)” の例文
そこで、まえにちょうづめがやったように、なべのなかにはいって、おかゆのなかをころがりまわって、あじをつけようと思ったのです。
「うそでしょう。……おやおや、みょうとうがある。それからまんじゅうみたいなものが、あちこちにありますね。あれは何ですか」
三十年後の東京 (新字新仮名) / 海野十三(著)
薄暗い中に、紋附きの羽織を着た、斬髪の伸びた村上先生がいた。御新ごしんさんは庭で——空地で、粗末なべっついで御飯をいている。
そのを破りて芽ぐみ長じ花さき実るにいたるはただ時日の問題にして、その時日も勢いはなはだ長からざるべきを悟りしなりき。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
そのまんじゅうの上にのせてある一ツの石こそ、前の年、この禅定寺峠で、犠牲的な死をとげた唐草銀五郎の空骸むくろけた跡の目じるし。
鳴門秘帖:06 鳴門の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おのおの方、その番付の文字をよく御覧なさるがよい、その海老えびという字はという字だ、エビ蔵ではない。エド蔵だ。
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
たまにはくるが、もう以前いぜんのやうにやま邸町やしきまちべい、くろべい、幾曲いくまがりを一聲ひとこゑにめぐつて、とほつて、山王樣さんわうさまもりひゞくやうなのはかれない。
木菟俗見 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
予が眼に入れる小説絵画、共に未だ談ずるに足らず。然れども支那の現状を見れば、このに芸術の興隆を期する、期するのむしろ誤れるに似たり。
上海游記 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
生をこのに得しにより、この土のほかに国なしと思いし狭隘なる思想は、今は全く消失せて、小さきながらも世界の市民、宇宙の人と成るを得しは
基督信徒のなぐさめ (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
かん支那しな建築けんちく木材もくざいせんいしとの混用こんようであるが、これもにおける木材もくざい比較的ひかくてき貧少ひんせうであるのと、石材せきざいおよせんてきする材料ざいれう豊富ほうふであるがためである。
日本建築の発達と地震 (旧字旧仮名) / 伊東忠太(著)
世中よのなかそむかせたまふ御便宜おんたよりとして、いよ/\法海の深みへ渓河たにがはの浅きに騒ぐ御心を注がせたまひ、彼岸の遠きへ此の汀去りかぬる御迷を船出せさせ玉ひて
二日物語 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
衣がすっかりれると、なべのまま、熱灰あつばいの上にのせた。それでどらきが焼け、げりんごが揚がるまでには、晩食ばんしょくのときまで待たなければならなかった。
寝られぬままに夢然かたりていふ。そもそも大師の四〇神化じんくわさう木も四一れいひらきて、四二八百やほとせあまりの今にいたりて、四三いよよあらたに、いよよたふとし。
『いいえ、あたしは、自分のことを話すのなんか、いやですわ』と、なべが言いました。
流れる椰子やしの実のやうに、何処へでも遠く漂流して行く、昔の日本人の情熱を、ゆき子はひどく勇気のあるものに思ひ、まんぢゆうの墓碑ぼひにも、はな子之墓なぞとあるのに
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
それゆえこの四つに帰る道があるので、に帰るのはそれからすいとして鳥に食わすのがすなわちふうに帰るのであるという説明なんです。大抵まあ僧侶は皆鳥に食わせる。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
五行とはもくきんすいの五種にて、その名目は『書経』の中に出てあるけれど、これを一般に吉凶禍福の判断に用うるようになりたるは、秦漢の時代より後ならんと思う。
迷信解 (新字新仮名) / 井上円了(著)
もし人生を汚濁穢染をぢよくゑせんとせば、処女の純潔は燈明の暗牢に向ふが如しと言はむ、もし世路を荊棘けいきよくの埋むところとせば、処女の純潔は無害無痍むいにして荊中に点ずる百合花とや言はむ
窯はわずか一個よりないが、年に五、六回は焼くというから、相当地方的需要があることが分る。長型丸型の水甕、片口、飯鉢めしばち、平鉢、だらい、切立きったて等いう名は地方窯に相応ふさわしい。
現在の日本民窯 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
ひくくて、丸顔まるがおでした。しろ仕事服しごとふくて、おきゃくあたまっていましたが、それがわったとみえて、二人ふたりあそんでいるへやへしおせんべいのぼんと、おちゃのはいったびんとってきて
すいれんは咲いたが (新字新仮名) / 小川未明(著)
しづけくも畏きすがた、畏くも安けきこの、この殿の青きいらかの、あやにすがしも。
(新字旧仮名) / 北原白秋(著)
で、古藤の黙ってしまったのをいい事に、倉地と古藤とを引き合わせる事もせずに自分も黙ったまま静かに鉄びんの湯をびんに移して、茶を二人ふたりに勧めて自分も悠々ゆうゆうと飲んだりしていた。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
かのは、やがてぞ我が手に瓦解しゆかん。
にちは、どうもやむを得ないので」
肌色の月 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
サタデー 曜日
改暦弁 (旧字旧仮名) / 福沢諭吉(著)
竹童ちくどう蚕婆かいこばばあ問答もんどうをよそにべっついの火にむかって煙草たばこをくゆらしていた脚絆きゃはんわらじの男が、ふいに戸外おもてへ飛びだしてきた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「そりゃ、この世へ戻って来ることもある、魂魄こんぱくこのにとどまって、恨みを晴らさないでおくべきか……」
