みことのり)” の例文
天平てんぴょう十五年聖武しょうむ天皇親しく鋳造のみことのりを発し、天平勝宝四年開眼供養かいげんくようの盛儀が行われてより、現在にいたるまでおよそ千二百年になるが
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
「諸国の毎家まいか、仏舎を作り、仏像及び経を置き、以て礼拝供養らいはいくようせよ」というみことのりは、仏壇を一家に欠き難いものとする伝統の始まりである。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
女帝は法均と清麻呂姉弟を妄語もうごの罪によって神流かみながしにされた。正史はそのみことのりを記載しているが、実に痛烈無類、骨をさすようだ。
安吾史譚:02 道鏡童子 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
庸兵をはなって之を追い、殺傷甚だ多し。このえきや、燕王数々しばしばあやうし、諸将帝のみことのりを奉ずるを以て、じんを加えず。燕王も亦これを知る。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
「ほかならぬ将軍のこと。さもあらんと思っていたが、果たせるかな、密々みつみつみことのりまで賜わっておられたか。——ああ、時節到来」
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
切に願ふ、朝廷此情実をりやうとし給ひ、みことのりを下して朝野の直言を求め、奸佞かんねいを駆逐し、忠正を登庸し、邪説を破り、大体をあきらかにし給はむことを。
津下四郎左衛門 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
見よ見よ、やがてあめしたに大らんを生ぜしめん、といふ。西行此のみことのりに涙をとどめて、こは浅ましき四六御こころばへをうけたまはるものかな。
みことのりして大鉄籠に絹の蒲団を施して載せ行列に参ぜしめ見る者皆落涙す。のち先帝を慕うの余り死んだので、詔して敝蓋へいがいを以てその陵側に葬ったとあり。
陽城公がみことのりに答えていうのは……臣、六典ノ書ヲあんズルニ、任土ハヲ貢シテヲ貢セズ、道州ノ水土生ズル所ノ者
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
文久二年、ローマのペトロ大聖堂で、公式の日本二十六聖人の祝祭が行なわれ、毎年二月五日、世界の教会がこの祭りをするようにとの教皇のみことのりが出た。
この子を残して (新字新仮名) / 永井隆(著)
すでに日本紀収むるところの孝徳天皇大化改新の条のみことのりに、明らかにこの文字が見えているのである。
国号の由来 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
そして琴の音色を聞くたびにその調子に従って舞い踊ったので、ますます不思議な虫とせられた。天子は大いに悦ばれて、みことのりをくだして撫軍に名馬と衣緞いどんを賜わった。
促織 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
時にみことのりあって酒をたま肆宴とよのあかりをなした。また、「汝諸王卿等いささか此の雪をしておのおのその歌を奏せよ」という詔があったので、それにこたえ奉った、左大臣橘諸兄の歌である。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
二、あつく仏法を敬へ。三、みことのりは謹しんでけよ。四、群臣は礼を重んぜよ。五、私慾を棄て、訴訟を裁け。六、悪をたゞし、善を勧めよ。七、官職は人を得なければならぬ。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
『日本紀』景行天皇四十年のみことのりに、「東夷ひがしのひな中蝦夷うちえみしもっとこわし。男女まじ父子かぞこわかち無し云々」
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
当日は、ちょうど新帝が御元服で、大赦のみことのりも下るという日を迎えていたので、新政府の使臣、およびその随行員として来た人たちは、いずれも改まった顔つきをしていた。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
曾はくたびれたのでねだいの間に寝た。二人の使者が天子の手ずから書いたみことのりを持ってきたが、それには曾太師を召して国計を決すとしてあった。曾は得意になって大急ぎで入朝した。
続黄梁 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
○法性坊尊意そんい叡山えいざんに在し時 菅神の幽灵いうれい来り我冤謫むしつのながされ夙懟ふるきうらみむくはんとす、願くは師の道力をもつてこばむことなかれ。尊意曰、卒土そつとは皆王民なり、我もし みかどみことのりをうけ玉はらばさくるに所なし。
則ち攘夷は一国の大事なり、天皇は一国の最上位におわしますなり、その一国の最上位におわす天皇のみことのりにおいて、一国の最重事たる攘夷を命じ、下田条約を拒絶すべしと命じ、幕府これを奉ぜず。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
犬烏あつまむ。天皇此のいざによぶ声を聞きて、心に悲傷いたみす。群卿にみことのりして曰く、それ生くるときにめぐみし所を以て亡者なきひとしたがはしむ。これ甚だいたきわざなり。それ古風といへども良からずば何ぞ従はむ。
本朝変態葬礼史 (新字新仮名) / 中山太郎(著)
そこでそれぞれにみことのりを下されて
またその後まもなく、天平元年四月百官にたまわれるみことのりには「有習異端、蓄積幻術厭魅えんみ咒咀じゅそ、害傷百物、首斬従流」
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
今年こんねんってから、幕府は講武所を設立することを令した。次いで京都から、寺院の梵鐘ぼんしょうを以て大砲小銃を鋳造すべしというみことのりが発せられた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
「相国から奏上して、天子のみことのりをうけ、勅使を盤河へつかわして、休戦をすすめ、両者を和睦わぼくさせるべきかと存じます」
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
四五海若わたつみみことのりあり。老僧かねて四六放生はうじやう功徳くどく多し。今、江に入りて魚の遊躍あそびをねがふ。かり金鯉きんりふくを授けて四七水府すゐふのたのしみをせさせ給ふ。
大理少卿たいりしょうけい嵓をりて、燕王及び諸将士の罪をゆるして、本国に帰らしむることをみことのりし、燕軍を散ぜしめて、而して大軍をもっそのあとかしめんとす。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
