庫裏くり)” の例文
藤木家の寺院おてらは、浅草菊屋橋のほとりにあって、堂々とした、そのくせ閑雅な、広い庫裏くりをもち、やぶをもち、かなり墓地も手広かった。
突然庫裏くりの方から、声を震わせて梵妻だいこくが現われた。手にくわのような堅い棒を持ち、ふとった体を不恰好ぶかっこうに波うたせ、血相かえて来た。
果樹 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
お小姓は靜かに立上つて庫裏くりの方に退くと、死ぬほど耻かしかつたお由利は、かれたもののやうに起つて、その後を追ふのです。
銭形平次捕物控:239 群盗 (旧字旧仮名) / 野村胡堂(著)
すぐに庫裏くりの玄関先へ歩み寄ると、折よく住職らしい年配の坊さんが今がた配達されたらしい郵便物を見ながら立っていたので
吾妻橋 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
庫裏くりの横から裏へ廻ると、そこには永い土塀があった。うしろを見ると、虚無僧ふたり、のがさじという勢いで追いかけてくる。
鳴門秘帖:06 鳴門の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
庫裏くりで考え込んだりしているものですから、ほかの弟子衆の目にもあまるらしいかして、ずいぶんやかましく申しています。
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
ちょうど本堂(と言っても離れ座敷のような感じのものであるが)の修繕中で、観音さまは廚子から出して庫裏くりの奥座敷に移坐させてあった。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
この僧侶ばうさんが逝くなる五六年前の事だつた。ある日寺男を指図して庫裏くりの床下を掃除させたものだ。どこのうちでも床下には色々の秘密がある。
こうしたことを胸に浮べながら寺の庫裏くりの前まで引返して行った頃に、岸本は自分の側へ来てく子供の声に気がついた。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「ある。今でもあるだろう。門前から見るとただ大竹藪おおたけやぶばかり見えて、本堂も庫裏くりもないようだ。その御寺で毎朝四時頃になると、誰だかかねたたく」
二百十日 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
彼は吉五郎らに追われて、墓場の奥に逃げ込んだが、留吉が途中で倒れた為に長追いをしないと見て、そっと庫裏くりへまわって、寺男に縄を解かせた。
半七捕物帳:69 白蝶怪 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
すると、墓地の向側むこうがわ庫裏くりらしい建物があって、今丁度そこの入口を開いて、たれかが中へはいるところであった。
一寸法師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
ところが、急に用事ができたので正通和尚は庫裏くりから、守鶴の室へ向かって、幾度か呼んだけれど、返辞がない。
老狸伝 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
粂「ヘエ………あの生憎あいにく兄が居ませぬで、何うもうちからにして出る訳には参りませぬから、なんぞ御用がおあんなさるなら庫裏くりの方へおあがんなすって」
闇夜の梅 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
小緑、若岬などいえる力自慢の者どもが、妖怪退治に出かけ、庫裏くりにて回り話に妖怪物語などをなしおりしにぞ。
おばけの正体 (新字新仮名) / 井上円了(著)
「だれだ!」と、おおきなどなりごえがして、庫裏くりほうから、和尚おしょうさまがしてくるけはいがしました。
真坊と和尚さま (新字新仮名) / 小川未明(著)
雲水の僧は庫裏くりへ現れ、弁兆の眼前を立ちふさいだ。それから、破れ鐘のような大音声だいおんじょうでこう問うた。
閑山 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
暫時それで地面の小枝を放心ぼんやり掻きはじいていたが、来る途中彦兵衛から受け取った小さな金物を袂から出して眺め終ると、やがてすたすた庫裏くりの方へ向って歩き出した。
庫裏くりには大きな暗い榎の大樹があって、秋も深くなると、小粒な実が屋根の上を叩いておちた。
幼年時代 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
片手に蝋燭ろうそくを、ちらちら、片手に少しばかり火を入れた十能を持って、婆さんが庫裏くりから出た。
縷紅新草 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
せめては少しの報酬むくいをば彼が誠実まことの心に得させんと思はれけるが、不図思ひよりたまへば川越の源太も此工事を殊の外に望める上、彼には本堂庫裏くり客殿作らせし因みもあり
五重塔 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
暗くて広い庫裏くりの土間の上り口で楠さんは頻りに勧めてくれましたが、友人の家と云ふ所へその時初めて行つた私は思ひ切つて楠さんの居間へ通ることをようしませんでした。
私の生ひ立ち (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
をぎ一四六尾花のたけ人よりもたかく生茂おひしげり、露は時雨めきて降りこぼれたるに、一四七三つのみちさへわからざる中に、堂閣の戸右左みぎひだりたふれ、方丈はうぢやう一四八庫裏くりめぐりたるらう
如是我聞によぜがもん佛説阿彌陀經ぶつせつあみだきやう、聲は松風にくわして心のちりも吹拂はるべき御寺樣の庫裏くりより生魚あぶる烟なびきて、卵塔場らんたふば嬰兒やゝ襁褓むつきほしたるなど、お宗旨によりて構ひなき事なれども
たけくらべ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
寺の庫裏くりをめがけて、逃げるようにかけつけ、どんどん戸をたたいたのである。
狂女と犬 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
三四年ののちのことであった、自分もその時分は三十前後のことだったが、冬のことで、ふとある晩、庫裏くり大戸おおとを叩いて訪れるものがある、寺男は最早もはやていたが、その音に眼を覚まして
雪の透く袖 (新字新仮名) / 鈴木鼓村(著)
