)” の例文
この郁太郎さんという子に藤原家をそっくりいでもらいたいものだ——わしが、これを言い出すからには、相当に深い決心をしている
大菩薩峠:33 不破の関の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
平凡な青年ならできてもできなくとも周囲のものにおだてあげられれば疑いもせずに父の遺業をぐまねをして喜んでいるだろう。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
子之助はついに山城河岸の本家をいだ。時に年三十五である。ついでに云う、竜池の狂歌の師初代弥生庵雛麿ひなまろは竜池と同年同月に歿した。
細木香以 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
マークィスには子がないから兄百年の後は卿がその後をぐことになるであろう。しかし卿が総長にげられたのは無論家柄のためでない。
真宗ぎ立て即位式に先導せしむると鳴吠めいはい徘徊して意忍びざるがごとし、先帝の葬式に従えとさとせば悦んで尾を揺るがしもとのごとく飲食す。
はじめ余ノ昌平黌ニアルヤ寺門静軒てらかどせいけんマサニ駒籠こまごめヲ去ラントシ、余ニ講帷こういガンコトヲ勧ム。時ニ余一貧洗フガ如シ。コレヲ大沼竹渓翁ニはかル。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
けれどそちいやしくも魚族ぎよぞくわうの、ちゝをさつたらばそのあとぐべき尊嚴たうと身分みぶんじや。けつして輕々かろ/″\しいことをしてはならない。よいか
ちるちる・みちる (旧字旧仮名) / 山村暮鳥(著)
(良持殿のあとをいで、良持殿にもまさる坂東平氏の棟梁とうりょうよ。ゆく末、東国の諸州を締めくくる人物は、あなたを措いてはありませんぞ)
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ゆくゆくはお清に家督をがせ、貰い娘の方には婿を取って分家させるというようなことを云っていたんだが、そうなると今度は又金が惜しい。
半七捕物帳:16 津の国屋 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
といって、他家へ養子にやってそこをがせるのも、やっぱり結果においてはいやなことを聞くことになるであろうし、それが心苦しいことだ。
その年の二月武帝が崩じて、わずか八歳の太子弗陵ふつりょうが位をぐや、遺詔いじょうによって侍中奉車都尉じちゅうほうしゃとい霍光かくこう大司馬だいしば大将軍としてまつりごとたすけることになった。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
元来この縁起の書付かきつけと申しますのは、呉家の名跡みょうせきがるる御主人夫婦が初めての御墓参の時に人を払って御覧に入れる事に相成っております。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
次第に強調されつつある日本の伝統を発展的にぎすすめてゆくために、文化人はいかなるモラルを持つべきであるか。
今日の文学の展望 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
それにも一つは、男子の家督のない家で、長女が外へ出て、末女が家をいでいるという事に、何処となく間違ったところがあるような気がする。
芳川鎌子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
我旧師河東静渓かわひがしせいけい先生に五子あり。黄塔はその第三子なり。出でて竹村氏をぐ。第四子は可全かぜん。第五子は碧梧桐へきごとう。黄塔三子あり皆幼。(二月七日)
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
長兄は本家の後をいで万年寺通に仏壇屋をやつて居たし、次兄は四条橋畔に宿屋と薬屋とをやつて居り、姉は六条の本願寺前に宿屋を営んで居た。
世の中へ (新字旧仮名) / 加能作次郎(著)
慶滋保胤かものやすたね賀茂忠行かものただゆきの第二子として生れた。兄の保憲やすのりは累代の家の業をいで、陰陽博士おんようはかせ天文てんもん博士となり、賀茂うじそうとして、其系図に輝いている。
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
小松というのは母方の実家の姓だと言った。彼は次男なので、その方に子が無いまま実家の後をいだのであった。
東海道五十三次 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
そのうちに世は動力利用の時代になってきて、多数の桑名屋徳蔵くわなやとくぞうい去ってあとぐ者なく、湊々みなとみなと日和山ひよりやまは、大抵はもう遊園地に化してしまった。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
しかし七十歳を越えていたので、健康を気づかっていましたが戦争中亡くなられた由を知って、実に惜しい気がしました。誰が衣鉢いはつぐのでしょうか。
沖縄の思い出 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
「今」「ここに」大衆と共に、歴史をぎつつあるという満ちたりたる感激の中に立ちつくすがごときカットに、私たちはいかに永く飢えていることか。
美学入門 (新字新仮名) / 中井正一(著)
幸福なるかな柔和なる者、その人は地をがん。幸福なるかな義に飢え渇く者、その人は飽くことを得ん。幸福なるかな憐憫ある者、その人は憐憫を得ん。
キリスト教入門 (新字新仮名) / 矢内原忠雄(著)
「吾が大王おほきみものな思ほし皇神すめかみぎて賜へる吾無けなくに」(巻一・七七)という御答歌で、陛下よどうぞ御心配あそばすな、わたくしも皇祖神の命により
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
姉が心配しているから、なるべく早く返事をもらいたいという依頼も付け加えてありました。Kは寺をいだ兄よりも、他家たけへ縁づいたこの姉を好いていました。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
嬢が父親の跡をいで、探偵を開業したのもオーゲを頼みとしているところが多分にあったのであろう。
グリュックスブルグ王室異聞 (新字新仮名) / 橘外男(著)
『栄介城介の双子の中、勉強の出来る子の大学までの学資を出してやろう。そのかわりに自分に子供が生れなかったら、その子を養子として幸太郎のあとをがせたい』
