あらわ)” の例文
旧字:
太い根がすっかりあらわれて、縦横になっていてよい腰掛でした。ここらは皆土井家の地所なので、向い側は広い馬場になっていました。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
坂は急ならず長くもあらねど、一つつくればまたあらたにあらわる。起伏あたかも大波のごとく打続きて、いつたんならむとも見えざりき。
竜潭譚 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
最近の茂吉さんの歌に、良寛でもないある一つの境地があらわれかけたのは、これの具象せられて来たのではないかと心愉こころたのしんで見て居る。
歌の円寂する時 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
この事業じぎょうにして果たして社会に必要あるものならば、それ相応の需要じゅようあらわれて、この会社も相応に繁昌はんじょうし、その結果相応の利益を得る。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
その反面には創作の出来ない人と云ふ意味が、隠すやうにあらわすやうに、ちら附かせてあつたり、又は露骨に言つてあつたりした。
田楽豆腐 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
かつて国の方で人を教えたこともある自分の姿のかわりに、ずっと以前の書生時代にでも帰って行ったような自分の姿がそこへあらわれて来た。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
階下へ、文字若、本性の鉄火性をあらわして逃げ伸びようとする。そこを、待ち構えていたように勘次が両腕の中にさらえ込んだ。
もとより淑女貴婦人の共に伍を為す可き者に非ず、いやしみても尚お余りある者なれども、其これを賤しむの意を外面にあらわすは婦人の事に非ず。
新女大学 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
古見の世持神などは男子の役であったために、或いはその秘密があらわれやすかったのであろう、という風に私などは解している。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
わずか一夜の出来事である。この伽藍が空前絶後の華麗をあらわしていたごとく、この炎上もおそらく史上に比なき壮観を呈したことであろう。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
此連脈の殆んど中央に当って上信国境の浅間山が、裾さばきゆたかに玲瓏玉の如き姿をあらわして、西上州の野に君臨している。
望岳都東京 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
姉と妹をそれぞれ手軽く言いあらわす語がないのでアフリカ行の宣教師が聖書を講ずる際、某人それがし某人それがしのブラザーだと説くと
此の絶望は、余りに内省的な彼の上に奇妙な形となってあらわれた。幾回かの争の後、彼は最早息子を責めようとせず、ひたすらに我が身を責めた。
光と風と夢 (新字新仮名) / 中島敦(著)
思いもつかぬことをされると、ハッキリ用意ができていないために、急に『不安』が入道雲にゅうどうぐものように発達して、正体まであらわしてしまうのですね。
麻雀殺人事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
「きょうは特に馬を下りて出迎えの礼をとった。この好遇は、いささか足下のなした赤壁の大功をあらわすに足りたろうか」
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
判事は早速承諾の意を表し、「それでは何分願います」と、ポケットに手を差し入れたが、忽ち周章の色をあらわして、頻にあちこちき捜している。
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
酒を呑まないというだけの話だ。「なんじら祈るとき、偽善者の如くあらざれ。彼らは人にあらわさんとて、会堂や大路のかどに立ちて祈ることを好む。」
風の便り (新字新仮名) / 太宰治(著)
既に耶蘇やそのバイブルのうちにそういうような意味もあらわれて居るから全く無いとはいわないが、お前達の教会においてかつてそんな事をいうた例はない。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
理想の作が必ず悪いといふわけではないが、普通に理想としてあらわれる作には、悪いのが多いといふのが事実である。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
天明年代の役者絵は春章の門人春好しゅんこう春英しゅんえいの手に成り、またこの時代より近世浮世絵史上の最大画家と称せらるる鳥居清長の嶄然ざんぜんとして頭角をあらわすあり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
堤のすぐ向うにダニューブ河が流れていて、その低まるたびに、罌粟の波頭の間からあおい水面が断続してあらわれる。
罌粟の中 (新字新仮名) / 横光利一(著)
素気無そっけなかおには青筋あおすじあらわれ、ちいさく、はなあかく、肩幅かたはばひろく、せいたかく、手足てあし図抜ずぬけておおきい、そのつかまえられようものなら呼吸こきゅうまりそうな。
六号室 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
「いい、この文章ならいい、だが、君は福が薄いから、大いに名をあらわすことはできないが、郷科にはとおるよ」
陸判 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
はっと明るくなったと思って顔を上げて見ると、熊笹が低くなって日影が満面に照らしている。そして熊笹の所々に頭をあらわして黄色い石楠花が咲いている。
木曽御嶽の両面 (新字新仮名) / 吉江喬松(著)
一番目「楼門五三桐さんもんごさんのきり」は五幕に分る。宋蘇卿明そうそけいみん真宗しんそうの命に此村大炊之助このむらおおいのすけと名乗り、奴矢田平やだへいと共に真柴久次ましばひさつぐに仕へ、不軌ふきを謀りしが、事あらわれて自尽じじんす。
両座の「山門」評 (新字旧仮名) / 三木竹二(著)
