名残なごり)” の例文
旧字:名殘
「今日はいよいよおいとま申さなければなりません、あまりお名残なごりが惜しいと存じまして、お留守中に一寸ちょっとピアノを弾かして頂きました」
葬送行進曲 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
清吉も姪が可愛さに、若殿さまを二階に忍ばせて、十分に名残なごりを惜しませた上で、二人を心中に出してやったんだろうと思われます。
大空は名残なごりなく晴れて朝日うららかに輝き、光る物には反射を与え、色あるものには光を添えて雑踏の光景をさらに殷々にぎにぎしくしていた。
忘れえぬ人々 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
そうして名残なごりの表に移らんとする二句前に花が現われて、それがまさにきたらんとするほがらかな活躍を予想させるようにも思われる。
連句雑俎 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
復た何時いつ来られるものやら解らないから、と言って、達雄はひど名残なごりを惜んだ。三吉が表座敷で書いた物をも声を出して通読してみた。
家:01 (上) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
弥左衛門町の横町に這入ると、急に街幅が狭く、日当りが悪くなって、二三日前の雨の名残なごりが、まだ処々ところどころぬかるみになって残っている。
暗黒公使 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
農家が各自の穀粉をくようになって、一旦起こりかけた粉屋こなやという専門業が早く衰えてしまい、名残なごりを粉屋の娘の民謡にとどめている。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
作右衞門どんも旧来きゅうれえの馴染ではアうか止めいと思うが、敵を討ちに行くてえのだから止められねえッて名残なごりおしがってるでがんす
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
そして、に、名残なごり地平線ちへいせんめていますのが、しだいしだいに、なみあらわれるように、うすれていったのでありました。
海のかなた (新字新仮名) / 小川未明(著)
幾度も人のすくない時を見計らつてはお辻の死床に名残なごりをおしみに来た二人の娘が、最後にそろつて庭を隔てた離れから出て来た。
老主の一時期 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
右側の障子しょうじをあけて、昨夜ゆうべ名残なごりはどのへんかなと眺める。海棠かいどうと鑑定したのははたして、海棠であるが、思ったよりも庭は狭い。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
老爺が、名残なごり惜しげに、小さい窓から見送っていると、武蔵は、十歩ほど往来をあるくと、布緒ぬのお草鞋わらじの緒を、ちょっと締め直していた。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
源氏は夢とは思われないで、まだ名残なごりがそこらに漂っているように思われた。空の雲が身にしむように動いてもいるのである。
源氏物語:13 明石 (新字新仮名) / 紫式部(著)
熱鬧ねっとうきわめたりし露店はことごとく形をおさめて、ただここかしこに見世物小屋の板囲いをるる燈火ともしびは、かすかに宵のほどの名残なごりとどめつ。
義血侠血 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
上野寛永寺うえのかんえいじの楼閣は早く兵火にかか芝増上寺しばぞうじょうじの本堂も祝融しゅくゆうわざわいう事再三。谷中天王寺やなかてんのうじわずかに傾ける五重塔に往時おうじ名残なごりとどむるばかり。
月は段々高くなつて、水の如き光は既に夜の空に名残なごりなく充ち渡つて、地上に置き余つた露は煌々きら/\とさも美しくきらめいて居る。
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
さも、そのあたりに昼の名残なごりが落ちているような、そして、それを捜しまわるように、ただ訳もなく家を出、あてどない道を歩いて行くのだ。
腐った蜉蝣 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
送って来た本家と分寿々廼家のお神と愛子に名残なごりを惜しむ間もなく、汽車はI—町を離れ、銀子も何となし目がうるんで来た。
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
その面上にははや不快の雲は名残なごり無く吹きはらわれて、そのまなこは晴やかにんで見えた。この僅少わずかの間に主人はその心のかたむきを一転したと見えた。
太郎坊 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
自分で洗って自分でいて、それで一切の後片附あとかたづけを終って、その膳を拭いたという事を最後の名残なごりとして——いよいよ出て行くというのである。
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
そこには木材を積んだりセメントのたるのような大樽を置いたりしてあるのが見える。彼は二三年前の事業熱の盛んであった名残なごりであろうと思った。
水郷異聞 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
ある人はそういうものは時代におくれたもので、単に昔の名残なごりに過ぎなく、未来の日本を切り開いてゆくには役に立たないと考えるかも知れません。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
果して、この総踊りを名残なごりに、その翌日になると、泊り客のほとんど総てが別れ別れになって、帰国の途につきました。
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
粕谷で其子を中学二年までやった家は此家ここばかりと云う程万事派手はでであった故人が名残なごりは、斯様こんな事にまであらわれた。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
それが前年に七十七の賀宴を両国りょうごく万八楼まんはちろうで催したのを名残なごりにして、今年亡人なきひとの数にったのである。跡は文化九年うまれで二十九歳になる文二ぶんじいだ。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
