うつむ)” の例文
薄暗い浴槽の中ですが、慣れた眼には、たった一と目で、その中に若い女が、うつむきになって、上半身を沈めているのが判ったのです。
お定は顏を赤くしてチラと周圍を見たが、その儘返事もせずうつむいて了つた。お八重は顏をしかめて、忌々し氣に忠太を横目で見てゐた。
天鵞絨 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
されば汝が未だこれに入らざるさきに、うつむき望みて、いかばかりの世界をばわがすでに汝の足の下におきしやを見よ 一二七—一二九
神曲:03 天堂 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
ぼんやりとうつむいて歩いていましたから、もう、娘が何を聞いたかを、覚えておりません。歩いていたら、娘がまた、呼んでいるのです。
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
暫らくは、強い緊張のうちに、父も子も黙っていた。が、父はその緊張にえられないように、面をうつむけたまゝ、つぶやくようにった。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
「これだからな。女は仕末に悪いや」と熱寒の咬み合うべそ掻き笑いをしてうつむきます。時刻はよしと、わたくしは止めを刺します。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
遊覧せんとありしには似で、貴婦人の目をあぐれども何処いづこを眺むるにもあらず、うつむき勝に物思はしき風情ふぜいなるを、静緒は怪くも気遣きづかはしくて
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
田舎者らしくない風采をした彼は、うつむきがちに私たちのそばを通りすぎようとしましたが、そのとき私たち一行のうちの巡査は
白痴の知恵 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
二三人が、船頭に合せて、槍を、さおの代りにして、舟を押出していた。旗本は、一固まりになって、小さく、無言でうつむいていた。
近藤勇と科学 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
あわせでは少しひやつくので、羅紗らしゃ道行みちゆきを引かけて、出て見る。門外の路には水溜みずたまりが出来、れた麦はうつむき、くぬぎならはまだ緑のしずくらして居る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
その女がうつむいているので縹緻きりょうのほどはわからない、只、はばかりに行こうとするのを邪魔立てしている眼の位置なのだ。
と云われてお若は深く恥いりましたか、にわか真赤まっかになってさしうつむいております。伊之助はそんなことは知りませんから
「われはその菫花すみれうりなり。君がなさけむくいはかくこそ。」少女は卓越たくごしに伸びあがりて、うつむきゐたる巨勢がかしらを、ひら手にて抑へ、そのぬか接吻せっぷんしつ。
うたかたの記 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
と、にべもなくひすてて、袖も動かさで立ちたりき。少年は上目づかひに、腰元の顔を見しが、涙ぐみてうつむきぬ。
紫陽花 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
うつむいて歩いてゐると、疲れ切つた目の中に、チクチクとしみるやうに雪が光つた。私は急ぐ気力もなくなつてゐた。
イボタの虫 (新字旧仮名) / 中戸川吉二(著)
「ふむ!」とばかり、男はいも何もめ果ててしまったような顔をして、両手を組んで差しうつむいたままことばもない。
深川女房 (新字新仮名) / 小栗風葉(著)
ムスメはつひにうつむいたまヽ、いつまでも/\わたし記臆きおく青白あをじろかげをなげ、灰色はいいろ忘却ばうきやくのうへをぎんあめりしきる。
桜さく島:見知らぬ世界 (新字旧仮名) / 竹久夢二(著)
むこ養子を貰つた婚礼の折の外は、一度も外の髪に結つたことのない、お文の新蝶々を、うつむいて家出した夫の手紙に読み耽つてゐるお文の頭の上に見てゐた。
鱧の皮 (新字旧仮名) / 上司小剣(著)
『かうやつて君を待たせておいて』——うつむきながらひとごとのやうに『なぜ今絵なぞを描くか知つてゐるかね』
南京六月祭 (新字旧仮名) / 犬養健(著)
仰げばかさを張つたやうな樹の翠、うつむけば碧玉をいたやうな水のあを、吾が身も心も緑化するやうに思はれた。
華厳滝 (旧字旧仮名) / 幸田露伴(著)
拾うためうつむいてかれの足を見せしむると、足がなくてニョッキリ尾ばかりあったので、蛇精が化けたと判り、寡婦寺にもうで身をきよめたといい、北欧の神話にも
そして、正勝は腕を組み、唇を噛み締めてじっとうつむいていた。あらしはらめる沈黙だ。いままさに、鉄砲の火蓋ひぶたが切って落とされようとしているような沈黙だった。
恐怖城 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
憎悪とか反感とか言ったとげや毒が微塵みじんもないので、喧嘩けんかにもならずに、継母は仕方なしにうつむき、書生たちは書生たちで、相かわらずやっとる! ぐらいの気持で
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
古ぼけた大きな折鞄おりかばんを小脇にかかえて、ややうつむき加減に、物静かな足どりをはこんでゆく紳士がある。
国際殺人団の崩壊 (新字新仮名) / 海野十三(著)
編笠扮装あみがさでたちの施主が新らしい紋付の肩を揃へて静かにうつむいて行く。導師、副導師の馬車。その後から会葬の車が幾十台、みな塗色美しい母衣を下して長く/\続いた。
茗荷畠 (新字旧仮名) / 真山青果(著)
