ほそ)” の例文
旧字:
しばらくはわが足にまつわる絹の音にさえ心置ける人の、何の思案か、と立ち直りて、ほそき手の動くと見れば、深き幕の波を描いて
薤露行 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
李一は小さいガラスの瓶に二疋の人魚を入れて、いまは全く夜になった海岸の町を指して帰ってゆくみちで、瓶の中からほそい声がして
不思議な魚 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
人生に悩みながらほそい腕に悪戦苦闘して、切抜け切抜けしてゆく殊勝さを見ると、涙ぐましいほどにその勇気をたたよみしたく思う。
マダム貞奴 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
その背景の地色の前に黄がかった二輪の薔薇は、鮮かに美しく見えた。艶ある濃い臙脂えんじほそい枝の線、夜の霧に蝕まれはじめた葉の色。
伸子 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
ガラス瓶にした睡蓮の花はそのほそい、長い茎の上に首を傾けて上品に薫っている。その直後にデカルトの石膏像が立ってる。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
尽日じんじつ北の風が吹いて、時々つめたいほそい雨がほと/\落ちて、見ゆる限りの青葉が白いうらをかえして南になびき、さびしいうらかなしい日であった。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
ほそつる尖端せんたんが宙に浮んで、何かまきつくものをさがしている、そのかぼそいもののいとなみは見ているものの心をうっとりとさせるのであったが
冬日記 (新字新仮名) / 原民喜(著)
台は二匹の海蛇をかたどった、糸のようにほそい白金の鎖、全長五十四インチある。重さは正確なことはわからぬが、この偽物にせものと掛けた感じはまったく、同一である。
グリュックスブルグ王室異聞 (新字新仮名) / 橘外男(著)
目を開けると直ぐ消えて仕舞ふ。疲れ切つて居る体は眠くて堪らないけれど、強ひて目を瞑ると、死んだ赤ん坊らしいものがほそい指で頻に目蓋まぶたを剥かうとする。
産褥の記 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
いつか Kambodschaカンボヂヤ の酋長がパリに滞在していた頃、それが連れて来ていた踊子を見て、ほそく長い手足の、しなやかな運動に、人を迷わせるような
花子 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
忘れがちなるこの頃を、その事としも思はねど。やうやく見えし頬の瘠せ、思ふ事でもある事かと、春衛は妻がほそき手の、団扇いぢりをじつと見て。何とせし清子。
移民学園 (新字旧仮名) / 清水紫琴(著)
葡萄茶えびちや細格子ほそごうし縞御召しまおめし勝色裏かついろうらあはせを着て、羽織は小紋縮緬こもんちりめん一紋ひとつもん阿蘭陀オランダ模様の七糸しつちん袱紗帯ふくさおび金鎖子きんぐさりほそきを引入れて、なまめかしき友禅染の襦袢じゆばんそでして口元をぬぐひつつ
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
鉄漿かねを含んだ歯が揃って、貝のように美しい。それとなお目についたは、顔の色の白いのに、その眠ったようなほそい目の、くれないの糸、と見るばかり、赤く線を引いていたのである。
悪獣篇 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
破れかかった妻戸つまどのかげに、その夕べも、女は昼間から空にほのかにかかっていたほそい月をぼんやり眺めているうちに、いつかやみにまぎれながら殆どあるかないかに臥せっていた。
曠野 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
黒ずんだ、ふくよかな瓶をほそい指でもたげて酌をする姿はいかにも美しい。酒は青み掛かつた軽い古風な杯に流れ入る。唇に触れて冷やかさを覚えさせる此杯を、己は楽んで口にふくむ。
復讐 (新字旧仮名) / アンリ・ド・レニエ(著)
病院にはさすがに停電こそありませんが、その晩はことのほか電圧がさがつてゐるらしく、ただでさへうす暗い電球はどれもみんな、なかのほそい線が赤ぼんやりと浮いて見えるほどでした。
死児変相 (新字旧仮名) / 神西清(著)
ささげばたけでは、ささげがほそほそいあるかないかの銀線ぎんせんの、いな、むづかしくいふなら、永遠えいゑん刹那せつなきてもききたいやうなのでる樂器がくきに、そのこゑをあはせて、しきり小唄こうたをうたつてゐました。
ちるちる・みちる (旧字旧仮名) / 山村暮鳥(著)
落葉松からまつもしみみ黄葉もみでぬたちのまことすぐなるほそき葉の神
夢殿 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
女は薄紅うすあかくなった頬を上げて、ほそい手を額の前にかざしながら、不思議そうにまばたきをした。この女とこの文鳥とはおそらく同じ心持だろう。
文鳥 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
水いろのうすい単衣の上から、ほそい彼女の頸が、小さい頭をささえて、それがまるで瑪瑙めのうのように透いて見えた。
或る少女の死まで (新字新仮名) / 室生犀星(著)
最早はっきりとは文字の見えぬ本をひざにのせて、先刻さっきから音もなく降って居たほそい雨の其まゝけたあお夕靄ゆうもやを眺めて居ると、忽ち向うの蒼い杉の森から
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
紺縮こんちぢみ単物ひとえものに、黒襦子くろじゅすと茶献上との腹合せの帯を締めて、ほそい左の手に手拭てぬぐいやら石鹸箱シャボンばこやら糠袋ぬかぶくろやら海綿やらを、細かに編んだ竹のかごに入れたのをだるげに持って
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
薄すり紫がかった桃色の細かい花が、ほそい葉の間に咲いている。それを見ながら、なほ子は呼鈴も押さず、暗い板の間へ通って行った。茶の間の戸を開けようとしていると
白い蚊帳 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
暁がた、男は一人で庭に降り立って、ほんのりとかかったほそい月を仰ぎ仰ぎ、読経などをしながら、履音くつおとをしのばせてそぞろ歩きしていた。細殿ほそどのの前には丁子ちょうじの匂が夜気に強く漂っていた。
姨捨 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
