頸筋くびすじ)” の例文
と船長がしゃがれた声でプッスリと云った。同時にまゆの間とほっペタの頸筋くびすじ近くに、新しい皴が二三本ギューと寄った。冷笑しているのだ。
難船小僧 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
ガラッ八は頸筋くびすじを掻いたり、顔中をブルンブルンとで廻したり、仕方たくさんに探索の容易ならぬことを呑込ませようとするのです。
「どうして?」「わしのはこうじゃ」と語り出そうとする時、蚊遣火かやりびが消えて、暗きにひそめるがつと出でて頸筋くびすじにあたりをちくと刺す。
一夜 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「帰るとこ、よう忘れんかったこっちゃな」そう言って蝶子は頸筋くびすじを掴んで突き倒し、肩をたたく時の要領で、頭をこつこつたたいた。
夫婦善哉 (新字新仮名) / 織田作之助(著)
それがちょうど二人の座席から二列前の椅子いすで、ちょうどこっちからその頸筋くびすじと、耳と片頬かたほおあごはすかいに見えるような位置にあった。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
そういうふうであるから、ちょっと紙切れのようなものが頸筋くびすじにはいっても、虫がはいったと感じたら、じっとしていられない。
触覚について (新字新仮名) / 宮城道雄(著)
現に、ステイフェンの『証拠蒐集綱領ゼ・ダイジェスト・オヴ・クリミナル・エヴィデンス』を見ても、たいていの場合頸筋くびすじの結節は、紐が長くて、縊死者が廻転した場合に起るものなんだ。
人魚謎お岩殺し (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
虎は月光に頸筋くびすじの毛をふるわせて、人もなげに哄笑こうしょうした。母屋おもやの家人に聞こえはしないかと、神谷の方がかえってヒヤヒヤするほどであった。
人間豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
そして泳ぐような手つきでしげりあった秋草をかきわけ、しろじろとみえる頸筋くびすじや手くびのあたりにいなごみたいに飛びつく夜露
小品四つ (新字新仮名) / 中勘助(著)
頸筋くびすじ、背、太腿ふとももあらわに、真っ白なからだに二人とも水着を着けて、その水着がズップリれてからだ中キラキラに輝いて
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
その頸筋くびすじから肩にかけてのまぐろの背のように盛り上った肉を、腹のほうから押し上げて、ぽてりと二つ、憎いまで張り切った乳房のふてぶてしさ。
歌麿懺悔:江戸名人伝 (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
もしこの森にいるとかうわさのある狂犬であっておれの後ろからいきなり頸筋くびすじへ食らいつくなら着いてもいいではないか。
郊外 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
この病院の医長の療法にしたがって頸筋くびすじ発泡膏はっぽうこう塗布とふするためであったが、部屋の様子を一目みると、彼は恐怖と忿怒ふんぬに取っかれてしまった。
顔はほとんど全面紫色に腫れあがり、その腫れは、頸筋くびすじにまで及んでいた。頭髪はもう大分うすくなり、眉毛も遠くからは見えがたいほどである。
(新字新仮名) / 島木健作(著)
玉のかいなは温く我頸筋くびすじにからまりて、雲のびんの毛におやかにほほなでるをハット驚き、せわしく見れば、ありし昔に其儘そのままの。
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
頸筋くびすじの皺がみんな集まって、ただ一つの円座えんざをつくり、皮でできた太いの上に、頭がはすかいにっているのだ。
にんじん (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
よし、よし、と赤児でもあやす気持ちで頸筋くびすじでてやると、驢馬は鼻をびくつかせながら口をもってきた。水っぱなが顔に散った。許生員は馬煩悩ぼんのうだった。
蕎麦の花の頃 (新字新仮名) / 李孝石(著)
妖怪はそのときすでに鯉を平げてしまい、なお貪婪どんらんそうな眼つきを悟浄のうなだれた頸筋くびすじそそいでおったが、急に、その眼が光り、咽喉のどがゴクリと鳴った。
悟浄出世 (新字新仮名) / 中島敦(著)
いま深くうなだれている頸筋くびすじから、肩へかけてのなだらかな柔らかい肉付は、かつて見たことのないほど女らしく感じられた。銕太郎は妻を見、つるを見た。
(新字新仮名) / 山本周五郎(著)
気がついてみると、じっとりと頸筋くびすじのまわりに汗を掻いて、自分ながら顔色の蒼醒あおざめているのがよく分った。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
「承知しましたッ」運転手は巧みに把手ハンドルあやつった。彼の頸筋くびすじには、脂汗あぶらあせが浮んでやがてタラタラ流れ出した。
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
いよいよの時になって、私は奴を一あし先へあるかせ、うしろから右の頸筋くびすじを、短刀でぐさと突きました。
按摩 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
へらへらした生地の、安物の着物の衣紋えもんを思い切り抜いて、その頸筋くびすじから肩にかけて白粉を真白に塗りたくっていたが、その顔は齢をごまかす厚化粧ではなかった。
いやな感じ (新字新仮名) / 高見順(著)
市郎が驚いて叫ぶ間もありや無しや、お杉の兇器は頸筋くびすじへ閃いて来た。が、咄嗟とっさあいだに少しくたいかわしたので、鋭い切尖きっさきわずかの肩先をかすったのみであった。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
おちゃらが頸筋くびすじを長く延べて据わった姿や、腰から下の長襦袢を見せて立った形がちらちら浮んだり消えたりして、とうとう便所の前での出来事が思い出されたとき
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
お涌はそういう気持ちで喚く時、脊筋を通る徹底した甘酸い気持ちに襲われ頸筋くびすじを小慄いさせた。
