“元治”のいろいろな読み方と例文
読み方(ふりがな)割合
げんじ66.7%
がんじ16.7%
ぐわんぢ8.3%
げんぢ8.3%
(注)作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
“元治”を含む作品のジャンル比率
芸術・美術 > 芸術・美術 > 芸術史 美術史40.0%
芸術・美術 > 絵画 > 日本画2.0%
芸術・美術 > 彫刻 > 彫刻史 各国の彫刻1.2%
(注)比率=対象の語句にふりがなが振られている作品数÷各ジャンルの合計の作品数
抽斎歿後の第六年は元治げんじ元年である。森枳園が躋寿館せいじゅかんの講師たるを以て、幕府の月俸を受けることになった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
その三男要蔵は元治げんじ元年うまれの青年で、渋江の家から浜松中学校に通い、卒業して東京に来たのである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
元治がんじ元年に京都で暗殺された佐久間象山の門生が二人——ちょうどこの宿屋に泊り合せていたのがうけがいません。
大菩薩峠:22 白骨の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
このお爺さんこそ安政あんせいの末から万延まんえん文久ぶんきゅう元治がんじ
江戸を立つたのが、元治ぐわんぢ元年の九月で、例の蛤御門はまぐりごもんたゝかいのあつてから二個月かげつのちの事である。
兵馬倥偬の人 (旧字旧仮名) / 塚原渋柿園塚原蓼洲(著)
元治げんぢ元年十一月二十六日、京都守護の任に当つてゐた、加州家の同勢は、折からの長州征伐に加はる為、国家老くにがらうの長大隅守おほすみのかみを大将にして、大阪の安治川口あぢかはぐちから、船を出した。
(新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)