田町たまち)” の例文
ソコデ江戸に這入はいったとき、今思えば芝の田町たまち、処も覚えて居る、江戸に這入て往来の右側の家で、小僧がのこぎりやすりの目をたたいて居る。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
田町たまちから馬道うまみちにつづいた家も土蔵ももう一面の白い刷毛はけをなすられて、待乳まつちの森はいつもよりもひときわ浮きあがって白かった。
箕輪心中 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
馬道へ出ると一流の料理屋富士屋があり、もっと先へ出ると田町たまちとなって、此所は朝帰りの客を蛤鍋はまなべの店が並んでいる。
むねつかへのやまひしやくにあらねどそも/\とこつききたるとき田町たまち高利こうりかしより三月みつきしばりとて十ゑんかりし、一ゑん五拾せん天利てんりとてりしは八ゑんはん
大つごもり (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
即ち左手には田町たまちあたりに立続く編笠茶屋あみがさぢゃやおぼしい低い人家の屋根を限りとし、右手ははるか金杉かなすぎから谷中やなか飛鳥山あすかやまの方へとつづく深い木立を境にして
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
と若い者にも頼んであるから、四五人の若い者が来て左右を取巻き会所へ連行つれゆくというので、清左衞門は会所へ引かれて、是から田町たまちの番屋へ廻され
政談月の鏡 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
五百は即時に人を諸方にせて捜索せしめた。優善の所在はすぐに知れた。初午のに無銭で吉原にき、翌日から田町たまち引手茶屋ひきてぢゃやに潜伏していたのである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
じつ土手どて道哲だうてつ結縁けちえんして艷福えんぷくいのらばやとぞんぜしが、まともに西日にしびけたれば、かほがほてつて我慢がまんならず、土手どてくことわづかにして、日蔭ひかげ田町たまちげてりて、さあ、よし。
弥次行 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
二十三四の青年で、見るから病弱さうなのが毎日この碁会所へきてゐたが、田町たまち辺の工場の事務員で、ひどい反戦思想をもち、徹底的に軍の潰滅と敗北を信じ、共産主義を愛してゐた。
魔の退屈 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
この打ちこわしは前年五月二十八日の夜から品川宿、芝田町たまち四谷よつやをはじめ、下町、本所ほんじょ辺を荒らし回り、横浜貿易商の家や米屋やその他富有な家を破壊して、それが七、八日にも及んだ。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
北条の田町たまちという所に住んでいたころのことであるが、朝早く町のはずれから東の方、玉野付近を眺めやっていると、何一つ遮るものなく、地平から朝日の昇るのが望まれたものであったし
故郷七十年 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
芝、田町たまちの大工の子が急病で死んだ。大工は町内の裏長屋に住む由五郎という男で、その伜の由松はかぞえ年の六つであった。
ふゆ月夜つきよなにかに田町たまちあたりをあつめにまわると土手どてまで幾度いくどいたことがある、なにさむいくらゐきはしない、何故なぜだか自分じぶんらぬが種々いろ/\ことかんがへるよ
たけくらべ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
観音堂から堂へ向って右手の方は、馬道うまみち、それから田町たまち、田町を突き当ると日本堤にほんづつみ吉原土手よしわらどてとなる。
処が金次郎の死骸だけは分って鉄砲洲てっぽうずで引揚げましたから金次郎の親の家がしば田町たまちで有りますから旦那と私と行って是々と話すと先方むこうでも一方ひとかたならんなげきではありましたが
政談月の鏡 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
二十三、四の青年で、見るから病弱そうなのが毎日この碁会所へきていたが、田町たまち辺の工場の事務員で、ひどい反戦思想をもち、徹底的に軍の潰滅かいめつと敗北を信じ、共産主義を愛していた。
魔の退屈 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
他の一筋は堤の尽きるところ、道哲どうてつの寺のあるあたりから田町たまちへ下りて馬道うまみちへつづく大通である。電車のないその時分、くるわへ通う人の最も繁く往復したのは、千束町二、三丁目の道であった。
里の今昔 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
綾衣はすぐに遣手やりてのおきんを浅草の観音さまへ病気平癒の代参にやった。その帰りに田町たまちの占い者へも寄って来てくれと頼んだ。
箕輪心中 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
後刻のち學校がくかうはうぜの約束やくそく信如しんによ田町たまちあねのもとへ、長吉ちようきち我家わがやかたへと行別ゆきわかれるにおもひのとゞまる紅入べにいり友仙ゆうぜん可憐いぢらしき姿すがたむなしく格子門かうしもんそとにととゞめぬ。
たけくらべ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
と船を漕出し、永代橋を越して御浜沖おはまおきへ出て、あれから田町たまち雁木がんぎへ船をけまして
今も田町たまちの重兵衛の子分に逢いましたが、重兵衛はなにか色恋の遺恨じゃあねえかと、専らその方を探っているそうです。
半七捕物帳:23 鬼娘 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