蝙蝠 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
「ぽたりと落ちて、毛虫が頸筋くびすじへ入ったとすると、叔母さん、どっちが厭な心持だと思います。」
悪獣篇 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
肩が凝りきった時のように、頸筋くびすじから背中がこわばって、血のめぐりが鈍く重く五体の奥の方だけを動くようで、それが胸のところを下の方から気味悪るく衝き上げた。
星座 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
と、人が来て柳の頸筋くびすじをつかんでき立てようとした。柳はひどく酔っているので持ちあがらなかった。そこで手を放すとそのまままたぐったりとなって眠ってしまった。
織成 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
もう骨のない頸筋くびすじの持主みたいに「ついつい、つまらぬごとを口にしますので、村人からも、あれは半気狂いじゃ、ほら吹きよと、とかく嫌われておりまする私なので」
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
肩と頸筋くびすじとはかえってその時分より弱々しく、しなやかに見えながら、開けた浴衣の胸から坐ったもものあたりの肉づきはあくまで豊艶ゆたかになって、全身の姿の何処ということなく
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)
ひやりと頸筋くびすじに触れたものがある、また来たかとゾーッとしながら、夢中に手で払ってみると、はたせるかな、その蝶だ、もう私もねたので、三ちょうばかり、むこずにけ出して
白い蝶 (新字新仮名) / 岡田三郎助(著)
電車の窓越しに人の頸筋くびすじでる小春の日光のようにうららかであったのである。
変った話 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
彼はまた、女の細っそりした繊弱かよわそうな頸筋くびすじや、美しい灰色の眼を思い浮かべた。
そして肩には、幅の広い白い絹網の縁飾がついている。それが深くってあるので、軟らかい、しなやかな頸筋くびすじがあらわれている。帽子は結んだままのひもで、片方の腕にかかっている。
透間風すきまかぜが、おかっぱのまんなかにあけた、ちいさな中剃なかずりや、じじっ毛のある頸筋くびすじに冷たくあたったので振りかえると、つくなんでいた男が、手のついた青いかごの上へ、手拭てぬぐい袋包をのせ
冬など蒼白いほど白い顔の色が一層さびしく沈んで、いつも銀杏いちょうがえしに結った房々とした鬢の毛が細おもての両頬りょうほおをおおうて、長く取ったたぼつるのような頸筋くびすじから半襟はんえりおおいかぶさっていた。
黒髪 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
頸筋くびすじの上につかねてる房々ふさふさとした金髪、日焼けのした顔色をもっていた。
久兵衛は頸筋くびすじを掻いております。奥の方からはチラリと人影、たぶん女房のお夏が、二人の話に気をもんで立聴きしているのでしょう。
しかるに近来吾輩の毛中もうちゅうにのみと号する一種の寄生虫が繁殖したので滅多めったに寄り添うと、必ず頸筋くびすじを持って向うへほうり出される。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
そして、頸筋くびすじ靱帯じんたいを鞭繩のようにくねらせながら、まるで彫像のよう、あらぬ方をみつめているのだった。それが、実に長い沈黙だった。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
僕は、象牙ぞうげのように真白な夫人の頸筋くびすじに、可憐かれん生毛うぶげふるえているのを、何とはなしに見守りながら、この厄介者やっかいものから、どうして巧くのがれたものかと思案しあんした。
人造人間殺害事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
ひるに近い日光が乾いた道をぎらぎら照りつけていた。少しの風もないので、笠を冠っていながら頸筋くびすじまで流れるような汗だ。仕方がないから脱いで汗を拭き拭きする。
新潮記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
お涌はさういふ気持ちで喚く時、脊筋せすじを通る徹底した甘酸あまずっぱい気持ちに襲はれ頸筋くびすじ小慄こぶるひさせた。
蝙蝠 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
ぬか袋を使うのかとかれた。水を浴びてすくっと立っている眼の覚めるような鮮かな肢態に固唾かたずを呑むような嫉妬しっとを感じていた長屋の女が、ある時、お君の頸筋くびすじを見て
(新字新仮名) / 織田作之助(著)
ついに肩のあたり頸筋くびすじのあたり、梅も桜もこの君の肉付にくづきの美しきをおおいて誇るべき程の美しさあるべきやとおとし切り落し、むっちりとして愛らしき乳首、これを隠す菊の花
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
武運つたなく戦場にたおれた顛末てんまつから、死後、虚空こくうの大霊に頸筋くびすじつかまれ無限の闇黒あんこく彼方かなたへ投げやられる次第をかなしげに語るのは、あきらかに弟デックその人と、だれもが合点がてんした。
狐憑 (新字新仮名) / 中島敦(著)
そして幾たびも手拭てぬぐいをしぼってわたす。それをうけとって丁寧ていねいに顔や頸筋くびすじ、耳のなかなどに残った夜の粘りをとったのち最後に両手を、指を一本ずつ克明にふいて手拭をかえす。
胆石 (新字新仮名) / 中勘助(著)
他人のもつれ毛も気になるか、一つ座敷の年下など、小蔭で撫着けてやる外には、客はもとより、身体からだに手なんぞ、触った事の無い清葉が、この時は、しかと頸筋くびすじでも抱きたそうに
日本橋 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
背中一面、点々とむしり取ったようになって、頸筋くびすじの一とえぐりが致命傷らしく見えた。決してみつかれたのではない。何かしらするどいつめのようなものでひっかれた傷痕きずあとだ。
人間豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)