大九郎が私のことを、と乾はうつむいたまま云った。三味線や太鼓はうまいかもしれないが、剣術はなっていないと云った、というのである。隼人は小野大九郎を見た。
ちくしょう谷 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
モオラン(Morning-run)と称する、朝の駆足かけあしをやって帰ってくると、森さんが、合宿わきの六地蔵の通りで背広を着て、うつむいたまま、何かを探していました。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
少女は又うつむきて坐せり。さきにアヌンチヤタの我に語りし希臘の神女も、石彫の像なれば瞻視せんしをばきたるべし。今我が見るところは殆ど全くこれにへりとやいふべき。
餘りに年の寄つた銅色の顏の老爺が火鉢の縁を指先で撫でながら何も知らぬやうにうつむいてゐた。
京阪聞見録 (旧字旧仮名) / 木下杢太郎(著)
「ええ」お里は恥と口惜しさでうつむいて心では祈っていた。しかしお里には子は授からなかった。
地上:地に潜むもの (新字新仮名) / 島田清次郎(著)
お花はいづれも木綿のそろひの中に、おのひといまはしき紀念かたみの絹物まとふを省みて、身を縮めてうつむけり
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
青年は書物の上にうつむいていることが多く、僕に見られていることには気がつかない。僕は便所に入ったとき、青年の姿を見かければ、いつも一寸視線をその顔のうえに止める。
落穂拾い (新字新仮名) / 小山清(著)
瀧口が顏は少しく青ざめて、思ひ定めし眼の色たゞならず。父はしばことばなくうつむける我子の顏を凝視みつめ居しが、『時頼、そは正氣しやうきの言葉か』。『小子それがしが一生の願ひ、しんもついつわりならず』
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
はすの葉を一枚緑に画いて、かたわらに仰いで居るさぎうつむいて居る鷺と二つ画いてあるが如きは、複雑なものを簡単にあらはした手段がうまいのであるが、簡単に画いたために、色の配合
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
奥様はうつむいて、御顔を紅らめて、御返事をなさいません。やがて懐しそうに
旧主人 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「私ねえ。此頃少し體工合が變なんですよ」と言つて照ちやんはうつむいた。照ちやんは先刻から櫻の花を見て居たのではなかつた。照ちやんの見て居たのは櫻の花を透しての曇つた空であつた。
あわただしく拾おうとする姫のうつむいた背を越して、流れる浪が、泡立ってとおる。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
兵馬は答えないで、火鉢の前にじっとうつむいている様子。
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
立ちてうつむき双の目をしかと大地に据ゑ付けつ
イーリアス:03 イーリアス (旧字旧仮名) / ホーマー(著)
とても高いので、僕はうつむいてしまふ。
山羊の歌 (新字旧仮名) / 中原中也(著)
お定は顔を赤くしてチラと周囲を見たが、その儘返事もせずうつむいて了つた。お八重は顔を蹙めて厭々いまいまし気に忠太を横目で見てゐた。
天鵞絨 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
白井刑事は、どきまぎしながらも、とにかく、俊夫君の言うままに手錠をかけますと、斎藤は死人のように青白い顔をしてうつむいていました。
髭の謎 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
と私がのぞき込んだ刹那せつな、突然青年は、さしうつむいた。ゴホゴホと絶え入れるようにせき入って、片手がまさぐるように、枕許まくらもとのハンカチへ行く。
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
うつむうかゞひつゝみないひけるは、メヅーサを來らせよ、かくして彼を石となさん、我等テゼオに襲はれて怨みを報いざりしさちなさよ 五二—五四
神曲:01 地獄 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
宮はうつむきて唇を咬みぬ。母は聞かざるまねして、折しもけるうぐひすうかがへり。貫一はこのていを見て更に嗤笑あざわらひつ。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
而して彼はさしうつむくおかみに向うて、このうちの最初の主の稲次郎と密通以来今日に到るまで彼女の不届ふとどきの数々を烈しく責めた。彼女は終まで俯いて居た。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
いきなりうつむけになっているお雪の顔へ、顔を押当て、翼でその細いうなじを抱いて、仰向あおむけにくちばしでお雪の口をおさえまして、すう、すうと息を吸うのでありまする。
湯女の魂 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
親父は腕を組んで、ぽろりぽろり泣きながら、己の忰に斯様こんな悪党が出来るとは何たる因果だろう、此の餓鬼が真人間ならばと云いながら、下をうつむいていたが
塩原多助一代記 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
お道は黙ってうつむきます。金輪際こんりんざい物を言うまいとしている様子——女が一番反抗的になった態度です。
その男が、立木へ手をかけてうつむいた横顔をみて思った。その途端鈴田の凭れている木の枝が、べきんと、き折れて、大きい枝が、鈴田の頭、すれすれにぶら下った。
近藤勇と科学 (新字新仮名) / 直木三十五(著)