後退あとずさ)” の例文
彼女は死んだのだ。やがてウィルは立上った。ミラは両手を口にあてて思わず出ようとした叫を止めると後退あとずさりして暗い廊下に出た。
目撃者 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
風があっちへ行くな行くなと思いながらそろそろと小十郎は後退あとずさりした。くろもじの木のにおいが月のあかりといっしょにすうっとさした。
なめとこ山の熊 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
一生懸命に引っ張って行こうとすると後退あとずさりしてなかなか進まない。後から杖で打擲ぶんなぐって追い遣ろうとしてもどうしても動かない。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
煙管を腹がけのどんぶりに落し込みながら、悠々と俺の前に立塞がって、真黒な右手をニューと差し出した。俺は面喰って後退あとずさりした。
山羊髯編輯長 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
仮面の男は、四人の女にピストルを向けたまま後退あとずさりして、正面の樹陰へかくれる。夫人たちは、ふるえながら、手をあげたままである。
探偵戯曲 仮面の男 (新字新仮名) / 平林初之輔(著)
その悲しむべき岸辺きしべに立って震えながら、恐怖のために後退あとずさりしていた。彼はまったく平気でいられるほど無知ではなかった。
と思って、一同が後退あとずさりをしたその瞬間、がちゃーンという一大音響がして、サッと濛々もうもうたる白煙しろけむりが室内に立ちのぼりました。
崩れる鬼影 (新字新仮名) / 海野十三(著)
神職 (魔を切るが如く、太刀たちふりひらめかしつつ後退あとずさる)したたかな邪気じゃ、古今の悪気あくきじゃ、はげしい汚濁じゃ、わざわいじゃ。
多神教 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
すると、それと同時に、その一段の積石が音もなく後退あとずさりを始めて、やがて、その跡の床に、パックリと四角の闇が開いた。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
半七は土竜もぐらのように這い込むと、まだ三間とは進まないうちに、道は塞がって行く手をさえぎられた。彼はよんどころなく後退あとずさりをして戻った。
半七捕物帳:66 地蔵は踊る (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
みのるの心は又だん/\に後退あとずさりして行つた。義男がさも幸運の手に二人が胴上げでもされてる樣な喜びを見せつけてゐる事にも不足があつた。
木乃伊の口紅 (旧字旧仮名) / 田村俊子(著)
彼等かれらあめわらみのけて左手ひだりてつたなへすこしづつつて後退あとずさりにふかどろから股引もゝひきあし退く。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
新九郎はジリジリと、がまのように身を動かした。そして、思わず刀の柄を折れよと握り締めていたが、ふッと思い返してまた後退あとずさりに体を隠した。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
狼狽ろうばいした艶子は社長の意図を少しも察することができず、生命いのちの危険を感じたようにじりじり後退あとずさりをした。
五階の窓:04 合作の四 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
そして思はず涙の浮びかゝつた私の眼から、ぼんやり明け近いかさをかぶつた燈火と、蝙蝠のやうに驛員たちの立つてゐる歩廊プラツトフオームが、見る/\中に後退あとずさつて行つた。
受験生の手記 (旧字旧仮名) / 久米正雄(著)
それを但馬守たじまのかみられるのが心苦こゝろぐるしさに地方ぢかた與力よりき何某なにがしは、ねこ紙袋かんぶくろかぶせたごと後退あとずさりして、脇差わきざしの目貫めぬきのぼりうくだりう野金やきんは、扇子せんすかざしておほかくした。
死刑 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
彼は後退あとずさりする——決して見られないように。何ももしんと靜まつてゐる。再び彼は近づく。彼女の上に身をかゞめる。輕い薄絹が彼女の顏の上に置かれてある。
すさまじきまで凝り詰むれば、ここ仮相けそう花衣はなごろも幻翳げんえい空華くうげ解脱げだつして深入じんにゅう無際むさい成就じょうじゅ一切いっさい荘厳しょうごん端麗あり難き実相美妙みみょう風流仏ふうりゅうぶつ仰ぎて珠運はよろ/\と幾足うしろへ後退あとずさ
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
勝平の眼が、段々狂暴な色を帯びると共に、彼はいきほひまうに瑠璃子に迫つて来た。彼女は、相手の激しい勢に圧されるやうにヂリ/\と後退あとずさりをせずにはゐられなかつた。
真珠夫人 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
ペタペタと砕けてしまった腰を立てながら、後退あとずさって逃げてしまった男の形が眼に見るようです。
大菩薩峠:31 勿来の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
軒下の白い顔が笑いかけたが、孫がぴたりと立止まると、ぎょっと身を硬くして後退あとずさりをした。
雲南守備兵 (新字新仮名) / 木村荘十(著)
女主人の制止に、仕方がないとあきらめたように、犬はウウッーと喉音こうおんを立てながら、後退あとずさりして行きました。が、驚破すわといえばまだ躍りかからんばかりの、すさまじい形相です。
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
その瞬間に、白い天鵞絨の服が草原から出てぱっとに輝いた。突然に激しい白光を感じて、神経の立っていた花房は狂奔的に首をぐんと上げて、五、六歩ほど後退あとずさった。
恐怖城 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
