はる)” の例文
松と草藪くさやぶ水辺すいへんの地面と外光と、筵目むしろめも光っている。そうして薄あかい合歓ねむの木の花、花、花、そこが北島、むこはるかが草井の渡し。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
お鶴が石壇にかかりますと、もうはるか奥に、鏡が一面、きらきらとあおい月のように光ります前に、白丁はくちょうを着た姿が見えたといいます。
わか紫 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
代助は独りで考えるたびに、自分は特殊人オリジナルだと思う。けれども要吉の特殊人オリジナルたるに至っては、自分よりはるかに上手うわてであると承認した。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
大船二十四艘、小舟共は、数も知らず、はるかに押し出すほどに、いま一霞ひとかすみ、心細う、まことに二千里の外の心地もする……。〔増鏡〕
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
最初僕らをつまみ出せの、気ちがいめのと罵っていた聴衆が、今までの弁士に対するよりもはるかに盛んに、猛烈な拍手を浴びせかけた。
新秩序の創造:評論の評論 (新字新仮名) / 大杉栄(著)
それだのに収穫の時になって見ると、石油をまいた多くの田より、まかなかった文次郎の田の収穫がはるかにまさっていたということです。
大菩薩峠:25 みちりやの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
スパセニアが番人にいい付けて、水門を開いて水を落して見せるのだと、私たちを離れてはるかの小舎こやの方へ駈け去っていった時でした。
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
ただはるかにかの西方の覚者救済者阿弥陀仏に帰してこの矛盾の世界をはなるべきである。それ然る後に於て菜食主義もよろしいのである。
ビジテリアン大祭 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
東京旧市内の、震災の大火にあわなかった地域には、その後発展した新しい大東京の場末などよりも、はるかにさびしい場所がいくつもある。
暗黒星 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
カントの超絶てうぜつ哲学てつがく余姚よよう良知説りやうちせつだいすなはだいなりといへども臍栗へそくりぜに牽摺ひきずすのじゆつはるかに生臭なまぐさ坊主ばうず南無なむ阿弥陀仏あみだぶつおよばず。
為文学者経 (新字旧仮名) / 内田魯庵三文字屋金平(著)
大江山課長は双眼鏡を借りて指さされたはる彼方かなたの海上を見た。なるほど水上署の旗をひるがえした一艘の汽艇が矢のように沖合を逃げてゆく。
地中魔 (新字新仮名) / 海野十三(著)
月光散りしく城内はるかの広場の中を騎馬の一隊に先陣させた藩兵達の大部隊が軍鼓を鳴らし、法螺ほらを空高く吹き鳴らし乍ら
十万石の怪談 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
かの女はそういうものがまれにはかの女の遠方えんぽうるのを感じる。しかし遠いものは遠いものとしてはるかに尊敬の念を送って居たい。
かの女の朝 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
それなかには橘姫たちばなひめよりもはるかに家柄いえがらたかいおかたもあり、また縹緻きりょう自慢じまんの、それはそれは艶麗あでやか美女びじょないのではないのでした。
坂を見てゐると、その風景の向うに、別のはるかな地平があるやうに思はれる。特に遠方から、透視的に見る場合がさうである。
田舎の時計他十二篇 (新字旧仮名) / 萩原朔太郎(著)
それはその一かたまりの藻草の上をはるかにすべって、思わぬ方の、ずっと遠方の水底に根を下ろしていることが明白になったのであります。
俳句の作りよう (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
ねえ、そうでしょう、まっくらな夜、森の中を歩いてゆく人が、はる彼方かなたに一点のともしびのまたたくのを見たら、どうでしょう。
いな/\もっとはるかに遥かに遠いところまで、一緒に乗って行きたいような、切ない情熱が、胸にいて来るのをうすることも出来なかった。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
法隆寺の北裏に連なる丘陵を背にして、はるかに三笠みかさ山のふもとにいたる、いにしえの平城京をもふくめた大和平原の一端が展望される。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
病み疲れてヘトヘトになりかけている彼にとっては、その把手にすがって押して歩く方が、手ぶらで蹌踉よろめき歩くよりもはるかに楽な気持ちがした。
童貞 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
パストゥールに集まった投票の数があの名だかいナポレオンをさえはるかにとび超えて絶対的な第一位を占めたということでもよくわかるのです。
ルイ・パストゥール (新字新仮名) / 石原純(著)
帰りは土手の左手はるかに火葬場の煙突が立っていますが、夜でなければ煙は見えません。お兄様の機嫌もよいようなので
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
しかし同僚どうりょう瞞着まんちゃくするよりも常子の疑惑を避けることははるかに困難に富んでいたらしい。半三郎は彼の日記の中に絶えずこの困難を痛嘆している。
馬の脚 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
手帳は、空中で風を受け、瞬間しゅんかん止まったようでしたが、ふっとき飛ばされると、もう、はるかの船腹におちていました。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
幸子がそう云って、首を振ったり手を挙げたりすると、凸面鏡の中の彼女もはるかな所で首を振ったり手を挙げたりする。
細雪:03 下巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
