つい)” の例文
自分の予想ははたしてはずれなかった。自分は自然の暴風雨あらしついで、兄の頭に一種の旋風が起る徴候を十分認めて彼の前を引き下った。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「一ならず、二不思議ふしぎたせてらせたに……」ばあさんのこゑついひゞいた。勘次かんじもおつぎもたゞ凝然ぢつとしてるのみである。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
「けら」についで不思議な呼び方は「ばんどり」である。越中、越前、飛騨ひだ地方では蓑のことを「ばんどり」とか「まんどり」などいう。
蓑のこと (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
されば鳥羽とば伏見ふしみの戦争、ついで官軍の東下のごとき、あたかも攘夷藩じょういはんと攘夷藩との衝突しょうとつにして、たとい徳川がたおれて薩長がこれに代わるも
現存の社では大和国吉野郡南芳野村大字丹生に鎮座する丹生川上神社が最大のもので、之についでは山城国愛宕郡貴船村の貴船神社である。
二、三の山名について (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
自己のハーレムを形成すべく第一に地位の先取権獲得、ついでは生存の上の決定的優勝が各自に期せられてあらねばならぬ。生か死かである。
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
あんずやすももの白い花がき、ついでは木立こだちも草地もまっさおになり、もはや玉髄ぎょくずいの雲のみねが、四方の空をめぐころとなりました。
雁の童子 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
ついで陸から祝砲を打つとうことになって、彼方あちらから打てば咸臨丸かんりんまるから応砲せねばならぬと、この事について一奇談がある。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
喜多村きたむら君の開会の挨拶についで、典山てんざん小夜衣草紙さよぎぬぞうしや、福島清君、伊勢虎いせとら君、伊藤晴雨いとうせいう君、鹿塩秋菊かしおしゅうぎく君など、数々の怪談が、次から次へと人々を喜ばせた。
友人一家の死 (新字新仮名) / 松崎天民(著)
ついで第二に同郡湯の峯温泉の近傍流水の辺石間に多く生じているのを見出した。そしてその第一に見出した地に基いてこれにカナヤマシダの名を付けた。
植物記 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
ついで自分はその傍に坐って、うるんだ眼を情慾に輝かせつつ沢を見つめて居ましたが、どうした訳か、頻に眠気を催し、沢の身体に手をかけたかと思うと
暴風雨の夜 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
ゆゑ其傳そのでん(六六)ついづ。其書そのしよいたつてはおほこれり。ここもつろんぜず、その(六七)軼事いつじろんず。管仲くわんちう所謂いはゆる賢臣けんしんなり。しかれども(六八)孔子こうしこれせうとす。
十二月、燕王河にしたがいて南す。盛庸兵を出して後を襲いしが及ばざりき。王遂に臨清りんせいに至り、館陶かんとうたむろし、つい大名府たいめいふかすめ、転じて汶上ぶんじょうに至り、済寧せいねいかすめぬ。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
みちちがふが——はなしついでだ。わたし下街道しもかいだうを、たゞ一度いちどだけ、伏木ふしきから直江津なほえつまで汽船きせんわたつたことがある。
麻を刈る (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
慶応三年六月昭憲皇太后の入内治定じゆだいぢぢやうの事が発表せられ、つい御召抱おめしかゝへ上﨟じやうらふ、中﨟等の人選があつたが、その際この薫子にも改めて御稽古の為参殿の事を申付けられた。
津下四郎左衛門 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
ついで実朝の家督相続となった一方、梶原かじわら一族がほろび、比企判官ひきはんがん一家が滅び、仁田四郎にたんのしろうが殺されると云う陰惨な事件が続いて、右大将家の覇業はぎょうも傾きかけたのを見ると
頼朝の最後 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
ついで曰ふ。かく汝に論決せしむる舊新二つの命題を、汝が神のことばとなすは何故ぞや。 九七—九九
神曲:03 天堂 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
つい力丸りきまる君次瓦谷かはらやにて捕へらる。千種は五百人がゝりで殺したが、力丸は何人がかりで捕へたか。
天狗塚 (旧字旧仮名) / 横瀬夜雨(著)
南北朝以来戦乱永く相つぎ人心諸行無常しょぎょうむじょうを観ずる事従つて深かりしがその厭世えんせい思想は漸次時代の修養を経てまづ洒脱しゃだつとなりついで滑稽諧謔に慰安を求めんとするに至れり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
ルイ十五世は黄金珠玉に包まれながら不快淫風に沈みつつ世を終れり、ルイ十六世に至り仏国革命起りついでナポレオンの世となりその惨怛たる光景は人のみな知る所なり
基督信徒のなぐさめ (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
人麻呂妻依羅娘子、与人麻呂別時歌とて、思ふなと君はいへどもあはん時いつと知てか吾こひざらんとよみしは、のせついでによれば、かの石見にて別れしは即此娘子とすべきを
人麿の妻 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
それより素話すばなしになりましてからはさわむらさき粟田口あわだぐち)についでは此の業平文治でございます。その新作の都度つどわたくしどもにも多少相談もありましたが、その作意の力には毎度ながら敬服して居ります。
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
あなたのついで結婚をおしになる女性に就いていろ/\なことを書いてありました。数人の名をあげて批判を下したり、私の希望を述べたりしたのでした。思へば思ふ程滑稽な瞑想者でした、私は。
遺書 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
主討たるれば郎等はよきついでとし、兄弟相具して落ち失せぬ。
