おびただ)” の例文
吾々に支払う蚊の涙ほどの鑑定料が惜しいのかも知れないが、余計なところには一切くちばしれさせないのだから詰まらない事おびただしい。
無系統虎列剌 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
怪漢の帽子といわず、えりをたてたレンコートの肩先といわず、それから怪漢の顔にまでおびただしい血糊ちのりが飛んでいた。大した獲物だった。
人間灰 (新字新仮名) / 海野十三(著)
何時いつでもおびただしい崇拝者の群れが——日本風に言うと狼連が——取り巻いて居るという噂も、深井少年は充分に知り尽して居りました。
焔の中に歌う (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
ましてこの竹生島の周囲は、深いことに於て、竹生島そのものが金輪際こんりんざいから浮き出でているというのだから、始末の悪いことおびただしい。
さかうろこを立てて、螺旋らせんうねり、かえつて石垣の穴へ引かうとする、つかんで飛ばうとする。んだ、揉んだ。——いや、おびただしい人群集ひとだかりだ。
妖魔の辻占 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
ザクザクと融けた雪が上面うはつつらだけ凍りかかつて、おびただしく歩き悪い街路を、野村は寒さも知らぬ如く、自暴やけ昂奮たかぶつた調子で歩き出した。
病院の窓 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
そして、そこに光っているおびただしい眼の中には、どれもこれも、朴訥ぼくとつな誠意があふれて、微塵でも、彼の正体を疑うものはありません。
パノラマ島綺譚 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
一階南側にならんでいる窓が恰も巨大な閘門こうもんのようにおびただしい濁流を奔出させているのであったが、あの小学校が彼処あそこに見えるとすると
細雪:02 中巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
武蔵はいかったが、間に合わなかった。役人たちの身支度からして物々しかったが、行くほどに途々みちみちたむろしていた捕手のおびただしさに驚いた。
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
見て居ると、其おびただしい明光あかりが、さす息引く息であるかの様にびたり縮んだりする。其明りの中から時々いなずまの様なひかりがぴかりとあがる。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
諦念! 何たる悲しいかくだ! しかも、それのみが今の僕に残されている唯一の隠れ家だとは!——君のおびただしい気苦労のただ中へ
おびただしい参詣者の絶えなかったことと、当時その境内が別世界のようににぎわったということだけは、子供たちでさえよく知っていた。
青べか物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
秋の夜はしずかで、高いポプラの枝が微風そよかぜに揺らいでいます。空はおびただしい星でした。少年は目をあけてじっとそれをながめました。
顎から胸へかけて、おびただしく血を流し、いまはもう、目を逆釣らせてしまった、哀れな男の顔をのぞき込んで、菊之丞は涙をこぼした。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
日本海を差挟さしはさんで露領と相対し、いわゆる裏日本の一部を成します。特に北の方は積雪の量がおびただしく、しばしば丈余にも達します。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
右側も左側も三段四段に重ねられて、ここもまた店と同じくおびただしい犬の古檻ふるおりであった。空の檻もあれば犬のはいっている檻もある。
陰獣トリステサ (新字新仮名) / 橘外男(著)
これほどおびただしい馬の中にわが乗る磨墨ほどの逸物はいないと思うと、景季はひとりこみあげる微笑を抑えることが出来なかった。
暗緑色に濁ったなみは砂浜を洗うて打ち上がった藻草をもみ砕こうとする。おびただしく上がった海月くらげが五色の真砂まさごの上に光っているのは美しい。
(新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
そのうちに扁理は、強い香りのする、おびただしい漂流物に取りかこまれながら、うす暗い海岸に愚かそうに突立っている自分自身を発見した。
聖家族 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
また急速に鉄道を敷設しおるが、これにも被害がおびただしい。しかして女子はこの種の危険性をべる事業には従わぬから、女子の死傷は無い。
婦人問題解決の急務 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
今川義元の菩提所ぼだいしょに家康が幼時人質ひとじちに来ていたという因縁がからんでいる丈けに道具の品目がおびただしい。義元公自画自讃という掛物があった。
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
可なり大きく延びた奴を、惜気おしげもなくまたの根から、ごしごし引いては、下へ落して行く内に、切口の白い所が目立つくらいおびただしくなった。
永日小品 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
しかし案内の話によると渋峠から東南によったところ、ものの貝池の北に寄った方面に積もった火山灰にはおびただしい毒が含まれているそうだ。
魔味洗心 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
普請ふしんも粗末だったが、日当ひあたり風通かぜとおしもよく、樹木や草花のおびただしくうえてあるのをわがものにして、夫婦二人きりの住居にはこの上もなく思われた。
果樹 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
陳列品の中で思ひがけなかつたのは、ミイラのおびただしい蒐集しゅうしゅうであつた。非常に保存がよく、繃帯ほうたいまで原態をとどめてゐるのも少なくなかつた。
わが心の女 (新字旧仮名) / 神西清(著)
家鴨あひると雞とは随処に出没するので殆ど無数という外はなく、尚、別におびただしい野良猫共が跋扈ばっこしている由。野良猫は家畜なりや?
