かえ)” の例文
むしろ、すこし前に進み出て右手を心持前にし、静かに退いて、もとの姿勢にかえる方が「自分は鬼」という心持の表現に合致している。
能とは何か (新字新仮名) / 夢野久作(著)
楊はもう気絶してしまって、その後のことは知らなかったが、夜が明けて正気にかえった頃には、そこらに何者の姿もみえなかった。
『古今集』以後空想の文字に過ぎざりし恋の歌は元義に至りて万葉の昔にかえり再び基礎を感情の上に置くに至れり。吾妹子の歌左に
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
油断せる貫一が左の高頬たかほを平手打にしたたくらはすれば、と両手に痛をおさへて、少時しばしは顔も得挙えあげざりき。蒲田はやうやう座にかえりて
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
甚あわれになった。天狗犬は訴うる様な眼付めつきをしてしば/\彼を見上げ、上高井戸にってかえるまで、始終彼にくっついてあるいた。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
やがて正気しょうきかえってから、これはきっと神様が意見をして下さるのか、それともきつねたぬきかされたのか、どちらかだろうと思いました。
泥坊 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
世の妻たちは、一日も早く良人のかえりの早いのをいのっていると云うのに……、千穂子は、一日も遅く良人が帰って来ることを祈っていた。
河沙魚 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
一方では乳母が早く/\とき立てるので、それから先は悲しいよりも火の粉の熱さを避ける方に心を奪われ、よう/\我にかえった時は
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
とこういうべきいとまあらず、我にかえるとお杉もいたくお若の身を憂慮きづかっていたので、飛立つようにして三人奥のへ飛込んだが、ああ
註文帳 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
女房が自然と正気にかえった時には、おっとも死ねなかったものとみえて、れた衣服で岸に上って、傍の老樹の枝に首をって自らくびれており
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
scientific ではどうか知らないけれども精神界ではまったく同じものが二つは来ないゆえに全然旧にはかえらない。
おはなし (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
お呼びしたのですが、間もなく正気にかえって、この通りお元気です。幸いちっともお怪我けがが御座いません、お呼び立てしてすみませんでした
焔の中に歌う (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
それわが国いにしえより教あり、天然の教という。その法、人をしておのずか本然ほんぜんの性にかえらしむるものにして、すなわち誠心の一なり。
教門論疑問 (新字新仮名) / 柏原孝章(著)
お島が説明してきかす作太郎の様子などで、その時はそれでけるのであったが、その疑いは護謨毬ゴムまりのように、時が経つと、またもとかえった。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
それへ、筆太に、目付役たちが、黒々と書いて、大手門やその他の下馬下馬へ、掲げだしたので、ようやく、群衆は静粛せいしゅくかえった。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
およびその右手のこととて、彼にのり移るのも不思議はなかったが、その後一時平静にかえったシャクが再び譫言を吐き始めた時、人々はおどろいた
狐憑 (新字新仮名) / 中島敦(著)
鮨屋の中三分一即ち二度目の出より弥左衛門に突込まるるまでの権太はすでに善心にかえりたれど、なほ悪棍を装ふものとし
時に野性にかえり掛かる例なきにあらざれど容易たやすく制止し得る、南米曠野の野馬は数百年間人手を離れて家馬の種が純乎たる野馬となったのだが
さきの世に恨のあったものが馬の形に宿りまして、生れ変ってあだをこの世にかえしたものであろう、というような臆測が群集の口から口へ伝わりました。
藁草履 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
馬車の所へかえって来て、穴川甚蔵に、寝間は何所に在るかと聞いた、早く彼を家の中へ寝かして遣らねば成らぬから。
幽霊塔 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
日本外史にほんがいしとどっちがおもしろい」と僕が問うや、桂は微笑わらいを含んで、ようやく我にかえり、いつもの元気のよい声で
非凡なる凡人 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
それは今まで乗り移っていた、得体の知れないけだものがぬけ去って本来の人にかえったようで、それからの母は手紙なぞ一本も書かなかったそうである。
抱茗荷の説 (新字新仮名) / 山本禾太郎(著)
吾人ごじんの先祖は猛獣毒蛇に追い廻されて安眠も出来ぬ時代が有っただろう。吾人はその時代にかえったと同じ事だ。
暗黒星 (新字新仮名) / シモン・ニューコム(著)
某これより諸国をぐり、あまねく強き犬とみ合ふて、まづわが牙を鍛へ。かたわら仇敵の挙動ふるまいに心をつけ、機会おりもあらば名乗りかけて、父のあだかえしてん。
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
けれど、尾田さん、僕らは不死鳥です。新しい思想、新しい眼を持つ時、全然癩者の生活を獲得する時、再び人間として生きかえるのです。復活そう復活です。
いのちの初夜 (新字新仮名) / 北条民雄(著)
ヘルマンはしばらく我れにかえることが出来なかったが、やっとのことで起ち上がって次の間へ行ってみると、伝令下士はゆかの上に横たわって眠っていたので
