越前えちぜん)” の例文
越前えちぜんの府、武生たけふの、わびしい旅宿やどの、雪に埋れた軒を離れて、二町ばかりも進んだ時、吹雪に行悩みながら、私は——そう思いました。
雪霊記事 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
その手紙は越前えちぜんから出されたものだった。菊枝はまったく夢中で読んだ、なにが書いてあったかほとんど理解することができなかった。
日本婦道記:不断草 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
水戸の安島帯刀あじまたてわき越前えちぜんの橋本左内さない、京都の頼鴨崖らいおうがい、長州の吉田松陰よしだしょういんなぞは、いずれも恨みをのんで倒れて行った人たちである。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
だから、秀吉は、かれに対しては、本領の若狭わかさ近江おうみ越前えちぜん加賀かがの一部など、百万石に近い報酬ほうしゅうと優遇をもってした。当然な報恩である。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
水野越前えちぜん勤倹御趣意きんけんごしゅいのときも、鼈甲べっこうかんざしをさしていて、外出するときは白紙かみを巻いて平気で歩いたが、連合つれあい卯兵衛が代っておとがめをうけたのだ。
大体石屋根は日本で極めて珍らしく、越前えちぜんや紀伊に多少あると聞いたが、それは皆普通の屋根瓦をした形である。
野州の石屋根 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
三十六品のうちでお酒の肴にすると申した長崎のカラスミ、鹿児島のかつお煮取にとり、越前えちぜんのウニ、小田原の塩辛しおから、これだけは宅にありますから直ぐ間に合います。
食道楽:春の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
それから、台の物は、幕の内なぞというようなやぼなものではない。小笠原豊前守おがさわらぶぜんのかみお城下で名物の高価なからすみ。越前えちぜん能登のとのうに。それに、三州は吉田名物の洗いこのわた。
この前のが多景島たけじまで、向うに見えるのが竹生島ちくぶじまだ——ずっと向うのはての山々が比良ひら比叡ひえい——それから北につづいて愛宕あたごの山から若狭わかさ越前えちぜんに通ずる——それからまた南へ眼をめぐらすと
大菩薩峠:35 胆吹の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
現に越前えちぜん三国みくにぼうという遊女俳人が、江戸に出て来て昔馴染むかしなじみの家を、遊びまわったという話などは、是からまた百年ものちのことである。多くの遊女は旅をして遠くからやって来ている。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
ある時、越前えちぜん佐伯氏長さえきのうじながが、その国の選手として相撲の節会に召されることになった。途中近江おうみの国高島郡石橋を通っていると、川の水をんだおけを頭にいただいて帰ってくる女がいた。
大力物語 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
「君は身体からだが丈夫だから結構だ」とよくどこかに故障の起る安井がうらやましがった。この安井というのは国は越前えちぜんだが、長く横浜にいたので、言葉や様子はごうも東京ものと異なる点がなかった。
(新字新仮名) / 夏目漱石(著)
越前えちぜん福井ふくいは元きたしょうと云っていたが、越前宰相結城秀康ゆうきひでやすが封ぜられて福井と改めたもので、其の城址じょうしは市の中央になって、其処には松平まつだいら侯爵邸、県庁、裁判所、県会議事堂などが建っている。
首のない騎馬武者 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
この春に京都から越前えちぜんまで廻って秋はまた信濃しなのの方へ出向くなどの計画もあった。そのたんびに寺へ寄附する金のたかも少くなかった。お庄は時々、そんな内幕のことを、年増の女中から聴かされた。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
筒井氏の調査によると、冬季降雪の多い区域が、若狭わかさ越前えちぜんから、近江おうみの北半へ突き出て、V字形をなしている。そして、その最も南の先端が、美濃みの、近江、伊勢いせ三国の境のへんまで来ているのである。
伊吹山の句について (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
宮崎は越中、能登のと越前えちぜん若狭わかさの津々浦々を売り歩いたのである。
山椒大夫 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
しかし武内宿禰たけのうちのすくねだけは、お小さな天皇をおつれ申して、けがはらいのみそぎということをしに、近江おうみ若狹わかさをまわって、越前えちぜん鹿角つぬがというところに仮のお宮を作り、しばらくの間そこに滞在たいざいしておりました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
十一月十五日 越前えちぜん三国、愛子居。
六百句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
それが大雪のために進行が続けられなくなって、晩方武生たけふ駅(越前えちぜん)へ留ったのです。強いて一町場ひとちょうばぐらいは前進出来ない事はない。
雪霊続記 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
去年、失脚しっきゃくの後、かれは越前えちぜん大野郡おおのごおり蟄居ちっきょしていたが、先ごろの秀吉対信雄家康——の紛争が険悪となった頃、秀吉は、それに使いをやって
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その後の浪士らが美濃を通り過ぎて越前えちぜんの国まではいったことはわかっていた。しかしそれから先の消息は判然はっきりしない。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
松平越前えちぜん侯お下屋敷とおぼしきひと構えのこちらに、さながら何かの因縁ごとででもあるかのごとく、黙々として屋根の背中を光らせながらそびえ立っている堂宇が見えるのです。
産地は不明であるが、佐渡の産と云われ、処によっては「佐渡箪笥さどだんす」とも呼ばれる。もとより佐渡一ヶ所に限られたことはなく、羽前うぜん酒田さかた越前えちぜん三国みくにでも造られたようである。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
日本海側では越前えちぜん加賀かが能登のとなどで、ミテルを終了するの意味に用いている地方ならば、稲こきの完成をコキミテと謂うのは当り前の話だが、それが今ではもう分らなくなろうとしている。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
越前えちぜん敦賀つるがのかにが
