にお)” の例文
さて妻が子に食を与え隣家へうすつきに往くとて、子を伴れ行くを忘れた。子の口が酥酪そらくにおうをぎ付けて、毒蛇来り殺しに掛かる。
『女だってそのくらいな楽しみがなけりゃ仕様がない』そう云って、舶来はくらいのいいにおいのする煙草を買って来ては彼女に吸わせました。
途上 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
花柳界の女性に食傷している彼は、こうしてすれすれに坐っていると、京子の処女らしいにおいと魅力とで、なやましくなってしまう。
第二の接吻 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
……私は念のために立ち上って、入口のドアの横から自分の角帽を取って来て、その内側のにおいと、絵巻物の香気とを嗅ぎ較べて見た。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
「見て下さい、これ今お友達から送って下すったの。余りいいにおいで嬉しくなったから一寸あなたにも香わせて上げようと思って」
沈丁花 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
それで、わしかんがえたすえに、いいにおいをあたえたのだ。それからは、みんなのにとまるようになった。人間にんげんはおまえさんたちをあいした。
すみれとうぐいすの話 (新字新仮名) / 小川未明(著)
長さものみならざるむねに、一重の梅や八重桜、桃はまだしも、菊の花、薄荷はっかの花のも及ばぬまでこまかきを浮き彫にしてにおばか
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
そして女世帯らしい細やかさとにおいとが、家じゅうに満ちていて、どこからどこまで乱雑で薄汚ない彼の家とは雲泥うんでい相違そういだった。
星座 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
原始林のにおいがプンプンする、真夜中の火山口から永遠の氷霧にまき込まれて、アビズマルな心象がしきりに諸々の星座を物色している。
惰眠洞妄語 (新字新仮名) / 辻潤(著)
この橋の両側だけに人間のにおいがするが、そこから六百山の麓に沿うて二十余町の道の両側にはさまざまな喬木が林立している
雨の上高地 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
いったい日本人は花のにおいに冷淡れいたんで、あまり興味をかないようだが、西洋人と中国人とはこれに反して非常に花香かこう尊重そんちょうする。
植物知識 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
かえってみて、何か、かおのようなにおわしさが、その老梅のものではなく、自分のうしろに立っている巫女みこ直美なおみであることを知った。
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこから発散する油のにおいも私には楽しかった。次郎は私のそばにいて、しばらくほかの事を忘れたように、じっと自分のに見入っていた。
分配 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
この、表面白っぽく間の抜けた底に、どこか田舎者めいた強情な狡猾さがぷうんとにおって、決してこれだけが全部でないことを暗示ヒントしていた。
中には、まだほんのり娘のほとぼりが残って、若い女だけが持つ、不思議な分泌物のにおいが、八五郎をくらくらさせます。
と声を呑んだのでありましたが、今、さきに行くお豊の馬上の姿を見ると、そこに縹渺ひょうびょうとして、また人のにおいのときめくを感ずるのであります。
それを二個ふたつばかり買って帰って参りまして何心なく現任大臣に見せますと、此品これにおいもよし、非常に立派だから私にこれを分けてくれまいか。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
彼の眼は、ピカピカ光るメスを手にした鴨下ドクトルを見つけた。「何事?」と詰問しようと思ったとき、彼の鼻孔には麻酔薬の高い匂いがにおった。
蠅男 (新字新仮名) / 海野十三(著)
「追って僕が誠意を披瀝ひれきするから、少しはにおわせてもいゝよ。僕だけの考えとしてね。親父には差当り絶対秘密だ」
田園情調あり (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
箱屋が来て、薄べりに、紅裏におう、衣紋を揃えて、長襦袢で立った、お千世のうしろへ、と構えた時が、摺半鐘すりばんで。
日本橋 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
村田——有名な化粧品問屋——の裏を歩くと、鬢附びんつけ油をにおいで臭く、そこにいる蝸牛まいまいつぶろもくさいと言った。
旧聞日本橋:02 町の構成 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
人間が長きにわたって思いをこめた風景にはにおいがあるのだろう。塔と伽藍からたち昇る千二百年の幽気が、この辺りのすべてに漂っているように思えた。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
麻は何百年もヨオロツパ中で栽培された。麻は一年生の、丈夫な、嫌なにおひのする、緑色の陰気な小さな花を
貨車が轟々ごうごうと音をたててわたしを通りすぎ、わたしがロング・ウォーフからレーク・チャムプレーまでの道のりにわたってそのにおいをまきちらす貨物を嗅ぐとき
畳をって突っ立った神保造酒、流石さすがは剣士、何時の間にか大刀を右手に部屋を走り出る、とプウーン! と鼻をつく線香のにおいが、どこからかにおって来ている。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
ヨーロッパ中で最も有力な智能の一つをかくしていることをにおわすような何ものもなかったのだ。
要するに、にんじんの好みは一風いっぷう変わっている。しかも、彼自身、麝香じゃこうにおいはしないのである。
