相 (新字旧仮名) / 神西清(著)
実は自分は、観世かんぜなにがしと呼ぶ能楽師の後家ごけであるが、この奈良には今、素姓の知れない牢人がたくさん住んでいて、風紀の悪いことはお話にならない。
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
お菊ちゃんは、浜中屋の娘分で、芝居町の笛吹きのたてで、小杉長五郎という男をむこに入れたことがあるが、二年も添わないうちに死に別れて後家ごけになった。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
生涯一度の善事をするつもりで、此度このたびの公事は取下げて、半田屋はんだや後家ごけと和解してやれ。——半田屋は、そちが若年の頃に仕えた旧主ではないか。
鍋島甲斐守 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
金五郎 後家ごけを立ててる女のところへ、俺が婿にはいろうというのに不思議はねえ。
瞼の母 (新字新仮名) / 長谷川伸(著)
井筒屋の前に入られたのは、原庭の物持ち後家ごけで、おこんという四十年配の金貸し、これは幸い怪我けがはありませんが、用箪笥ようだんすごと庭に持出されて
精米所では、東京風のひんのいいかみさんが、家に引込ひっこみきりで、浜屋の後家ごけに産れた主人の男の子と、自分に産れた二人の女の子供の世話をしていた。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
耄碌もうろくしたと自分ではいいながら、若い時に亭主ていしゅに死に別れて立派に後家ごけを通して後ろ指一本さされなかった昔気質むかしかたぎのしっかり者だけに
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
「ありがとうござります、主人喜兵衛はじめ、後家ごけ弓とも、よろしく申しました。承わりますれば、御内室お岩さまが、お産がありましたとやら、お麁末そまつでござりますが」
南北の東海道四谷怪談 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
このまま、婚家へ止めて置いて一生後家ごけ暮らしをさせるのは不憫である。
盗難 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
「おうい、邪魔すなやい。後家ごけさんに頼まれて來たことがあるんぢや。」
石川五右衛門の生立 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
みづさかづきしてわかれしりのつま形見かたみ此美人このびじんなり、ひと不幸ふこううまれながらに後家ごけさまのおやちて
経つくゑ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
「あのお富さんもお気の毒ですよ。早くおよめに来て、早く世の中を済ましてしまったなんて、そう言っていましたよ。あの人も、もう後家ごけさんですからねえ——あの女ざかりで。」
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
何々屋なになにや後家ごけさんが、おびってやったとか。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
なん御覽ごらんじたか田中屋たなかや後家ごけさまがいやらしさを、あれでとしは六十四、白粉おしろいをつけぬがめつけものなれど丸髷まるまげおほきさ
たけくらべ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
姉さんが一人、お悦といって後家ごけを通した人(後に私の養母である)、この人が台所をやるという風で、姉弟きょうだい三人水入らずで平和にむつまじくやっていたのであります。
「これは後家ごけ家屋というのです。直ぐ越さなければいけません。」
芝、麻布 (新字新仮名) / 小山内薫(著)
が、学校を卒業して見ると、まだ女学校も出てゐない妹の照子と彼女とを抱へて、後家ごけを立て通して来た母の手前も、さうは我儘わがままを云はれない、複雑な事情もないではなかつた。
(新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
はすっぱな下町娘や色気たっぷりの後家ごけなどが、ゆきずりに投げてゆくこうしたみだらがましい言葉、それにさえ慣れて、はじめのような憤りや自嘲を感じなくなった栄三郎であった。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
「わたくしは一番いちばん半兵衛はんべえ後家ごけ、しのと申すものでございます。実はわたくしのせがれ新之丞しんのじょうと申すものが大病なのでございますが……」
おしの (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
やっぱり近所に住んでいたが、みんな後家ごけさん——後家さんはおっかさん一人で、あとは老嬢おうるどみすだったのかも知れないが、女ばかり四人よったりしてキチンと住んでいた。
母のお民は後家ごけを立てて二人の子供を無事に育てあげ、兄の半七には父のあとをがせて、もとのお店に奉公させようという望みであったが、道楽肌の半七は堅気の奉公を好まなかった。
半七捕物帳:02 石灯籠 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
坊主ぼうずの二十を後家ごけごろしというが知っちょるか」