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
たれ奸賊かんぞくの富国策を聴かんや、余の教育上の主義ならびに経験は何かある、誰か子弟を不忠の臣に委ぬるものあらんや、余はこのありてこの土のものにあらず
基督信徒のなぐさめ (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
魂魄こんぱくこのとどまって、浄閑寺にお参詣まいりをするわしへの礼心、無縁の信女達の総代に麹町の宝物を稲荷町までお遣わしで、わしに一杯振舞うてくれる気、と、早や、手前勝手。
註文帳 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
あら情無や勿体なしや、さては院の御霊みたまの猶此をば捨てさせ玉はで、妄執の闇に漂泊さすらひあくがれ、こゝにあらはれ玉ひし歟、あら悲しや、と地に伏して西行涙をとゞめあへず。
二日物語 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
ちょうづめはなべのそばにいて、食べもののえぐあいを見ていればいいのです。
しづけくもかしこすがたかしこくもやすけき此の、この殿の青きいらかのあやにすがしも。
海阪 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
おっかあは大きななべにパンをあけていた。
わしたちは、そうした宿縁宿命の下に、このに生れ合せた者どもであったとみえる。……では行こう。尊氏の陣中まで。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
持って来た番付を押開いて、高く掲げて看客かんきゃくに警告したのは大いにき目があって、すべての看客がおのおの携帯の番付を照らし合わせて見ると、なるほど、の違いがある。
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
このの善美は今日まで余の眼をくらませり、如何いかにしてその富源を開かんか、如何なる国民教育の方針を取らんか、如何なる政略を以て海外に当らんか、その世界に負う義務と天職とは如何いかん
基督信徒のなぐさめ (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
これや後々になって思えば、すべて天地の不可思議というしかなく、百八の宿業星が、自然このに生れて相会す奇縁えにしというしかないものだった。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
甚内が鳥越橋でお処刑しおきになる最後の時の言葉に、おこりさえ患わなければ、召捕られるようなことはなかったのだ、我れ死すとも魂魄こんぱくをこのに留め、永く瘧に悩む人を助けんと言いながら
大菩薩峠:19 小名路の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
……きのう兵庫の浦で、兄宮(尊良たかなが)にお別れした時も、身はズタズタな思いでしたのに、明日は父ぎみとも、このでお別れせねばなりませぬか。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
なるほど、今日は朝から陰気臭い日和ひよりであった、関の小万こまん魂魄こんぱくが、いまだにこのにとどまって気圧を左右するのか知らん、「与作思えば照る日も曇る」の歌が、いんに響けば雨が降る。
大菩薩峠:02 鈴鹿山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「洩れ伺って、われわれ末輩まで、驚倒いたしました。伝統ある都府は、一朝一夕にはできません。いわんや漢室十二代の光輝あるこのを捨てて」
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
米友様、よくあののぼりの文字をごらん、市川海老蔵えびぞう——と誰が眼にも、ちょっとはそう読めるだろう。ちょっと見れば市川海老蔵だが、よくよく見ると、海老のという字がになっていらあ。
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
誓いの式がすむと、みな異口同音に、ねがいをともにし、生々世々、生き代り死にかわり、このの友となって、この再会を、よろこびあわんと言い合った。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「——松の一むら茂れるほとりに、杭まはしたり、これなん、御墓にや……」とある程度のまんじゅうがあったのを、後に御陵とされ、今では陵墓管守二、三名も詰めていて
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かきの木から飛びおりた竹童ちくどうは、はじめてそこに人あるのを知って、軒先のきさきに近より、家の中をのぞいてみると、おくには雑多ざった蚕道具かいこどうぐがちらかっており、土間どまのすみのべっついのまえには
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この地煞星ちさつせい(まがつぼし)はもとより庶民のりて住み、悪行いたらざるなき悪戯星いたずらぼしの性は持つが、しかし、いささかの道義は知り、相憐れむの仁を抱き、弱きはこれをしいたげず、時に
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
で宮方の者は、こんどの改元を無視して、いぜん元の“元弘二年”を通して行ったので、ここに、一の民に二つの年号があるという畸形な世紀をこの国に以後六十年も見る端緒たんしょとはなったのだった。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
姉妹弟兄、みなに列す