煩悩ぼんのう)” の例文
旧字:煩惱
太子はかの未曾有みぞうの日に、外来の危機をうれい、また血族の煩悩ぼんのうや争闘にまみれ行く姿を御覧になって捨身を念じられたのであったが
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
その裏面には「つれないはただうつり気な、どうでも男は悪性者あくしょうもの」という煩悩ぼんのうの体験と、「糸より細き縁ぢやもの、つい切れ易くほころびて」
「いき」の構造 (新字新仮名) / 九鬼周造(著)
なさけなや、六欲煩悩ぼんのう囚人とりこである身は、やはり、うつつも少しも変らず、恐ろしい。激しい不安や恐怖の餌じきにならずにはいられぬのだ。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
煩悩ぼんのうの火は鉄もかす。ましてや以前は糸屋の若旦那とか。出家沙門しゅっけしゃもんとなったのも、もとは女からで、色の道と借金づまりの世間のがれ。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
寺院の人々は禁欲生活を過重し勝ちでとかく所謂いわゆる煩悩ぼんのうに即した生活の中にも道徳律や悟脱の力のあることを忘れている様です。
其夜の夢に逢瀬おうせ平常いつもより嬉しく、胸ありケの口説くぜつこまやかに、恋しらざりし珠運を煩悩ぼんのう深水ふかみへ導きし笑窪えくぼ憎しと云えば、可愛かわゆがられて喜ぶは浅し
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
骨肉の愛と、恋愛とが本来の立場を純粋に保つならばそは闘争であり、煩悩ぼんのうである。生物と生物との共食いと同じ相である。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
然しトルストイは理想を賞翫しょうがんして生涯をおわる理想家で無い、トルストイは一切の執着しゅうちゃく煩悩ぼんのうを軽々にすべける木石人で無い
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
仔細といってもやっぱりもとは邪婬の煩悩ぼんのうだが、もう二十年も昔になる、ちょうどこんな息の苦しい五月ごろの晩だった。
道成寺(一幕劇) (新字新仮名) / 郡虎彦(著)
親鸞の子善鸞ぜんらんから、如信にょしんとなり、覚信尼の孫、覚如の代となるまでには、覚信尼は創業の苦労と煩悩ぼんのうもあったわけだった。
九条武子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
しかも御自身のはなやかな人間としての生活をしいて断ち切っておしまいになることも、知らず知らず煩悩ぼんのうを作る結果になるではありませんか。
源氏物語:38 鈴虫 (新字新仮名) / 紫式部(著)
その時までの記章かたみにはおれが秘蔵のこの匕首(これにはおれの精神たましいもこもるわ)匕首を残せば和女もこれで煩悩ぼんのうきずなをばのう……なみだは無益むやく
武蔵野 (新字新仮名) / 山田美妙(著)
自分の愚かしさをとがめつつも、やっぱり思いきることが出来ず、その愚かしい煩悩ぼんのうに責めさいなまれる思いをしながら、うかうかと道を歩いていた。
狂乱 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
が、こうしてふっつりと煩悩ぼんのうの綱を断ち切った気の伴大次郎も、畢竟、眼に見えぬ煩悩の綾糸に手繰られ、躍らせられているのではあるまいか。
煩悩秘文書 (新字新仮名) / 林不忘(著)
何じゃの、おらが嬢様におもいかかって煩悩ぼんのうが起きたのじゃの。うんにゃ、かくさっしゃるな、おらが目は赤くッても、白いか黒いかはちゃんと見える。
高野聖 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
煩悩ぼんのうを断じて菩提ぼだいを得ることです。つまり凡夫ひと仏陀ほとけになることです。にもかかわらず、迷いもない、悟りもない、煩悩もなければ、菩提もない。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
そこで再び煩悩ぼんのうが起こり、山川越えて大江戸から、富士見の高原までまかりこし、そうしてこうやってご貴殿と、話をするようになりましてござる
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
