湿しめ)” の例文
旧字:
「灰が湿しめっているのか知らん」と女が蚊遣筒を引き寄せてふたをとると、赤い絹糸でくくりつけた蚊遣灰がいぶりながらふらふらと揺れる。
一夜 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
乳母は夜露にしっとりと湿しめって重くなっている娘の袂に触ってみて、追い/\冷えて来るのに、風邪かぜを引かせてはならないと思った。
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
まるで、泰西たいせい名画のみごとな版画をみているように、湿しめり気のない空気が、すべてのものを明るく、浮立うきたたせてみせてくれるのでした。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
「ああ結構です」と臼井はのない茶に咽喉のど湿しめし、「早く分って頂くために、そうですなあ、ああそうだ、仔猫こねこのお話をしましょう」
鞄らしくない鞄 (新字新仮名) / 海野十三(著)
井戸端に流れた血潮は洗い清めたところで、土が少し湿しめっておりますが、そんなのは平次の探索に何の役にも立たなかったのです。
吐息に蒸されてしずくを結んだ羽根毛がつめたく鼻のあたりを湿しめした。それが情感のり場のない涙の感触にてゐたのかも知れない。
青いポアン (新字旧仮名) / 神西清(著)
それは、少女はお乳をふくらすため、又、男の子は香水を湿しめして入れておくためと思っていたら大違いだと、一人の不良少年が笑った。
東京人の堕落時代 (新字新仮名) / 夢野久作杉山萠円(著)
乃公はハンケチに水を湿しめして、父と子と聖霊せいれいの名に依って、三度頭から水を掛けてやった。すると忠公は何処まで悪い奴だか知れない。
いたずら小僧日記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
藁箒わらぼうきを取って、櫓臍ろべそ湿しめりをくれた宅助、ツーウと半町ほど流れにまかした所から、向う河岸がし春日出かすがでの、宏大なやかたいらかをグッと睨んで
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
うすく湿しめった、地面じめんちたとんぼは、もうはなしかけることすらできなければ、その運命うんめいにまかせるより、ほかになかったのでした。
寒い日のこと (新字新仮名) / 小川未明(著)
もし、ほんの表面の薄い層だけ湿しめるようなやり方をしていると、芝の根がついつい欺されて甘やかされて、浅い上層だけに発達して来る。
鑢屑 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
まなじりの切れたのを伏目になって、お蔦は襟におとがいをつけたが、慎ましく、しおらしく、且つ湿しめやかに見えたので、め組もおとなしくうなずいた。
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
こういう露路の奥の習いで、そこらの土はじくじくと湿しめっているのを、半七は嗅ぐように覗いてあるいた。家へ帰ると庄太はささやいた。
半七捕物帳:23 鬼娘 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
丘窪の冬の棚田たなだはねもごろにうれしき棚田。寂び寂びて明るき棚田。たまさかに鶸茶の刈田、小豆いろ、温かきいろ、うち湿しめる珈琲のつち
「好いお湿しめりだ、と言いてえが、これじゃあ道路みちぬかるんでやりきれねえ。いや、降りやがる、ふりやがる——豪気なもんだ。」
旅に乾いた唇を田舎酒に湿しめしつつ、少しい心地になって、低声ていせいに詩をうたっているスグ二階の下で、寂しい哀しい按摩笛あんまぶえが吹かれている。
菜の花物語 (新字新仮名) / 児玉花外(著)
少焉しばし泣きたりし女の声はやうやく鎮りて、又湿しめがちにも語りめしが、一たびじようの為に激せし声音は、おのづから始よりは高く響けり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
今でも僕は、あの両手を突っ込んだときの感じは、まるで湿しめった穴蔵へ手を突っ込んだように冷やりとしたのを覚えている。
たきぎ湿しめしてこれを燃やさんとするがごときもの、経世の策としてはすなわち一方に偏するのそしりを免れざるものである。
貧乏物語 (新字新仮名) / 河上肇(著)
盲人めくら不安気ふあんげである。足が湿しめを感じ、片一方ずつ上へあがる。泥のまじった雪を押しのけ、そいつを遠くへ散らかす。
にんじん (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
霧も深く降っていて空気の湿しめっぽいのに車のすだれを上げさせてあったから源氏のそでもそのうちべったりとれてしまった。
源氏物語:04 夕顔 (新字新仮名) / 紫式部(著)
馬車の黴臭い内部は、その湿しめっぽいよごれた藁と、不愉快な臭気と、薄暗さとで、幾らか、大きな犬小屋のようであった。
要するにまあ、あまやかされ放題の純血種ピュール・サンらしく振舞ふるまったわけである。父はなかなかもどって来なかった。川からは、いやに湿しめっぽい風がいてきた。
はつ恋 (新字新仮名) / イワン・ツルゲーネフ(著)
それに夜露とか湿しめっぽい草とか空気などのちがいが気候に敏感なきりぎりすには生きている力を与えないのであろう。
螽蟖の記 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
実際どの部屋へや湿しめっぽくて寒いので、わたしは二階の火のある所へ行きたくなったのである。私たちは警戒のために座敷のドアにじょうをおろして出た。
それから二人の間に、コナコナした湿しめやかな話が始まった。新吉は長い間、絶えず悪口あっこうを浴びせかけて来たことが、今さら気の毒なように思われた。
新世帯 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
