田舎いなか)” の例文
旧字:田舍
反応を要求しない親切ならば受けてもそれほど恐ろしくないが、田舎いなかの人の質樸しつぼくさと正直さはそのような投げやりな事は許容しない。
田園雑感 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
或る人が来て、景色の好い上に馬鹿に安い地所があるから移転ひっこさないかと云うから、何処かと聞くと、市外五里の辺鄙な田舎いなかである。
駆逐されんとする文人 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
広々した構えの外には大きな庭石を据並すえならべた植木屋もあれば、いかにも田舎いなからしい茅葺かやぶきの人家のまばらに立ちつづいている処もある。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
武州榛沢はんざわ村から出てきたばかりで、まだどこか泥くさい田舎いなか出の様子が抜けきれていない。うす菊花石あばたがあって、背の低い方だった。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
自分が最も熱心にウォーズウォルスを読んだのは豊後ぶんご佐伯さいきにいた時分である。自分は田舎いなか教師としてこの所に一年間滞在していた。
小春 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
ぽっと出の田舎いなか娘が、これほどの成功をかち得たのだから、満足してもよさそうなものなのに、欲望と野心は際限のないものである。
「ねえ、」とおかあさんがった。「あの田舎いなかきましたの、ミュッテンの大伯父おおおじさんのとこへ、しばらとまってるんですって。」
おじいさんのうちまちはしになっていまして、そのへんはたけや、にわひろうございまして、なんとなく田舎いなかへいったようなおもむきがありました。
おじいさんの家 (新字新仮名) / 小川未明(著)
昔の中将が言葉を尽くして宮の御容姿をほめたたえているのを聞いていて、夫人はこの人も田舎いなかびたものであると思って笑っていた。
源氏物語:52 東屋 (新字新仮名) / 紫式部(著)
あなたの言葉は田舎いなかの女学生丸出しだし、かみはまるで、老嬢ろうじょうのような、ひっつめでしたが、それさえ、なにか微笑ほほえましい魅力でした。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
彼女の驕慢きょうまんと愛情とはしみじみとそそられた。彼女は幼い初恋のうれしさに浸り込んだ。オリヴィエはその田舎いなか紳士をきらいだった。
自分も六十に手が届くやうになり、田舎いなかの閑居で退屈まぎれに、同棲どうせい三十年近くで、はじめて妻といふ女を見直して見るのであつた。
上田秋成の晩年 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
その山地をおりて、例の川にかった古風な木橋を渡ると、そこはどこの田舎いなかにもあるような場末で、葉子の家もそう遠くなかった。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
金額としてはそう驚くほどではないにしても、銭に換えてこうして積み上げると、田舎いなかの者の眼を驚かすに足るほどの夥しさでした。
これに反して田舎いなかでは、正月とぼんは申すに及ばず、大小の祭礼や休みの日には、カハリモノと称して通例でない食物を給与せられる。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
しかも田舎いなか教師の三吉としてはすくなからぬ高である。前触まえぶれも何もなく突然こういうものを手にしたということは、三吉を驚かした。
家:01 (上) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
ある時家族じゅうで北国のさびしい田舎いなかのほうに避暑に出かけた事があったが、ある晩がらんと客のいた大きな旅籠屋はたごや宿とまった時
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
麦畑むぎばたけ牧場ぼくじょうとはおおきなもりかこまれ、そのなかふか水溜みずだまりになっています。まったく、こういう田舎いなか散歩さんぽするのは愉快ゆかいことでした。
ソーリン (ステッキにもたれながら)わたしはどうも、田舎いなかが苦手でな、この分じゃてっきり、一生この土地には馴染なじめまいよ。
「それとも何かあの事以外に、悲しい事でもあるのかい? たとえば日本へ帰りたいとか、支那でも田舎いなかへは行きたくないとか、——」
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
八月の半ばも過ぎてから、爺さんは自分の甥とかのいる田舎いなかあゆを食べに行こうと、奥さんとお嬢さんをしきりに誘っていました。
朴の咲く頃 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
道徳的には此上このうえもなく評判の悪い男でしたが、彼がその性格において、田舎いなか源氏の光氏であり、一代男の世之介よのすけであればあるほど
石田は平生天狗てんぐんでいて、これならどんな田舎いなかに行軍をしても、補充の出来ない事はないと云っている。たまには上等の葉巻を呑む。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
また下士の内に少しく和学を研究し水戸みとの学流をよろこぶ者あれども、田舎いなかの和学、田舎の水戸流にして、日本活世界の有様を知らず。
旧藩情 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
つうじると、田舎いなか者らしい小女こおんなの取次で、洋館の方の応接間へ案内されたが、そこには静子が、ただならぬ様子で待構えていた。
陰獣 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
「僕はこんな田舎いなかにあんな人がいようとは思わなかった。田舎寺には惜しいッていう話は聞いていたが、ほんとうにそうだねえ。……」
