ほころ)” の例文
一人が腰を捉まえた拍子に、ビリビリ音がして単衣羽織がほころびた。必死で片腕にぶら下っている手塚が殺気立って息を切らしながら
牡丹 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
その裏面には「つれないはただうつり気な、どうでも男は悪性者あくしょうもの」という煩悩ぼんのうの体験と、「糸より細き縁ぢやもの、つい切れ易くほころびて」
「いき」の構造 (新字新仮名) / 九鬼周造(著)
これはこの前の晩の時のように、闇でもなければもやでもありませんで、梅が一輪ずつ一輪ずつほころび出でようという時候でありました。
大菩薩峠:14 お銀様の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
そしてその下の方に茂つてゐる大株の山吹が、二分どほり透明な黄色いつぼみほころばせて、何となし晩春らしい気分をさへかもしてゐた。
花が咲く (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
私はちらりほらりと梅のほころびそめるころになると毎年何とも言へない寂しい氣持になつて來るのが癖だ。それと共に氣持も落着く。
樹木とその葉:07 野蒜の花 (旧字旧仮名) / 若山牧水(著)
その時、わずかにほころんだ唇の間から真赤な残り血が、すっと赤糸を垂らしたように流れ落ちて、クルッととがった顎の下にかくれた。
西の浦に出た時に小路から担いきれぬほどあしをかついだ、衣もほころび裸同様の乞食男こじきおとこ一人出て、くれかけた町々に低い声音こえで呼びかけた。
荻吹く歌 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
典医てんいだけは奥へ出入りしていたし、城後の梅花は、日々ほころびそめて来るのに、その後、管楽かんがくの音は絶えて、春園もげきたり——であった。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
又「打ったで済むか、ことに面部の此のきず縫うた処がほころびたら何うもならん、亭主の横面を麁朶そだで打つてえ事が有るか、ふてえ奴じゃアおのれ
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
この子供のもとへ毎週に一度は節子が通って来て、彼等のために着物やはかまほころびをったり、父の手で出来ない世話をしたりしてくれる。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
菅野すがのに移り住んでわたくしは早くも二度目の春に逢おうとしている。わたくしは今心待ちに梅のつぼみほころびるのを待っているのだ。
葛飾土産 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
だが彼は指を口にくわえたまま足元ばかり眺めていた。何だかすっきりした安堵もあるのだろうか。口元が今にもほころびそうにさえ思われた。
光の中に (新字新仮名) / 金史良(著)
障子の破れに、顔が艶麗あでやかに口のほころびた時に、さすがにすごかつた。が、さみしいとも、夜半よなかにとも、何とも言訳いいわけなどするには及ばぬ。
貴婦人 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
この前四谷に行って露子の枕元で例の通り他愛たわいもない話をしておった時、病人がそで口のほころびから綿が出懸でかかっているのを気にして
琴のそら音 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ちょうど三月の末、麦酒ビール会社の岡につづいた桜のつぼみほころびそめたころ、私は白金しろかねの塾で大槻医師が転居するという噂を耳にした。
駅夫日記 (新字新仮名) / 白柳秀湖(著)
この娘も料理のわざは普通の娘同様、あどけなく手緩かった。それは着物のほころびから不用意に現している白い肌のように愛らしくもあった。
食魔 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
「あつしの智惠袋がほころびだらけで、へツへツ、おまけに字を讀むことと、新造を口説くことは親の遺言ゆゐごんで止められて居ますよ」
利鎌とがまのような月の出ている葡萄色ぶどういろの空に、一輪二輪とほころびかけている真っ直ぐな枝の、勢いよく伸びているのもいいものです。
季節の植物帳 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
着物も袴も、ひき裂け、ほころびている。髪毛はばらばらになり、顔には泥と(いばらかなにかで傷ついたのであろう)幾筋も乾いた血のあとがある。
山彦乙女 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
斬っても血粘ちのりが刃に着かず、鉾子先きっさきからタラタラと、滴るそうでございます。ダラリと刀を下げたまま、唇をわずかにほころばせ、美しい前歯を
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
中橋氏は二三度それを口のなかで読みかへしてゐるうち、嬉しさに覚えずほころびかゝる口もとを強くし曲げるやうにして気難きむつかしい顔をこしらへた。
今まで、おし黙っていた藤十郎の堅いくちびるが、ほころびたかと思うと、「左様な事、何のあってよいものか」と、苦りきって吐き出すように云った。
藤十郎の恋 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
北国ほっこくの暗い空も、一皮むけたように明るくなった。春雨がシトシトと降る時節となった。海棠かいどうの花はつやっぽくほころび、八重桜のつぼみも柔かに朱を差す。
不思議な鳥 (新字新仮名) / 小川未明(著)
後手に縛られた両腕の表側には擦過傷があるが、腕の後側や腕の下に当る胸の横から背中の一部へかけては、衣服のほころびさえも見られない事だ。
カンカン虫殺人事件 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
全体と核心とに正しく透徹した理解味到を持とうと注意さえすれば自然に花のほころぶように内から開けて来る直覚作用です。
婦人改造と高等教育 (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
「なんとも云えない」帆村は、唇を僅かにほころばして云った。「なにしろ用心棒の山名山太郎氏が傍にいないものだからネ」
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
ある者は涼しげなひとみ羞恥しゅうちを含んで、ある者は美しい怒りを額に現して、またある者は今にもにいっと微笑まんばかりに愛らしい口許をほころばせて
ウニデス潮流の彼方 (新字新仮名) / 橘外男(著)
ふと、かがみのおもてからはなしたおせんのくちびるは、ちいさくほころびた。と同時どうじに、すりるように、からだ戸棚とだなまえ近寄ちかよった。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
そしてそのつぼみのまさにほころびんとする刹那せつなのものは、まるふくらみ、今にもポンと音してけなんとする姿をていしている。
植物知識 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
やがてその手足の創痕きずあとだの、ほころびの切れた夏羽織だのに気がついたものと見えて、「どうしたんだい。その体裁は。」と、呆れたように尋ねました。
妖婆 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
寝台のそばに立っている抽斗ひきだし戸棚の上には絹の古いハンカチーフがあって、そのほころびを縫いかけの針が残っていた。
重たげに艶々つやつやしい若衆まげ、黒く大きく切れ長な目、通った鼻梁はなばしらほころびる紅花にも似てえましげな唇、そして白つつじをかざした手のあのしなやかさ!