光と風と夢 (新字新仮名) / 中島敦(著)
床の間の上には、血が、おびただしく淀んでいた。そして、確かに、落ちている筈の腕が無かった。南郷は、行燈を置いて、四方を見廻していた。
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
産まれた時から死ぬ時まで、無自覚的にしろ自覚的にしろ、とにかく一人の人間が他の生命を奪う数はおびただしいものと云わなければならない。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
私は鋸屑おがくずにかわで練っていたのだ。万豊の桐畑から仕入れた材料は、ズイドウ虫や瘤穴こぶあなあとおびただしくて、下彫の穴埋あなうめによほどの手間がかかった。
鬼涙村 (新字新仮名) / 牧野信一(著)
どこまで行っても同じような焼跡ながら、おびただしいガラスびんが気味悪く残っているところや、鉄兜てつかぶとばかりが一ところに吹寄せられている処もあった。
廃墟から (新字新仮名) / 原民喜(著)
以て憲政の進歩を阻礙すること頗るおびただしい。この点より見ても選挙権は出来るだけ広きに及ばねばならぬことは明白である。
東京の街をすこし歩けば誰にでも判るように、五百人以上も働いている工場などでない小さい下請工場の数は実におびただしい。
若きいのちを (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
その中に、汗は遠慮なく、まぶたをぬらして、鼻の側から口許くちもとをまはりながら、頤の下まで流れて行く。気味が悪い事おびただしい。
酒虫 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
熊楠いう、これも羵羊や羔子同様多少よるところある談で、わが邦に鹿角芝ろっかくしなどいうかたい角状の菌あり、熱帯地にはおびただしく産する。
こうなると、人馬を雇い入れるためにはおびただしい金子きんすった。そのたびに半蔵は六月近い強雨の来る中でも隣家の伏見屋へ走って行って言った。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
おびただしい巡査がいま迄の蛮地ばんちのエロチシズムの掃除を始めて、街は伝統とカルチュアが支配する帝王色に塗りかえられた。
女百貨店 (新字新仮名) / 吉行エイスケ(著)
近江には丈草じょうそう許六きょりく尚白しょうはく智月ちげつ乙州おとくに千那せんな正秀まさひで曲翠きょくすい珍碩ちんせき李由りゆう毛紈もうがん程已ていいなどと申すようにおびただしく出て、皆腕こきのしたたか者です。
俳句上の京と江戸 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
ほらあのおびただしい足音だ。あいつ等みんなにかかられちゃ、十のうち十、命はねえ。助かったら拾い物だ。坊や、泣くなよ、小父さんがついてらあ。
沓掛時次郎 三幕十場 (新字新仮名) / 長谷川伸(著)
おびただしい視線の焦点に、ぼうと上気して倒れそうな彼女が、胸のカアネエションに接吻キスして、下の闘牛士へぽんと投げる。
安政時代、地震や饑饉ききんで迷子がおびただしく殖えたため、その頃あの界隈かいわいの町名主等が建てたものであるが、明治以来ほとんど土地の人にも忘れられていた。
河明り (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
国貞は天明六年に生れ元治げんじ元年七十九歳を以て歿したればその長寿とその制作のおびただしきは正に葛飾北斎かつしかほくさい頡頏きっこうし得べし。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
払暁ふつぎょう海岸通りを見廻っていた観音崎署の一刑事は、おきん婆あの船員宿の前の歩道におびただしい血溜りを発見して驚いた。
上海された男 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
おびただしく流れたるが、見ればはるか山陰やまかげに、一匹の大虎が、嘴に咬へて持て行くものこそ、まさしく月丸が死骸なきがらなれば
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
現に久慈川くじがわのとある渡船場わたしば付近では、見上ぐる前方の絶壁の上から、巨巌大石きょがんだいせきおびただしく河岸に墜落しているのを見る。
本州横断 癇癪徒歩旅行 (新字新仮名) / 押川春浪(著)
おびただしい二人だけの思ひ出がありながら、実際には、必死になつてゆくほど、相反する二人の心が、無駄なからまはりをしてゐるに過ぎないのだつた。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
昨夜からの様子で冷遇は覚悟していても、さすが手持無沙汰な事おびただしい、予も此年をしてこんな経験は初めてであるから、まごつかざるを得ない訳だ。
浜菊 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
びんやら、行李こうりやら、支那鞄しなかばんやらが足のも無い程に散らばっていて、塵埃ほこりの香がおびただしく鼻をく中に、芳子は眼を泣腫なきはらして荷物の整理を為ていた。
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
そして、なんだか寒い程引きしまった気持の中で、一斉いっせいに開こうとする花束のような、おびただしい微笑がふくらみ、やがて静かななみだとなって溢れ出すのを感じた。
小さな部屋 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
十分程すると、私達の立っているところより少しく左にって、第二号船渠ドック扉船とせんから三メートルへだたった海上へ、おびただしい泡が真黒まっくろな泥水と一緒に浮び上って来た。
カンカン虫殺人事件 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
特性としては、物干ものほしの柱に立てた丸太のてっぺんなどに羽を休めることである。さてその日も暮れかかってくると、普通のやんまがおびただしく集まってくる。