流行暗殺節 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
武士ものゝふのけんくゎに後家ごけ二人ふたり出来でき
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
この村の次郎兵衛という百姓の後家ごけにお福という女がある。
馬妖記 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
あの後家ごけのあなたに、強情におもいを掛けて、とうとう
軍人は軍人で、ことに下士以下は人の娘は勿論もちろん後家ごけは勿論、あるいは人の妻をすら翫弄がんろうして、それが当然の権利であり、国民の義務であるとまで済ましていたらしい。
酒中日記 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
女の方がかえって愛嬌あいきょうがあって客受けがイイという話、ここの写真屋の女主人おんなあるじというは後家ごけさんだそうだが相応に儲かるというはなし、そんな話を重ねた挙句あげく
二葉亭余談 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
後家ごけがうつえんきぬたれて過ぐ
五百句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
後家ごけである母はむすこだけをたよりにしていた。
ジェミイの冐険 (新字新仮名) / 片山広子(著)
初春のことで、かねて此邸このうちだと思う、武家の後家ごけの住居をつきとめると、流していた一文獅子じしを引っぱってきて、賑わしく窓下で、あるっかぎりの芸当をさせ、自分は離れた向う角にいた。
廿九歳で後家ごけになってから猶更なおさらパリパリしていた養母の亀吉は、よき芸妓としての守らねばならぬしきたりを可愛い養娘むすめであるゆえに、小奴に服膺ふくようさせねばならないと思っていた
マダム貞奴 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
「辨天屋の店へは手紙の來た樣子はないが、お傳の叔母さんが柳橋に居る筈だから、其處へ行つて訊いたら、何にかわかるかも知れないと言はれて、——あつしはそれから柳橋の絲屋の後家ごけを訪ねましたがネ」
後家ごけさんで、アーサは一人っ子であった。
「朝田屋の後家ごけ、お信さんが殺されたよ」
文吾の家は後家ごけと子供とだけだから、村の寄り合ひの正座も奪はれてしまつたのであるが、源右衞門も家柄だけでは正座へなほることが出來ないで、成り上りが幅を利かしてゐる不平を、酒に紛らしつゝ憤つてゐる。
石川五右衛門の生立 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
水のやあるじかしこき後家ごけの君
俳人蕪村 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
「ところで加島屋の後家ごけの傷は?」
水の粉やあるじかしこき後家ごけの君
俳人蕪村 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
まずある家に嫁入よめいりして後、不幸にして良人に死なれても幸いに財産が自分の手に入ったからというて、安楽に自分の子供を育てながら後家ごけを守っていくという婦人は、チベットではほとんど見ることが出来ん。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
後家ごけと、按摩あんまさんと、
思ひ出:抒情小曲集 (旧字旧仮名) / 北原白秋(著)
「マア。恋愛なんて……て仰言るの……あたしこれでもチャント貞操を守っている未亡人なのよ。まだネジが切れちまわないうちに相手をなくしちゃって、イヤでもこんな淋しい後家ごけを守っていなくちゃならなくなった女なのよ」
女坑主 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
一旦いつたん約束した上は、後家ごけを立て通すが女性をんな義務つとめだと言はしやる、当分は其気で居たものの、まア、長二や、勿体もつたいないが、おやうらんで泣いたものよ——お前は今年幾歳いくつ
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
バルブレンの後家ごけより
長く、後家ごけ同様に暮している山田の母親と、そのしゅうとめにあたる、とても口やかましい祖母とがいて、おとなしい孫息子を、引っかかえすぎるのに、うるさくなって越したのだが、その事だけは、美妙斎はいわなかった。
田沢稲船 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
妹のかね子という人は、女ながらなかなかしっかりした人で、仕事も出来、手もよく書き貞女にて、千住中組せんじゅなかぐみの商家にとつぎ、良人おっとの没後後家ごけで店を立派にやって行き、今日も繁昌致しおります。
「置床の柱に小判が入つてゐると知つてるのは、お濱と吉三郎の外に、隣の後家ごけのお角がある。あの壁の穴から、多の市の部屋は見通しだ。が、お角は華奢きやしやで病身らしいから、とても五貫目もある小判の柱を盜める筈はない」
それに皆様も御承知か存じませぬが、父はよく女に化けて旅行する癖がありましたそうで、ジミな十徳を着て、お高祖頭巾こそずきんを冠って、養生ようじょう眼鏡をかけますとチョットしたお金持ちの後家ごけさん位に見えましたそうで
押絵の奇蹟 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
惣左衞門後家ごけ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