先以まずもって御主人様のお遺書かきおき通りに成るから心配するには及ばん、お前は親のかたきは討ったから、是からは御主人は御主人として、其の敵をかえし、飯島のお家再興だよ
一週もすりゃ水が退く。そこで艀を仕立てて、お前等みんなしてシベリヤじゅうをのして廻る。ところが俺は居残って、こっち岸と向う岸をかえりしはじめる。
追放されて (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
我らは中国がこの際唐朝以前のいにしえかえり正しき国民軍隊を建設せん事を東亜のために念願するのである。
戦争史大観 (新字新仮名) / 石原莞爾(著)
警官の巡回を増してもらうやら、二人いる書生の上に更に屈強な青年を一人傭入やといいれるやら、珠子の通学のかえりには書生をともさせるやら、出来る丈けの用心をした。
妖虫 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
解官されて源氏について漂泊さすらえた蔵人くろうどもまたもとの地位にかえって、靫負尉ゆぎえのじょうになった上に今年は五位も得ていたが、この好青年官人が源氏の太刀たちを取りに戸口へ来た時に
源氏物語:18 松風 (新字新仮名) / 紫式部(著)
しかし、家風かふうの上から、そののち、男爵は再び九条家へ、おかえりになったのでした。(前掲一七四頁)
九条武子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
ものの二十分もそうしていたであろうか、やがてやや常態にかえると心からの安心とともに深い疲れを感じ、気の抜けた人間のように窓によりかかって深い呼吸をした。
(新字新仮名) / 島木健作(著)
大久保主計は安祥あんしょう旗本、将軍家斉いえなりのお気に入りであった。それが何かの失敗から、最近すっかり不首尾となった。そこで主計はどうがなして、昔の首尾にかえろうとした。
柳営秘録かつえ蔵 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
本名を内海文三うつみぶんぞうと言ッて静岡県の者で、父親は旧幕府に仕えて俸禄ほうろくはんだ者で有ッたが、幕府倒れて王政いにしえかえ時津風ときつかぜなびかぬ民草たみぐさもない明治の御世みよに成ッてからは
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
されば「エホバ、ヨブの艱難なやみを解きてもとかえししかしてエホバついにヨブの所有物もちものを二倍に増し給」
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
わたしは、出来れば、お父さまであるかどうかを確めるためにですし、あなたは、お父さまを生命と、愛と、義務と、休息と、慰安とにかえさしておあげになるためにです。
そして今日では、すべてがまたそのいにしえの風にかえって、憚らず肉を喰っているのであります。
彼は、自分の持っている往復切符のどちらがきのかかえりのかさえもわからないらしかった。彼は車内の誰れ彼れに、おめでたい単純さで、自分は注意しなくってはいけない。
それから二十町あまりの道を歩いて帰るのに、彼女は四十分から五十分、どうかすると一時間近くもかかるのだったが、それだけの時間で彼女の乳は原状にかえり切れなかった。
猟奇の街 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
滝之助は本気にかえって鎌を取上げて身構えた。この時既に高田殿は、守刀を抜放ぬきはなしていた。
怪異黒姫おろし (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
と、心中に叫び揚げて、からむような恐怖を払いすてた長岡頼母である。別室には、二十余名の同僚も集っているのだ。ナアニ——! と、急に平素の豪快な頼母にかえったかれ
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
宴散じ客去てなお毬燈きゅうとうの残って居るのを、今日の大中さんは何と婢が問うに、幹事さんは知った方だけれども、あとは厭な人ばかりと小歌は答えて、おもむろに元の座へかえった
油地獄 (新字新仮名) / 斎藤緑雨(著)
そうして、「神武のいにしえかえる。」と宣言した。「維新」と「復古」とは、まさに正反対の表言であるが、このような矛盾した宣言を、明治政府は、てんとしておこなったのである。
黒い油にまみれたあのおぞましい団塊に再び生命がかえって来ようとも思われなかった。
子猫 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
物言わぬ夫の遺筐いきょうを、余人の衣類のごとくしばらく折目をさすりておりしが、やがて正気にかえりし時は、早や包みをいだきしめて悶絶もんぜつしたり、げに勇蔵は田原坂たばるざかの戦官軍大敗の日に
空家 (新字新仮名) / 宮崎湖処子(著)
六編より後はまたもとの体裁にかえり、もっぱら解しやすきを主として初学の便利に供しさらに難文を用いることなかるべきがゆえに、看官この二冊をもって全部の難易を評するなかれ。
学問のすすめ (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
せみは殻を脱げども、人はおのれをのがれ得ざれば、戦いのねつやまいの熱に中絶なかたえし記憶の糸はそのたいのややえてその心の平生へいぜいかえるとともにまたおのずからかかげ起こされざるを得ざりしなり。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
ほんの寸法だけで左足の堆積やまと右足の堆積とから手当り次第に掴み取りして似合の一対とするように、人間が肢を八本もっていたアンドロギュノスの往古むかしかえり度い本能からばかりならば
アンドロギュノスの裔 (新字新仮名) / 渡辺温(著)
私はまたもとの生活にかえり毎日々々戦場のように雑踏する渋谷駅を昇降して、役所に通うのであった。或日、例の如くコツ/\と坂を登って行くと、呼び留められた。見ると松本であった。
琥珀のパイプ (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)