くい)” の例文
彼は懺悔文さんげもんの一札を手にして、いくらかの不平をさへ感じた——もつとも彼は妻の葬儀の時、妻に対していくらかのくい憐憫れんびんは感じた。
老主の一時期 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
頑固一てつなやうでも、その爲に美しく育つた十九の娘を、非業に死なせたくいのやうなものが、犇々ひし/\と老ひの胸をしめ付けるのです。
基地隊の方に向って、うなだれて私は帰りながら、美しく生きよう、死ぬ時はくいない死に方をしよう、その事のみを思いつめていた。——
桜島 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
真葛まくずはら女郎花おみなえしが咲いた。すらすらとすすきを抜けて、くいある高き身に、秋風をひんよくけて通す心細さを、秋は時雨しぐれて冬になる。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
くい刺草いらくさいたく我を刺ししかば、すべてのものの中にて最も深く我を迷はしわが愛を惹けるものわが最も忌嫌いみきらふものとはなりぬ 八五—八七
神曲:02 浄火 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
柳吉は反対側のかべにしがみついたままはなれず、口も利けなかった。おたがいの心にその時、えらい駈落ちをしてしまったというくい一瞬いっしゅんあった。
夫婦善哉 (新字新仮名) / 織田作之助(著)
それが出来ないなら、むしろ、「かつ粗衣そい)をて玉をいだく」という生き方が好ましい。生涯しょうがい孔子の番犬に終ろうとも、いささかのくいも無い。
弟子 (新字新仮名) / 中島敦(著)
べつにもならずすべてを義母おつかさんにおまかせしてちやばかりんで内心ないしん一のくいいだきながら老人夫婦としよりふうふをそれとなく觀察くわんさつしてた。
湯ヶ原ゆき (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
名はいはざるべし、くいある堕落の化身けしんを母として、あからさまに世の耳目じもくかせんは、子の行末の為め、決してき事にはあらざるべきを思うてなり。
母となる (新字旧仮名) / 福田英子(著)
また日が暮れて一日のくいと悲しみが心に殘るやうに、日が暮れて希望や計畫が明日といふ日に殘るやうに、三十三といふ年に於いて三十四といふ年を思ひ
三十三の死 (旧字旧仮名) / 素木しづ(著)
もう自分には何のゆかりもなくなった遠い前世の夢が、くいもなく、ただ遥かな想い出のようによみがえって来るのです。
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
なぜならその言葉は、再度来ない青春の日の楽しさを、むなしくあだにすごすことによって、老年の日のくいを残すなという意味を、逆説的に哲学しているからである。
老年と人生 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
されば彼らはまず間接にこの事を暗示して、ヨブをしてその理由を認めてくいあらためしめんとしたのである。
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
それはある場合ばあひ、あるこゝろ状態じやうたいの時には、さういふことも考へないではなかつたけれど、離婚りこんをもつてそのくいつぐなふものだとはけつして思はなかつたらうと思ひます。
冬を迎へようとして (旧字旧仮名) / 水野仙子(著)
それどころか、当今、戦国の雄といわれるさむらい大将が、畜生の百倍もひどいことをして、なんのくいもなく、後生安楽な月日をゆったりと送れるというのはなぜであろう。
うすゆき抄 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
烈々たる炎のごとき感情の動くまゝに、その短生を、火花の如く散らし去った彼女の勝気な魂は、恐らく何のくいをもいだくことなく縹渺ひょうびょうとして天外に飛び去ったことだろう。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
くい八千度やちたびその甲斐もなけれど、勿躰もつたいなや父祖累代墳墓みはかの地を捨てゝ、養育の恩ふかき伯母君にもそむき、我が名の珠に恥かしき今日けふ、親はきずなかれとこそ名づけ給ひけめ
雪の日 (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
くいというかたちもないものの中へ押込めてしまって、長い一生を、っと、きえてしまった故人の、恋心の中へとつき進めてゆかせようとするのを、私は何とも形容することの出来ない
樋口一葉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
由三はブラ下げてゐる肖像畫のおもみが腕にこたへて來て、幾度か捨て了ふか、さらずば子供にでも呉れて了はうかと思ツた。で今更なけなしの錢をはたいて購ツたのがくいられもする。
昔の女 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
然らずんば臣おもえらく十年を待たずして必ず噬臍ぜいせいくいあらん、というにり。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
内省した自我の上に不充実と不満足とのくいを招くに到ることを言うのである。
鏡心灯語 抄 (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
「もしこたび女を呼ばうようなことがあれば、そちは免官になり女も倉住居くらずまいをせねばならぬのだ、神をおそれぬそちは、間もなく神の名で足なえか、眼しいになってくいをのこすだろうに。」
