“壬子”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
じんし80.0%
みずのえね20.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
法師丸の元服は天文てんもん二十一年壬子じんし正月十一日、彼が十六歳の春であった。当時法師丸はなお牡鹿山の城にあって一閑斎いっかんさいの小姓を勤めていたのである。
「医妙院道意日深信士、天明てんめい甲辰こうしん二月二十九日」としてあるのは、抽斎の祖父本皓ほんこうである。「智照院妙道日修信女、寛政四壬子じんし八月二十八日」としてあるのは、本皓の妻登勢とせである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
弟のハツセベノワカサザキの天皇(崇峻天皇)、大和の倉椅くらはしの柴垣の宮においでになつて、四年天下をお治めなさいました。壬子みずのえねの年の十一月十三日にお隱れなさいました。