たく)” の例文
死骸になつて居る左吉松は、『喧嘩』といふ綽名あだなを取つて居るだけに、小造りではあるが、三十五六の、申分なくたくましい男でした。
今までにどこか罪な想像をたくましくしたというましさもあり、まためんと向ってすぐとは云いにくい皮肉なねらいを付けた自覚もあるので
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
客舍の前にはたけひくたくましげなる男ありて、車の去るを見送りたるが、手に持てる鞭を揮ひて鳴らし、あたりの人に向ひていふやう。
一人の女の膝の上には、大きい年寄つたポインタ種の犬がそのたくましい頭を休めてをり——も一人の前掛には黒猫が蔽はれてゐた。
宮の背後から、ぬっと出て来たのは、筋骨たくましい村の若者であった。それは怪獣のような鋭い眼をして、繁りの青萱の中を睨みつめた。
壁の眼の怪 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
それに引かえ僕のおとと秀輔ひですけは腕白小僧で、僕より二ツ年齢としが下でしたが骨格も父にたくましく、気象もまるで僕とはちがって居たのです。
運命論者 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
おびたゞしい庭石や石燈籠いしどうろうるゐを積んだ大きな荷車を、たくましい雄牛に曳かして來るのにも逢つた。牛の口からは、だら/\とよだれが流れてゐた。
東光院 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
武士あがりの、たくましい顔の五郎蔵は、額からも頤からも汗をしたたらせ、火のような息をしながら、先頭に立って走っていた。
血曼陀羅紙帳武士 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
室に入りて相対して見れば、形こそ旧に比ぶれば肥えてたくましくなりたれ、依然たる快活の気象、我失行をもさまで意に介せざりきと見ゆ。
舞姫 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
けたたましき跫音あしおとして鷲掴わしづかみに襟をつかむものあり。あなやと振返ればわが家の後見うしろみせる奈四郎といえる力たくましき叔父の、すさまじき気色けしきして
竜潭譚 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
若者の心の中には、両方に刃のついたつるぎやら、水晶をけずった勾玉やら、たくましい月毛つきげの馬やらが、はっきりと浮び上って来た。
素戔嗚尊 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
年は三十四、五だろうか、色のくろい愚直そうな顔で、ちから仕事をした者に特有の、こごんだたくましい肩と外へ曲った太い足とが眼立った。
泥棒と若殿 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
それも、たくましいファイトを持つて生きてゐるのだと思ふと、今度は、自分の方が、此の女に追ひ詰められさうな気がした。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
銀色のにれの大樹がたくましい幹から複雑な枝葉を大空に向けて爆裂させ、押し拡げして、澄み渡った中天の空気へ鮮やかな濃緑色を浮游させて居る。
決闘場 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
まさにこの地点で薄幸なアンドレは捕まったのであり、この栗や葡萄づるのかげにたくましい郷士たちが身をかくし、彼に不意打ちをくわしたのだ。
かろ服裝ふくさうせる船丁等ボーイらちうになつてけめぐり、たくましき骨格こつかくせる夥多あまた船員等せんゐんら自己おの持塲もちば/\にれつつくりて、後部こうぶ舷梯げんていすで引揚ひきあげられたり。
そして、剣技と、士魂とを、一松斎や孤軒からしえこまれて、その敵が、多ければ多いほど、心をたくましくすべきだということを覚悟している。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
それとは直角に七葉樹しちようじゅの並木が三列に植えられ、既に盛り上がるように沢山たくさんの花の芽を持っている。どれもこれも六七十年のたくましい喬木きょうぼくであった。
金眸がひげちりをはらひ、阿諛あゆたくましうして、その威を仮り、数多あまた獣類けものを害せしこと、その罪諏訪すわの湖よりも深く、また那須野なすのはらよりもおおいなり。
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
久「いゝえ桜川の庵室に居ったから、それを姓として櫻川又市というので、面部かおに疵があり、えゝ年は四十一二で、立派なたくましい骨太ほねぶとの剛い奴で」
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
たくましい喉の動きを呆然とみつめながら、まるで、あっという間に自分が彼の喉を通り、彼の中にみこまれてしまったようなはげしい惑乱をおぼえた。
(新字新仮名) / 山川方夫(著)
まして筋骨きんこつたくましい、武家育ぶけそだちのわたくし良人おっとなどは、三食事しょくじを一にしてもよいくらい熱心ねっしんさでございました。
彼はあくまでたくましき野心を有せり、彼の二十年来大いに為す所なきは、為さんと欲するの機会を待ちたるなり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
既に藤の花も散り、あのじめじめとした悒鬱ゆううつな梅雨が明けはなたれ、藤豆のぶら下った棚の下を、たくましげな熊ン蜂がねむたげな羽音に乗って飛び交う……。
鱗粉 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
と、そのたびごとに担ぎ手の腕が一斉に高く上へ伸びきると、たくましい万豊の体躯は思い切り高くほうりあげられて、その都度空中に様々なるポーズを描出した。
