長閑のどか)” の例文
何処からか飼いうぐいすの声も聞えてくると言った長閑のどかさ、八五郎の哲学を空耳に聴いて、うつらうつらとやるには、申分の無い日和ひよりです。
とにかく震災地とは思われない長閑のどかな光景であるが、またしかし震災地でなければ見られない臨時応急の「託児所」の光景であった。
静岡地震被害見学記 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
彼は公園のベンチに腰をかけ、子供達がブランコに乗って遊んでいるのを、如何にも長閑のどかな顔をして眺めながら、長い時間を過した。
心理試験 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
菜の花畑では百姓たちが長閑のどかそうに野良仕事をしているが、賑やかな車輪の響を耳にすると、仕事をやめて、いちように背のびする。
南方郵信 (新字新仮名) / 中村地平(著)
馬琴の家庭は日記の上では一年中低気圧に脅かされ通しで、春風駘蕩たいとうというような長閑のどかなユックリとした日は一日もなかったようだ。
八犬伝談余 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
せきとして人影もない、また足脂あしあぶらに磨かれた広い板敷にも、ちりひとつ見えず、ただ何処からかす春の陽が長閑のどか斜影しゃえいをながしている。
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「私たちの使命が片づいたら、さっそく江戸を引き払って、お前さんのすきな京都へ帰って、長閑のどかなくらしをすることにしましょう」
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
陽気な長閑のどかな日和の時には、晴々と子供らしく、見る者の心まで和らげる彼等は、しんだ日に猶々心を沈ませるような姿を見せる。
小鳥 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
堂とは一町ばかりあわいをおいた、この樹のもとから、桜草、すみれ、山吹、植木屋のみちを開きめて、長閑のどかに春めく蝶々かんざし、娘たちの宵出よいでの姿。
菎蒻本 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
達磨だるまはそれぎり話題わだいのぼらなかつたが、これがいとくちになつて、三にんめしまで無邪氣むじやき長閑のどかはなしをつゞけた。仕舞しまひ小六ころくへて
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
あたりの森林帯もすつかり春めいて彼方此方あちこちの炭焼小屋から立ち昇る煙りまでが見るからに長閑のどからしく梢の間を消えてゆきます。
舞踏会余話 (新字旧仮名) / 牧野信一(著)
蚕飼こがいする時節は長閑のどかに感ぜらるる者なるに、この歌前半の長閑なるに似ず、後半は長閑に感ぜられず、これがために趣味少きにやと存候。
人々に答ふ (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
ステッキをついて猩々しやう/″\のやうに髯を生やした馬鹿に鼻の高い「おろしや人」が虎よりは見物人の方を見乍ら長閑のどかにパイプをかしてゐる。
さながらに井戸の中へ落込んだような長閑のどかな春の日が涯てしもなく続き初めたので、流石さすがに無頓着の平馬も少々閉口したらしい。
斬られたさに (新字新仮名) / 夢野久作(著)
そして客間は、さわやかな春の日の青空と長閑のどかな陽の光が、其處にゐる人々を戸外に呼び出す時だけ、空虚からになつて靜かであつた。
御茶漬すぎ(昼飯後)は殊更温暖あたゝかく、日の光が裏庭の葱畠ねぎばたけから南瓜かぼちやを乾し並べた縁側へ射し込んで、いかにも長閑のどかな思をさせる。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
気ままに寝ッころがらしておいて、寄ってたかって世話を焼き、ぽってりと長い顎を撫でて、うへえと悦に入る長閑のどかな顔が見たいのだという。
顎十郎捕物帳:07 紙凧 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
こゝに於てわれみづから名づくるに来青花らいせいかの三字を以てしたり。五月薫風簾をうごかし、門外しきりに苗売の声も長閑のどかによび行くあり。
来青花 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
自分が幾年かの前に初めて秩父の地に足を入れたのは、丁度朝の露が枯葉に結ぶ霜と変って、小春日和の長閑のどかな空に柿の実が赤い頃であった。
秩父の奥山 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
太陽の光が湯ぶねに落ちている昼ごろ、誰一人客のない、がらんとした風呂で一人、ちゃぶちゃぶと湯を楽しんでいるのは長閑のどかなことである。
めでたき風景 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
すると池上は、人の事でもそういう無邪気で長閑のどかな話を聞くと何だかしゃくに触ると言って、その理由を苦渋そうに話しました。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
暢気のんきな調子が、あのいかつい山岳に、睨みつけられている山奥の小屋と、何のかけかまいもない長閑のどかなリズムをなしておる。
スウィス日記 (新字新仮名) / 辻村伊助(著)
そのとき母親と娘との眼路のはてに、まだ春浅い茜いろにいぶされたような桃花村が静かすぎる空につづいて長閑のどかげに見えた。
みずうみ (新字新仮名) / 室生犀星(著)
人気俳優の家庭を知っていることに聴手ききてが興味をもつであろうと思って、そのくせ自分はキョトンとして居睡いねむりの出そうな長閑のどかな顔をしていた。
一世お鯉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
板谷との長閑のどかな間柄が恋いしくなって来る。きんは、がっかりした気持ちで、しゅんしゅんと沸きたっているあられの鉄瓶てつびんを取って茶をれた。
晩菊 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
莊惠觀魚さうけいくわんぎよの談このかた、魚を觀るのは長閑のどかな好い情趣のものに定つてゐるが、やがて割愛して、今度は艇を捨て、自動車で龍頭りゆうづの瀧へと向つた。