にんじん (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
そのむかしは御用木として日本堤にほんづつみに多くえられて、山谷さんやがよいの若い男をいやがらせたといううるしの木のにおいがここにも微かに残って、そこらには漆のまばらな森があった。
箕輪心中 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
汚れたパフのついた和製のコンパクトが一つ、においは中々いい。練紅、櫛、散薬のようなもの。
泣虫小僧 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
橄欖かんらんというの実、木の皮をしぼって作ったという、においのよい、味のいい、すばらしい油——富みたるものは、それを皮膚はだのくすりとして塗りもすれば、料理にも使って
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
そしてその娘のにおいがまだ残っていた美しい自動車に乗ってきたのだと愉快そうに言った。
ルウベンスの偽画 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
一軒のお長屋の土塀を越して、白木蓮しろもくれんの花が空に向かって、かんばしいにおいを吐いている。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
その上の麓の彩雲閣さいうんかく(名鉄経営)の楼上ろうじょうで、隆太郎のいわゆる「においのするうお」を冷たいビールの乾杯で、初めて爽快そうかいに風味して、ややしばらく飽満ほうまんした、そののことであった。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
代々木の停留場に上る階段のところで、それでも追い越して、きぬずれの音、白粉おしろいにおいに胸をおどらしたが、今度は振り返りもせず、大足に、しかも駆けるようにして、階段を上った。
少女病 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
しかつめらしく恋の密輸入物をトランクにしまうと一寝入りするつもりで車窓からボスニヤ平原に咲く砂糖黍さとうきびの花のにおいを嗅いでいるうちに、すっかり追想的になってしまったのだ。
孟買挿話 (新字新仮名) / 吉行エイスケ(著)
凄じい誰かの咳、猛烈な紙埃かみぼこり、白粉の鬱陶しいにおいと捌口のない炭酸瓦斯ガス匍匐ほふく
罠を跳び越える女 (新字新仮名) / 矢田津世子(著)
さて、父にせかれて仕立下ろしのフランネルの衣物に着換えた私は、これも今日はじめて見るにおい高い新しい麦わら帽子をかぶって、赤色のネクタイを結んだ父と連れだって家を出た。
父を失う話 (新字新仮名) / 渡辺温(著)
二つの眼を四つに映し、顔の代りに煎餅みたいなものを見せてくれる鏡、それから最後に、聖像の後ろへ束にして差しこんであるにおい草と撫子なでしこだが、こいつはすっかり干乾ひからびているので
野良犬のらいぬや拾い屋(バタ屋)が芥箱ごみばこをあさっているほかに人通りもなく、静まりかえった中にただ魚の生臭なまぐさ臭気しゅうきただようている黒門市場の中を通り、路地へはいるとプンプン良いにおいがした。
夫婦善哉 (新字新仮名) / 織田作之助(著)
東京にった時でも蕎麦屋の前を通って薬味のにおいをかぐと、どうしても暖簾のれんがくぐりたくなった。今日までは数学と骨董で蕎麦を忘れていたが、こうして看板を見ると素通りが出来なくなる。
坊っちゃん (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
所々ところどころうつくしい色彩いろどり貝殻かいがらにおいのつよ海藻かいそうやらがちらばっているのです。
方々でいろいろな音楽もそうされました。晴れた空には月が澄みきっていました。燈火あかりは一切ともすことが許されませんでした。お城全体が、月の光りと音楽と踊りといいにおいとでき返るようでした。
お月様の唄 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
良人おっと沼南と同伴でない時はイツデモ小間使こまづかいをおともにつれていたが、その頃流行した前髪まえがみを切って前額ひたいらした束髪そくはつで、嬌態しなを作って桃色の小さいハンケチをり揮り香水のにおいを四辺あたりくんじていた。
三十年前の島田沼南 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
突然、なまめかしい脂粉しふんにおいが玄石の鼻をうった。
二人の盲人 (新字新仮名) / 平林初之輔(著)
物の枯れてゆくにおいが空気の底によどんで、立木の高みまではい上がっている「つたうるし」の紅葉が黒々と見えるほどに光が薄れていた。
親子 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
「ここから、あちらにえるおかしてゆくと、いま、りんごの花盛はなざかりです。それは、いいにおいがしています。」といいました。
北海の波にさらわれた蛾 (新字新仮名) / 小川未明(著)
では、ふくよかな女らしさに欠けているかというと、包まれている中に、薄月夜うすづきよの野の花みたいににおうものがある。ほんのりと、楚々とある。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
けれども、無茶先生や豚吉やヒョロ子は鼻の穴に綿をつめておりますから、香水のにおいもわからなければくしゃみも出しません。
豚吉とヒョロ子 (新字新仮名) / 夢野久作三鳥山人(著)
下りてみると、日向ひなたの自動車のなかで運転手がぐっすり居眠りしていた。とうとうこっそりったとみえて、車内にぷうんとにおいが漂っている。
踊る地平線:04 虹を渡る日 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
バナナを食うときはだれでもまずその外皮がいひぎ取り、その内部の肉、それはクリーム色をしたにおいのよい肉、をしょくする。
植物知識 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)