雇入れてからたった一年にしかなりませんが、この女の教え子に対する愛情は不思議な位で、時々は、子煩悩ぼんのうな讃之助が嫉妬をさえ感ずる程でした。
葬送行進曲 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
煩悩ぼんのうの氷厚ければ、これを割る仏の慧日、光芒をいや増す。憎悪ぞうお無尽むじんならば、これを解く仏の慈悲もまた無尽である。
阿難と呪術師の娘 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
ああ、これが「ナオミの顔」と云う一つの霊妙な物質なのか、この物質が己の煩悩ぼんのうの種となるのか。………そう考えると実に不思議になって来ます。
痴人の愛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
一つは夢幻におぼれやすく、一つは煩悩ぼんのうに流されるであろう。いずれもが心に満たない時に、第三の道が現れてくる。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
この川を一度渡れば、全ての悪業、煩悩ぼんのう、罪障が消えるといわれている。ここを渡れば熊野である。本宮ほんぐう証誠殿しょうじょうでんに参った維盛は、神殿の前にひざまずいた。
読書をすれば自然心の天地が広くなって愚痴ぐちを破り、情念が高尚になって卑近な物質欲などで煩悩ぼんのうの火をく事も減じて行き、日常の談話も上品になり
婦人と思想 (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
ああ、O'Grieオーグリー煩悩ぼんのうはたけり、信仰は脅かす。精進潔斎しょうじんけっさいのその日に、女人にょにんを得ようとしたのは、返す返すも悲しいめぐり合わせでした。
一週一夜物語 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
よし、よし、と赤児でもあやす気持ちで頸筋くびすじでてやると、驢馬は鼻をびくつかせながら口をもってきた。水っぱなが顔に散った。許生員は馬煩悩ぼんのうだった。
蕎麦の花の頃 (新字新仮名) / 李孝石(著)
今はもろもろの煩悩ぼんのうを断って、安らけくこの地に生涯を送りたいものじゃ。さりながら、月には雲のさわりあり。
修禅寺物語 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
思いすてて塵芥ちりあくたよりも軽かりし命は不思議にながらえて、熱去り苦痛薄らぎ食欲復するとともに、われにもあらで生を楽しむ心は動き、従って煩悩ぼんのうもわきぬ。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
少なくも、今日の、この生活に苦しみ、あらゆる煩悩ぼんのうのために身は捕虜となってもだえている私の心を、兎に角、遠い、懐かしい、昔の北の故郷に帰らせてしまう。
単純な詩形を思う (新字新仮名) / 小川未明(著)
とにかく仏法の好名題をいちいち煩悩ぼんのうの求むるところのものに配合して、種々附会ふかいの説明を施して居る。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
子供達こどもたち毬唄まりうたにまではやされて、るもらぬも、うわさはな放題ほうだい、かぎのおせんならでは、けぬ煩悩ぼんのうは、血気盛けっきざかりの若衆わかしゅうばかりではないらしく
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
我が良人をつと所為しよゐのをさなきもいて隠くさじ。百八ひやくはち煩悩ぼんのうおのづから消えばこそ、殊更ことさらに何かは消さん。
軒もる月 (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
ジャン・ミシェルは非常に子煩悩ぼんのうではあったが、その幾度もの不幸も、彼の堅固な楽天的気質を変えはしなかった。最もひどい打撃は、オティーリエの死であった。
りの眠りから、いつのとも心づかぬうちに、永い眠りに移る本人には、呼び返される方が、切れかかった煩悩ぼんのうの綱をむやみに引かるるようで苦しいかも知れぬ。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