華厳滝 (旧字旧仮名) / 幸田露伴(著)
町家の内儀ないぎや娘らしいのがそれぞれに着飾って、萠黄もえぎの風呂敷包などを首から下げた丁稚でっちを供にれて三々伍々町を歩いている。長閑のどかな景色だ。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
長閑のどかな響きではあっても、やはり生き生きとした華やかな心持ちではなかろうか。奈良の昔の鐘は諸行無常の響きを持っていたとは考えにくい。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
若い詩人仲間の保護者パトロンもつて任じ、たまには詩の一つも作ると云つた風の貴婦人もその若い仲間に取巻かれなが長閑のどかに話して居る。(一月二十三日)
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
ひなびた、ささやかな、むしろ可憐な感じのものながら、流石さすがに初夏の宵の縁日らしい長閑のどかな行楽的な気分が漂っていた。
早稲田神楽坂 (新字新仮名) / 加能作次郎(著)
この頃は正月になっても、人の心を高い空の果へ引揚げて行くような、長閑のどかたこのうなりは全然まるで聞かれなくなりました。
二階から (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
見て吉兵衞は杢右衞門に向ひ兵庫ひやうごおきを今日出帆しゆつぱんせんは如何といふ杢右衞門は最早もはや三が日の規式ぎしき相濟あひすみ殊に長閑のどかなるそらなれば御道理ごもつともなりとて水差みづさし
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
この仇無あどないとしらしき、美き娘のやはらかき手を携へて、人無き野道の長閑のどかなるをかたらひつつ行かば、如何いかばかり楽からんよと、彼ははや心もそらになりて
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
松立てぬうちはあるとも、着物更えて長閑のどかに遊ばぬ人は無い。甲州街道は木戸八銭、十銭の芝居しばいが立つ。浪花節が入り込む。小学校で幻燈会げんとうかいがある。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
しゅん長閑のどかなる、咲く花にさえずる鳥は人工のとても及ばぬものばかりで、富者ふしゃ貧者ひんじゃも共にけて共に喜ぶ権利はことならない
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
長閑のどかにこの春光に向かわば、詩人ならざるもしばらく世俗の紛紜ふんうんを忘れうべきを、春愁堪え難き身のおとよは、とても春光を楽しむの人ではない。
春の潮 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
一首の意は、今日は御所に仕え申す人達も、おひまであろうか、梅花を揷頭かざしにして、此処の野に集っていられる、というので、長閑のどかな光景の歌である。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
うす雲の間から、れる弱い日影は、藁葺屋根わらぶきやねの上に照って、静かな、長閑のどかな天気でありました。やがて大暴風雨おおあらしのする模様などは見えませんでした。
嵐の夜 (新字新仮名) / 小川未明(著)
死の一歩手前まで、い詰められたような私の気持とは、およそ、似ても似つかぬ長閑のどかさであった。きつねにつままれたような顔をして、家へ辿たどりついて
雷嫌いの話 (新字新仮名) / 橘外男(著)
やがて四人は、テーブルの側へ集つて紅茶など飲んだ。そこに先刻さつきの電報が、吾妻の目にもついた。長閑のどかな天気であつた。
花が咲く (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
が、その人達を招いた彼だけは、たゞ一人怏々たる心を懐いて、長閑のどかな春の日に、悪魔のやうな考へを、考へてゐる。
真珠夫人 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
併しコウした優しい環境の中に生活して、私は従来経験したことの無い長閑のどかさと幸福とを享楽することが出来た。
馬鈴薯からトマト迄 (新字旧仮名) / 石川三四郎(著)
しづ心なく花の散るらむ——なぞと言へば余り莫迦げた長閑のどかさすぎると思はれるかも知れないが、何んだかヂッと瞑目して明るい日向に項垂れてゐると
竹藪の家 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
この句の咏嘆しているものは、時間の遠い彼岸ひがんにおける、心の故郷に対する追懐であり、春の長閑のどか日和ひよりの中で、夢見心地に聴く子守唄こもりうたの思い出である。
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
新暦の三月三日はまだ薄寒いが、旧暦の三月三日は、いわゆる桃の節句で、桜も咲けば、桃も咲き、蝶も飛び蜂も飛ぶ、一年中の最も長閑のどかな季節である。
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
いかさま「日本娘の寵神フラッパア・アイドル——カブキの偶像」がまさしくひげをそっているとみえて、水の音が長閑のどかにきこえてくる。
この場所のある記憶は、永遠に残るのであろう——静かな道路、深い蔭影、村の街路を長閑のどかに歩き廻る森の鹿、住民もまた老幼を問わず同様に悪気が無い。
そう云う長閑のどかな春の日の午後、あめ安河やすかわの河原には大勢の若者が集まって、余念もなく力競ちからくらべにふけっていた。
素戔嗚尊 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
周囲を取巻く岳樺の背から、残雪を帯びた奥不帰の連峯が、古びた土器かわらけ色に、尖ったりふくらんだりして、この長閑のどかな春めく光りの小天地をのぞきこんでいる。
ある偃松の独白 (新字新仮名) / 中村清太郎(著)
つまり、内角が外角に変ってしまうのですが、いまあの生物は引ん曲った溝を月の山のようにくねらせて、それは長閑のどかな、憎たらしい高鼾たかいびきをかいておりますの。
白蟻 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)