今の交番などよりははるかに多く、駕籠かごのほかには交通機関というものがなかっただけに、取締とりしまりの目は届いたわけです。
銭形平次捕物控:282 密室 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
市長はちまた分捕ぶんどり、漁人は水辺におのが居を定めた。すべての分割の、とっくにすんだ後で、詩人がのっそりやって来た。彼ははるか遠方からやって来た。
心の王者 (新字新仮名) / 太宰治(著)
私は一羽の鳶が螺旋を描きながら舞いあがっているはるかの鎮守の森のかたわらに眺められる黒い門の家を指差して、同じ方角にゼーロンの首を持ちあげて
ゼーロン (新字新仮名) / 牧野信一(著)
彼が新言語を用うるに先だつ百四、五十年前に芭蕉一派の俳人は、彼が用いしよりもはるかに多き新言語を用いたり。
曙覧の歌 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
……時には、あれは自分とはまるで縁もゆかりもないはるかな遠つ世の語り伝えだったような気さえ致しますのじゃ。
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
振り返って、「はるけくも来つる哉」という想いがないでもない。また一方、「民藝」という言葉を使い初めたのは、つい先日の事のようにも思われる。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
靖国神社やすくにじんじゃの前を通る時には、心から黙祷もくとうを捧げたが、宮城の前では二人とも自動車からおりてはるかに最敬礼した。
秘境の日輪旗 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
気がつくとはるか向うでコツコツ何かやっている。さながら、人跡未踏じんせきみとうの山奥が、生れながらの住家のようで、七十を越した人などとはとても思われない。
旧聞日本橋:08 木魚の顔 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
偽善者とそうでない者との区別は、阿諛的であるかどうかにあるということができるであろう。ひとにおもねることは間違ったことを言うよりもはるかに悪い。
人生論ノート (新字新仮名) / 三木清(著)
やはり海上はるかあなたに、そこから日輪の上ってくる三つの島があることを、人が共同に夢みていたのだと思う。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
なるほどはるか向うの街道を騎馬の人が駆歩かけあししている。駆歩する馬のしりえには少しずつ土げむりが立って見える。
玉菜ぐるま (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
この時、私の師匠東雲師の家は諏訪町にあることとて、火事は裏通り、大分はるかに右手に当って焼け延びているのであるから、さして気にも留めずにいた。
それは、遠い、はるかな、しかし今日、彼が感じつづけていたそれと同じうずきだった。それを、彼は思い出した。
待っている女 (新字新仮名) / 山川方夫(著)
昨夜来さくやらいしきりにり来る雨は朝に至りて未だれず、はるかに利根山奥をのぞむに雲烟うんえん濛々もう/\前途漠焉ばくえんたり、藤原村民の言の如く山霊さんれい果して一行の探検たんけんを拒むかとおもはしむ
利根水源探検紀行 (新字旧仮名) / 渡辺千吉郎(著)
はる川上かはかみの空のはづれに夏の名残なごりを示す雲のみねが立つてゐて細い稲妻いなづま絶間たえまなくひらめいては消える。
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
淼々びょうびょうたたえられた湖の岸には町の人達、老若男女が湖水をはるかに見渡しながら窃々ひそひそ話に余念がない。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
自分の前に立っているものとは自分はよほどずっと以前のある時期——無限にとさえ言っていいくらいはるかな過去のあるとき——から知り合っているのだという信念を
この巴里パリーって町にゃあ物凄ものすげえとこがあるってんで、はええ話が、いぎりす人やめりけんなんか、汗水流して稼いだ金ではるばるそいつを見にやって来るてえくれえのもんだ。
我邦わがくにの教育は英国式か仏国式かはた独逸式か、独逸に於てはフレーベルの著書に見るも修身教育のあがらざるを知るべくして、品格品行等はるかに英米の生徒に及ばず、独逸
教育の最大目的 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
筑波の影が低くはるかなるを見ると我々はかん八州の一隅に武蔵野が呼吸している意味を感ずる。
武蔵野 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
しょせんは湯豆腐を冷たくしたものに過ぎないが、冬の湯豆腐よりも夏の冷奴の方が感じがいい。湯豆腐から受取る温か味よりも、冷奴から受取る涼し味の方がはるかに多い。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
見ていると、はるか向うに、また彼らの姿が現われる。彼らは遠く地平線に辿たどりつく。丘をじながら、軽やかに、太陽の方へ昇って行く。彼らは太陽に近づき、少し離れて寝る。
博物誌 (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
とにかくお手もとの御本は、院のお供をして、承久乱後隠岐おきに移された。院はそれをもとにして、多くの歌を除かれ、はるか歌数の少ない御本を作られ、それに跋文ばつぶんを添えられた。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
それははるかなる土地の文明の余光であって、年寄りたちがお説教できいてくる仏教の因果話と地獄極楽の絵とで培われた子供たちの頭には、幻惑的な閃光せんこうをもたらすものであった。
簪を挿した蛇 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
はるかに聞ゆる九十九里くじゅうくりの波の音、夜から昼から間断なく、どうどうどうどうと穏やかな響きを霞の底に伝えている。九十九里の波はいつでも鳴ってる、ただ春の響きが人を動かす。
春の潮 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)