立往生たちおうじょうをする代りに、籠堂へ坐り込んで一夜を明かした、が、百八煩悩ぼんのうを払うというなる初瀬はつせの寺の夜もすがらの鐘の音も、竜之助が尽きせぬ業障ごうしょうの闇に届かなかった。
すべての記載をできるだけ数学的抽象的なものにしようという清教徒的科学者の捨てようとしてやはり捨て切れない煩悩ぼんのうの悲哀がこういうところにも認められるであろう。
柿の種 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
おれは卑しい堕落した煩悩ぼんのうをいだいた卑劣な人間かもしれないが、しかしドミトリイ・カラマゾフは泥棒や、掏摸すりや、掻っ払いには、断じてなり下がるはずがないだろう。
犬は喰はねど煩悩ぼんのうの何とやら血気けっきの方々これを読みたまひてその人もし殿方とのがたならばお客となりて芸者を見ん時、その人もし芸者衆げいしゃしゅならばお座敷かかりてお客の前にでん時
矢はずぐさ (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
流石さすが親方のお出入先ではあるし、自分がたゝき大工であるから、とても遂げらるゝ恋でないと諦めても煩悩ぼんのうはます/\乱れてまいり、えゝという自暴やけのやん八と二人づれで
世間は名利にはし煩悩ぼんのうに苦しめられ、掌大しょうだいの土地の上に気違ひの如く狂ひまはるを、歌人はひとりこれを余所よそに見て花に遊び月にたわむれ、無限の天地に清浄の空気を吸ひをるなり。
人々に答ふ (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
仏家は曰く、「煩悩即菩提、生死即涅槃。」(煩悩ぼんのうはすなわち菩提ぼだい生死しょうじはすなわち涅槃ねはん
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
まざまざとした煩悩ぼんのう勃然ぼつぜんとしてその歯がみした物すごい鎌首かまくびをきっともたげるのだった。それもよし。近くいても看視のきかないのを利用したくば思うさま利用するがいい。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
しかし、これとて、ないものはないもので、有るものの煩悩ぼんのうのいやらしさをおかしく眺めて暮し終るのであろうと思い直し、ふとまた定雄は天上の澄み渡った中心に眼を向けた。
比叡 (新字新仮名) / 横光利一(著)
そして、いずれを見ても、煩悩ぼんのうに心を乱されている人々の中で、ただ一人、頭の働きを失っていない遠謀深慮えんぼうしんりょある人物のごとく、事件いっさいの始末を引き受けようというのだ。
にんじん (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
宗祇が『古今集』のやまとうたは人の心を種とするといっているのを釈して、それを元初一念の人の心と断じ、忽然こつねん念起、名づけて無明むみょうすというのはこれだ。無明は煩悩ぼんのうだ。
たぶん人間はいつまでも禽獣を脱しないから罪人となるのであろう。飢渇のほか何物もわれわれに対して真実なものはなく、われらみずからの煩悩ぼんのうのほか何物も神聖なものはない。
茶の本:04 茶の本 (新字新仮名) / 岡倉天心岡倉覚三(著)
煩悩ぼんのうをのがれて救いをえたいと願う利欲の心から、ほんとうの人間の道をむりに仏教の因果理論にひきつけて説き、堯舜ぎょうしゅんの教え、すなわち儒教の説にてらすべきを、仏教に混入して
煩悩ぼんのうを起す種のないこの絶海の孤島こそ、自分にとって唯一の浄土ではあるまいか。康頼や成経がそばにいたために、都の生活に対する、否、人生に対する執着が切れなかったのだ。
俊寛 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
ぶしつけな不遜ふそんな私の態度を御ゆるしくださいませ——なおもなおも深く身を焦さねばならぬ煩悩ぼんのうきずなにシッカと結びつけられながら、身ぶるいするようなあの鉄枠てつわくやあるいは囚舎の壁
死児を産む (新字新仮名) / 葛西善蔵(著)
憎らしい私の煩悩ぼんのうよ、私は女でございました。やっぱり切ない涙にくれまする。
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
されど我を煩悩ぼんのう闇路やみじよりすくひいで玉ひし君、心の中には片時かたときも忘れはべらず。
文づかひ (新字旧仮名) / 森鴎外(著)