“足利:あしかが” の例文
“足利:あしかが”を含む作品の著者(上位)作品数
吉川英治11
中里介山5
島崎藤村4
幸田露伴3
国枝史郎2
“足利:あしかが”を含む作品のジャンル比率
芸術・美術 > 諸芸・娯楽 > 茶道25.0%
芸術・美術 > 工芸 > 工芸25.0%
社会科学 > 風俗習慣・民俗学・民族学 > 風俗史・民俗誌・民族誌6.1%
(注)比率=対象の語句にふりがなが振られている作品数÷各ジャンルの合計の作品数
足利あしかが後期の京都人の日記など見ると、別に「ゐなか」という酒が地方から、ぽつぽつと献上せられ且つ賞玩せられている。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
拙者は足利あしかがの田山白雲という貧乏絵師だが、今日はこれからなけなしの財嚢ざいのうを傾けて、君のためにおごりたいのだ
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
楠木くすのきなどがひかえ、他方たほうには足利あしかがその東国とうごく武士ぶしどもがしたが
そして抜本的に、中央のがん足利あしかが初世以来の幕府勢力までことごとく京都から追い払ってしまった彼である。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
日本では足利あしかが時代から連歌れんがとか俳諧とかいうものが生れて来るようになり、自然諷詠の傾向が強くなって参りました。
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
足利あしかが木像事件後における残存諸士の消息を語り、それより回りみちをして幕府探偵たんていの目を避けながら
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
そして、実隆が世を去っておよそ三十年、織田信長おだのぶながはすでに足利あしかが将軍を追って、京都に君臨しておったのである。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
思はんやさはいへそぞろむさし野に七里を北へ下野しもつけの山、七里を北といへば足利あしかがではないか。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
足利あしかが時代に禅僧が輸入したような話があるかと思うと、十四世紀にある親王様が輸入された説もある。
日本楽器の名称 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
あるいは宋代明代のものを、あるいは高麗こうらい李朝のものを、あるいは足利あしかがあるいは徳川期のものを、あるいは西洋ここ数世紀のものを。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
「は、は、は、拙者は絵師ですよ、足利あしかがの田山白雲といって、田舎いなか廻りの絵描きですよ」
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
湯沢謙吉に、安田治太夫という、足利あしかがの藩士が二人、藩邸の正門を出て、雪輪ゆきのわ小路の辻便所で、しゃあしゃあと揃って用をたしていた。
田崎草雲とその子 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
為世の世を去る年には、その新田にった義貞も藤島に討死し、北畠顕家きたばたけあきいえ石津いしづに戦死して、足利あしかが尊氏が将軍となった。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
そこから右に折れて栃木県の足利あしかがや佐野、更に東すると茨城県の結城ゆうきがあります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
足利あしかがの町へ縁付いている惣領娘そうりょうむすめにもいくらかの田地を分けてやった。
籠釣瓶 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
遠く源平時代より其証左は歴々と存していて、こと足利あしかが氏中世頃から敗軍の将士の末路は大抵土民の為に最後の血を瀝尽れきじんさせられている。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
それで足利あしかが幕府でも領主でも奉行でも、何時となくこれを認めるようになったのである。
雪たたき (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
「野州足利あしかがの田山白雲という絵かきが拙者です、君たちの心配する目的物はこれだろう」
大菩薩峠:31 勿来の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
大体鎌倉時代から足利あしかが時代にかけての習俗がそのまま今に伝えられているのであります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
北条ほうじょう足利あしかがにもまさる逆謀というのほかはない、これには切歯せっし痛憤
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
足利あしかがの末の乱世には、もう茨組いばらぐみなどという徒党があって——もちろんそれは男伊達などとは敬称されなかったが、「室町殿物語」などによると、
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
足利あしかが以来の趣味はこの人によって水際立みずぎわだって進歩させられたのである。
骨董 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
武術にまで利用されるようになり、独立した武器とはならないが、攻撃法の前の奇手として、足利あしかが時代にまで、吹針というものは、たしかに用いられたものだと
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
過ぐる文久三年、例の等持院にある足利あしかが将軍らの木像の首を抜き取って京都三条河原がわらさらし物にした血気さかんなころの正香の相手は、この正胤だ。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
秦さんは、足利あしかが時代の墨絵を沢山集めていたが、或る時蟹を一匹描いた小品を手に入れて以来、もう外の絵はいらなくなったという執心ぶりをその絵に示していた。
南画を描く話 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
それにはわたくしは『足利あしかが武鑑』、『織田おだ武鑑』、『豊臣とよとみ武鑑』というような、後の人のレコンストリュクションによって作られた書を最初に除く。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
けだしキリシタン宗は、あたか足利あしかがの世に初めてわが国に渡来した。
ハビアン説法 (新字旧仮名) / 神西清(著)
室町幕府はあるが、十三代足利あしかが義輝の存在は、名ばかりの将軍家であった。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
(俺は若い、これからだ。——世のなかは、足利あしかが幕府の、年寄の仕事にだれてしまい、混乱してしまい、老衰してしまっている。若い俺たちを、世のなかは待っている!)
