やかた)” の例文
甚五郎の行方は久しく知れずにて、とうとう蜂谷の一週忌いっしゅうきも過ぎた。ある日甚五郎の従兄じゅうけい佐橋源太夫げんだゆうが浜松のやかたに出頭して嘆願たんがんした。
佐橋甚五郎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
舌長姥 (時に、うしろ向きに乗出して、獅子頭をながめつつあり)老人としよりじゃ、当やかた奥方様も御許され。見惚れるに無理はないわいの。
天守物語 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
まあ今夜は、やしきへお泊んなさい。そして何だな、明日、わしが紹介して進ぜるから、王晋卿おうしんけいさまのおやかたへでも一つ伺ってみるんだな。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かれこれとかたっているうちにも、おたがいこころ次第しだい次第しだいって、さながらあの思出おもいでおお三浦みうらやかたで、主人あるじび、つまばれて
こうして地主やかたから馬車を見られないようにしてってしまう魂胆であった。彼はプリューシキンのところへ行こうと思ったのだ。
むろん長くは目をとめていなかった。ついとらしていた。いつの間にか、やかたの屋根裏や壁板もすっかりすすけているのに気づいた。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
やかたは私たちの前にあつた。その鋸壁を見上げながら、彼は、その時限りで後にもさきにも見られなかつたほどの烈しい目付を投げつけた。
築地ついじへいだけを白穂色しらほいろにうかべる橘のやかたに、彼女を呼ばう二人の男の声によって、夕雲はにしきのボロのようにさんらんとして沈んで行った。
姫たちばな (新字新仮名) / 室生犀星(著)
あくる日のうまの刻すぎに、荏原権右衛門は高三河守師冬もろふゆやかたをたずねた。師冬は師直の甥であるが幼い頃から叔父の養い子になっていた。
小坂部姫 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
まずいくさの血祭りとして、土岐十郎頼兼と、多治見ノ四郎二郎国長とを、そのやかたにこれより攻めて討ってとるということであった。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
京の円山を十倍したるやうにほのかに輸廓りんくわくの思はるる山の傾斜のがくれに建てられしやかたどもにともれる青き火、黄なる火、紫の火
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
建久けんきゅう九年十二月、右大将家うだいしょうけには、相模川さがみがわの橋供養の結縁けちえんのぞんだが、その帰途馬から落ちたので、供養の人びとに助け起されてやかたへ帰った。
頼朝の最後 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
しかし、彼らはすべて、この暗い名誉のやかたにおいて一つでも多く栄誉を得ようとしたのだった。陰鬱な記念碑にむくいられようとしたのだ。
雉子きじ日記」のなかで、私は屡々しばしばミュゾオのやかたのことを持ち出したが、それについて富士川英郎君から非常に興味のあるお手紙を頂戴した。
雉子日記 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
この胆吹の上からやかたの屋根の上を飛び廻っておりましたが、やがてあの村へ飛び下りたのは、たった今のことでございました
大菩薩峠:35 胆吹の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
今少しずつ思い出しているのだが、………上はもう此のやかたにおられないのだろうか。………あれは夢ではなかったのだろうか。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
「当村の地主、陸軍中将、フォン=ラッベク閣下が、将校の方々にお茶を差上げたく、やかたまで即刻お越し下さるようお招きでござります……」
接吻 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
野呂勘兵衛が小栗美作みまさかを討つため、日雲閣へりこんだのも、やはり月見の宴の折だったそうな。総じてやかたの討入りには、順法と逆法がある。
鈴木主水 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
五位は、利仁のやかた一間ひとまに、切燈台の灯を眺めるともなく、眺めながら、寝つかれない長の夜をまぢまぢして、あかしてゐた。
芋粥 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
相隨ひし人々の、入道と共に還りし跡には、やかたうちと靜にて、小松殿の側にはんべるものは御子維盛これもり卿と足助二郎重景のみ。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
かれ等は用水のみなぎつて流れる縁を通つて、この昔のやかたあとの草藪に埋められてある傍をかすめて、そしていつも揃つて野良の方へと出掛けて行つた。
ある僧の奇蹟 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
熊城君、算哲という人物は、実に偉大な象徴派詩人サムボリストじゃないか。この尨大ぼうだいやかたもあの男にとると、たかが『影と記号で出来た倉』にすぎないのだ。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
畔柳元衛くろやなぎもとえの娘静緒しずおやかたの腰元に通勤せるなれば、今日は特に女客の執持とりもちに召れて、高髷たかわげ変裏かはりうらよそひを改め、お傍不去そばさらず麁略そりやくあらせじとかしづくなりけり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
植原やかたの大広間、信雄信孝等の正面近く、角柱かくばしらにもたれて居るのは勝家である。勝家の甥三人も柱の近くに坐した。
