天明てんめい)” の例文
そこで京伝らの著述を見れば天明てんめい前後の社会の堕落さ加減は明らかに写って居ますが、時代はなお徳川氏を謳歌して居るのであります。
夫切それきりたえ此落語このらくごふものはなかつたのでございます。それよりくだつて天明てんめいねんいたり、落語らくごふものが再興さいこういたしました。
落語の濫觴 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
伊勢いせの国、飯高郡いいだかごおりの民として、天明てんめい寛政かんせいの年代にこんな人が生きていたということすら、半蔵らの心には一つの驚きである。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
天明てんめい四年正月早々。佐賀城から江戸へ向って、警固荷役に守られて送り出されたのが、久米一作の増長天王であった。
増長天王 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一、古人の俳句を読まんとならば総じて元禄げんろく明和めいわ安永あんえい天明てんめいの俳書を可とす。就中なかんずく『俳諧七部集』『続七部集』『蕪村ぶそん七部集』『三傑集』など善し。
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
天明てんめい五年正月の門松かどまつももう取られて、武家では具足びらき、町家ではくらびらきという十一日もきのうと過ぎた。
箕輪心中 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
以下の引例はすべて天明てんめい時代の人々の方に移ります。「耕」というのは「畑打」と同じことなのであります。
俳句とはどんなものか (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
私は何のいわれもなく山の手のこのあたりを中心にして江戸の狂歌が勃興した天明てんめい時代の風流を思起おもいおこすのである。
天明てんめい三年、蕪村臨終の直前にえいじた句で、彼の最後の絶筆となったものである。白々とした黎明れいめいの空気の中で、夢のように漂っている梅の気あいが感じられる。
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
「十四日。晴。天明てんめい出帆。午刻頃播州伊津湊いつみなとへ著船。同所より姫路迄四里半。此より上陸。三所川あり。いづれも昨雨に而出水。暮時姫路城内桐の馬場土方に著。」
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
私の家は商家だったが、旧家だったため、草双紙、読本その他寛政かんせい天明てんめい通人つうじんたちの作ったもの、一九いっく京伝きょうでん三馬さんば馬琴ばきん種彦たねひこ烏亭焉馬うていえんばなどの本が沢山にあった。
明治十年前後 (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
ヴェスヴィオの山麓さんろくにあつたシラキュラニウムのまち泥流でいりゆうのためにうづめられたが、このごろ開掘かいくつせられてある。天明てんめい淺間噴火あさまふんかける泥流でいりゆう被害ひがいまへべたとほりである。
火山の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
養老館は天明てんめい年間に建てられた藩の学校で、孟子もうしの養老の語を取って名附けたのです。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
幕府施政の方針に触れ、草双紙が絶版に附せられたのは天明てんめい末年のことであった。
戯作者 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
江戸の火事の恐ろしさは、明暦めいれき天明てんめいの大火を引合いに出すまでもありません。
このたびの三府一道三十余県という広汎な範囲にわたって爆発した民衆の食糧騒動は天明てんめい天保てんぽう年間の飢饉時代に起ったそれよりは劇烈を極めて、大正の歴史に意外の汚点をとどめるに到りました。
食糧騒動について (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
天明てんめいろく丙午年ひのえうまどしは、不思議ふしぎ元日ぐわんじつ丙午ひのえうまとし皆虧かいきしよくがあつた。
間引菜 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
得てその人はしあわせであろう。我らとてもそなたを友に得て毎日朝逢えるのがたのしくてならぬ。朝は夜中に待つほど遠い、遠いほど愉しい、天明てんめいとともに我友わがともに逢えることは清い交わりではないか。
津の国人 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
年産額は一千万円を超え、二百万たん余を産し、十万戸の家がこれで生計を立てているといわれます。天明てんめい年間に井上伝女いのうえでんじょの始めるところと伝え、阿波藍あわあいを用い丈夫を旨として出来るかすりであります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
『昔々物語』によれば、昔は普通の女が縫箔ぬいはく小袖こそでを着るに対して、遊女が縞物を着たという。天明てんめいに至って武家ぶけに縞物着用が公許されている。そうして、文化文政ぶんかぶんせいの遊士通客は縞縮緬しまちりめんを最も好んだ。
「いき」の構造 (新字新仮名) / 九鬼周造(著)
そして、いかにもゆったりとその生涯しょうがいを発展させ、天明てんめいの昔を歩いて行ったちかの人の中でも、最も高く見、最も遠く見たものの一人ひとりであった。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
もしこれが明暦めいれきの大火事や天明てんめい飢饉ききんのような凶年ばっかり続いた日にゃ、いくら贅沢ぜいたくがいたしたくてもまさかに盆栽や歌俳諧はいかいで日を送るわけにも行きますまい。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
その赦免状の三宅島に着きましたのは、天明てんめいの前年すなわ安永あんえい九年初夏の頃でございます。
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
極めて俗なる事を詠むに雅語がごを用ゐて俗に陥らぬやうにする事天明てんめい諸家の慣手段かんしゅだんなり。
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
「医妙院道意日深信士、天明てんめい甲辰こうしん二月二十九日」としてあるのは、抽斎の祖父本皓ほんこうである。「智照院妙道日修信女、寛政四壬子じんし八月二十八日」としてあるのは、本皓の妻登勢とせである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
