おお)” の例文
粗末な箱型をしたものに、ほろとはほんの名ばかりの、継ぎはぎだらけのねずみいろの布をおおっただけのものである。馭者台ぎょしゃだいなんぞもない。
大和路・信濃路 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
ジサ女、年中何の月にも属せず、太陽天にとどまって動かぬと信ぜらるる日をえらび、身にあみおおったのみ故、裸とも著衣とも言えぬ。
そうして、奥深い一室の布被ぬのぶすまを引きあけると、そこには、白い羽毛の蒲団ふとんおおわれた卑弥呼が、卑狗の大兄の腕の中で眠っていた。
日輪 (新字新仮名) / 横光利一(著)
何のためらいなく、おおわれている物をズルズルと引っ張りだしてみると、その夕べ、弦之丞がおもてをくるんでいた紫紺色の頭巾のきれ……。
鳴門秘帖:04 船路の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ただその大部分だいぶぶんがその上につもった洪積こうせき赤砂利あかじゃり壚※ローム、それから沖積ちゅうせきすな粘土ねんどや何かにおおわれて見えないだけのはなしでした。
イギリス海岸 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
事件の表面をおおうている不可思議な悪夢から呼醒まされて、更に又、今一度、一層恐ろしい悪夢の中に突落されたような気がしたという。
S岬西洋婦人絞殺事件 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
此度このたび権現様小笠原与八郎を先手におおせ付けられそうろう。与八郎下心に挾む所ありといえども、辞退に及ばずして、姉川にて先手致し勝利を得申し候。
姉川合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
南は常夏とこなつの国とて、緑の色に濃くおおわれ、目も鮮かな花が咲き乱れ、岸辺には紫や青や黄色の魚がおよぐのを見られるでしょう。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
昭和五年の二月二十日、京都の宿で、紋服を着て紫ちりめんの定紋じょうもんのついた風呂敷で顔をおおって、二階のはりに首をっていた。
江木欣々女史 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
スミレ、タンポポ、ツクシ、アザミの類は地面いちめんをおおっているから、スミレのあのかわいい花を踏みつぶさないでは小径もあるけない。
山の春 (新字新仮名) / 高村光太郎(著)
地球ちきゅううえは、やわらかなかぜみどりおおわれています。うぐいすははやしいて、がけのうえには、らんのはなかおっていました。
谷にうたう女 (新字新仮名) / 小川未明(著)
覆面と変装とにおおわれていたとはいえ、あの姿形すがたは、どうしても春子さんに相違なかったのです。私はなぜもっと疑って見なかったのでしょう。
覆面の舞踏者 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
舞台には、このとき聖壇せいだんが設けられた。白い布でおおい、うしろには衝立ついたてがおかれ、それには奇怪なる刺繍絵ししゅうえがかけられた。
霊魂第十号の秘密 (新字新仮名) / 海野十三(著)
歴史を読みながら、ことに種々の記録や材料のうちに歴史を調べながら、マリユスの目からナポレオンを隠していたおおいはしだいに取れてきた。
十ほどあるその窓のあるものは明るくあるものは暗くざされている。漏斗型じょうごがたに電燈のおおいが部屋のなかの明暗を区切っているような窓もあった。
ある崖上の感情 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
食物は足附きの大きな台に幾つでも並べて、おおいなどはしないで、それを男が頭の上に乗せ、柄の長い提灯で足許あしもとを照しながら、さっさと歩きます。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
そうにするには棺も外部を石造か金属性でおおわなければならないかもしれないし、棺の中にも何か防腐用剤を詰めて置く必要が出来るかもしれないが
生前身後の事 (新字新仮名) / 中里介山(著)
食人肉人種の子孫 さてその死骸をおおうて行ったところの片布きれその他の物は御坊おんぼうが貰います。その御坊おんぼうは俗人であってその仕事を僧侶が手伝うのです。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
水車は川向かわむこうにあってその古めかしい処、木立こだちしげみに半ばおおわれている案排あんばい蔦葛つたかずらまとうている具合、少年心こどもごころにも面白い画題と心得ていたのである。
画の悲み (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
また代表的な縉紳を見出すことが至って困難であって見れば、一人の生活を叙して、それでもって縉紳階級の全部をおおわんとするの無理なることは明白だ。
ただその人の抱いている夢を妹に語ったのが、その妹の夢となり、夢は大きく波紋を描いてこの女子高校の全級にひろがりおおっていただけのことであった。
愉快な教室 (新字新仮名) / 佐藤春夫(著)
私は二、三歩動き出しながら、黒ずんだ葉におおわれているそのこずえを見て、来たるべき秋の花と香をおもい浮べた。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
夫人 何、鷹をそらした、その越度、その罪過、ああ人間というものは不思議なとがおおせるものだね。その鷹は貴方が勝手に鳥に合せたのではありますまい。
天守物語 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
雪の来たあとの道路は泥濘でいねいが連日かわかず、高い足駄あしだもどうかすると埋まって取られてしまうことなどもある。乗合馬車は屋根のおおいまではねを上げて通った。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
