京都きやうと)” の例文
誠に有難ありがたい事で、わたくしもホツといきいて、それから二の一ばん汽車きしや京都きやうと御随行ごずゐかうをいたして木屋町きやちやう吉富楼よしとみろうといふうちまゐりました
牛車 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
其年そのとし京都きやうとふゆは、おとてずにはだとほ陰忍いんにんたちのものであつた。安井やすゐこの惡性あくしやう寒氣かんきてられて、ひどいインフルエンザにかゝつた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
ところがその主人からは、四五日前にひまされた。前にも書いたやうに、當時たうじ京都きやうとの町は一通りならず衰微すゐびしてゐた。
羅生門 (旧字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
或年の秋の或日、その武士は尋ね尋ねて遂に京都きやうとにやつて来た。京都は大きい都でみちき来する人が多かつた。
良寛物語 手毬と鉢の子 (新字旧仮名) / 新美南吉(著)
信如しんによつくえ引出ひきだしから京都きやうとみやげにもらひたる、小鍛冶こかぢ小刀こがたな取出とりだしてすれば、よくれそうだねへとのぞ長吉ちようきちかほ、あぶなし此物これ振廻ふりまわしてなることか。
たけくらべ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
追拂ふが如くに悦び片時も早く立退たちのかせんと内々ない/\さゝやきけるとなり斯て天一坊の方にてはまづ京都きやうとの御旅館の見立役みたてやくとして赤川大膳は五六日先へ立て上京し京中きやうちう明家あきや
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
東京とうきやうて、京都きやうと藝妓げいこに、石山寺いしやまでらほたるおくられて、其處等そこら露草つゆぐささがして歩行あるいて、朝晩あさばん井戸ゐどみづきりくと了簡れうけんだとちがふんです……矢張やつぱ故郷ふるさとことわすれた所爲せゐ
月夜 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
玄竹げんちく町醫まちいであるけれども、つと京都きやうとはうまはして、嵯峨御所さがごしよ御抱おかゝへの資格しかくり、醫道修業いだうしゆげふめにつかはすといふ書付かきつけに、御所ごしよいんわつたのをつてゐるから
死刑 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
此度このたび 英照皇太后陛下えいせうくわうたいごうへいか御大喪ごたいさうきましては、日本国中にほんこくぢう人民じんみん何社なにしやでも、総代そうだいとして一めいづゝ御拝観ごはいかんめに京都きやうとへ出す事に相成あひなりました。
牛車 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
それが學年がくねんはじまりだつたので、京都きやうとのまだあさ宗助そうすけには大分だいぶん便宜べんぎであつた。かれ安井やすゐ案内あんないあたらしい土地とち印象いんしやうさけごとんだ。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
京都きやうとあたりの茶人の家とくらべて見給へ。天井てんじやうは穴だらけになつてゐるが、かく僕の書斎は雄大だからね。」
漱石山房の冬 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
わし一體いつたい京都きやうともので、毎度まいど金澤かなざはから越中ゑつちうはう出懸でかけるが、一あることは二とやら、ふねで(一人坊主ひとりばうず)になつて、乘合のりあひしうきらはれるのは今度こんどがこれで二度目どめでござる。
旅僧 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
抑々そも/\久八はさんぬ元祿げんろくころ京都きやうと丸山通りに安養寺あんやうじと云大寺有り其門前町に住て寺社じしや巨商等きよしやうとうへ出入を爲す割烹人れうりにん吉兵衞と云者いまだ獨身どくしんゆゑつますゝむる者の多かりしがやが良縁よきえん有てお久とよばる女を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
せま京都きやうときた宗助そうすけは、單調たんてう生活せいくわつやぶ色彩しきさいとして、さう出來事できごとも百ねんに一ぐらゐ必要ひつえうだらうとまでおもつた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
どうもくさういふ毛並けなみの牛が出来できたものでございますが、牛飼うしかひさんにたづねるとういふ牛はの時にうまれて出るとひました、と京都きやうとの人がまうしました。
牛車 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
十二月は僕は何時いつでも東京にゐて、そのほかの場処といつたら京都きやうととか奈良ならとかいふはなはだ平凡な処しかしらないんだけども、京都へ初めてつた時は十二月で、その時分は
一番気乗のする時 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
味方にせねば成就じやうじゆがた屈強くつきやうの者なりといふにぞ天忠は打悦び天一坊へ申けるは今日拙寺せつじへ參る所の客人きやくじんもと京都きやうと九條家の御家來にて當時は浪人し山内伊賀亮と申す大器量人だいきりやうじんなり上は天文地理てんもんちり
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)