そよ)” の例文
旧字:
青い海のような空に、月が出て、里川縁さとかわふちの柳の木の枝についている細かな葉が、風にそよいで、うす闇の間から、蝙蝠こうもりが飛び出て来る。
単純な詩形を思う (新字新仮名) / 小川未明(著)
瀬田せた長橋ながはし渡る人稀に、蘆荻ろてきいたずらに風にそよぐを見る。江心白帆の一つ二つ。浅きみぎわ簾様すだれようのもの立て廻せるはすなどりのわざなるべし。
東上記 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
譬ば己は頭の上で森の木の葉がそよいでゐるかと思つたり、又は岩端から見下して、谷間に布いてある警戒線を見るかと思つたりする。
庭の桔梗ききょうの紫うごき、雁来紅けいとうの葉の紅そよぎ、撫子なでしこの淡紅なびき、向日葵ひまわりの黄うなずき、夏萩の臙脂えんじ乱れ、蝉の声、虫のも風につれてふるえた。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
頭の上の菩提樹の古木の枝が、静かに朝風にそよいでいる。そして幾つともなく、小さい、冷たい花をフィンクの額に吹き落すのである。
(新字新仮名) / ライネル・マリア・リルケ(著)
山といふ山はみな段々の水田に切りひらかれて、その山嶺まで稲の穂が、昼ならば青々と見えるであらう波を蕭条とそよがせてゐた。
黒谷村 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
自分は座して、四顧して、そして耳を傾けていた。木の葉が頭上でかすかにそよいだが、その音を聞いたばかりでも季節は知られた。
武蔵野 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
かとも思ったが、どちらをながめても、何もらず、どこに窓らしい薄明りもさなければ、一間開放したはずの、カアテンそよぎも見えぬ。
沼夫人 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
雍家花園ようかかえんえんじゅや柳は、ひる過ぎの微風にそよぎながら、庭や草や土の上へ、日の光と影とをふりいている。いや、草や土ばかりではない。
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
村の方ではまだ騒いで居ると見えて、折々人声は聞えるけれど、此の四辺あたりはひつそりと沈まり返つて、そよぐ音すら聞えぬ。
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
かりしほと麦は刈られぬ。刈麦の穂麦は伏せて、畝竝うねなみにさららと置きぬ。麦刈ればそよぐさみどり、うねにすでに伸びつる陸稲をかぼならしも。
白南風 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
銀子の牡丹は苦笑しながら、照れ隠しに部屋をあちこち動いていたが、風に吹かれる一茎のあしのように、繊弱かよわい心はかすかにそよいでいた。
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
右は湖水の三津みつはま、左は叡山延暦寺えいざんえんりゃくじへの登り坂。人々の着ているみのは、吹きおろす風、返す風に、みな針鼠はりねずみのようにそよぎ立った。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
フラフそよと風もない炎天の下に死んだ様に低頭うなだれてひだ一つ揺がぬ。赤い縁だけが、手が触つたら焼けさうに思はれる迄燃えてゐる。
氷屋の旗 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
さういふ風に段々に耳打ちをして、貴婦人の話を取り次いだ。聞えるのは、興奮の余りに劇しく使はれる扇のそよぎばかりである。
クサンチス (新字旧仮名) / アルベール・サマン(著)
のどの鎌形傷の始まるまえに、きまって切ッ先がそよいだような傷があるだろう。あれは、竿を合せる前にチラと籠手へかかった気合傷だ」
顎十郎捕物帳:04 鎌いたち (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
やはり少し涼しそうに見えて風にでもよくそよぐやつはそれ相当に値段ねだんが高い、やはり銭相当の戦ぎようをする、というのである。
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
自分は座して、四顧して、そして耳を傾けていた。木の葉が頭上でかすかにそよいだが、その音を聞たばかりでも季節は知られた。
あいびき (新字新仮名) / イワン・ツルゲーネフ(著)
雑草の枯れた茎が六七本寒そうに残って風にそよいでいる。その横には、枯芝の野が広がっている。僕はそれに一寸或る種の興味を見出した。
二つの途 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
空には上弦の初夏の月が、おぼろに霞んだ光をこぼし、川面を渡る深夜の風は並木の桜の若葉にそよいで清々すがすがしい香いを吹き散らす。
紅白縮緬組 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
すすきかやそよいでいる野路の向うに、明神みょうじんだけとか、大内山おおうちやまという島原半島の山々が紫色にかすんで、中腹の草原でも焼き払ってるのでしょうか
棚田裁判長の怪死 (新字新仮名) / 橘外男(著)
稚い緑りの草の葉は、時々微風にそよいでかすかに私語ささやくことさへあるが、マルゲリトは何時も静かに深い沈黙に耽つて居る。
土民生活 (新字旧仮名) / 石川三四郎(著)
広小路で電車を下りたときは、少し風が立って、まだ明りをかっかっとともしている店々の前に、新年の設けに立て並べてある竹の葉がそよいでいた。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
草の葉をもそよがせない程な軽い風が食後に散歩する人をばいつか星の冴えそめる頃まで遠く郊外の方へと連れて行く。