それを並べてみると長くなるが、たとえば木綿もめんが農村に入って、麻の衣類にかわっていった時代の様子、村に住する寡婦かふの生計が、農具の改良によって激変を受けたこと、いわゆる後家ごけ泣かせという稲扱器いねこききの普及
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
伊勢屋の主人は五年まえに世を去って、今では後家ごけのお豊がひとり息子の後見こうけん役でこの大きな店を踏まえているのであるから、彼女が飽くまで行者を信仰して、わが子の祈祷になんの故障もない限りは、ほかの奉公人どもがいてそれをさえぎるわけには行かなかった。
半七捕物帳:26 女行者 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
ン、これが別れ別れて両方後家ごけになっていたのだナ、しめた、これを買って、深草のを買って、両方合わせれば三十両、と早くも腹の中でえみを含んで、価を問うと片方の割合には高いことをいって、これほどの物は片方にせよ稀有けうのものだからと、なかなかやすくない。
骨董 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
また尼寺の童貞でも、森の中の蛇の皮と、裸体祭の風流男みやびおとを百年の仇と思いつめるような、なさけ知らずの乙女でも、櫛を折り、鏡を砕き、赤き色のあらゆる衣を引き裂いて、操を立てた若い後家ごけでも、一度Fなる魔法使いの「暗と血薔薇」の音を聞けば、必ず熱い血が躍る。
レモンの花の咲く丘へ (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
おれも、昔とはちがう。あの百合香なあ、あいつ、三年ほど前に、亭主に先だたれて、後家ごけ暮しをしとったが、今度、願ってもないええところから、貰い手がついた。再縁にしちゃあ、拝みたいほどの人よ。その縁談の、……いや祝言のため、東京から帰って来たんじゃ。あいつも大よろこびよ。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
父よりも母を偏愛した滋幹は、たとい母のことについて悪い風聞ふうぶんがあったとしても、そんなことを記す訳はないが、こゝでは暫く彼の日記を信用して、母は左大臣のわす形見がたみの敦忠の成長を楽しみに、びしくつゝましく後家ごけを通して行ったのであるとしておこう。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
「金貸し後家ごけ」と言えば界隈で知らぬ者は無い……五十前後の筋骨逞ましい、タ目と見られぬ黒アバタで……腕っ節なら男よりも強い強慾者で……三味線が上手じょうずで声が美しいという……それが一人娘のお加代というのと、たった二人切りで、家倉いえくらの立ち並んだ大きな家に住んでいた。
いなか、の、じけん (新字新仮名) / 夢野久作(著)
「そうでなくてさえ、このごろは番人がヒヤヒヤしている、飛騨の高山の者だというあの油ぎった後家ごけさんと、その男妾おとこめかけの浅吉とやらが変死してから……留守番や、山の案内がこわがっている、この上、お雪ちゃんでも病みつこうものなら、鐙小屋あぶみごやの神主でもはらいきれまいよ」
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
小僧たちの雷のようなわめきに迎えられて、この店へ入って来たのは切下げ髪に被布ひふ年増としま、ちょっと見れば大名か旗本の後家ごけのようで、よく見れば町家ちょうかの出らしい婀娜あだなところがあって、年は二十八九でありましょうか、手には秋草のたばにしたのを持っておりましたが、
「心安い多くの婦人から奪われた大事の物の紛失はいやすにすべなきを見てやむをえず、勝者の愍憐びんれんを乞いに来ました」と、この質直な陳述を聴いていかでか感ぜざらん、大いに同情してその女に夫ばかりか掠奪物一切を還しやったとあれば、他の捕虜どもは皆去勢されたので「高縄の花屋へ来るも来るも後家ごけ
五十ばかりになって一人住居ずまいをしている後家ごけさんが、ひる過ぎに近所まで用足しに行って帰って来ると、開け放しにしておいた自分のうちの座敷のまん中に、知り合いの按摩あんまがラムプの石油をいて火をけながら、煙にせて逃げ迷っている……と思う間もなく床柱に行き当って引っくり返ってしまった。
いなか、の、じけん (新字新仮名) / 夢野久作(著)
「人を刺して、いきなりゑぐるのは、武藝の心得のある者だ。素人の盲目突めくらづきではない。——曲者はあの晩加島屋に三百兩の金が用意してある事を知つて居る武家だ。——四尺以上で幅のある生垣を苦もなく飛越すのは、武藝の心得も相當以上だな。——それ程の武家はきつと自分の刺した加島屋の後家ごけの樣子を見に來る筈だ」
溜池の坂田屋といふのはかつては日本橋の油問屋で、華やかな大町人の一人でしたが、主人の敬三郎が三年前に死んだ後は、思ひの外の借金で店を人に讓り、後家ごけのお紋といふのが、娘のお新をつれて赤坂田町に引込み、まだ殘つて居る地所や貸家の收入で、昔の坂田屋の格式をあまり崩さず、世間體だけは心のまゝに暮して居るのでした。
又はその当時の話題になっていたこの『美人後家ごけ殺しの迷宮事件』の真相を、古い色情関係と睨んでいた新聞記者が、そんなネタを探し出した。ところが又その記事の中に、虹野にじのミギワなぞいう呉虹汀くれこうていちなんだ名前が出て来たりしたので、傍々かたがた以てこの調査書の中に取入れたものとも考えられるようでもある。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)