“足利時代”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
あしかゞじだい66.7%
あしかがじだい33.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
足利時代あしかゞじだい寶篋印塔ほうきよういんとうの一部等ぶとうで、主墳しゆふんには古過ふるすぎたり、あたらぎたり。具合ぐあひ適合てきがふせぬので、またもや大失望だいしつばう
まへには日本製につぽんせいかゞみ支那製しなせいくらべて非常ひじようまづかつたのが、この平安朝へいあんちようから足利時代あしかゞじだいになつて、支那しな同時代どうじだいかゞみくらべて、かへってうま出來でき、なか/\すぐれたところがあるのであります。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
わたくしは——じつ相州そうしゅう荒井あらい城主じょうしゅ三浦道寸みうらどうすんそく荒次郎あらじろう義光よしみつもうものつまだったものにございます。現世げんせ呼名よびな小櫻姫こざくらひめ——時代じだい足利時代あしかがじだい末期まっき——いまからやく四百余年よねんむかしでございます。
……でも無理むりにそんな真似まねをして、足利時代あしかがじだい絵巻物えまきものをくりひろげておにかけてたところで、たいした価値ねうちはございますまい。現在げんざいわたくしとしては到底とうていそんな気分きぶんにはなりかねるのでございます。