)” の例文
予のいわゆるける人間とは、死せる人間に対する言辞ことばにあらずして、死せる智識や活用されざる学問を有する者に対して言うのみ。
教育の最大目的 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
私も鷄二も城崎の宿の二階に上つて、女中がすゝめてくれるさつぱりとした浴衣に着更へた時は、き返つたやうな心地を味はつた。
山陰土産 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
老婆は後庭こうていに植ゑたる百合数株、惜気もなく堀りとりて我が朝餉あさげの膳に供し、その花をば古びたる花瓶にけて、我が前に置据ゑぬ。
三日幻境 (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
私は、何よりもそのきとした景気の好い態度ようす蹴落けおとされるような心持ちになりながら、おずおずしながら、火鉢ひばちわきに座って
うつり香 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
まだ二三日は命がつながれようというもの、それそれ生理せいり心得草こころえぐさに、水さえあらば食物しょくもつなくとも人はく一週間以上くべしとあった。
しかこれきたはなしとか、交際かうさいとかとふものとはまたべつで、あま適切てきせつれいではりませんが、たとへば書物しよもつはノタで、談話だんわ唱歌しやうかでせう。
六号室 (旧字旧仮名) / アントン・チェーホフ(著)
田山白雲も、ここでは、水がきて五情をほしいままにする、という気焔を吐き兼ねて、駒井のいうところに傾聴するのみであった。
大菩薩峠:25 みちりやの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
……何も私ばかりが澄ましてきているのじゃない、今ここに、君とこうやっている時を、行方知れず、と思っているものもあろう。
沼夫人 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
現在もこの語のきて行われているのは沖縄県の島々で、ここでは妻覓つまもとめをトゥジムトゥミ、またはトゥジカミユンという語もある。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
これはつまり土地とち御守護ごしゅごあたらるる神様かみさまでございまして、その御本体ごほんたい最初はじめからどおしの自然霊しぜんれい……つまり竜神様りゅうじんさまでございます。
幸か不幸か今に至ってその意義を深くかえりみるべきよき機会が到来したと思えます。日本は手仕事の日本を更にかさねばなりません。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
それ等の庭の花や、又到来の花なぞ、すべて自分でけられた。別に何流を習われたと云う事もきかなかったが、自然の風格があった。
解説 趣味を通じての先生 (新字新仮名) / 額田六福(著)
いつでもうわそらで素通りをする事になっているから、自分がその賑やかな町の中にきていると云う自覚は近来とんと起った事がない。
(新字新仮名) / 夏目漱石(著)
しかし、幸運に会しても、よくその幸運を生涯にかしえない者はいくらもある。その点、彼は以後、水をえた魚のようなものだった。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「海石」はその眺望と、海のき魚料理が売りもので、開業してから二年足らずだが、かなり繁昌しているし、ひいき客も付いていた。
五瓣の椿 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
世の中にきながら世の中との縁が切れてしまうのだ。木村との婚約で世の中は葉子に対して最後の和睦わぼくを示そうとしているのだ。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
又人きながらにして鬼にするもあり。五八楚王そわうの宮人はをろちとなり、五九王含わうがんが母は六〇夜叉やしやとなり、六一呉生ごせいが妻はとなる。
だから、希臘人といふ希臘人はみんなあかまみれで、そばへ寄つてみると、(考古学者だつて、たまにはきた人間の側に寄らないとも限らない)
でも私は思う十分一もできませんで、今でも思い出すたびにもう一度かして思う存分喜ばして見たいと思わぬ時はありませんよ。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
卓上にらんの花をけた花瓶かびんが置いてあり、「お帰りになったらお知らせ下さい、御一緒にお茶を戴くつもりでお待ちしております」
細雪:03 下巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
室内は流石さすがに詩人の神経質な用意がゆき渡つて、筆一つでもゆがんで置かれない程整然として居た。小さな卓に菊の花がけてあつた。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
「出かけに急いだもんですから、ほんの少しばかり切らせて来ました。たくさんおけになるなら、いくらでも取りにおよこしなさいよ」
安井夫人 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
現在の生活で自分をかさうとするのに、たゞ一つの大きな苦しみと困難はそれだ。そして、それは打ち克たないでは済まされないのだ。
惑ひ (新字旧仮名) / 伊藤野枝(著)
いつの間にか鯉魚という万有の片割れにも天地の全理が籠っているのに気が付いて、脱然だつぜん、昭青年の答え振りはきて来ました。
鯉魚 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
さま/″\の力そのかすたふとき物體(力のこれと結びあふこと生命いのちの汝等におけるが如し)と合して造る混合物まぜものいつならじ 一三九—一四一
