足利あしかが)” の例文
足利あしかが時代に作られた「はちの木」という最も通俗な能の舞は、貧困な武士がある寒夜に炉にまきがないので、旅僧を歓待するために
茶の本:04 茶の本 (新字新仮名) / 岡倉天心岡倉覚三(著)
あるいは宋代明代のものを、あるいは高麗こうらい李朝のものを、あるいは足利あしかがあるいは徳川期のものを、あるいは西洋ここ数世紀のものを。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
この物の存在はすでに足利あしかが期末にも知られていたにかかわらず、微々たる発明であるだけに、存外に流行が遅々としていたのである。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
湯沢謙吉に、安田治太夫という、足利あしかがの藩士が二人、藩邸の正門を出て、雪輪ゆきのわ小路の辻便所で、しゃあしゃあと揃って用をたしていた。
田崎草雲とその子 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
足利あしかが時代からあったお城は御維新のあとでお取崩とりくずしになって、今じゃへい築地ついじの破れを蔦桂つたかづらようやく着物を着せてる位ですけれど
忘れ形見 (新字新仮名) / 若松賤子(著)
遠く源平時代より其証左は歴々と存していて、こと足利あしかが氏中世頃から敗軍の将士の末路は大抵土民の為に最後の血を瀝尽れきじんさせられている。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
父母ちちははのことがひしひしと思い出された。幼いころは兄弟も多かった。そのころ父は足利あしかがで呉服屋をしていた。財産もかなり豊かであった。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
拙者は足利あしかがの田山白雲という貧乏絵師だが、今日はこれからなけなしの財嚢ざいのうを傾けて、君のためにおごりたいのだ、ぜひつき合ってくれ給え
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
けだしキリシタン宗は、あたか足利あしかがの世に初めてわが国に渡来した。北条氏は足利氏の縁者である。その北条氏の滅亡遺恨の地に、今や南蛮寺が建つ。
ハビアン説法 (新字旧仮名) / 神西清(著)
日本では足利あしかが時代から連歌れんがとか俳諧とかいうものが生れて来るようになり、自然諷詠の傾向が強くなって参りました。
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
過ぐる文久三年、例の等持院にある足利あしかが将軍らの木像の首を抜き取って京都三条河原がわらさらし物にした血気さかんなころの正香の相手は、この正胤だ。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
足利あしかがの町へ縁付いている惣領娘そうりょうむすめにもいくらかの田地を分けてやった。檀那寺だんなでらへも田地でんぢ寄進きしんをした。そのほか五、六軒の分家へも皆それぞれの分配をした。
籠釣瓶 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
天皇が足利あしかが氏このかた、政治や賞罰の権を失われたため、下民に不平や恨みがあっても訴えるところがなく、その怨恨えんこんはただ天道にすがるよりほかにない。
花も刀も (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
足利あしかが時代以来の名家であるとか、維新の際には祖父が勤王の志が、厚かったにもかかわらず、薩長さっちょうに売られて、朝敵の汚名おめいを取り、悶々もんもんうちに憤死したことや
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
我ら再三諫言かんげんしたれど妖婦の甘言にさえぎられて益〻暗愚の振る舞いをされ、京師けいし足利あしかが将軍にさえその名を知られたこの甚五衛門を、事もあろうに閉門をされ
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
足利あしかが時代は総たるみにて俳句の天保時代と相似たり。漢詩にてはかん六朝りくちょうは万葉時代と同じくたるみても善し。唐時代はたるみも少くまたたるみても悪しからず。
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
為世の世を去る年には、その新田にった義貞も藤島に討死し、北畠顕家きたばたけあきいえ石津いしづに戦死して、足利あしかが尊氏が将軍となった。翌延元四年には後醍醐天皇が吉野で崩御になった。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
秦さんは、足利あしかが時代の墨絵を沢山集めていたが、或る時蟹を一匹描いた小品を手に入れて以来、もう外の絵はいらなくなったという執心ぶりをその絵に示していた。
南画を描く話 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
この体に旅人も首を傾けて見ていたが、やがて年を取ッた方がしずかに幕を取り上げて紋どころをよく見るとこれは実に間違いなく足利あしかがの物なので思わずも雀躍こおどりした,
武蔵野 (新字新仮名) / 山田美妙(著)
其のころ雀部ささべそう次といふ人、足利あしかが染の絹を交易するために、年々京よりくだりけるが、此のさと氏族やからのありけるをしばしば来訪きとぶらひしかば、かねてより親しかりけるままに
そもそも幕末の時に当りて上方かみがたの辺に出没しゅつぼつしたるいわゆる勤王有志家きんのうゆうしかの挙動を見れば、家をくものあり人をころすものあり、或は足利あしかが三代の木像もくぞうの首をりこれをきょうするなど
たとえば花が囁嚅ささやいたとか犬が欠伸あくびしたとかいうような文句や、前にもいった足利あしかが時代の「おじゃる」ことばや「発矢はっし!……何々」というような際立きわだった誇張的の新らしい文調であったので
美妙斎美妙 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
(尺八) シナの洞簫どうしょう、昔の一節切ひとよぎり、尺八、この三つが関係のある事は確実らしい。足利あしかが時代に禅僧が輸入したような話があるかと思うと、十四世紀にある親王様が輸入された説もある。
日本楽器の名称 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
わたくし地上ちじょうったころ朝廷ちょうていみなみきたとのふたつにわかれ、一ぽうには新田にった楠木くすのきなどがひかえ、他方たほうには足利あしかがその東国とうごく武士ぶしどもがしたがい、ほとんど連日れんじつ戦闘たたかいのないとてもない有様ありさまでした……。
次に上代以後足利あしかが氏に至るまでを第一巻として発表されたものと思われる。
私の顔を下からのぞき、「坐らないかね、君も。そんなに、ふくれていると、君の顔は、さむらいみたいに見えるね。むかしの人の顔だ。足利あしかが時代と、桃山時代と、どっちがさきか、知ってるか?」