和尚なだれに押落おしおとされ池に入るべきを、なだれのいきほひに手鞠てまりのごとく池をもはねこえて掘揚ほりあげたる雪に半身はんしんうづめられ、あとさけびたるこゑに庫裏くりの雪をほりゐたるしもべらはせきたり
ただ庫裏くりと、庫裏に続けて先年自分の建て添えた小座敷とのみはまず無事だ。
震災後記 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
この静かな石段を上って古びた庫裏くりと本堂一帯の裏山を掩った真暗な森に沿いながら、青萱あおかやの茂っている淋しい墓場の一角を分け入って、一面に海の見晴らせる断崖の上に腰を降ろしていると
逗子物語 (新字新仮名) / 橘外男(著)
が、寺は其反対に荒れ果てて、門は左程さほどでもなかったが、突当りの本堂も、其側そのそば庫裏くりも、多年の風雨ふううさらされて、処々壁が落ち、下地したじの骨があらわれ、屋根には名も知れぬ草が生えて、ひどさびれていた。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
養はるる寺の庫裏くりなる雁来紅がんらいこう輪袈裟わげさは掛けでとりおはましを
恋衣 (新字旧仮名) / 山川登美子増田雅子与謝野晶子(著)
がこもる庫裏くりの障子ぞ廂這ふけぶりはしろしほのぼのの湯気
夢殿 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
すぐに庫裏くり玄関先げんくわんさきあゆると、をりよく住職ぢゆうしよくらしい年配ねんぱいばうさんがいまがた配達はいたつされたらしい郵便物いうびんぶつながらつてゐたので
吾妻橋 (新字旧仮名) / 永井荷風永井壮吉(著)
「呑まなかつたやうです。茶碗に口をつけましたが、そのまゝ下へ置いて、お小姓の後を追つて、庫裏くりの方へ行つたやうで」
銭形平次捕物控:239 群盗 (旧字旧仮名) / 野村胡堂(著)
左右に古雅な絵模様あるふすま灯盞とうさんにお灯明が燃えている。回り廊下。庫裏くりと奥院とに通ず。横手の廊下に鐘がってある。
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
今か今かと待ち受け顔な松雲和尚しょううんおしょうが勝重らを迎え入れ、本堂と庫裏くりの間の入り口のところに二人ふたりの席をつくってくれた。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
更に二、三の問答を終って二人は庫裏くりの方へまわって見ると、納所の了哲と小坊主の智心があき地へ出て、焚き物にするらしい枯れ枝をたばねていた。
半七捕物帳:66 地蔵は踊る (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「すこし善鬼とはなしたいことがあるから、おまえは庫裏くりなと本堂へなりと行って、すこしこの座を遠慮しておれ」
剣の四君子:05 小野忠明 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
老僧か、小坊主か納所なっしょかあるいは門番が凝性こりしょう大方おおかた日に三度くらいくのだろう。松を左右に見て半町ほど行くとつき当りが本堂で、その右が庫裏くりである。
趣味の遺伝 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
独照は女を庫裏くりに連れ込み、湿とほつたその着物を脱がせて鼠色の自分の着物をせてやつた。
旅魚屋の傳次は斯う云う事には度々たび/\出会って馴れて居るから、場銭ばせん引攫ひっさらって逃出す、庄吉も逃出し、眞達もく処がないから庫裏くりから庭へ飛下り、物置へ這入って隠れますと
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
ふと思いよりたまえば川越の源太もこの工事をことのほかに望める上、彼には本堂庫裏くり客殿作らせしちなみもあり、しかも設計予算つもりがきまではやいだしてわが眼に入れしも四五日前なり
五重塔 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
『米はあなたがお携ちくださるからその方の心配はなし。わしはこうして静かに暮しているのが何よりのたのしみじゃ。冬焚くものは夏の間に折り積んで、庫裏くりに片よせておきます。』
あじゃり (新字新仮名) / 室生犀星(著)
如是我聞によぜがもん仏説阿弥陀経ぶつせつあみだけう、声は松風にくわして心のちりも吹払はるべき御寺様おんてらさま庫裏くりより生魚なまうをあぶるけぶなびきて、卵塔場らんたうば嬰子やや襁褓むつきほしたるなど、お宗旨によりてかまひなき事なれども
たけくらべ (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
慶応二年師走のある寒い昧暗まいあん、芝増上寺の庫裏くりを二人の若い武士が襲った。二人とも、麻の草鞋わらじに野袴、革のたすきを十字にかけた肉瘤盛り上がった前膊まえかたあらわである。笠もない、覆面もしない。
増上寺物語 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
もうよほど昼を過ぎていたので、庫裏くりにいた妻君の好意で、わたくしたちは、欠け茶碗に色の黒い飯を盛った昼飯を食った。それが、Z夫人には気の毒だったが、今日の旅にはふさわしかった。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
余程たって、何かがやがや話しながらみんなの足音がいりまじって庫裏くりの方へ引上て行った後で、障子をあけて縁側に出て見たら、無数に赤く日に光っていたのが、ひとつ残らず、もぎとられていた。
果樹 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
寺の庫裏くりにたどりついて、ホトホトとそこの雨戸を叩く予定だったのですが、死体を見ると、この地方の習慣と見え、あの古くさい剃髪ていはつの儀式によって、頭も髭も綺麗きれいに剃られていたものですから
パノラマ島綺譚 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
友人いうじん北洋ほくやう主人(蒲原郡見附の旧家、文をこのみ書をよくす)くだんの寺をたるはなしに、本堂間口まぐち十間、右に庫裏くり、左に八けんに五間の禅堂ぜんだうあり、本堂にいたるさかの左りに鐘楼しゆろうあり、禅堂のうしろに蓮池れんちあり。
庫裏くりの藤に春ゆく宵のものぐるひ御経みきやうのいのちうつつをかしき
みだれ髪 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)