初音町はつねてうといへばゆかしけれど、をうぐひすの貧乏町びんばうまちぞかし、正直しやうじき安兵衛やすべゑとてかみ此頭このかうべ宿やどたまふべき大藥罐おほやくわんひたいぎはぴかぴかとして、これを目印めじるし田町たまちより菊坂きくざかあたりへかけて
大つごもり (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
浅草田町たまちの袖摺稲荷のそばにある黒沼孫八という旗本屋敷の大屋根のうえに、当年三、四歳ぐらいの女の子の死骸がうつ伏せに横たわっていたが
半七捕物帳:10 広重と河獺 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
素人しろうとにして捨てて置くは惜しい物の中に加へぬ、さりとてお寺の娘にひだづま、お釈迦しやか三味しやみひく世は知らず人の聞え少しははばかられて、田町たまちの通りに葉茶屋の店を奇麗にしつらへ
たけくらべ (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
安政あんせい末年まつねん、一人の若武士わかざむらいが品川から高輪たかなわ海端うみばたを通る。夜はつ過ぎ、ほかに人通りは無い。しば田町たまちの方から人魂ひとだまのやうな火がちゅうまようて来る。
雨夜の怪談 (新字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
素人しろうとにしててゝくはしいものなかくわへぬ、さりとておてらむすめひだづま、お釋迦しやか三味しやみひくらずひときこすこしははゞかられて、田町たまちとほりに葉茶屋はぢやゝみせ奇麗きれいにしつらへ
たけくらべ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
たぶん情夫おとこでも出来て、駈落ちでもしたんだろうということになってしまったんですが、田町たまちの重兵衛はそれに何か目星をつけた事でもあるのか
半七捕物帳:09 春の雪解 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
己れは気が弱いのかしら、時々種々いろいろの事を思ひ出すよ、まだ今時分は宜いけれど、冬の月夜なにかに田町たまちあたりを集めに廻ると土手まで来て幾度も泣いた事がある、何さむい位で泣きはしない
たけくらべ (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
芝、田町たまち鋳掛屋いかけや庄五郎が川崎の厄除やくよけ大師へ参詣すると云って家を出たのは、元治元年三月二十一日の暁方あけがたであった。
半七捕物帳:45 三つの声 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
かれらは芝の田町たまちの近江屋という質屋の家族で、女房のお峰はことし四十歳、娘のお妻は十九歳である。
経帷子の秘密 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
四月二十八日の夜の五ツ(午後八時)を過ぎる頃に、巳之助みのすけという今年二十二の若い男がこの物騒な場所を通りかかった。芝の田町たまちに小伊勢という小料理屋がある。
半七捕物帳:52 妖狐伝 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
田町たまち今戸いまど辺に五、六軒の家作があるのを頼りに、小体こていのしもた家暮らしをすることになりました。
青蛙堂鬼談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「はい、はい。この辺には碌なものもござりませんから、田町たまちまでひと走り行ってまいります」
箕輪心中 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「むむ。急に思いついたことが出来たので、すぐに出て来た。これから田町たまちへ案内してくれ」
半七捕物帳:45 三つの声 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
自身番から近所の医者を迎えに行っている間に、かれは自分の身許みもとを明かした。彼は加賀生まれの勘蔵というもので、三年前から田町たまちの車湯という湯屋の三助をしていると云った。
半七捕物帳:29 熊の死骸 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
お時 この邊には碌な物もございませんから、田町たまちまで一走り行つてまゐります。
箕輪の心中 (旧字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
娘のお福は十八の年に浅草田町たまちの美濃屋という玩具屋おもちゃやへ縁付いたが、亭主の次郎吉が道楽者であるために、当人よりも親の八兵衛夫婦が見切りをつけて、二十歳はたちの春に離縁ばなしが持ち出された。
半七捕物帳:56 河豚太鼓 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
この時代の町奴の習いとして、その他の者共も並木なみき長吉ちょうきち橋場はしば仁助にすけ聖天しょうでん万蔵まんぞう田町たまち弥作やさくと誇り顔に一々名乗った。もうこうなっては敵も味方も無事に別れることの出来ない破目になった。
番町皿屋敷 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
あの砲撃のために、芝の金杉、本芝、田町たまちの辺はみんな焼けました
芝の田町たまちに三島という両替屋があります。
半七捕物帳:52 妖狐伝 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
田町たまちでございます」
半七捕物帳:47 金の蝋燭 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
田町たまちの彌作
番町皿屋敷 (新字旧仮名) / 岡本綺堂(著)