乞食学生 (新字新仮名) / 太宰治(著)
この小説は五百いおが来り嫁した頃には、まだ渋江の家にあって、五百は数遍すへん読過したそうである。或時それを筑山左衛門ちくさんさえもんというものが借りて往った。筑山は下野国しもつけのくに足利あしかがの名主だということであった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
「喧嘩の夢でも見たのか、足利あしかがの高さんと喧嘩したのかえ」
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
足利あしかが時代だ」
ガラマサどん (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
そうしてこれが国の名の加賀や、足利あしかがのカガなどを説明するらしいから、決して新しく生まれた単語ではなかったのである。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
足利あしかがの末の乱世には、もう茨組いばらぐみなどという徒党があって——もちろんそれは男伊達などとは敬称されなかったが、「室町殿物語」などによると
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
仮りに楠公なんこうの意気をもって立つような人がこの徳川の末の代に起こって来て、往時の足利あしかが氏をつように現在の徳川氏に当たるものがあるとしても
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
足利あしかがの末の時代でもございましたろう、川越三喜という名医が、この地に隠栖いんせいを致しましてな、そうして釣を垂れて悠々自適を試みていましたそうですが
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
全町これ機屋はたやといいたいほど仕事は盛であります。これに続くのは足利あしかがで、織機の音はせわしなくこの町にも響いています。佐野は綿織物めんおりものを主にして作ります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
思はんやさはいへそぞろむさし野に七里を北へ下野しもつけの山、七里を北といへば足利あしかがではないか。君の故郷ぢゃないか。いつか聞いた君のフアストラヴの追憶おもいでではないか。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
小山判官秀朝ひでともや、佐々木入道貞氏や、大和弥六左衛門ノ尉や、長崎四郎左衛門ノ尉や、北条駿河八郎や、宇佐美摂津前司ぜんじや、武田伊豆守や、渋谷遠江守、足利あしかが治部大輔高氏や
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
それで足利あしかが幕府でも領主でも奉行でも、何時となくこれを認めるようになったのである。
雪たたき (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
楠公なんこうにもこんな話しがある」と甲斐はゆっくりと続けた、「兵庫の湊川みなとがわで、足利あしかが勢と決戦するまえに、正成まさしげはやはり禅僧それがしを訪ねて、生死関頭を訊いた、禅僧それがしは、 ...
それが新しく生命を吹き込まれるには、近世のひらけ来るのが必要であった。そして、実隆が世を去っておよそ三十年、織田信長おだのぶながはすでに足利あしかが将軍を追って、京都に君臨しておったのである。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
足利あしかが時代の傑作よりも美術鑑賞のかてとしてもっと消化しやすいであろう。
茶の本:04 茶の本 (新字新仮名) / 岡倉天心岡倉覚三(著)
それにはわたくしは『足利あしかが武鑑』、『織田おだ武鑑』、『豊臣とよとみ武鑑』というような、後の人のレコンストリュクションによって作られた書を最初に除く。次に『群書類従ぐんしょるいじゅう』にあるような分限帳ぶんげんちょうの類を除く。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
足利あしかが後期の京都人の日記など見ると、別に「ゐなか」という酒が地方から、ぽつぽつと献上せられ且つ賞玩せられている。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
城のおほりと、五条川を中心にして、ここには古い足利あしかが文化のにおいと、戦乱の中にも持ち続けて来た繁昌が、国郡こくぐん第一の都府とふという名に恥じなかった。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
雪に光る日光の連山、羊の毛のように白くなびく浅間ヶ嶽のけむり赤城あかぎは近く、榛名はるなは遠く、足利あしかが付近の連山の複雑したひだには夕日が絵のように美しく光線をみなぎらした。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
もし朝廷において一時の利得を計り、永久治安の策をなさない時には、すなわち北条ほうじょうの後に足利あしかがを生じ、前姦ぜんかん去って後奸こうかん来たるの覆轍ふくてつを踏むことも避けがたいであろう。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
その他草々くさぐさのことで、この沖縄ほど古い日本の姿をよくとどめている国はありません。大体鎌倉時代から足利あしかが時代にかけての習俗がそのまま今に伝えられているのであります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
「は、は、は、拙者は絵師ですよ、足利あしかがの田山白雲といって、田舎いなか廻りの絵描きですよ」
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
時代とき足利あしかが末葉まつようで、日本歴史での暗黒時代、あっちでも戦い、こっちでもいくさ、武者押しの声や矢叫やたけびの音で、今にも天地は崩れるかとばかり、尾張おわりには信長、三河には家康、甲斐かいには武田
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
兵政の世界において秀吉が不世出の人であったと同様に、趣味の世界においては先ずもって最高位に立つべき不世出の人であった。足利あしかが以来の趣味はこの人によって水際立みずぎわだって進歩させられたのである。
骨董 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
客殿と住居とを一つむねの下に作ることのできた結果であり、また一つには足利あしかが時代の社会相として、主人が頻繁に臣下の家に客に来ることになって
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)