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
足利あしかが時代からあったお城は御維新のあとでお取崩とりくずしになって、今じゃへい築地ついじの破れを蔦桂つたかづらようやく着物を着せてる位ですけれど
忘れ形見 (新字新仮名) / 若松賤子(著)
城のおほりと、五条川を中心にして、ここには古い足利あしかが文化のにおいと、戦乱の中にも持ち続けて来た繁昌が、国郡こくぐん第一の都府とふという名に恥じなかった。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
筑山は下野国しもつけのくに足利あしかがの名主だということであった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
この体に旅人も首を傾けて見ていたが、やがて年を取ッた方がしずかに幕を取り上げて紋どころをよく見るとこれは実に間違いなく足利あしかがの物なので思わずも雀躍こおどりした,
武蔵野 (新字新仮名) / 山田美妙(著)
そればかりではない、あの足利あしかが将軍らの木像の首を三条河原さんじょうがわらさらしたという示威事件に関係して縛にいた先輩師岡正胤もろおかまさたねをはじめ
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
と、草雲は、十歳で、足利あしかがの藩主の邸に、お茶坊主にやられた。
田崎草雲とその子 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
巻頭に入れた地図は、足利あしかがで生まれ、熊谷、行田、弥勒、羽生、この狭い間にしかがいしてその足跡が至らなかった青年の一生ということを思わせたいと思ってはさんだのであった。
『田舎教師』について (新字新仮名) / 田山花袋(著)
「喧嘩の夢でも見たのか、足利あしかがの高さんと喧嘩したのかえ」
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
この大男は誰あろう、足利あしかがの絵師、田山白雲でありました。
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
野州足利あしかが在の養源寺ようげんじの山の下の池などは、直径三尺ほどしかない小池ではありますが、これも弘法大師の加持水といい伝えて、信心深い人たちが汲んで行って飲むそうです。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
木曽家の恐ろしい乱脈は足利あしかが将軍の耳へもはいった。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
足利あしかが時代は総たるみにて俳句の天保時代と相似たり。
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
——その三事のわざをもって、足利あしかがの初世から、室町の世に栄え、今川家、織田家、豊臣家と代々の執権から寵遇ちょうぐうをうけて今につづいて来ているふるい家すじでもあった。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
唐沢の家が、三万石の小大名ではあったが、足利あしかが時代以来の名家であるとか、維新の際には祖父が勤王の志が、厚かったにもかかわらず、薩長さっちょうに売られて、朝敵の汚名おめいを取り
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
そのころ父は足利あしかがで呉服屋をしていた。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
前にもいった足利あしかが時代の「おじゃる」ことばや「発矢はっし!……何々」というような際立きわだった誇張的の新らしい文調であったので、初めの珍らしい中こそヤンヤと喝采かっさいされたが
美妙斎美妙 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
もし朝廷において一時の利得を計り、永久治安の策をなさない時には、すなわち北条ほうじょうの後に足利あしかがを生じ、前姦ぜんかん去って後奸こうかん来たるの覆轍ふくてつを踏むことも避けがたいであろう。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
なお分らなければ、わしの書斎までござれ。むかし楠木正行くすのきまさつらが渡辺橋の合戦の折、足利あしかがの大軍を討って、暗夜の河中に溺れんとした足利の兵を救いあげてさとしおる一条が——あの太平記の中にある。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
日本で、足利あしかが時代に作られた「はちの木」という最も通俗な能の舞は、貧困な武士がある寒夜に炉にまきがないので、旅僧を歓待するために、だいじに育てた鉢の木を切るという話に基づいて書いたものである。
茶の本:04 茶の本 (新字新仮名) / 岡倉天心岡倉覚三(著)