卑俗低調の下司げす趣味が流行して、詩魂のない末流俳句が歓迎された天明てんめい時代に、独り芭蕉の精神をして孤独に世から超越した蕪村は、常に鬱勃うつぼつたる不満と寂寥せきりょうに耐えないものがあったろう。
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
それからずっと後の天明てんめい年間に書かれた橘南渓なんけいの「西遊記」にも、九州の深山には山童やまわろというものが棲んでいるの、山女やまおんなというものを射殺したという記事が見えるから、その昔の文禄年代には
馬妖記 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
日本でも北村季吟きたむらきぎんがはじめて『山之井やまのい』という季を集め評釈したものを作り、それからだんだん元禄げんろく天明てんめいを経てその季の数もふえて来、曲亭馬琴きょくていばきんのあの綿密な頭で『歳時記栞草しおりぐさ』なるものをこしら
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
天明てんめい二年の春さきである。
増長天王 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
まず浮世絵山水画発達の経路を尋ねてその一を奥村政信おくむらまさのぶ以来広く行はれたる浮絵うきえ遠景図に帰し、その二を以て天明てんめい年間江戸に勃興ぼっこうせし狂歌の影響なりとなさんと欲す。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
天明てんめい六年度における山村家が六千六百余両の無尽の発起をはじめ、文久二年度に旦那様の七千両の無尽の発起、同じ四年度に岩村藩の殿様の三万両の無尽の発起など
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
蕪村ぶそん天明てんめい三年十二月二十四日に歿したれば節季せっきの混雑の中にこの世を去りたるなり。しかるにこの忌日きじつを太陽暦に引き直せば西洋紀元千七百八十四年一月十六日金曜日に当るとぞ。
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
奥羽おううその外の凶歉きょうけんのために、江戸は物価の騰貴した年なので、心得違こころえちがえのものが出来たのであろうと云うことになった。天保四年は小売米こうりまい百文に五合五勺になった。天明てんめい以後の飢饉年ききんどしである。
護持院原の敵討 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
これが蕪村を中心とする安永あんえい天明てんめいの俳句界であります。(42)
俳句とはどんなものか (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
天明てんめい五年三月十五日、梅若うめわかの供養にて双盤念佛さうばんねんぶつの音きこゆ。
箕輪の心中 (旧字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
時に天明てんめい四ツのとし甲辰きのえたつぐわつ廿一にちなり。
落語の濫觴 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
安永より天明てんめい末年あたかも白河楽翁公しらかわらくおうこうの幕政改革の当時に至るまでおよそ二十年間は蜀山人の戯作げさく界に活動せし時にして狂歌の名またこの時において最も高かりき。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
どうして天明てんめい七年の飢饉ききんのおりに江戸に起こった打ちこわしどころの話ではない。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
天明てんめい三年、二月下旬の午後。
近松半二の死 (旧字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
春信でて後、錦絵は天明てんめい寛政かんせいに至り絢爛けんらんの極に達し、文化ぶんか以後に及びてたちま衰頽すいたいかもすに至れり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
天明てんめい六年は二代目惣右衛門が五十三歳を迎えたころである。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
これ余が広重ひろしげ北斎ほくさいとの江戸名所絵によりて都会とその近郊の風景を見ん事をこいねがひ、鳥居奥村派とりいおくむらはの制作によりて衣服の模様器具の意匠いしょうたずね、天明てんめい以後の美人画によりては
浮世絵の鑑賞 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
江戸の人が最も盛に江戸名所を尋ね歩いたのは私の見る処やはり狂歌全盛の天明てんめい以後であったらしい。江戸名所に興味を持つには是非とも江戸軽文学の素養がなくてはならぬ。
儒員某ソノ能ヲねたム者アリ。悪言日ニ日ニ至ル。時ニ丹丘老師病メリ。先生すなわちコレヲ省スルニ託シ避ケテ京ニク。実ニ天明てんめい丙午へいご(?)夏四月ナリ。老師卒ス。貧ニシテ棺槨かんかくノ資ナシ。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
いつぞやわたしが天明てんめい時代の江戸の書家東江源鱗とうこうげんりん書帖しょじょうの事について問合した事があった時ヨウさんはその返事に林檎庵頓首りんごあんとんしゅと書いて来た。沢田東江さわだとうこうの別号来禽堂らいきんどうから思いついた戯れであろう。
雨瀟瀟 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
蜀山人しょくさんじん吟咏ぎんえいのめりやすにそぞろ天明てんめいの昔をしのばせる仮宅かりたく繁昌はんじょうも、今はあしのみ茂る中洲なかすを過ぎ、気味悪く人を呼ぶ船饅頭ふなまんじゅうの声をねぐら定めぬ水禽みずとり鳴音なくねかと怪しみつつ新大橋しんおおはしをもあとにすると
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
同じ江戸風と申しても薗八一中節そのはちいっちゅうぶしなぞやるには『梅暦うめごよみ』の挿絵に見るものよりは少し古風に行きたく春信はるのぶの絵本にあるやうな趣ふさはしきやに存ぜられ候。江戸趣味は万事天明てんめいぶりありがたし/\
雨瀟瀟 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
うつして夷歌いかによみつゞけぬるもそのかみ大黒屋だいこくやときこえしたかどのには母の六十の賀のむしろをひらきし事ありしも又天明てんめいのむかしなればせきぐちの紙のすきかへし目白の滝のいとのくりことになんありける