花桐 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
いつかゆっくり会って、御蔭おかげで重役になり損ねましたと言おうか、御蔭様で生涯没頭してくいない面白い仕事にありつきましたと言おうかと思っているうちに、その人はもう亡くなってしまった。
「ロボットを学べ、鈴木金作。したい事をして、くいを感じない人生。」
ロボットとベッドの重量 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
(右の方に向き、耳をそばだてて聞く様子にて立ちおる。)何だか年頃としごろ聞きたく思っても聞かれなかった調しらべででもあるように、身に沁みて聞える。かぎりなきくいのようにもあり、限なき希望のようにもある。
ト、くい八千度百千度やちたびももちたび、眼を釣りあげてもだえしが。
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
くいと死と真黒にむせぶ血の底に歯を噛みながら
第二邪宗門 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
ねたみや、くいや、の雨、瑠璃るりのあらし
春鳥集 (旧字旧仮名) / 蒲原有明(著)
くいも無く、のぞみも無く、おそるる所も無く。
失楽 (新字旧仮名) / 与謝野寛(著)
きしかたくいをもてきづきたる此小舍こや
海潮音 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
ひそかに胸にやどりたるくいあり
一握の砂 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
春宵しゅんしょうをあだに過ぎなばくいあらん
五百五十句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
くいのぞみも消えうせつ
カンタタ (旧字旧仮名) / ポール・クローデル(著)
僕のヘッドは僕のハートおさえるためにできていた。行動の結果から見て、はなはだしいくいのこさない過去をかえりみると、これが人間の常体かとも思う。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
お慈悲で御座います。御情で御座います。たった一言ゆるすと仰しゃって下さいまし。師よ、わたくしはくいに虐まれて、息が詰りそうなので御座います。
阿難と呪術師の娘 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
名はいわざるべし、くいある堕落の化身けしんを母として、あからさまに世の耳目じもくかせんは、子の行末ゆくすえのため、決してき事にはあらざるべきを思うてなり。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
八五郎をからかひ過ぎて、うつかり出動を遲らせた爲に、亡者に先手を取られた、淡いくいを感じて居るのでせう。
若し夫れ涙をそゝぐくい負債おひめつぐのはざるものレーテを渡りまたその水を味ふをうべくば 一四二—一四四
神曲:02 浄火 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
何故なぜ「ビールに正宗まさむね……」のそのいづれかをれなかつたらう』といふがひとつくいである。
湯ヶ原ゆき (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
些細ささいな感情などに動かされて、利害を忘れ、長きのちくいを残すと——けれど、もしそういう人があったならば、わたしは誇らしくおもてをあげていうであろう。冷徹な理性の人にも失敗はある。
一世お鯉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
巍幸にして天下の為に死し、太祖在天の霊にまみゆるを得ば、巍も亦以てはじ無かるべし。巍至誠至心、直語してまず、尊厳を冒涜ぼうとくす、死を賜うもくい無し、願わくは大王今に於て再思したまえ。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
その女は自ら恥とくいとを覚えるばかりでなく、淑女たる資格なき者として社会から擯斥ひんせきせられても涙をんで忍ぶより外はない。進んで貞淑な人の妻となる資格に欠けた所のあるのは勿論である。
私の貞操観 (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
神よなんじは砕けたるくいしこころをかろしめたまうまじ。
基督信徒のなぐさめ (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
強いくいが、彼女の心を苛んでゐることを示してゐた。
真珠夫人 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
くいのなげかひをねもごろ通夜つやし見まもる。
邪宗門 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
いづれかけゆくくいのあわだつとき
独絃哀歌 (旧字旧仮名) / 蒲原有明(著)
きしかたくいをもて築きたる此小舎こや
海潮音 (新字旧仮名) / 上田敏(著)
くいもなくほこりもなくて子規忌かな
六百五十句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
人をきずつけたるわが罪を悔ゆるとき、傷負える人の傷ありと心付かぬ時ほどくいはなはだしきはあらず。
薤露行 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
うつかり餘計なことを言つてしまつたくいが、處女をとめ心をさいなんで居る樣子です。