花より雨に (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
地にも青い草がそよいでいる。わたしは荒野を辿たどるような寂しい心持で、電車道の方へ引返した。(大正十三年九月)
九月四日 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
物音一つしない広い川原、半ば枯れた雑草をそよがせて吹く風、淋しい葦の花、静かな日の光を見ていると、人生はまことに侘しく生甲斐なく思われる。
落人おちゅうどそよすすきに安からず、小野さんは軽く踏む青畳に、そと落す靴足袋くつたびの黒き爪先つまさきはばかり気を置いて這入はいって来た。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
翁の新しい詩集「そよぐ麦」には以前の詩集「触手しよくしゆある都会」と反対に作者自身の郊外生活からち得た題目が多い。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
揺ぐ木立の崇高なささやき、微風に吹かるる枝のやさしいそよぎ、波動する草の細やかな葉ずれ、あたかも、湖水の清澄なおもてしわを刻むそよ風のような、また
許りか、格子先にはさや/\と風にそよぐ孟宗竹が五、六本、その根方には毒だみが青白く花咲いてさへゐやう。
吉原百人斬り (新字旧仮名) / 正岡容(著)
その葉が風の吹く度にカサカサと云う音を立てて、葉の裏の白いところを出しながらそよいでいるのであった。
母を恋うる記 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
数歩すほを行けば、宮が命を沈めしそのふちと見るべき処も、彼がけたる帯をきしそのいはほも、歴然として皆在らざるは無し! 貫一が髪毛かみのけはりの如くちてそよげり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
立ち尽すと私は初めて荒漠こうばくなあたりの光景に驚かされた、かすかな深夜の風が玉蜀黍とうもろこしの枯葉にそよいで、轡虫くつわむしの声が絶え絶えに、行く秋のあわれをこめて聞えて来る。
駅夫日記 (新字新仮名) / 白柳秀湖(著)
去年はこの日課を読んでしまふと、夕顔の白い花に風がそよいで初めて人心地がつくのであつたが、今年は夕顔の花がないので暑くるしくて仕方がない。(九月一日)
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
あかず行く雲のはてを眺め、野川の細流せせらぎのむせぶ音を聞き、すこしばかりの森や林に、風の叫びをしり、草のそよぎに、時の動きゆく姿を見ることが望みでございます。
平塚明子(らいてう) (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
川のこちら岸には高いけやきの樹が葉を茂らせている。たかしは風にそよいでいるその高いこずえに心はかれた。
ある心の風景 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
傾斜の花の群れは、強度の日光に直射され、岩の光り、雪の光り、雲の光りに反照され、峯の「吹き下ろし」にゆらめきそよいで、銀河そっくりキラキラとまたたいている。
ある偃松の独白 (新字新仮名) / 中村清太郎(著)
其から半年程経って、又同じ芝生の上に飛んで来た小鳥は、腐った太鼓を貫いて、一本の青々とした粟の芽が、明るい麗らかな日光に輝きながら楽げにそよいでいるのを見た。
一粒の粟 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
二筋三筋扇頭せんとうの微風にそよいでほおあたりを往来するところは、慄然ぞっとするほど凄味すごみが有る。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
わしのそよぎはすべて世の中の熟したものの周囲めぐりに夢のように動いておるのじゃ。
燈火あかりが盛んにかがやいて客や女中の声がやかましいのに、この裏庭は、垣根一重を境にして、一間ほどの田圃道たんぼみちにつづいては、威勢よく今年の稲が夕風にそよいで、その間に鳴くかわずが、足音を聞いては
けだものの子は瞼かすかにうごかしつ外面の草のそよぐきくかな
小熊秀雄全集-01:短歌集 (新字旧仮名) / 小熊秀雄(著)
ただ青萱が、そよそよとそよぐばかりであった。
壁の眼の怪 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
身の辺にそよいでいるのを己は感ずる。
肩なる髪は眼子菜ひるむしろのやうにそよぐ。
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
雍家花園ようかかえんえんじゅや柳は、午過ぎの微風にそよぎながら、この平和な二人の上へ、日の光と影とをふり撒いている。文鳥ぶんちょうはほとんどさえずらない。
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
が、その癖、くだんの姿ばかりは、がっくり伸ばしたうなじの白さに、毛筋が揃って、おくれ毛のはらはらとそよぐのまで、瞳に映って透通る。
星女郎 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
彼はただあらしの前の木の葉のそよぎを感じ、重苦しいその場の雰囲気のなかに、いたずらに清川と葉子との気持を模索するにすぎないのだった。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
桑の葉はそよぎ立って、彼の行くところひそむところを敵の眼に告げた。しかも細い小枝は足にからんで、身の自由も甚だしく欠く。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
湿った庭の土からは、かすかに白い霧が立って、それがわずかな気紛れな風のそよぎにあおられて小さな渦を巻いたりしていた。
浅草紙 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)