賤ヶ岳合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
なかには目の覚めるようなりっぱなやかたがありその家の脇には、爺が押しこんだ柴がちゃんと積み重ねられてあった。
東奥異聞 (新字新仮名) / 佐々木喜善(著)
やかたは鬼の高利貸の手に処分されるようになり、若くて有為ゆういの身を、笹屋の二階の老隠居と具張氏はなってしまった。
明治美人伝 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
「そのときこそ、供養もしてもらい、成仏もしよう、それまでは魂となってとどまり、おやかたさまやお家を護り続ける覚悟である、と申しておりました」
二重橋の外に鳳輦ほうれんを拝みて万歳を三呼したる後余はまた学校の行列に加はらず、芝のなにがしやかたの園遊会に参らんとて行く途にて得たるは『日本』第一号なり。
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
百、二百、むらがる騎士は数をつくして北のかたなる試合へと急げば、石にりたるカメロットのやかたには、ただ王妃ギニヴィアの長くころもすそひびきのみ残る。
薤露行 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
それ等にはそれぞれ「シャルルマーニュの体操場」「ラ・マンチアの図書室」「P・R・Bプレ・ラファエレ・ブラザフッドのアトリエ」「イデアの楯」「円卓のやかた」その他の名称の下に
ゼーロン (新字新仮名) / 牧野信一(著)
鎌倉殿のお目に留まって以来、此の二、三年おやかたに仕えておりますが、見目みめ形は申すに及ばず、心も気質も優しい女性でございます、名は千手せんじゅまえと申します
ただ平安朝時代の貴族の廣いやかたのやうで、裏には古い塚の傍にこれはまた清らかな水を滿々と湛へた泉があつた。雜草はせいびて枯葉の中から生え上つてゐた。
草の中 (旧字旧仮名) / 横光利一(著)
その亡くなつた父もほゞ同年位であつた。あれがやかたと己の館とは隣同士になつてゐて、二つの館が同じ運河の水に影をうつして、変つた壁の色を交ぜ合つてゐた。
復讐 (新字旧仮名) / アンリ・ド・レニエ(著)
そして自身も姉を捨ててしまいました。おやかたでもよい侍を一人なくしておしまいになったのでございます。
源氏物語:53 浮舟 (新字新仮名) / 紫式部(著)
槍形にとがった先が金色につらなっている鉄柵ごしに、窓々のかたく閉されたやかたが見え、ぐるりに繁っている雑草とその雑草に埋もれて大きい車寄せの石段が見えた。
道標 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
われは聖母の前に伏し沈みて、心の重荷をおろさんとしつ。忽ち我側にありて、我名を呼ぶ人あり。アントニオの君よ。やかたも御奧もフイレンツエより歸り來ませり。
古びた騎士の山城でもなく、新しい飾り立てたやかたでもなく、横にのびた構えで、少数の三階の建物と、ごちゃごちゃ立てこんだ低いたくさんの建物とからできていた。
(新字新仮名) / フランツ・カフカ(著)
別當のやかたは、この六坊をば、たとへば堵列とれつした兵士のやうに見て、それに號令してゐる指揮官といつたやうな前面の地位にあつて、天滿宮の本殿、拜殿と並んでゐた。
天満宮 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
いろはから出直して、もう一度とっくりと考え直してみなよ! 井上の金八やかたは、まるで化け物屋敷みてえじゃねえか! 貧乏長屋かと思や中は存外と金満家なんだ。
成経 野武士らはわしの懇願こんがん下等かとう怒罵どばをもって拒絶した。そして扉を破って闖入ちんにゅうし、武者草鞋むしゃわらじのままでわしのやかた蹂躪じゅうりんした。わしはすぐに飛び出て馬車に乗った。
俊寛 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
じて蛇になった例は、陸前佐沼の城主平直信の妻、佐沼御前やかたで働く大工の美男を見初みそめ、夜分ねやを出てその小舎を尋ねしも見当らず、内へ帰れば戸が鎖されいた。
教春の一人娘早百合姫さゆりひめは三年前、京都の戦禍がややしずまっていたとき、京都滞陣たいじんの父のやかたに呼び寄せられ、まだ十四さいの少女であったが、以来日々、茶の湯、学問、まい
鯉魚 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
海に突き出して一つの城廓のやうにやかた右手めてに見える。点々たる星の空の下にクツキリと四角に浮き出すその家の広間の中は、煌々くわう/\としてどの位明るいのかと想はれる。
一橋慶喜はこの事を聞いて尾州公を語らい、会津、桑名の両侯をも同道して、伏見にある奉行のやかたに急いだ。将軍に面謁して、その決意をひるがえさせることを努めた。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
バヌヴィルのやかたで狩猟が催されていた、その間のことである。その秋は雨が多くて陰気だった。
寡婦 (新字新仮名) / ギ・ド・モーパッサン(著)
大なる殿様として、彼は再びアルスタアのやかたに納まり、突如としてイギリス政府に新しい喧嘩を買って出た。さらにまた突如として、彼は逃亡した——風のごとく消えた。
侯爵閣下のそのやかたは、どっしりとした建物であって、その前面には石を敷いた広い庭があり、二条の彎曲した石の階段が、表玄関のドアの前にある石の露台テレスで出会っていた。
しばらく待って居りますと司令長官はこの邸内にあるテントの事務所からやかたの方に帰って来られた。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
クレルモン・トンネールのやかたがあったマダム街を夏の夕方などに通る者は、そこに立ち止まって、撞球の音を聞き、随行員でカリストの名義司教たるコトレー師に向かって
フェルナンデスがやかたに行って見ると、武士が溢れるほど詰めかけていて、どれが敵、どれが味方とも解らなかった。ただ謀叛人を討伐する軍隊の統率者数人だけが識別された。
鎖国:日本の悲劇 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)