かえりみ)” の例文
しずかに過去をかえりみるに、わたくしは独身の生活を悲しんでいなかった。それと共に男女同棲の生活をも決して嫌っていたのではない。
西瓜 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
富貴の門はそのかえりみるところで無かった。二人とも道理のある考で有り、美しい感情の流露であった。しかし釈迦は二人を弾可した。
貧富幸不幸 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
かれはこの惨憺みじめさと溽熱むしあつさとにおもてしわめつつ、手荷物のかばんうちより何やらん取出とりいだして、忙々いそがわしく立去らむとしたりしが、たちまち左右をかえりみ
取舵 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
家を出る時は、ほとんど夢中で、夫の心持などかえりみいとまもないのだけれど、彼女とても帰った時には流石さすがにやましい気がしないではなかった。
お勢登場 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
衆人の攻撃もおもんぱかる所にあらず、美は簡単なりといふ古来の標準も棄ててかえりみず、卓然として複雑的美を成したる蕪村の功は没すべからず。
俳人蕪村 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
『一頃は、安井、藤井、などの卑怯者はかえりみずに、五名でも十名でもやって見せるという意気じゃったが、どうしたか、あの元気は』
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一たん気がついて自然の中に立っておる自分をかえりみれば芥子粒けしつぶの何億兆分の一よりも小にして更に小なる存在であることに気づくであろう。
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
僕のごときも今日まで幾度となくこのあやまちを繰り返しきたったもので、今にしてこれをかえりみるとまぬことをしたと思うことがたびたびある。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
それを下すに就いては、現在と、将来の外に、大衆文芸の歩んできた過去の道をもかえりみる必要がある。私は、その点からこの講義を始めて行きたい。
大衆文芸作法 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
今にして覚然眼ざめ御奮励との仰せ同感至極に存じ候、野生等とて先生御生前中決して勉強したとは申難もうしがたかえりみて追考すれば赤面のことのみ多く候
師を失いたる吾々 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
その通りにWもMも、あらゆる犠牲をかえりみずに、この実験を徹底して行こうではないか……と固く約束した事であった。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
生計を求むるにいそがわしく、子弟の教育をかえりみるにいとまあらず。故に下等士族は文学その他高尚こうしょうの教にとぼしくしておのずからいやしき商工の風あり。(貧富を異にす)
旧藩情 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
母子の如く往きふひろ子との縁のつながり始まりを今もなほ若蔦のいきおいよき芽立ちに楽しくかえりみる為めであらうか。
蔦の門 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
恐らくその時分に多少の発熱があったかも知れませんが、研究に夢中になって、少しもかえりみる余裕がなく、身体の無理な使い方をしたのがたたったのでしょう。
人工心臓 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
「そんなこともありませんが、昨今漸く重荷を下しました。かえりみると人生はまあ斯うしたものかと、その何ですな、茫漠ぼうばくながら、要領を得たような心持がします」
嫁取婿取 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
所が、万事にまめな彼は、忠左衛門をかえりみて、「伝右衛門殿をよんで来ましょう。」とか何とか云うと、早速隔てのふすまをあけて、気軽く下の間へ出向いて行った。
或日の大石内蔵助 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
この陸前の国で見られる「神酒口みきぐち」も民間の品としてかえりみるべきものでありましょう。何も陸前だけのものではありませんがここのは出来がよいように思えます。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
思いがけなく防毒マスクを被されたので「助かるらしい」と感じた外は他をかえりみ余裕よゆうもなかったのだった。
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
その支那文学の影響については先覚の諸注釈書に譲るけれども、かえりみれば此等の歌も、当時にあっては、今の流行語でいえば最も尖端的なものであっただろうか。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
... ことごとく西洋の鉄鍋ばかりです」と説明を聞いて妻君も気味悪くなり「では家でもそうしましょう、ねー貴郎あなた」と我が良人おっとかえりみる。良人の小山少しく不賛成の顔色。
食道楽:春の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
それ百姓というもの、元来性かたくなにして凄じきものなり、集まる時はよく城を守り、散ずる時はよく廓を破る、党を結ぶにおよんでは、金銀珠玉をかえりみずして身命を
血煙天明陣 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
木にとまらずして、巌にとまり、横に渓上を飛び、魚を見ては、水中にもぐり込む也。二見の瀑を下りてかえりみれば、二段になりて、上段は一丈、下段は三丈もあらむ。
層雲峡より大雪山へ (新字新仮名) / 大町桂月(著)
今に至り初めて大に悟る所あり。自らかえりみるときは不徳※才ひさいことこころざしたがうこと多しと雖、しかも寸善を積みて止まざるときは、いずれの日必成ひっせいの期あるべきを信ずる事深し。
関牧塲創業記事 (新字新仮名) / 関寛(著)
象山つとに航海術の、我が四面環海の邦に必要なるを看破し、その議を幕府に献じ、しこうしてかえりみられず。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
場所を変るつもりで其処をち、砂山の上まで来て、うしろかえりみると、如何どうだろうあやしの男は早くも自分の座って居た場処に身体からだを投げて居た! そして自分を見送って居るはず