何処どこまで歩いて行つても道はせまくて土が黒く湿しめつてゐて、大方おほかた路地ろぢのやうにどまりかとあやぶまれるほどまがつてゐる。
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
常住湿しめり気の乾ききらないような黒土と混って、大小の丸石が歩む人の足を妨げるようにおびただしくころがっていた。
星座 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
耳には、そうだ! 彼女の快活な湿しめりのある声や、機智きちに富んだ言葉などが、何時までも何時までも消えなかった。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
されど空気は重く湿しめり、茂り合う葉桜の陰を忍びにかよう風の音は秋に異ならず、木立こだちの夕闇ゆうやみは頭うなだれて影のごとく歩む人のたぐいを心まつさまなり。
おとずれ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
心なき門附かどづけの女の歌。それに興を催してか竜之助も、与兵衛が心づくしで贈られた別笛べつぶえの袋を抜く、氏秀切うじひでぎり伽羅きゃら歌口うたぐち湿しめして吹く「虚鈴きょれい」の本手。
大菩薩峠:07 東海道の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
けれどもこの句も前の句もその小さい事実を通して五月雨の降り続いている湿しめっぽい天気が十分に想像が出来る。
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
「こんなことはみんなくだらない話です」スヴィドリガイロフはタオルを湿しめして、それを頭へ当てながら言った。
たしかに、物は乾けば縮み、湿しめれば延びる。だが、この場合、単にそうした物理的現象にすぎぬであろうか。
ある偃松の独白 (新字新仮名) / 中村清太郎(著)
馬車屋の前では、主婦が馬の口の傍でかゆの立食いをやっていた。二人は古いロココ風の馬車に乗ると、ぼってりと重く湿しめり出した夜の街の中を揺られていった。
上海 (新字新仮名) / 横光利一(著)
朝から驟雨性しゅううせいの雨がざあと降って来たり、ほそい雨が煙ったり、蛞蝓なめくじが縁に上り、井戸ぶちに黄なきのこえて、畳の上に居ても腹の底までみ通りそうな湿しめっぽい日。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
わらくずなど、み散らしじくじく湿しめっていて、ねんじゅうぬかるみの絶えないような低湿ていしつな小路である。
落穂 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
○豚饅頭を蒸す時湿しめりたる布巾を下に敷き別々に並べざれば互に粘着す。皮は真中を厚く端を薄くす。
食道楽:春の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
鹿が少くても五六ぴき湿しめっぽいはなづらをずうっと延ばして、しずかに歩いているらしいのでした。
鹿踊りのはじまり (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
だんだんその落葉の量が増して行って、私のくつがその中に気味悪いくらい深く入るようになり、くさった葉の湿しめがその靴のなかまでみ込んで来そうに思えたので
美しい村 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
お櫃の裏底が少しも湿しめりもせず、また湯気も立ちもしないのに、茶碗に水滴がたまるのが不思議だといつて、お雪伯母は恰もそれを神の行ふ奇蹟であるかの如く思ひ
世の中へ (新字旧仮名) / 加能作次郎(著)
そして湿しめやかな、みしめた味をよろこぶ追懐的情緒は、かなり急進論者のように見えるわたしを、また時代とは逆行させもするが、過激な生活は動的の美を欲求させ
明治美人伝 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
米糠や麦糠を湿しめして蒸す。米麦の砕けがまじっているので、熱いうちに搗けば餅になるのである。
ボニン島物語 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
「お前、いい子だから、ちょっと跳び上って、己に林檎を一つ取ってくれ。のど湿しめすんだから。」
部屋をやわらかく湿しめして、私の机も、火鉢も、インク瓶も、灰皿も、ひっそり休んでいて、私はそれらを、意地わるく冷淡に眺め渡して、へんに味気なく、煙草でも吸おうか
春の盗賊 (新字新仮名) / 太宰治(著)
「………」さて、これからがいよいよおれの世界だと思うと、虎の小説に得た湿しめッぽい気分などはどこへやら行ってしまって、自分の芸の評判を虎以上にしてもらいたかった。
猫八 (新字新仮名) / 岩野泡鳴(著)
赤城の方から雷鳴かみなりがゴロ/\雷光いなびかりがピカ/\その降る中へ手拭でスットコかむりをした奧木茂之助は、裏と表の目釘を湿しめして、のぼせ上って人を殺そうと思うので眼もくらんでる。
霧陰伊香保湯煙 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
湿しめった厚いローブ lobe ——この言葉は特に肝臓や肺や脂肪の葉にあてはまるものである
虫の入った木のように、ポトポトと音のする湿しめっぽいにおいのするものは悪いかつおぶし。
だしの取り方 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
一生涯が間身を放たで持ちたりける、五人ばりにせきづる懸けて湿しめし、三年竹の節近ふしぢかなるを、十五束二伏ふたつぶせこしらへて、やじり中子なかご筈本はずもとまで打ち通しにしたる矢、たゞ三筋を手挟たばさみて