お登和嬢に心の名残なごりを惜しみつつりて中川の家を出でたるが下宿屋へは足の進まずしてとかく心は後方うしろへ戻る
食道楽:春の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
自分は良人をつとと相談をして夫人への土産みやげだけを出し、その弟子に托して名残なごり惜しい製作室アトリエを出て引き返さうとした。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
青年探偵小説家は、二月余り通り慣れた村の細道を、一本の樹、一けいの草にも名残なごりおしみながら歩いていた。
(新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
この間も船は帆駛ほばしって行った。名残なごり夕筒ゆうづつも次第にさめ、海は漸次だんだん暗くなった。帆にぶつかる風の音も、夜に入るにしたがって、次第にその音を高めて来た。
名人地獄 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
あけぬれば月は空にかへりて名残なごりもとゞめぬを、すずりはいかさまになりぬらん、な/\影やまちとるらんとあはれなり。
月の夜 (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
それから二十年っているから、お前さんは、ことし三十九だ。十代もくそもない、来年は四十代だ。四十まで振袖を着ていたら、もう振袖に名残なごりも無かろう。
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
名残なごり』という俳書が暮秋の句の中に一括して入れているのを見ると、余計そういう風に考えられる。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
一白庵の「名残なごり」の茶会へひっぱりだして、逃げ場のないお茶室で、だしぬけに木津さんに逢わせてやろうと思っただけ……なによゥ、そんな大きな声をだして。
姦(かしまし) (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
げば又あふりて、その余せるを男に差せば、受けて納めて、手をりて、顔見合せて、抱緊だきしめて、惜めばいよいよ尽せぬ名残なごりを、いかにせばやと思惑おもひまどへる互の心は
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
或る畠のまん中には、白い骨が乾草堆よりもずっと高く、山のようになっていました。あのおそろしいカイミアラの名残なごりは、そのほかにはなんにもありませんでした!
つい近頃まではすっかりさびれ切っていたそうで、部屋などもひどくいたんではいたが、調度や立て付けの端々に、昔のこの町の繁栄の名残なごりがしのばれるような家であった。
ツンドラへの旅 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
私は、磁石砲を入口に据付すえつけるために、貴重な三十分ばかりの時間をついやし、それが終ると、久慈にくわしく注意をして、名残なごり惜しくもクロクロ島を出掛けたのであった。
地球要塞 (新字新仮名) / 海野十三(著)
もうちょっと……もうちょっと……ほんのそこまでと、名残なごり惜しそうに送って来てくれるのです。
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
爺さんは自分が何よりも手品が好きだつたので、お名残なごりに媼さんと一緒にそれが見たかつたのだ。
いつか向島にも五、六年住馴すみなれて、今さら変った土地、それも宿場跡などへ行くのは誰も彼も気が進まず、たとえ辺鄙へんぴでも不自由でも、向島に名残なごりが惜しまれるのでした。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
あれは昔の名残なごりで、明治の初年には、あの辺一帯茶畠で、今活動写真のある六区は田でした。
寺内の奇人団 (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
一時剣術に凝つたり、砲術を習つたりした名残なごりで、どちらかといへば、さういふ時に槍など持つことを好んでゐた。父はさういふとき『得手えてまへ』といふ言葉をく使つた。
念珠集 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
予四十分ばかり見ていたが、大分腹も日も北山に傾いて来たから、名残なごり惜しげに立ち去った。
幸いに、メーツらは、明朝出帆の名残なごりを惜しむために、皆、どこかへ行ってしまっていた。
海に生くる人々 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
昼の名残なごりの光がだんだん淡くなってまったく消えてしまうと、真の暗闇くらやみが宝島を包んだ。
って、名残なごりしそうにかえっていきました。金太郎きんたろうはおかあさんのまえをついて
金太郎 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
従妹いとこ」のような気持で名残なごりを惜しんでいることは、なんとしても自分にわかり、それが、またそら恐ろしく、彼は、ずっと離れて、不安げに、ほとんど顔もあげ得ずに立っている。
にんじん (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
若人はたすきりりしくあやどりて踊り屋台を引けば上にはまだうら若き里のおとめの舞いつ踊りつ扇などひらめかす手の黒きは日頃田草を取り稲を刈るわざの名残なごりにやといとおしく覚ゆ。
旅の旅の旅 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
三輪山と云って人里離れた山中にホコラがあり、三輪神社と称し、奈良朝頃からの由緒ゆいしょある氏神のよしだが、名残なごりをとどめているのは大木の密林ばかり、ホコラはオモチャのように小さい。
不連続殺人事件 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
池の周囲には繍線菊しもつけが多く、いまだに名残なごりの花をつけている。ここからうつぎやくましでの林を分け、数町下ると、そこに明暦めいれき三年の爆裂孔で、熔岩トンネルを形作っている鳩穴はとあながある。
雲仙岳 (新字新仮名) / 菊池幽芳(著)