艶容万年若衆 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
汽車で疲れたらしい青い顔をして這入って来て、この光景に出遇であった今、急に眼元をほころばしたのを見逃さなかった。
細雪:02 中巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
この時東の空、雲すこしくほころびて梢の間より薄き日の光、青年の顔に落ちぬ、青年は夢に舟を浮かべて清き流れを下りつつあり、時はまさに春の半ばなり。
わかれ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
もっとえらいのになると、二十年もしてから阿呆あほうになってひょっこりと出てきた。もとの着物を着たままで、縫目ぬいめはじけてほころびていたなどと言い伝えた。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
膝の上までり開きたる短衣は裂けほころび、ゆるく肩に纏へる外套めきたる褐色かちいろの布は垢つきよごれ、長き黒髮をばうなじに束ね、美しき目よりは恐ろしき光を放てり。
彼はことさらみはれるまなここらして、貫一のひて赤く、笑ひてほころべるおもての上に、或者をもとむらんやうに打矚うちまもれり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
妻戸の御簾みす身体からだを半分入れて几帳のほころびからのぞいた時に、姫君がこの座敷へはいって来るのを見た。
源氏物語:28 野分 (新字新仮名) / 紫式部(著)
もっとも、喧嘩をしても、母や祖母は少しも困らなかった。というのは、汚れやほころびの多い方を次郎のだときめてしまえば、それで簡単に片がついたからである。
次郎物語:01 第一部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
小春日の陽脚が早やお山の森に赤あかと夕焼けするころ、貝の代りに底の抜けた折や、ほころびの切れた羽織をずっこけに片袖通したりしたのを今日一日の土産にして
顔には、少しの苦悶の影もなく、もし、それにちょっとでも触ったら、唇が、またほころびそうである。が、左枝は、腕を組んで、まじまじと考えはじめたのであった。
地虫 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
着物のほころびを縫つて貰つてゐるとか妻に告口したので、間もなく帰国した私に、「独身に見せかけて、わたしに手紙を出させんといて、へん、みな知つちよるい!」
途上 (新字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
が、さっきから首すじがすこし寒いとはおもっていたが、そこのところだけ幌の布がなんだかほころんだようになっていて、ひらひらしているのにはじめて気がついた。
大和路・信濃路 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
私のズボンは、もうひどくほころびていたので、下から見上げると、さぞ、びっくりしたことでしょう。
今日は朝よりの春雨やや寒さを覚えて蒲団引被ひきかぶり臥し居り。垣根の山吹やうやうにほころび、盆栽の桃の花は西洋葵せいようあおいと並びて高き台の上に置かれたるなどガラス越に見ゆ。
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
その山の間にはヒマラヤ山の名物のロードデンドロンの花は今やまさにほころびんとし、奇岩怪石左右にそばだつその間に小鳥のさえずって居る様は実に愉快な光景でありました。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
まだすその短かい服を着て、ほころめぬつぼみの花といった風情ふぜいでね、赤くなって、朝焼けのようにぱっと燃え立つんですよ(もちろん、もうちゃんと言い聞かせてあるんで)
足袋たび行縢を取り出し、洗濯衣、古肌着など取り出でて、ほころびを縫い破れをつづり、かいがいしく立ち働く、その間に村人は二人の首途かどでを送らんと、濁酒鶏肉の用意に急ぎぬ
空家 (新字新仮名) / 宮崎湖処子(著)
しなきてればそんな心配しんぱいはまだ十六のおつぎがするのではない。おつぎはさら自分じぶん衣物きものこまつた。みじかくなるばかりではなくほころびにさへおつぎは當惑たうわくするのである。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
「此処の桜は晩いからね。漸くほころび始めたばかりだ。これが満開になると素晴らしいもんだぜ」
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)