狂い凧 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
それをともかくもことばに応じて玉司家をいだのは、すなわち君のいう、その知遇に感じたからだ。
湯島詣 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
御隠居と意見の合わないところから、越前えちぜん公の肝煎きもいりで、当時一橋家ひとつばしけいでいる人である。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
持統、文武もんむ、元明、元正げんしょうの四帝三十五・六年の間は、主に母后の帝位をがれた時代で、聖武天皇はかような状態の後をうけ、久しぶりに男子として帝位に就かれた方である。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
寛政七年元旦慨然として歌ふて曰く少小欲天下器、誤将文字人知、春秋回首二十七、正是臥竜始起時。此年家治こうじ家斉十五歳の少年を以て将軍職をげり。
頼襄を論ず (新字旧仮名) / 山路愛山(著)
美術に関する話も、あまりしない。毎日、自分の銀行に通勤している。要するに、一流の紳士である。六年前に先代がなくなって、すぐに惣兵衛氏が、草田の家をいだのである。
水仙 (新字新仮名) / 太宰治(著)
もしかのプロフェッサアに添はんか、あるひは四十の院長に従はんか、彼の栄誉ある地位は、学士を婿にして鴫沢の後をぐの比にはあらざらんをと、一旦いだける希望のぞみは年と共に太りて
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
二条流では頓阿から二条流歌学をけた権大僧都経賢きょうけんがおり、冷泉流では為秀に教をうけた今川了俊いまがわりょうしゅんが、幼き冷泉為尹ためまさ(為秀のおいで後をいだ)をたすけて侃々かんかんの論を吐いていた。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
牧之ぼくし老人は越後ゑちご聞人ぶんじんなり。かつて貞介朴実ていかいぼくじつもつてきこえ、しば/\県監けんかん褒賞はうしやうはいして氏の国称こくしようゆるさる。生計せいけい余暇よか風雅ふうがを以四方にまじはる。余が亡兄ぼうけい醒斎せいさい京伝の別号をう鴻書こうしよともなりしゆゑ、またこれぐ。
(私は仏教の「種子不浄」という語を思い出す)。かくて地をぐものは永久に催されつつ善を祈り求めねばならないのではあるまいか。これは見かけのままにてはいかにしても不合理である。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
御親父様の御名跡ごみょうせきをおぎ遊ばし、平左衞門と改名され、水道端すいどうばた三宅みやけ様と申上げまするお旗下はたもとから奥様をお迎えになりまして、程なく御出生ごしゅっしょうのお女子にょしをおつゆ様と申し上げ、すこぶ御器量美ごきりょうよしなれば
祖父母は母屋を仕切って裏の方に隠居いんきょし、母から三番目の叔母は二里ばかり離れた町の商家にかたづき、小さい叔父は出家し、大きい叔父——私たちを迎えに来てくれた——が後をいで戸主こしゅとなり
牧之ぼくし老人は越後ゑちご聞人ぶんじんなり。かつて貞介朴実ていかいぼくじつもつてきこえ、しば/\県監けんかん褒賞はうしやうはいして氏の国称こくしようゆるさる。生計せいけい余暇よか風雅ふうがを以四方にまじはる。余が亡兄ぼうけい醒斎せいさい(京伝の別号)をう鴻書こうしよともなりしゆゑ、またこれぐ。
代々の帝の御位みくらいかせ給うは、天の日をぐということにて、天津日嗣あまつひつぎといい、また宮仕えし給う人を、雲の上人うえびとといい、都を天といい、四方の国、東国よりも、西国よりも、京へ上るといえり。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
一時は武衛ぶえい家の家督をがれた方でございます。
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
その時分、水車番には老人が一人いた、与八はその老人が死んだ時はたしか十二三で、そのあとをいで水車番になったのです。
子にもせよ甥にもせよ、独美の血族たる京水は宗家をぐことが出来ないで、自立して町医まちいになり、下谷したや徒士町かちまち門戸もんこを張った。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
「そちの槍術は上達したか。槍の名家の跡目をいで、わらわるるようなことはあるまいな。兄も日ごとのそちの努力はよそながら観てはおるが」
剣の四君子:04 高橋泥舟 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
草分けの人々のあとをいで、ついにこの土地の無料付与を道庁から許可されるまでの成績を挙げてくれられたのです。
小作人への告別 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
をおもふたふと親心おやごゝろ! おやにとつてほどのものがありませうか。どもはいのち種子たねであり、どもはぐものであり、どもはてん使つかひであり。
ちるちる・みちる (旧字旧仮名) / 山村暮鳥(著)
翌、太始たいし元年、且鞮侯そていこう単于ぜんうが死んで、陵と親しかった左賢王さけんおうが後をいだ。狐鹿姑ころくこ単于というのがこれである。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
領主はおおむね都人士の血と趣味とをいでいたために、仏教の側援そくえんある中央の大社を勧請かんじょうする方に傾いていたらしく、次第に今まであるものを改造して
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
かたはら柳生の剣法に達し、又画流を土佐派にみ、俳体を蕉風しょうふうに受けて別に一風格を成す。長じて空坪くうへいと号し、ひたすら山水を慕ひてまた、家をぐの志無し。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
その時に秀忠は将軍の職を辞して、家光がぐことになったのである。それから三年目の寛永かんえい三年六月に秀忠はかさねて上洛した。つづいて八月に家光も上洛した。
鳥辺山心中 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
伯父は兄弟(といつても、外に、本家をいで居る万年寺の伯父と、弟なる私の父とだけであるが)
世の中へ (新字旧仮名) / 加能作次郎(著)