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
貴殿きでん尊奉そんぽうなさる越後えちご天鼓流てんこりゅうでは、まだ作事さくじ築工ちっこう時勢じせいおくれのところがあるゆえ、それを逆法と思われるかも知らぬが、自分のしんずる越前えちぜん……
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
お粂が伏見屋から分けてもらって来た紙の中には、めずらしいものもある。越前えちぜん産の大高檀紙おおたかだんしと呼ぶものである。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
彫金ほりきんというのがある、魚政うおまさというのがある、屋根安やねやす大工鉄だいてつ左官金さかんきん。東京の浅草あさくさに、深川ふかがわに。周防国すおうのくに美濃みの近江おうみ加賀かが能登のと越前えちぜん肥後ひごの熊本、阿波あわの徳島。
春昼 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
東北路は山形二十万石の保科ほしな侯に、それから仙台六十四郡のあるじ伊達だて中将、中仙道なかせんどう口は越前えちぜん松平侯に加賀百万石、東海道から関西へかけては、紀州、尾州、ご両卿りょうきょう伊勢いせ松平、雲州松平
北陸道というのは、若狭わかさ越前えちぜん、これが福井県。加賀かが能登のと、これが石川県。越中えっちゅう、これが富山とやま県。越後えちご佐渡さど、これが新潟にいがた県。以上の七国四県であります。昔はこの地方を「こし」の国と呼びました。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
当時の京都には越前えちぜんも手を引き、薩摩さつまも沈黙し、ただ長州の活動に任せてあったようであるが、その実、幾多の勢力の錯綜さくそうしていたことを忘れてはならない。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
多宝塔たほうとうのいただきから、たくみにわしをつかって逃げうせました呂宋兵衛るそんべえは、どうやら、越前えちぜんきたしょうを経て、京都へ入りこみましたような形跡けいせきにござります」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
(と小膝こひざうって)面白い。話しましょう。……が、さて談話というて、差当り——お茶代になるのじゃからって、長崎から強飯こわめしでもあるまいな。や、思出した。しかもこの越前えちぜんじゃ。
夜叉ヶ池 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
その間には微妙な関係に立つ尾州があり土佐とさがあり越前えちぜんがあり芸州がある、こんな中でやかましい兵庫開港と長州処分とが問題に上ろうとしている、とある。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「おめえたち、上方かみがたのほうへいきてえなら船をだしてやろうか。越前えちぜんへでも若狭わかさへでも着けてやるぜ」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
道連みちづれになつた上人しやうにんは、名古屋なごやから越前えちぜん敦賀つるが旅籠屋はたごやて、いましがたまくらいたときまで、わたしつてるかぎあま仰向あふむけになつたことのない、つま傲然がうぜんとしてものないたち人物じんぶつである。
高野聖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
かつて岩瀬肥後が井伊大老と争って、政治生涯しょうがいしてまで擁立しようとした一橋慶喜ひとつばしよしのぶは将軍の後見に、越前えちぜん藩主松平春嶽まつだいらしゅんがくは政事総裁の職にくようになった。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
は、ことし十五となっており、その生母の藤夜叉も、はや三十路みそじをすこし出て、いまでは“越前えちぜんまえ”とよばれ、まったく、武家家庭の型に拘束された一女性になりきっていた。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
なまけものの節季せっきばたらきとか言って、試験の支度したくに、徹夜で勉強をして、ある地誌略ちしりゃくを読んでいました。——白山はくさんは北陸道第一の高山にして、郡の東南隅とうなんぐうひいで、越前えちぜん美濃みの飛騨ひだまたがる。
甲乙 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
御隠居と意見の合わないところから、越前えちぜん公の肝煎きもいりで、当時一橋家ひとつばしけいでいる人である。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
もう一ときの時をかしていたら、久原川の洲で、敵将足利直義ただよしを討ち取ってもいたろうに、せつなを、自軍の内からくつがえされて、じょう越前えちぜん、赤星六郎兵衛、ほか三十七人の旗本まで
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これよりさき、境はふと、もののかしらを葉ごしに見た時、形から、名から、牛の首……と胸に浮ぶと、この栗殻くりからとは方角の反対な、加賀と越前えちぜん国境くにざかいに、同じ名の牛首がある——その山も二三度越えたが
星女郎 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
番所のあるところから野毛山のげやまの下へ出るには、内浦に沿うて岸を一回りせねばならぬ。ほどヶ谷からの道がそこへ続いて来ている。野毛には奉行の屋敷があり、越前えちぜんの陣屋もある。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「また、藤夜叉どのとも。……いやその藤どのは、名をかえて、いまでは越前えちぜんまえと申しあげ、以後ずっとお変りなく、伊吹の城に、今日を待っておられました。ひと目会うておあげなされませぬか」
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あれで鉄胤先生なぞの意志も、政治を高めるというところにあったろうし、同門には越前えちぜん中根雪江なかねゆきえのような人もあって、ずいぶん先生を助けもしたろうがね、いかな先生も年には勝てない。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
そのすきに、伊具いぐ越前えちぜん前司ぜんじ宗有むねありが、横から注意をうながした。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その碑文をえらみ、越前えちぜん足羽あすは神社の境内に碑を建てたのも、この翁だ。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
もちろん信長からで、越前えちぜんへ——の再征令さいせいれいであった。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)