ののし)” の例文
海の中に落ちた水兵は一生懸命に片手を挙げ、何かおお声に叫んでいた。ブイは水兵たちのののしる声と一しょに海の上へ飛んで行った。
三つの窓 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
塚原は自分の瞼をぐいと操りあげ「野郎——」とののしりかえした、「八幡さまに手前のことを呪ってやるから、おぼえてろお…………」
白い壁 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
会ふほどの人には誰彼となく、貧乏な百姓の狡猾かうくわつののしり、訴へた。さうして「どうせ貧乏する位の奴は、義理も何も心得ぬ狡猾漢だ」
猿のようなかおをして白い歯をいてののしると、たださえ気の荒い郡内の川越し人足が、こんなことを言われて納まるはずがありません。
そうした嘘つきの、不信用の半九郎が、今更何を言っても相手にはならぬというように、源三郎は眼にかどを立ててののしるように答えた。
鳥辺山心中 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
それに長いわずらいだと見えて、邪魔者あつかいにされているらしく、昼飯の仕度に帰って来た女房からののしられたりしているのです。
桜島 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
女房は例のとおり毒づき始め、おまえは厄病神だ、いまにこの店をつぶす気だろうとののしり、子供たちの見ている前で彼を突きとばした。
さぶ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
孝孺おおいに数字を批して、筆を地になげうって、又大哭たいこくし、かつののしり且こくして曰く、死せんにはすなわち死せんのみ、しょうは断じて草す可からずと。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
そして、前の日にも勝るほど、声をそろえて、彼をののしり辱めた。けれど、宕渠とうきょの一山は、頑固な唖のごとく、うんもすんも答えない。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もし、勝彦が普通の頭脳があり、道義の何物かを知っていれば、ののしり恥かしめて、反省させることも容易なことであるかも知れない。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
とうとう腹を決めて、細君がそばへ来ると口ぎたなくののしった。細君はそのはずかしめに堪えられないで、泣きながら死のうとした。景はいった。
阿霞 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
彼は平生から世間へ出る多くの人が、出るとすぐ書物に遠ざかってしまうのを、さも下らない愚物ぐぶつのように細君の前でののしっていた。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
叫び狂いののしる声は窓を通し湖水を渡り、闇の大空にそびえている八つの峰を持った八ヶ嶽の高い高い頂上いただきまで響いて行くように思われた。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
人間世界にくだって蕃殖し、且つ兇暴をたくましくするのだと、ある限りの悪称をもって憎みののしっているのは、珍らしい古文献といってよい。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
そのショペンハウエルは、女というものは足の短い肩の狭いしりばかり大きいものだといった。これは欧羅巴の女をののしった言葉なのである。
(新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
車掌が、ポウゼンから乗って来たらしい二十五、六の上品な服装の婦人を、なにか口汚くののしっている。その婦人もなかなか負けていない。
戦雲を駆る女怪 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
例によって彼自身では何一つ楽しみも与えもしないで、苦労ばかりさせた妻にむかっては「ぼていふりのかかあが相当だ」とののしった。
最もアケスケに藤村をののしったのは芥川で、めったにああいう悪口を書かない男が書いたのだから、よほど嫌いだったに違いない。
文壇昔ばなし (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
その上、辛抱しんぼうがならないのは、天下の公道で、二言めには、河原者の、身分違いのと、喚き立て、言いののしるのを聞くことだった。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
この時また、転ぶ様に馳けつけて来た女、この二日間小田島に纏り続け、彼の前でイベットを目のかたきののしり通して居たあの女だ。
ドーヴィル物語 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
そういったののしりを浴びせられつつ、俺は寄ってたかってなぐられ、蹴られ、踏んづけられて、半死半生の目に会わされたのである。
いやな感じ (新字新仮名) / 高見順(著)
かかる席につらなりては、口利くちきくだにずかしきものを、いざさらば帰るべしとて、思うままに言いののしり、やおらたたみ蹶立けたてて帰り去りぬ。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
駅に著く毎に、人々の騒ぎが一層物々しくなり、雨の中をびしょ濡れになった駅員が何かののしりながら走り去るような姿も窓外に見られた。
菜穂子 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
世をはばからず肩で風を切り、杖を振り、歌をうたい、通行の女子をののしりつつ歩くのは、銀座のほか他の町には見られぬ光景であろう。
濹東綺譚 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