神曲:03 天堂 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
それにどんな花がけてあったとかいったようなことから、夫人がその時着ていた着物の色のことまで、記憶をたどって話した。
次郎物語:04 第四部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
帰り路に、若尾、輿石両君から、故大町桂月おおまちけいげつ氏の、南アルプス登山旅行に同行した話を聞く。桂月氏の風采が、けるが如く浮んで来る。
不尽の高根 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
が、その時賑かな笑い声が、静な谷間にこだましながら、きと彼の耳にはいった。彼は我知らず足を止めて、声のする方を振り返った。
素戔嗚尊 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
イエスの敵は神とのける交わりを欠いたがゆえに、彼らの神観は形式的であり、概念的でありで、化石したる公式主義的把握となった。
認識をより高き立場の「行」においてかせ、行の権利によって認識するがゆえである。「悉有仏性と道取する力量ある」がゆえである。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
「さうだが、なんぞぢや、それまでにやつちまあから一でもさういにけていたことあねえな」と一人ひとりがいへば
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
しかも、それと同時に私の頭の痛みが、何となく神秘的な脈動をこめて、あらたきとうずき出したように思えてならなかった。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
これはきたる観世音菩薩かんぜおんぼさつに仕えるのである、供養くようするのであるという観念をもって心服しんぷくして居りますから、兵隊は沢山らない訳です。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
かく基督キリスト教を以て徳育の基礎とせられたのであるが、その教育の理想とせられたところはいわゆる「人はパンのみにてくるものにあらず」
賀茂川の河原に小屋住居して、賤職をも厭わずきねばならぬという河原者が、多くこの嫌われる屠者、すなわちエタになるのであります。
私達は鼠捕りに入っている鼬鼠を、庭の隅にけてある水瓶の中に沈めて殺した。蝦蟇は鼬鼠や青大将に比べれば、可愛いところがあった。
生い立ちの記 (新字新仮名) / 小山清(著)
岩牀いわどこの上に、再白々と横って見えるのは、身じろきもせぬからだである。唯その真裸な骨の上に、鋭い感覚ばかりがきているのであった。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
合手して身を虎の前に投じ母虎これを食うて母子ともにくるを得た、王夫人の使飲食おんじきを齎し翌日来ってこの事を聞き走り帰って王に報じ
我々の教育は、民衆からそのセンチメンタリズムを殺すのでなく、逆にそれを高くかして、より程度の高い山頂に導くのだ。
詩の原理 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
上には、秋草の花をけた小花瓶を右左に置き、正面には橢円形だえんけいの小さな鏡を立て、其前に火を入れた青磁せいじの香炉、紫の香包をそばに置いた。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
かばんを置いたる床間とこのまに、山百合やまゆりの花のいと大きなるをただ一輪棒挿ぼうざしけたるが、茎形くきなりくねり傾きて、あたかも此方こなたに向へるなり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
いっさいを棄てて、おやじといっしょに林檎りんごの世話でもして、とにかく永くきる工夫をしたい。僕も死にたくないからね。
父の出郷 (新字新仮名) / 葛西善蔵(著)
などと宮のこともかせも殺しもしながら訓戒めいたことを言っている源氏は、いつもそうであるが、若々しく美しかった。
源氏物語:25 蛍 (新字新仮名) / 紫式部(著)
以上はいわば精神論だけであって、それをかす技術を研究しないでは、この頃流行の或る種の議論見たようなものである。
南画を描く話 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
とある横町の貧しげな家ばかり並んでいる中にはさまって九尺間口の二階屋、その二階が「ける西国立志編」君の巣である。
非凡なる凡人 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
今晩は特に若い方に十二三名参加して頂き、その方々からきの良いお話を承わって、大いに我々老人共のホルモン剤にいたし度いと存じます。
おれが生きてるためには、おれが自分をかさなきゃならないんだ。おれは、おれの腕で食おう! と僕は決心したんだ。
海に生くる人々 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
我れ知る我をあがなう者はく、後の日にれ必ず地の上に立たん、我この皮この身の朽果くちはてん後われ肉を離れて神を見ん、我れみずから彼を見奉らん
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
あの人をして今十年もかして置いたならどんなに名歌を沢山残したかも知れ不申候。とにかくに第一流の歌人とぞんじ候。
歌よみに与ふる書 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
即ちきた仏教に接し、陽明学に接し、基督キリスト教に接し、自然主義に接し、その他幾多の新思想に接した。これはまた賀すべき現象ではあるまいか。