当時たうじ)” の例文
旧字:當時
なんでも飛騨ひだゑん当時たうじかはつたこともめづらしいこともなかつたが、たゞ取出とりいでゝいふ不思議ふしぎは、医者いしやむすめで、うまれるとたまのやう。
高野聖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
十分な事を書くわけには行かんのでありますから、当時たうじ往来わうらいしてつた人達ひとたち問合とひあはせて、各方面かくはうめんから事実をげなければ、沿革えんかくふべき者を書く事は出来できません
硯友社の沿革 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
竹村たけむらはそのことについて、その当時たうじべつ批評ひひやうがましい意見いけんをもたうとはおもはなかつたけれど、ずつとのちになつて振返ふりかへつてみると、彼女かのぢよかれ作品さくひん実際じつさい手紙てがみによつて
彼女の周囲 (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
道子みちこはふと松戸まつどてらはうむられた母親はゝおやことおもおこした。その当時たうじ小岩こいはさかはたらいてゐたゝめ、主人持しゆじんもち自由じいうがきかず、ひまもらつてやつと葬式とむらひつたばかり。
吾妻橋 (新字旧仮名) / 永井荷風永井壮吉(著)
梅廼屋うめのやは前にもまうしましたとほり、落語家らくごかとう寄合茶屋よりあひぢややで、こと当時たうじわたくし落語家らくごか頭取とうどりをしてりましたから、ためになるお客と思ひもしまいが、早速さつそく其車そのくるまてくれました。
塩原多助旅日記 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
土地とちんで、もうまち成立せいりつわすれ、開墾かいこん当時たうじ測量器具そくりやうきぐなどのをさめた、由緒ゆいしよある稲荷いなりやしろさへらぬひとおほからうか、とおもふにつけても。——
十和田湖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
だいばん大黒詣だいこくまゐりさきにするね、当時たうじ豪商紳士がうしやうしんし大黒様だいこくさまふべきは、渋沢栄一君しぶさはえいいちくんだらう。
七福神詣 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
社の方でも山田やまだ平生へいぜい消息せうそくつまびらかにせんと具合ぐあひで、すき金港堂きんこうどうはかりごともちゐる所で、山田やまだまた硯友社けんいうしやであつたため金港堂きんこうどうへ心が動いたのです、当時たうじじつ憤慨ふんがいしたけれど
硯友社の沿革 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
かばん脊負しよつてたのは木樵きこり権七ごんしちで、をとこは、おうら見失みうしなつた当時たうじ、うか/\城趾しろあと徉徜さまよつたのを宿やどつれられてから、一寸々々ちよい/\ては記憶きおくうちかげあらはす。
神鑿 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
当時たうじすで素人芸しろうとげいでないと評判ひやうばん腕利うできゝで、新躰詩しんたいしこと其力そのちからきはめて研究けんきふする所で、百枚ひやくまいほどの叙事詩じよじしをも其頃そのころ早く作つて、二三の劇詩げきしなどさへ有りました、依様やはり我々われ/\同級どうきふでありましたが
硯友社の沿革 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
縁前ゑんまへのついそのもりに、朽木くちきついば啄木鳥けらつゝきの、あをげら、あかげらを二ながら、さむいから浴衣ゆかた襲着かさねぎで、朝酒あさざけを。——当時たうじ炎威えんゐ猛勢もうせいにして、九十三度半どはんといふ、真中まなかだんじたが
十和田湖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
はうとして、ふとおのれかへりみてあきかへつた。這個この髯斑ひげまだらまなこつぶらにしておもあか辺塞へんさい驍将げうしやうたいして、しかことさむには、当時たうじ流行りうかう剣劇けんげき朱鞘しゆざや不可いけず講談かうだんものゝ鉄扇てつせんでも不可いけない。
十和田湖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
当時たうじ飛鳥とぶとりちるとふ、おめかけ一人ひとりつてたが、ふね焼出やけだしたのは、ぬしさしつたとほりでがす。——めかけふのが、祖父殿おんぢいどん許嫁いひなづけつたともへば、馴染なじみだとも風説うはさしたゞね。
神鑿 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)