客は五十前後の顔のあか黒くあぶらやけにやけた、金縁の眼鏡めがねをかけた男で、ずんぐりした体をおおうた焦茶こげちゃのマントの下から地味な縦縞たてじまの大島のそろいをのぞかしていた。
文妖伝 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
云わば、地表がまったく少しの隙間もなく穀物と野菜と果樹とでおおわれていると云っても良いのである。
田舎医師の子 (新字新仮名) / 相馬泰三(著)
言うまでも無くが光を以て天下をおおおう、天下をして吾が光を仰がせよう、といきり立って居るのだ。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
でももし彼がだまっていたなら、おそらくすべての事をおおってしまうことが出来たに相違なかった。
正造の声は、攻撃というより警醒のひびきで議場をおおい、咳の声がもれるばかりであった。
渡良瀬川 (新字新仮名) / 大鹿卓(著)
柱にかけるばんなども特別にお選びになった支那錦しなにしきで作られてあった。紫夫人の手もとで調製された花机かきおおいは鹿染めを用いたものであるが、色も図柄も雅味に富んでいた。
源氏物語:38 鈴虫 (新字新仮名) / 紫式部(著)
門者かどもりに秘書官相沢がへやの番号を問いて、久しく踏み慣れぬ大理石のきざはしを登り、中央の柱に「プリュッシュ」をおおえる「ゾファ」をえつけ、正面には鏡を立てたる前房に入りぬ。
舞姫 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
その場所は小さな白い斑点だけにおおわれていて、その斑点が何であるのか判断を下すことはできなかった。そこで、一本の脚でその場所にさわろうとしたが、すぐに脚を引っこめた。
変身 (新字新仮名) / フランツ・カフカ(著)
まるで引ッいたように毛がえているという心持だけを肉の上へ持って行って現わすのであるが、西洋の絵は、毛は毛で、皮膚の上へムックリとしておおいかぶさり、長い処、短い処
かれは白衣はくいをつけた美女で、たもとをもって口をおおいながら泣き叫んでいるのである。
その奥底を彼女は見まいとして、取り除くことを許さないおおいを上に投げかけた。
私は前にも申あげる通りに、自分が何時でも負けてはその度びに一皮づゝ自分の上にかぶせて行きました。此度こそはこのおおひを一思ひにと思ひますがその度びに反対にかぶつて行きました。
遺書の一部より (新字旧仮名) / 伊藤野枝(著)
もとは兵営だったその建物も今は占領軍の宿舎になっているとかで、ぬり替えられた白い壁にくっきりと窓々のブルーのおおいが、晴れた夏空に、いかにも暑さを静めるかのように並んでいる。
妻の座 (新字新仮名) / 壺井栄(著)
姉は皆の顔を見ると、「あれも子供達に食べさせたいばっかしに、自分は弁当を持って行かず、雑炊食堂を歩いて昼餉ひるげをすませていたのです」と泣いた。義兄は次の間に白布でおおわれていた。
廃墟から (新字新仮名) / 原民喜(著)
冬など蒼白いほど白い顔の色が一層さびしく沈んで、いつも銀杏いちょうがえしに結った房々とした鬢の毛が細おもての両頬りょうほおをおおうて、長く取ったたぼつるのような頸筋くびすじから半襟はんえりおおいかぶさっていた。
黒髪 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
詩と恋の情熱とはその婦人の純潔なる美の面前に紅葉する顔をおおふてしまふ。青年は自己の自然の声を黙殺して方正な態度をとる。彼女もまたいつもキチヨウメンで、理性的で、品行方正である。
婦人解放の悲劇 (新字旧仮名) / エマ・ゴールドマン(著)
セエラはしばらくの間、小さい黒髪の頭を、赤いショオルでおおわれたアアミンガアドの肩にじっと乗せていました。アアミンガアドが、身を引こうとすると、セエラはひどく寂しい気がしました。
いっそうちへ帰って、もとの屋敷へ奉公した方が気楽だなぞと考えることもあった。その時分から、お作はよく鏡に向った。四下あたりに人の影が見えぬと、そっと鏡のおおいを取って、自分の姿を映して見た。
新世帯 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
ただ一つ言って置きたいのは、ここではその静寂が死相をおおった静寂ではないということである。殉死をすぐ前に置いて、長十郎と共に午睡しているのでもない。その静寂はいつでも目を覚している。
佃は、伸子を自分の心でおおいかぶせるように云った。
伸子 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
花田と青島、黒布におおわれたる寝棺をかつぎこむ。
ドモ又の死 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
しかも何事であろう? 七、八人の足軽が白布でおおった板の上へ一人の武士を仰向けに寝せて、静々と運んで通るのであった。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
雪の降る時は好んで棕櫚しゅろで編んだ、まるでかぶとのような笠をかぶります。深い形で頭のみならずえりまで総々ふさふさした棕櫚毛でおおうように作られてあります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
ここいらにはざらにあるもろい焼石、——顔も鼻のあたりが欠け、天衣てんねなどもすっかり磨滅し、そのうえ苔がほとんど半身をおおってしまっているのだ。
大和路・信濃路 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
来年、この北国ほっこくの山や野が若々しい緑でおおわれて、早咲の山桜の花が散って、遠野に白いけむり棚曳たなびいて、桃の花が咲く時分にならなければ帰って来ない。
越後の冬 (新字新仮名) / 小川未明(著)
午前は雪におおわれ陽に輝いた姿が丹沢山の上に見えていた。夕方になって陽がかなたへ傾くと、富士も丹沢山も一様の影絵を、あかねの空に写すのであった。
路上 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)