本州における蝦夷の末路 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
婆やのお倉は、主人の卓二についで念入に調べられました。
笠ヶ岳、焼岳、乗鞍岳についで、長大なる木曾駒山脈が紫紺の幔幕まんまくを張り渡して、特異な横谷には鋭く光る雪をちりばめている。
ついで諸方の官軍は問罪として東海東山の諸道より江戸に入り、関東の物論沸くがごとく、怒て官兵に抗せんとする者あり、恐れて四方に遁逃とんとうする者あり。
故社員の一言今尚精神 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
ついでどさどさ人々の走る音がした。外相官邸は瓦斯ガスの装置が不完全であったから、電気の通ずるまで待たねばならず、従って何事が起ったか少しもわからなかった。
外務大臣の死 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
ついで英露仏等の諸国も来りて新条約の仲間入なかまいりしたれども、その目的は他に非ず、日本との交際こうさいあたかも当時の流行りゅうこうにして、ただその流行にれて条約を結びたるのみ。
高位高官名門大封の身でありながら那賀へ逐われ、ついで出羽の秋田へちっせしめられたも仕方は無い。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
既にしてくみは栄次郎を生み、安を生み、五百を生んだが、ついで文化十四年に次男某を生むに当って病にかかり、生れた子とともに世を去った。この最後の産の前後の事である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
豊国が板画の最良なるものは大抵寛政年代のものにして享和に及ぶや美人画の人物およびその容貌等は固定せる歌麿の形式に倣ひついで晩年に至りては画風全く頽廃たいはいして遂に門人国貞くにさだらのあとしたがはんとするの傾きありき。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
嶺についで分布の区域は広いが、最大の高度は嶺よりも少し低い。峴は我国の坂にあたり、韓語ではコカイといい、中部以南に多く分布しているようである。
(新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
盛庸は初め耿炳文こうへいぶんに従い、つい李景隆りけいりゅうに従いしが、洪武中より武官たりしを以て、兵馬の事に習う。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
この年十月十八日に成善が筆札ひっさつの師小島成斎が六十七歳で歿した。成斎は朝生徒に習字を教えて、ついで阿部家のやかたに出仕し、午時ごじ公退して酒を飲み劇を談ずることを例としていた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
精神は少しく譫呆様せんばうやうになり、顔面は苦悶の表情を呈し、脈搏は早くかつ弱く呼吸は促迫しあだかも窒息時のやうな様子を示している。ついで深い昏睡状態に陥り、呼吸は徐々となつて絶命するのである。
毒と迷信 (新字旧仮名) / 小酒井不木(著)
訳者いわく。クルトは歌麿につい写楽しゃらくの研究を出せり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
我が開国についで政府の革命、すなわちこれなり。
徳育如何 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
苗場山についで遠いのは信州の岩菅山、野州の那須山という順で、大井川奥の聖岳は二十番以下である。
望岳都東京 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
ヂュパンについで出たガボリオーのルコックはヂュパンよりも変装が巧みであるかも知れない。更にその次に出たシャーロック・ホームズはヂュパンよりも、推理観察の力がすぐれているかも知れない。
ヂュパンとカリング (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
ついで壽阿彌が名倉の家に於て邂逅かいこうした人々の名が擧げてある。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
ついで夜襲して遵化じゅんかくだす。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
ついで兜を伏せたような武甲山を最後として、夫からは八、九百米の山が高原状を成して北走し、笠山に至り、更に低下して六百米前後の丘陵となり、荒川左岸の丘陵と重り合い
望岳都東京 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
ついで遠い桔梗色の空にふわりと青黛せいたいを浮べているのは、加賀の白山である。
白馬岳 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
此処ここから広瀬に至るまでの道は、正面に奇怪なる乾徳けんとく山の姿を眺め、ついで途中一ノ釜の壮観も見られるし、滑沢ノ瀑も立派であれば、更に上流の岩崖には、藤や躑躅つつじの花が時を得顔に咲き匂って
釜沢行 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
北東には遠く吾妻山が望まれ、ついで那須高原の二山塊、近くは東に日光の諸山が目睫の間に迫っている。しかし最も強く私達を惹き付けたものは、此等の山でも又遠い北アルプスの雪でもなかった。
秋の鬼怒沼 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
ついで各区間の縦走に移り、大体の地勢に通じた後、金峰から雁坂に至る長い縦走や沢歩きを決行した、それでも方向に迷ったことが幾度あったことか、げに少しも油断のならないのは山登りである。
初めて秩父に入った頃 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
之についでは黒岳(水晶山)が二千九百二十六米もある薬師の大岳を西北の障屏としてはいるが、流石さすがに一頭地を抜いているだけに、其東面に在る三個のカールには多量の残雪が眩い光を放っている。
黒部峡谷 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
ついで一段高く大黒山は恐ろしいまでに黒木が茂っている。
三国山と苗場山 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)