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
田舎いなか芸者の安っぽい涙と同じものでありながら、愚かにもその感傷に引き込まれて自分までが眼がしらのうるむような感じになる。
蓼喰う虫 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
その時の私は父の前に存外ぞんがいおとなしかった。私はなるべく父の機嫌に逆らわずに、田舎いなかを出ようとした。父はまた私をめた。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
と笑わずに言って、次のように田舎いなかの秘話を語り聞かせてくれた。以下「私」というのは、その当年三十七歳の名誉職御自身の事である。
(新字新仮名) / 太宰治(著)
「そんなことをってもねこにはかなわないよ。それよりかあきらめて、田舎いなかってねずみになって、気楽きらくらしたほうがましだ。」
猫の草紙 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
東京のダンスホールと違い、田舎いなかのダンスホールは設備こそ匹敵するが踊る人は数える程しかいないからちっとも陽気じゃない。
流浪の追憶 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
田舎いなかから京都に戻ったあの翌日あくるひ高雄へ紅葉を見に行かずに、ここへ来たら、何とか女の様子も分ったろうに、と、思ったがしかたがない。
狂乱 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
神慮しんりょ鯉魚りぎょ等閑なおざりにはいたしますまい。略儀ながら不束ふつつか田舎いなか料理の庖丁をお目に掛けまする。」と、ひたりと直つて真魚箸まなばしを構へた。
伯爵の釵 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
田舎いなかのこととて、どこの学校にも音楽専任の先生はいなかった。どの先生もじぶんの受けもちの生徒に、体操も唱歌も教えねばならない。
二十四の瞳 (新字新仮名) / 壺井栄(著)
「今晩はだめだよ、今度にしよう」何か考えて、「どうだ、おいらの家へ往かないか、このごろ、親爺は、田舎いなかへ往って留守なのだよ」
春心 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
お前は言った、「田舎いなかへ来ないとせいせいしない」。それは、お前か、お前の魂で、町の中の宮殿を買うことができないからだ。
しかしまた、田舎いなかの男に対しても錯覚していたにちがいない。なぜなら、この男に対して下位にありながら、それを知らないからである。
審判 (新字新仮名) / フランツ・カフカ(著)
そして或る他の別な詩人等は、いて言語に拳骨げんこつを入れ、田舎いなか政治家の演説みたいに、粗野ながさつな音声で呶鳴どなり立てている。
詩の原理 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
なみだをじくじくこぼし、「だれがかえってやるもンか、田舎いなかへ帰っても飯が満足に食えんのに……今に見い」私は母の手紙の中の
清貧の書 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
田舎いなかの人達は心配でたまりませんでした。そのままでゆけば、田畑の作物はみなだめになって、秋の収穫は何もなくなります。
ひでり狐 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
田舎いなかのことであるから、こういう生活はかなり烈しい肉体的労働をも意味した。父の一生はいわば任務を果たすための苦行くぎょうの連続であった。
蝸牛の角 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
康子の荷物は息子の学童疎開地へ少し送ったのと、知り合いの田舎いなかへ一箱預けたほかは、まだ大部分順一の家の土蔵にあった。
壊滅の序曲 (新字新仮名) / 原民喜(著)
それに父の病家は近くが多く、車で行くのは田舎いなかばかりですから、女の子の供にはあれがよかろう、ということになりました。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
胸をあらわにびっくりした目つきをしてその見知らぬ男をこわごわながめながら、低く田舎いなか言葉で「どろぼう」とつぶやいた。
田舎いなかびた鷹揚おうような、鈍重なその日その日だった。激しい江戸の生活で疲労していた若松屋惣七の神経は、恐ろしいスピイドで恢復かいふくしつつあった。
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
そして、こんどは、美しい花園はなぞのの中を通りぬけて、田舎いなかへ出ました。二人はずいぶん歩きました。アラジンは、そろそろくたびれはじめました。
そのころ自転車じてんしゃ日本にっぽんにはいってたばかりのじぶんで、自転車じてんしゃっているひとは、田舎いなかでは旦那衆だんなしゅうにきまっていました。
牛をつないだ椿の木 (新字新仮名) / 新美南吉(著)
「それジワジワとおいでなすったぞ。この大江戸の話ばかりが資金もとでいらずの資金というものさ。田舎いなかの女をたらすにはこれに上越うえこすものはないて」
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
マッチということばは今どんな田舎いなかでも用いている。しかるに僕の子供のときは早附木はやつけぎといったものだ。今はそんなことをいうものはほとんどない。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
それにあなたを一目見るとなんとも言えないあわれな気がしたのよ、あなたはきまり悪そうに、おずおずして言葉も田舎いなかなまりのままでしたわね。
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)