運命論者 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
大道廃有仁義だいどうすたれてじんぎあり」といい、「聖人不死せいじんはしせざれば大盗不止たいとうはやまず」というのも、その反面をゆびさして言ったのである。おれも往事をかえりみれば、ややもすれば絜矩けっくの道においてくる所があった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
御法度ごはっとをもかえりみず、蟠龍軒の屋敷へ踏込ふんごみ、数人の者を殺害せつがいいたし候段重々恐入り奉ります
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
砕身の苦を嘗めている高徳のひじりに対し、深夜の闇に乗じて、ひはぎのごとく、獣のごとく、瞋恚しんいの剣を抜きそばめている自分をかえりみると、彼は強い戦慄が身体を伝うて流れるのを感じた。
恩讐の彼方に (新字新仮名) / 菊池寛(著)
◯しかして彼が霊より聞きしことばの主意は「人いかで神より正義ただしからんや、人いかでその造主つくりぬしより潔からんや、……これは(人は)朝より夕までの間に亡び、かえりみる者もなくして永く失逝うせさる」
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
これらの気概の沮喪そそうした兵士に比すると壮士坊主の方が余程えらい。彼らは妻はなし子はなし、少しもかえりみるところがないから実に勇気凜然りんぜんとして、誰をも恐れないという勢いを持って居る。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
焦生は窈娘の愛に溺れて珊珊をかえりみなくなるとともに、政事も怠りだした。
虎媛 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
私はいつも自分の過去をかえりみることが出来ない。
簡略自伝 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
樵客遇之猶不顧 樵客しょうかく之に遇うも猶おかえりみ
僧堂教育論 (新字新仮名) / 鈴木大拙(著)
しかしてこの新しき仏蘭西の美術のようやく転じて日本現代の画界を襲ふの時、北斎の本国においては最早もは一人いちにんの北斎をかえりみるものなし。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
しかも彼は卓然たくぜんとして世俗の外に立ち独り喜んで万葉調の歌を作り少しも他をかえりみざりしはけだし心におおいに信ずる所なくんばあらざるなり。
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
「将軍職なるものは、そも、どなたからおさずけをうけたものか。天下は一箇将軍家のものでないこと、その一事をかえりみるもあきらかでしょう」
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
今では無人島にも等しく、附近の漁師りょうし共が時々気まぐれに上陸して見る位で、ほとんかえりみる者もありません。
パノラマ島綺譚 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
かえりみると私が物を求めるのは、そこに私の故郷を見出しているからではないか。それを持つとは、郷土に居る想いなのである。人間は実は誰にでも郷愁の念がある。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
夫婦の死後は誰もかえりみるものもなく憐れな魚達は長く池の藻草や青みどろで生き続けていたのであった。
金魚撩乱 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
敵に向ってその間に一毛をいれず、其危亡きぼうかえりみず、速く乗て殺活し、当的よく本位を奪うて至者也いたるべきものなりし一心かんに止まるときは変を失す。
巌流島 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
一身をかえりみてもあるいは他人を見ても、月給が入った、金をもうけたからとて、無駄むだ浪費ろうひをしている人を見ると、彼奴きゃつめ一円取って一円の財布さいふを買っているわいと思う。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
かえりみて明治前後日本の藩情如何いかん詮索せんさくせんと欲するも、茫乎ぼうことしてこれをもとむるにかたきものあるべし。
旧藩情 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
さて目見をおわって帰って、常の如く通用門をらんとすると、門番がたちまち本門のかたわらに下座した。榛軒はたれを迎えるのかと疑って、四辺しへんかえりみたが、別に人影は見えなかった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
最初から自分一人でこの伝説に興味を持って、千世子を欺して、子供を生まして、絵巻物を提供させたのであった。そうして一切をかえりみずにこの計画を遂行したのであった。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
あえてこれ天下にはばかる処なしといえども、しかれども、すうの奇なるもの、かえりみれば無慙むざんな境遇。
湯島詣 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
威武にも屈せず権力にも恐れず、堂々と所信を披瀝したあげく、身を殺してかえりみなかったのは大丈夫でなければ出来ない所業しわざだ。……これに比べては貧乏などは物の数にも入りはしない。
北斎と幽霊 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
満足そうに同行の部下をかえりみた赤羽主任は、初めて愉快らしいみを浮べた。
電気風呂の怪死事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
お登和も独断にて答えがたし「ねー兄さん、どうでしょう」と兄をかえりみる。
食道楽:春の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
かえりみればすぎにし年の我の生涯、我の失敗、我これを思えば後悔ほとんど堪ゆべからざるものあり、ああの来らざりし前に我は我の仕事を終えざりしを悔ゆ、我の過去は砂漠なり、無益に浪費せし年月
基督信徒のなぐさめ (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
乙「へい(髪を両手にて掻上げ右左とかえりみる)え、何方どなたです」
松と藤芸妓の替紋 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)