帆足万里ほあしばんりはかつて留守居をののしって、国財をし私腹を肥やすものとした。この職におるものは、あるいは多く私財を蓄えたかも知れない。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
或る批評家はその間をどっちつかずにいると批評家にふさわしくない俗見に立ってののしっているに対して、亀井氏は「科学的」という文句を
文芸時評 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
矢は妻の睫毛三本を射切ってかなたへ飛び去ったが、射られた本人は一向に気づかず、まばたきもしないで亭主ていしゅののしり続けた。
名人伝 (新字新仮名) / 中島敦(著)
図書 (母衣ほろ撥退はねのけ刀をふるって出づ。口々にののしる討手と、一刀合すとひとしく)ああ、目が見えない。(押倒され、取って伏せらる)無念。
天守物語 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
かつてマルクス主義者は、口を開けばすぐブルジョアがいけないと、まるでかたきのようにののしりました。不倶戴天ふぐたいてんのごとくに攻撃いたしました。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
予が社会よりは吝嗇漢りんしょくかんののしられ、婚約者アンネマリーとの結婚さえも延期せざるを得ざる現在の状態は、そなたのよく知るところであろう。
グリュックスブルグ王室異聞 (新字新仮名) / 橘外男(著)
熊の皮の胴服の男は、口汚くののしると、山刀をり、たぎり返る激怒のやり場に困ったらしく、側の手頃の立樹の幹を、発止はっしと切り落します。
而して海をののしってやりました。けれどまたそれが何の役に立ったとも思いません。ただ私の咽喉のどが痛んで、声が立たなくなったに過ぎません。
日没の幻影 (新字新仮名) / 小川未明(著)
働こうにも働かせてくれぬ社会にいつもペッペッとつばきをき、ののしりわめいている男が……私はこのような手紙には何としても返事が書けず
清貧の書 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
来会の途で、ちょうど寺院から帰る子供に逢うごとに、ののしられ石をげられた。一夕試みに会処を移したが、時刻をたがえず犬がその家へ来た。
新聞記者などが大臣をそしるを見て「いくら新聞屋が法螺ほら吹いたとて、大臣は親任官、新聞屋は素寒貧、月と泥龜すつぽん程の違ひだ」などゝののしり申候。
歌よみに与ふる書 (旧字旧仮名) / 正岡子規(著)
「ばか、貴様は、女の尻にいつくだけが、得意なんだな」とののしり、豪傑ごうけつ笑いしてから、上原なんかと行ってしまいました。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
いわゆる輿論よろんなるものは実に軽薄なものである。また我々の友人中にも甲が乙のうわさをして、はなはだしからぬやつだとののしる。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
私がこうして瀬川をののしっている間じゅう、宿の女中が呆気あっけにとられて聞いていた。私はしかしそれをも何とも思わなかった。
子供のあそびではあるまいし、悪戯わるさもいゝかげんにするがいゝ、といふので、帆まへ船に向つて、口々にののしり出しました。
海坊主の話 (新字旧仮名) / 土田耕平(著)
早くも注進うけたか、歩き出したそのうしろの屋敷内に、突然、慌ただしく足音が近づくと、ののしるように言ったのは、まさしく主計頭の声です。
だが、彼がそうして木戸口へ急いでいるとき、うしろの舞台で、突如として一発の銃声が聞こえたかと思うと、人々のはげしいののしり声が爆発した。
人間豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
それから、竜見川たつみがわ学園の保姆ほぼ……それはまだしもで、私は寄生木やどりぎとまでののしられたのですわ。いいえ、私だっても、どんなに心苦しいことか……。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
その争いが烈しくなるにつれて、前者は後者をののしって、あいつらがそんなにるのは喰うに困るからだと言った。そして、それは事実でもあった。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
けれども、その日はもう夕方になりましたから、翌日沼狩ぬまかりをすることにして、一同はののしり立てながら引き上げました。
正覚坊 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
けれどもいまだ人生に対して経験もなく辛酸もめないで、つまり若い時分から俳句を作っているために、わけも分からずに人生を俗世界とののしって
俳句の作りよう (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
現に拙者が貴所あなたの希望に就き先生を訪うた日などは、先生の梅子さんののし大声たいせいが門の外まで聞えた位で、拙者は機会おりわるしと見、ただちに引返えしたが
富岡先生 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
実母がそれを生意気だといってののしるのはまだしも、実父にまで、時々それをおしつけようとする口吻こうふんを洩されるのは、えられないほど情なかった。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
そこで大伴おおとも連等むらじら祖先そせんのミチノオミの命、久米くめ直等あたえらの祖先のオホクメの命二人がエウカシを呼んでののしつて言うには
鬼五郎鬼五郎といってののしりました。そんな事に頓着とんじゃくなく、何の道楽も特別のぜいたくもしず、ただ金をためたのです。
遺産 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
ののしり叫ぶ声がそこにも起って黒い人影が入り乱れた。あから顔の大きな男が悶掻もがき走るように店の中から飛びだして来た。それは山路の主人であった。
指環 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)