鬼涙村 (新字新仮名) / 牧野信一(著)
わたしのこうした空想はだんだんにたくましくなって、その晩の夢に、かのダイヤモンドのきらめく手と、腕環のかがやく腕とを、ありありと見るようになった。
かなしみにけてしまった初老の女は、たくましい男にうしろをかかえられ、夜風の戸外に連れだされた。その跡にはかみしも姿の高倉祐吉がぴたりと坐っていた。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
一進一退、うらむきおもてむき、立ったりしゃがんだり、黒紋付の袖からぬっと出たたくましい両の手を合掌がっしょうしたりほどいたり、真面目に踊って居る。無骨ぶこつで中々愛嬌あいきょうがある。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
表現派や立体派の求めるところは、鉄と機械によってがっしりと造られている、骨骼のたくましいリズミカルのもの、即ちクラシックの形式詩体でなければならない。
詩の原理 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
筋骨たくましい大兵だいひょう肥満の黒々くろぐろした巨漢と振袖然ふりそでぜんたる長い羽織を着た薄化粧したような美少年と連れ立って行くさまは弁慶と牛若といおう髯奴ひげやっこ色若衆いろわかしゅうといおう乎。
あのそばじゃ、おれが、誰やらんたくましき、敵の大将の手にき入ッて騎馬を三人打ち取ッたのは。
武蔵野 (新字新仮名) / 山田美妙(著)
数日の後、長羅の顔は蒼白あおじろせたままに輝き出した。そうして、たくましく前にかがんだ彼の長躯は、駿馬しゅんめのように兵士たちの間を馳け廻っていた。出陣の用意は整った。
日輪 (新字新仮名) / 横光利一(著)
まどろむこと一瞬間、焚火も全く消えた、一個のたくましい木像と、一個の冷たい大理石像と、小舎の中に横わる、一は依然として動かないのに、一はうごめいて待つものあり。
奥常念岳の絶巓に立つ記 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
娘たちはみにくかったが、父親に似て色の白いのや、母親似で太くたくましいので、とにかく四隣を圧し、押えに番頭さんの女房であるせた、ヒョロヒョロの青黄ろい、しわの多い
非常にたくましい意志をもち、しかもその意志の蔭に人一倍に繊細な神経をひそめていた
幼年時代 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
可成かなりたくましい赤黒い腕が、たくし上げた縞のシャツの袖口からくゝられたやうに出て見えた。人々は何をするのかと思つてその赤い腕とその上に載せられた白い大根とを見比べた。
手品師 (新字旧仮名) / 久米正雄(著)
然れども、犯人は相当の学識あり、麻酔剤の使用に慣れ、思慮深く、且つ腕力たくましからざる者なる事、及び犯行が呉一郎に及ぶ事を好まざりし者なる事を推測しべし。(中略)。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
我我の棲息する陸地をばすべて皆光明の網を以て手許へ引き寄せようとする海上の日と見える。太陽と云ふ大力のその男はたくましい裸体で、健康さうな赤い皮膚を持つてゐると作者は見た。
註釈与謝野寛全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
それが全く私の邪推じゃすいで、娘時代の理想に良人おっとが高利貸に責められるというような事も想像しませんからただ驚きのあまり色々な邪推を起したのです。極端まで邪推をたくましくしたのです。
食道楽:冬の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
下男はいわゆる中間ちゅうげんで、年のころは二十四、五の見るからたくましそうな男ぶりであった。彼は型のごとくに一本の木刀をさして、何かの小さい風呂敷づつみを持って、素足に草鞋をはいていた。
(新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
老母の髪はもう白く、子はたくましいが、まだ十六、七歳にしか見えない。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
毛布を腰のあたりまでいで、ガーゼの寝間着一枚でいるのであるが、はだけた襟元えりもとやまくれ上った袖口そでぐちから見える胸や二の腕のたくましさなども変りはなく、ただ、繃帯ほうたいが耳のところで十文字に
細雪:02 中巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
のがれんと胸中にたく佞辯ねいべんふるひけるを大岡殿はなほも心長く聞居られければ平左衞門は十分に奸智かんちたくましうし主税之助の惡事あくじを其の身に引請ひきうけ主人を救ふていに見せ掛兎角私しの不調法故此上このうへは私しを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
たくましい野良猫と思いの外、まだほんの小猫であった、少々案外の思いをして、よし/\此奴なら痛しめるほどのことはないと、有り合わせた肴のくずをとって投げ与えると、恐る恐る近寄って来て
さほど瘠せてはおらず、骨組みのたくましい大きな男である。
(新字新仮名) / 島木健作(著)
たくましくゆかりあり気な一人の人物と見える
老将軍と大学教授 (新字新仮名) / 今野大力(著)
しかし何というたくましい女性なんだろう。
赤外線男 (新字新仮名) / 海野十三(著)
雄誥をたけぶ夢ぞたくましき、あはれ、丈夫ますらを
海潮音 (新字旧仮名) / 上田敏(著)
と二人はたくましい表情をした。
嫁取婿取 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
亭主の天童太郎は四十前後の立派な男で、背は低い方ですが、顏立ちも精悍で、筋骨のたくましさは、さすがに多年のきたへを思はせます。