がい剃頭店ていとうてん主人、何小二かしょうじなる者は、日清戦争に出征して、屡々しばしば勲功をあらわしたる勇士なれど、凱旋がいせん後とかく素行おさまらず、酒と女とに身を持崩もちくずしていたが、去る——にち
首が落ちた話 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
不意に橋の上に味方の騎兵があらわれた。藍色の軍服や、赤い筋や、鎗の穂先が煌々きらきらと、一隊すぐって五十騎ばかり。隊前には黒髯くろひげいからした一士官が逸物いちもつまたがって進み行く。
下着と襦袢とを一緒に脱いで、後向きにお玉の半月のような肩があらわれる。火を吹いていた米友が
大菩薩峠:06 間の山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
幸にも、その時聖徳太子のような曠古こうこの大天才が此世にあらわれて一切の難事業を実に見事に裁決させられた。国是は定まり、国運は伸び、わけて文化の一新紀元がかくせられた。
美の日本的源泉 (新字新仮名) / 高村光太郎(著)
ローヤル・コーラル・ソサイティは『ハレルヤ・コーラス』(JB三三)と『天地創造』の「もろもろの天の神のえをあらわし」「御業みわざは成れり」(JB五四)を入れている。
幾度もバターをなすって幾度も焼いて出来上った時フレッシバターを塗って出しますが、その焼き方が非常にむずかしいので、料理人の腕前をあらわすのはこのビフテキにあるのです。
食道楽:秋の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
その二つの矛盾が作品のすべてに実に顕著にあらわれていること、従って、林氏亀井氏保田与重郎氏の云う日本ロマン派がそのうちに内包し得るものは何であるかということなどなのです。
南穂高から東北にわかれ、逓下ていげして梓川に終る連峰は、この谷と又四郎谷との境で、屏風びょうぶ岩または千人岩(宛字)「信濃、屏風岩、嘉門次」と呼ばれ、何れもよく山容を言いあらわしている。
穂高岳槍ヶ岳縦走記 (新字新仮名) / 鵜殿正雄(著)
なぞはその部分に比較的はつきりとあらわれてゐるやうに伊曾は思つた。彼は執拗しつように凝視を続けてゐた。明子が彼の視線の方向に気づいてゐることはうたがいもなかつた。伊曾はその効果を待つた。
青いポアン (新字旧仮名) / 神西清(著)
おんおもかげの変りたる時にこそ浅墓あさはかならぬわが恋のかわらぬ者なるをあらわしたけれと、無理なるねがいをも神前になげきこそろと、愚痴の数々まで記して丈夫そうな状袋をえらみ、封じ目油断なく
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
度々たび/\行く様に成るとそこは阿漕あこぎの浦に引網ひくあみとやらであらわれずには居ない、其の番頭が愚図/\云うに違いない、うすると私が依怙地えこじに成って何を云やアがる此方こっちじゃア元より一つ長屋に居たんだ
政談月の鏡 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
大慈大悲のこころのあらわれにほかならぬのであります。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
武蔵、喜色おもてあらわシ、願望達セシコトヲ謝ス
巌流島 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
あらわし諸軍浮足立つてぞ見えたりける
川中島合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
(上)あらわれたる事実
黒手組 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
容体がさも、ものありげで、鶴の一声というおもむきもがき騒いで呼立てない、非凡の見識おのずからあらわれて、うちの面白さが思遣おもいやられる。
革鞄の怪 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
いずれも皇国のためを存じ、難有くお受いたせ。又歴々のお役人、外国公使も臨場せられる事であるから、皇国の士気をあらわすよう覚悟いたせ
堺事件 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
今一人はいかにも背の高い、せた、年若な農夫だ。高い石垣の上の方で、枯草の茶色に見えるところに半身をあらわして、モミを打ち始めた。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
この青年ははなはだ無礼な過言かげんを述べたように見えるが、その実、将軍に対して同情と敬畏けいいの念をあらわす考えであったという。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
喜怒色に顕わさず或時あるとき私が何か漢書を読む中に、喜怨いろあらわさずと云う一句をよんで、その時にハット思うておおいに自分で安心決定あんしんけつじょうしたことがある。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
あるいは浮かびあるいは沈み数千里行くを、処三日三夜れ行き殺して出で、自ら行いを改めて忠行もてあらわれたという。
利根川の名は早く既に『万葉集』にあらわれているが、その水源に就て多少なりとも説明の筆を下しているものは、恐らく『義経記』が最初ではあるまいか。
利根川水源地の山々 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
その至難の道の途中で、たまたま、つかれ果て、虚無に襲われ、無為に閉じめられる時——卒然として、めていた敵は、影をあらわして来るものとみえた。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さすれば、水平線に半身をあらわし、日輪を光背とした三尊を描いたであろう。だが、此は単に私どもの空想であって、いまだ之を画因にした像を見ぬのである。
山越しの阿弥陀像の画因 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
のちに越前敦賀つるがに降ってけいたい菩薩ぼさつあらわれ、北陸道を守護したもうなどと、大変なでたらめをいっている。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)