ぼんくらの俳句観はかういふふうに後退あとずさりするのだ。「ミヤコ・ホテル」の表現効果の美事さにまで行き着けないでゐるうちに、俳句に色気がないと定めてしまふのである。
俳句は老人文学ではない (新字旧仮名) / 室生犀星(著)
一番とおいところに——われから後退あとずさりして行ったようなものに玉目三郎がいたとおもった。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
ひっ掻かれでもしたらたいへんだと思って、少々たじたじになって後退あとずさりしたはずみに、絡みあっていた辣薤の茎に踵をとられて、あおのけにどすんと畑のなかに尻餅をついた。
生霊 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
ところが一歩踏み入れるなり、彼女はさっと顔色を変えて、たじたじと後退あとずさった。
怪談綺談 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
金太郎が躍気やっきになって籠に顔を押しつけるとロオラはいきなり最もグロテスクな嘴でそれに立向ったので、金太郎はびっくりして後退あとずさりをしました。ロオラは金太郎の狼狽ろうばいを見ると急に
オカアサン (新字新仮名) / 佐藤春夫(著)
けだかい隠者はそのやうな人間を見ると、初めは驚愕のあまり後退あとずさりをした。その男は白楊の葉のやうに全身をわなわな顫はせてゐた。不気味な流眄ながしめをしてゐる両の眼からは、物凄い火花が散つた。
「奥様、本当にあなたはまあ!」とマリヤ・コンスタンチーノヴナは後退あとずさりをして、両手を打ち合わせて叫んだ、「どうかしてらっしゃるのですわ。ね、しっかりなさって、気をお鎮め遊ばせな。」
決闘 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
思わず後退あとずさりしながら確かめると、それは小犬ほどしかないけれど、間違いもない象なのだ。アッと思って眼を上げると、その眼に今度は小牛ほどもあろうかと思われる化け物のような蟋蟀こおろぎが写った。
地図にない島 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
一町程先方むかうから提燈が一つ来るので、渠は一二歩後退あとずさつた。
病院の窓 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
私は一瞬慄毛おぞけを振るつて後退あとずさるやうにして面を振り立てた。
途上 (新字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
「どうしたんですか」私が後退あとずさりしながら言うと
如何なる星の下に (新字新仮名) / 高見順(著)
對戰あしらひかね思はず後退あとずさりなし小石にはたつまづたふるゝを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
スクルージはぞっとして後退あとずさりした。
謹三は、ハッと後退あとずさりに退すさった。——杉垣の破目われめへ引込むのに、かさかさと帯の鳴るのが浅間あさましかったのである。
瓜の涙 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
彼の膝頭ひざがしらが我れ知らずガクガクと動いた。歯の根がカチカチと鳴り出した。ジリジリと後退あとずさりをしながら、薄い黄絹のカアテンを、腫れ物に触るようにしてもぐり出た。
白菊 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
だから、後半分の余力が、その足を軸に廻転を起して、人形の左足がしだいに後退あとずさりして行く。そして、完全に横向きになると、今度は扉と平行に進んで行くからだよ
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
勝平の眼が、段々狂暴な色を帯びると共に、彼はいきおいもうに瑠璃子に迫って来た。彼女は、相手の激しい勢にされるようにジリ/\と後退あとずさりをせずにはいられなかった。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
ファゼーロはたじたじ後退あとずさりしました。給仕がそばからレッテルのない大きなびんからいままでみんなの呑んでいた酒を注ごうとしました。わたくしはそこで云いました。
ポラーノの広場 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
タジタジと後退あとずさってきたので、のび上がってみると、ひとりの遍路を相手に何か言い争っているふうなので、眼八は縄付のそばを離れて、すばやくそこへくぐって行った。
鳴門秘帖:05 剣山の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
私があの女に對したときのやうに嫌惡けんをを以てあなたから後退あとずさりしはしなかつたゞらう。あなたが落着いてゐるときには私の他には見張りも看護人もらなかつたゞらう。
玄竹げんちくたかこゑおどろいて、百姓ひやくしやう町人ちやうにんれまでが、後退あとずさりするのを、玄竹げんちくやさしくやつて
死刑 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
兵馬は小石を拾ってねらいをつけると、犬はまた後退あとずさりして、兵馬のかおにらみながらうなる。
孫は店の者が、真青になって後退あとずさりをするほど、殺気を帯びた凄い顔をしていた。
雲南守備兵 (新字新仮名) / 木村荘十(著)
彼は後退あとずさりをすると、背中を壁にドスンとぶつけた。
(新字新仮名) / 海野十三(著)
かえって後退あとずさりして唐紙からかみに背をもたせた。
如何なる星の下に (新字新仮名) / 高見順(著)
少年 (後退あとずさりして)いいえ、いいえ。
レモンの花の咲く丘へ (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
飛び下りた影をねらって、颯然さつぜんたる一刀が月光に鳴り、斜めに腰を払ったが、ヒラッとかわして銀五郎が、無二無三の刃交はまぜいどむと、対手あいてはたちまちかすりをうけて後退あとずさ
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)