手許てもと)” の例文
伯爵はうなっていた。主翁は小紐を出して、そっと伯爵のくびに捲こうとした。と、小紐は風に吹き寄せられるように手許てもとに寄って来た。
黄灯 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
呼寄よびよせ相談に及びしは其方は幼年えうねんなれども感應院の手許てもとにて教導けうだうを受し事なれば可なりに修驗しゆけん眞似まねは出來べし我々始め村中より世話せわ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
こういう序文が附加えられて、一冊の白隠伝の草稿が無理にわたくしの手許てもとに預けられてある。それは隣のS夫人が書いたものだ。
宝永噴火 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
あの婆め!そんなぼり方ってあるもんか。——わしは出張して来たばかりで、手許てもとに少し余計にあったもんだから、拾円でいいというのを
街底の熔鉱炉 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
おんなは元数寄屋町の有松屋に奉公していたのを、お美代が旦那を持ってから自分の手許てもとに呼んで、昔話をするのをたのしみに致して居ります。
松と藤芸妓の替紋 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
記者の手許てもとに材料たんと集まってるさかい、連日にわたってこの醜悪なる有閑階級の罪状を摘発すべしという予告したありますのんで
(新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
一度ならず二度ならず手許てもとへ引き寄せてみようとする執拗しつようさには、かかる体験の副産物をも計算に入れていないわけではなかった。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
拙者このたび、殿の御参覲さんきんに江戸表へ御供を仰付かりました。ついては一年の在番中お笛をお預けいたしますゆえ、お手許てもとにてとくと性質を
嫁取り二代記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
過半数のものはあきらめていたが、それでも銘々、うぬぼれは持っていた。壺皿を見詰めるような目付で、喜蔵の手許てもとにらんでいた。
入れ札 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
また二度のつとめをしてますます深みへ落ちようも知れず、もとより抱妓を置く金で仲之町から引取って手許てもとで稼がせるすうではなし。
湯島詣 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
今はヴェルサイユの兵営に自転車隊附として働いているあの書記の留守宅から出た通知状は巴里の下宿の方を廻って岸本の手許てもとに届いた。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
それは『自由詩の原理』と題する部分的の詩論であったが、或る事情から出版がやになって、そのまま手許てもとに残しておいた。
詩の原理 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
事務局の総長はこれを関係の部に送りて、実行に必要な方法を立案させ、それが再び総長の手許てもとに帰ってきたり、それにより実行するのである。
雪はすねに及び、膝に及び、ももにおよび、あらぬ所に足ふみこめば、腰にすら及ばんとする。M君がさす金剛杖の手許てもとわずかに残る所もあった。
雪の武石峠 (新字新仮名) / 別所梅之助(著)
手許てもと火鉢ひばちせた薬罐やかんからたぎる湯気ゆげを、千れた蟋蟀こおろぎ片脚かたあしのように、ほほッつらせながら、夢中むちゅうつづけていたのは春重はるしげであった。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
も一度海外へ出て、苦学をしてのちびにくるから、奴は手許てもとへあずかっておいてくれと詫を入れた。けれど亀吉はいっかなきき入れはしない。
マダム貞奴 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
なんでもかんでもその長谷久兵衛が鬼代官だという情報が、どちら方面からも、期せずして伊太夫の手許てもとへ集まって来る。
大菩薩峠:38 農奴の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
小さい人は、台所にあつた古けた下駄の大きいのを履いて、相手がなささうに、おくみが石鹸しやぼんの泡を立ててゐる手許てもとへ来て彳んでお出でになる。
桑の実 (新字旧仮名) / 鈴木三重吉(著)
両親を一時に失った私ども二人は、慈愛深い神父フリスチァンの手許てもとに引き取られて、その後を実父にも優ったいつくしみの下に育てられて参りました。
聖アレキセイ寺院の惨劇 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
ピーンと壜に割目が入った。壜をグルグル廻してゆくと、しまいに壜の底がきれいに取れた。一同は固唾かたずをのんで鍛冶屋の大将の手許てもとを見ている。
空襲警報 (新字新仮名) / 海野十三(著)
私の手許てもとを覗き込むので、私はそれに答えるのが面倒なので、見られないようにふところの中で、時を探ることを練習した。
触覚について (新字新仮名) / 宮城道雄(著)
あるいは非職ひしょく辞令じれいが場長の手許てもとまできてでもいやせぬかとも考える。まさかにそんなに早くやめられるようなこともあるまいと思いなおしてみる。
老獣医 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
住所も刷ってないような怪し気な奴めが! と言わんばっかりの顔をしてフガはジロジロと人の手許てもとを眺めていた。
ナリン殿下への回想 (新字新仮名) / 橘外男(著)