病みませるうなじにほそきかひな捲きて熱にかわける御口みくちを吸はむ
みだれ髪 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
夜の池にうごきてほそ月形つきがたはかがやくへらのゑぐれる如し
黒檜 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
「よし、私だって驚かない。しかし、何だろう、ああ、そうか。おはぐろとんぼ、黒とんぼ。また、何とかいったっけ。漆のような真黒まっくろな羽のひらひらする、ほそく青い、たしか河原蜻蛉とも云ったと思うが、あの事じゃないかね。」
縷紅新草 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「罪ありと我をいるか。何をあかしに、何の罪を数えんとはする。いつわりは天も照覧あれ」とほそき手を抜け出でよと空高く挙げる。
薤露行 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
内儀は、ほそい美しい手を垣根の青い茂みに与えているのが、堀には、あまり白く鮮明で、鋭くなってみえた。が、その上に自分の手を置くことができなかった。
(新字新仮名) / 室生犀星(著)
朝から驟雨性しゅううせいの雨がざあと降って来たり、ほそい雨が煙ったり、蛞蝓なめくじが縁に上り、井戸ぶちに黄なきのこえて、畳の上に居ても腹の底までみ通りそうな湿しめっぽい日。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
雌はほそい脚をあげ耳のわきをしとやかに掻いた。そして、一層ぴったり雄のそばによった。
白い翼 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
その蔭にはほそき腹濃きみどりいろにて羽うるしの如き蜻蜓とんぼうあまた飛びめぐりたるを見る。
みちの記 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
うはぬめるほそき根のありとあるすぢさぐるを。
新頌 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
わたしには——認識した御本人でなくては」と団扇のふさをほそい指に巻きつける。「夢にすれば、すぐにきる」と例の髯が無造作むぞうさに答える。
一夜 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
乳母車の上には小さい女の子が、羽根のある帽子のしたでほそい目を閉じ、すやすやと睡っていた。
後の日の童子 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
鹿がほそい脚の先を自分のように繃帯され、のたりのたり歩く恰好を空想すると、一寸滑稽であった。が、荷作りの合間にもう一度読みなおすと、伸子は何だか、単純におかしがれなかった。
伸子 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
珍らしくほそい白い手であった。番新がこう云った。
ヰタ・セクスアリス (新字新仮名) / 森鴎外(著)
ひまらや杉の葉はほそ
海豹と雲 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
ほそい指をそらして穿めている指環を見た。それから、手帛ハンケチを丸めて、又袂へ入れた。代助は眼をせた女の額の、髪に連なる所を眺めていた。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ほそくて冷えきった須美子の指が、万力まんりきのように伸子の手をしめつけた。
道標 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
霞針かすみばりほそき葉の神
新頌 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
そうして白いほそい手を額の所へかざすようにあてがって何か見上げる風をした。彼女は津田が自分のすぐそばへ寄って来るまでその態度を改めなかった。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
云いてて紫のリボンは戸口の方へうごいた。ほそい手に円鈕ノッブをぐるりと回すやいなや藤尾の姿は深い背景のうちに隠れた。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
貴方あなたには、そう見えて」と今度は向うから聞き直した。そうして、手に持った団扇を放り出して、湯から出たての奇麗なほそい指を、代助の前に広げて見せた。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
貴方あなたには、左様さう見えて」と今度は向ふから聞きなほした。さうして、手に持つた団扇うちはを放りして、からたての奇麗なほそゆびを、代助の前にひろげて見せた。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
平岡が、失敬だがちょっと待ってくれと云った間に、代助は行李と長襦袢と、時々行李の中へ落ちるほそい手とを見ていた。襖は明けたままて切る様子もなかった。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「じゃジャンけんよ」と云い出したお延は、ほそい手を握って勢よく継子の前に出した。継子はすぐ応じた。宝石の光る指が二人の間にちらちらした。二人はそのたんびに笑った。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
木にるはつた、まつわりて幾世を離れず、よいいてあしたに分るる君と我の、われにはまつわるべき月日もあらず。ほそき身の寄り添わば、幹吹くあらしに、根なしかずらと倒れもやせん。
薤露行 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
この女は迷えとのみ黒いひとみを動かす。迷わぬものはすべてこの女のかたきである。迷うて、苦しんで、狂うて、おどる時、始めて女の御意はめでたい。欄干らんかんほそい手を出してわんと云えという。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
博士の傍には金時計が天からかかっている。時計の下には赤い柘榴石ガーネットが心臓のほのおとなって揺れている。そのわきに黒い眼の藤尾さんがほそい腕を出して手招てまねぎをしている。すべてが美くしいである。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)