一般民衆にとっては、彼らみずからの工業主義の尊い産物である絵入りの定期刊行物をながめるほうが、彼らが感心したふりをしている初期のイタリア作品や、足利あしかが時代の傑作よりも美術鑑賞のかてとしてもっと消化しやすいであろう。
茶の本:04 茶の本 (新字新仮名) / 岡倉天心岡倉覚三(著)
八幡大菩薩の大旗を、足利あしかが時代の八幡船のように各自めいめい船首へさきへ押し立てた十隻の日本の軍船いくさぶねが、太平洋の浪を分けて想像もつかない大胆さで、南米墨西哥メキシコへ向かったのは天保末年夏のことであった。
私の足もとに、どっかり腰をおろして、私の顔を下からのぞき、「坐らないかね、君も。そんなに、ふくれていると、君の顔は、さむらいみたいに見えるね。むかしの人の顔だ。足利あしかが時代と、桃山時代と、どっちがさきか、知ってるか?」
乞食学生 (新字新仮名) / 太宰治(著)
——また、南朝の御世みよの頃、新田武蔵守むさしのかみ小手指こてさしヶ原の合戦から駈け渡って、足利あしかが方の矢かぜを浴びたのもこの辺りだし——近くは、天正の頃、太田道灌どうかんの一族だの、千葉氏の一党が、幾たびも興り
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「せめては、死に花をかざらんものと思いまして。……二条の第に、覚束おぼつかなくも、鉄砲をならべ、たてをかこみましたのも、足利あしかが御代々のいまや終ろうとする墳墓ふんぼに、多少のさむらいはあるぞと、花を立てておるに過ぎません」
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「当代、海内かいだいに弓取多しといえども、信長様ほどな人物はありません。釈迦しゃかに説法ですが、あなただって、今の時勢が、このままでいるとはお思いになりますまい。畏れ多くはあるが、足利あしかが将軍家も、もうぜひなき末路まつろとはお考えになりませんか」
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
御尤ごもっともでございます、浦島太郎が、この寝覚の床で釣を垂れたというのは、全く証拠のないでたらめでございますが、一説には、こういう話がありますんですな、足利あしかがの末の時代でもございましたろう、川越三喜という名医が、この地に隠栖いんせいを致しましてな
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
あの先生も思い切ったことをやったもんさ。足利あしかが将軍の木像の首を引き抜くなんて。あの事件には師岡正胤もろおかまさたねなぞも関係していますから、同志を救い出せと言うんで、伊那からもわざわざ運動に京都まで出かけたものもありましたっけ。暮田正香も今じゃ日陰の身でさ。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
それを一通り調べてもまだ足らぬ所があるので、やはり上代じょうだいからぎ出して、順次に根気よく人文発展のながれを下って来ないと、この突如たる勃興ぼっこうの真髄が納得なっとく出来ないという意味から、次に上代以後足利あしかが氏に至るまでを第一巻として発表されたものと思われる。
元々これは、東山殿の贅美ぜいびと退屈の果てから生れた貴族趣味のものだったのが、いつのまにか、その東山殿の足利あしかが文化を、過去のからとして、次の生々いきいきと伸びかけている草民そうみんのうちへ、極めて、平民的に、また生活に即して、日常に愛され行われるような傾向になりかけていた。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そもそも幕末の時に当りて上方かみがたの辺に出没しゅつぼつしたるいわゆる勤王有志家きんのうゆうしかの挙動を見れば、家をくものあり人をころすものあり、或は足利あしかが三代の木像もくぞうの首をりこれをきょうするなど、乱暴狼籍らんぼうろうぜき名状めいじょうすべからず。
今でこそ、赤岩村のわびしい郷士、くわを片手に、飼蠶かいこと共に起臥おきふししている土侍じゃが、おもとたちの御先祖様はといえば、足利あしかがの世の頃まで、今も昔のままに居るこの辺り一帯をとりでとして、南朝方へお味方した山浦常陸介ひたちのすけというた名だたる勤王の名将じゃぞ。
山浦清麿 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
是は一つには建築の進歩で、客殿と住居とを一つむねの下に作ることのできた結果であり、また一つには足利あしかが時代の社会相として、主人が頻繁に臣下の家に客に来ることになって、我家を主人よりももっとえらい人に使わせることになったためでもあって、つまりは坐り方の変遷と関係の深いものであると思っている。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
時代とき足利あしかが末葉まつようで、日本歴史での暗黒時代、あっちでも戦い、こっちでもいくさ、武者押しの声や矢叫やたけびの音で、今にも天地は崩れるかとばかり、尾張おわりには信長、三河には家康、甲斐かいには武田、越後えちごには上杉、群雄四方に割拠かっきょしてを争う物凄ものすごさ。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)