しかし政治はかくのごときものであってはならない。明治大帝のみことのりにいう、「官武一途庶民に至るまで、各々そのこころざしを遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す」
蝸牛の角 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
間もなく張士誠は、江浙左丞相達織帖睦邇のもとかんを通じて、降服したいといってきたので、達丞相は参政周伯埼しゅうはくきなどを平江へやって、これを撫諭ぶゆさし、みことのりを以って士誠を大尉にした。
愛卿伝 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
○法性坊尊意そんい叡山えいざんに在し時 菅神の幽灵いうれい来り我冤謫むしつのながされ夙懟ふるきうらみむくはんとす、願くは師の道力をもつてこばむことなかれ。尊意曰、卒土そつとは皆王民なり、我もし みかどみことのりをうけ玉はらばさくるに所なし。
然るに熊本からの報によれば、二十日か二十一日をもって開戦となろうとの事であるので、勅使の議はとり止めとなり、十九日には、征討のみことのりを下され、熾仁親王を征討総督に任ぜられた。
田原坂合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
景行天皇のみことのりにも、山に邪神あり、郊に姦鬼あり、みちを遮り、径に塞がりて、多く人を苦しましむとも、またそれを具体的に述べて、東夷のうち蝦夷もっとも強く、党類をあつめて辺界を犯し
人身御供と人柱 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
聖武帝の天平十三年正月天下諸国にみことのりして七重塔一区ずつを造り、並びに『金光明最勝王経』と『妙法蓮華経』各十部を写させ、天皇また別に『金光明最勝王経』を写し毎塔各一部を置かしめ
このときのみことのり
道鏡 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
みことのりに接すると、曹操は固辞して、辞退の意を上書する。帝はまた、かさねて別の一詔をおくだしになる。そこで初めて
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
北宋太宗の太平興国七年に、尚薬奉御しやうやくほうぎよ王懐隠わうくわいいん等にみことのりして、太平聖恵方たいへいせいけいはう一百巻を撰ばしめた。其書は淳化三年に成つた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
なお孝孺を用いんと欲し、一日にを下すこと再三に及ぶ。しかついに従わず。帝即位のみことのりを草せんと欲す、衆臣皆孝孺を挙ぐ。すなわち召して獄よりでしむ。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
一に金鐘寺または羂索院とも呼ぶ。大仏鋳造のみことのりが発せらるる十年前の造営であるから、今日まで実に千二百十一年の星霜せいそうに堪えた東大寺最古の伽藍がらんなのだ。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
あと答へて、とびのごとくの一三〇化鳥けてうかけ来り、まへしてみことのりをまつ。院、かの化鳥にむかひ給ひ、何ぞはやく重盛がいのちりて、雅仁まさひと清盛きよもりをくるしめざる。化鳥こたへていふ。
戊辰奥羽諸藩の処断に於ても、みことのりして今日の乱は九百年来の弊習の結果であると、大いに藩主等の罪をじよし、今後親しく教化を国内に布き、徳威を海外に輝かさんことを欲する旨を、告げたまうた。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
「ちぇッ、くそおもしろくもねえ。また宋司令の天子さま礼讃らいさんが始まったよ。いったい、みことのりだの、お招きだのと、何を待とうッていう寝言なのか」
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これより先七月十四日のみことのりを以て廃藩置県の制がかれたので、弘前県が成立していたのである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
聖武天皇が大仏造顕を御発願あそばされ、そのみことのりを賜つたのは天平十五年十月十五日であつた。
君臣相念 (新字旧仮名) / 亀井勝一郎(著)
永観元年の改元のみことのり、同二年、封事ふうじたてまつらしめらるるの詔を草したのをはじめとして、二十篇ばかりの文、往生極楽記などを遺したに過ぎないで終ったが、当時の人の心界に対して投げた此人の影は
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
詔書の文は魏王曹操の大功をしょうし、嗣子しし曹丕そうひに対して、父の王位をぐことを命ぜられたもので——建安二十五年春二月みことのりすと明らかにむすんである。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
前年廃藩のみことのりが出て、承昭は東京におることになり、県政もまたすこぶあらたまったので、保はまた当路者にはかった。当路者はまた五百の東京にることを阻止しようとはしなかった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
「天子には、先頃からご不予ふよでしたが、ようやく、この頃ご病気もえました。ついては、みことのりと称し、にせの勅使を郿塢びうの城へつかわして、こういわせたらよいでしょう」
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
不肖、先帝よりみなしごを託すの遺命をうけ、後主のみことのりを奉じていまここに来り、はからずも祖業の跡を踏み、将軍の偉魂に会す。思うに天のめぐり会わせ給うところと信じる。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、にわかにみことのりして、御手みて彫弓ちょうきゅう金鈚箭きんひせんをたずさえ、逍遥馬しょうようばに召されて宮門を出られた。
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
やがて、みことのりを奉じてきた御使みつかいは、中院ノげんの中将具光ともみつで、こういう朝命のくだしであった。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「何か仰せのこみことのりがありましたら、どうぞおつつみなくお命じ下さい。孔明、不才ですが、余命のあらんかぎりは、きもにお言葉を銘じて、必ずお心残りはないように仕りましょう」
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)