歌劇「ウンディーン」の総譜は官吏の不注意で郵送中に失われ、数年後にチャイコフスキーの手許てもとに届いたりした。これは第五、第六の躓きである。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
だがわたしはこの御返答には躊躇ちうちよしたのだ。娘は現に神経衰弱を起してゐる。これは親の手許てもとなほさねばならない。
愚かな父 (新字旧仮名) / 犬養健(著)
和歌山県の熊野、伊豆の大島、愛知県の村々、沖縄の各島々にあったことは誰でも知っているが、私の手許てもとにあるものは如何なる訳か北越地方が多い。
本朝変態葬礼史 (新字新仮名) / 中山太郎(著)
学校の学期試験は昨日きのふすんで、一方ひとかたならぬの不成績に対する教師の注意書ちゆういがきが郵便で母親の手許てもとに送り届けられた。
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
城もろとも、御坊丸の身は、敵方なる甲斐の武田家に引き取られ、以来、信長の血すじなので、武田勝頼は、よい人質ひとじちと、手許てもとに養っていたものである。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
はなし種子たねとしてはあるいはそのほう面白おもしろいかぞんじませぬが、生憎あいにくわたくし手許てもとには一つもそのわせがございませぬ。
たゞ一つ缺點があつたのです——看護婦や保姆ほゞなんて人達にはつきものゝ缺點ですがね——ジン酒の瓶を手許てもとに忍ばせて置いて、時々やり過したのです。
それは死んだ父親が彼の名義にしていたもので、その後、長らく兄の手許てもとに保管されていたものだった。それが売れれば、一万五千円の金になるのだった。
永遠のみどり (新字新仮名) / 原民喜(著)
今更ならねど、若き者の世を去るは一入ひとしお悲しきが常なり。ことに姉の児とはいいながら、七歳の頃よりわが手許てもとにありたるものが、今やたちまちに消えてゆく。
ふと手許てもとにあったレクラム版のハイネの詩集をめくっているうち、ホテル・エソワイアンに泊った最初の晩
旅の絵 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
これは当時の風俗を知るため、手許てもとにあって、年月に間違いのないものゆえに、私事を捨てて入れました。
漱石氏から私に来た手紙の、今手許てもとに残っている一番古いのは明治二十九年十二月五日附で熊本から寄越したものである。まずその全文を掲げることにしよう。
漱石氏と私 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
そうして、いま手許てもとに残っているお金は、××円です。しかし、私は誰からもお金を借りないつもりです。
十五年間 (新字新仮名) / 太宰治(著)
ルピック夫人は答えるのである——「そりゃ可愛かわいれてるもんですから、みんな持ってかれてしまったんですよ。だから、一つも手許てもとには残ってないんです」
にんじん (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
もうあといくらも綱が手許てもとに残っていなくなると、爺さんはいきなりそれで子供のからだしばりつけました。
梨の実 (新字新仮名) / 小山内薫(著)
それからドイツ語の文法、君の送ってくれた奴をもう一度差し入れしてくれないか。然し手許てもとになければいいんだよ。では又。馬鹿に急いだので何も書けなかった。
少年達のため挿絵をかきながら、物語の方も自分でかいて見ようと思立おもいたって、そのころまだ私の手許てもとから小学校へ通っていた子供をめやすにかいたのが巻頭の数篇です。
はしがき (新字新仮名) / 竹久夢二(著)
「昔から人魚は、不吉なものとしてある。今のうちに手許てもとから離さないと、きっと悪いことがある」
赤い蝋燭と人魚 (新字新仮名) / 小川未明(著)
さいはつまあに本國ほんこく相當さうたう軍人ぐんじんであれば、其人そのひと手許てもとおくつて、教育けういく萬端ばんたん世話せわたのまうと、餘程よほど以前いぜんからかんがへてつたのですが、どうもしか機會きくわいなかつた。
日本にほん輸出超過ゆしゆつてうくわくに變化へんくわしない以上いじやうこの買取かひとつたかね永久えいきう吾々われ/\手許てもとのこらうとはかんがへられぬ。
金解禁前後の経済事情 (旧字旧仮名) / 井上準之助(著)
いまその「二人」が手許てもとにないのでどんな詩を書いていたのか忘れてしまったけれども、なかでもお釈迦しゃか様と云うのを辻潤つじじゅん氏が大変讃めて下すったのを記憶しています。
文学的自叙伝 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
そしてその一本は誰とか、今一本は誰とかの手許てもとにあるという由緒付ゆいしょつきの墨だという話であった。
南画を描く話 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
今其甲府図幅が手許てもとにないのでうろ覚えではあるが、金峰きんぷ山は二千五百何米と記入してあった。
初めて秩父に入った頃 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
迎方むかへかたとは新任の奉行を迎へに江戸に往つて、町与力まちよりき同心どうしんの総代として祝詞しゆくしを述べ、引き続いて其奉行の在勤中、手許てもとの用をす与力一にん同心二にんで、朝岡は其与力である。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
自分の手許てもとへ来た報告によれば、ビクトワールは毎朝、この共同椅子の前を通るはずであった。
水晶の栓 (新字新仮名) / モーリス・ルブラン(著)
手許てもとから切先きつさきまで澄み切つたかたはがねの光は見るものを寒くおびやかした。兄は眼をそばたてゝ、例へば死體にしろ、妻の肉に加ふべき刃を磨ぎすます彼れの心をにくむやうに見えた。
実験室 (旧字旧仮名) / 有島武郎(著)
子規しきの追憶については数年前『ホトトギス』にローマ字文を掲載してもらったことがある。今度これを書くのに参考したいと思って捜したが、その頃の雑誌が手許てもとに見当らない。
子規の追憶 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)