肴屋さかなや)” の例文
肴屋さかなや、酒屋、雑貨店、その向うに寺の門やら裏店うらだなの長屋やらがつらなって、久堅町ひさかたまちの低い地には数多あまたの工場の煙筒えんとつが黒い煙をみなぎらしていた。
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
或る年の三、四月頃、江戸ではかつおの大漁で、いたる処の肴屋さかなやでは鰹の山をしていました。それで何処の台所へもざらに鰹が這入はいる。
めそのことは人があまり知らずに、小魚などといいますが、鰻のごく細いのです。それは肴屋さかなやでなくて、八百屋やおやが持って来ました。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
旦那だんなさん、お肴屋さかなやさんがまいりました。旦那さんの分だけ何か取りましょうか。次郎ちゃんたちはライス・カレエがいいそうですよ。」
(新字新仮名) / 島崎藤村(著)
砂糖屋でいた頃も、八百屋やおや肴屋さかなやにお前と呼ぶことを遠慮したが、当時はまだそのことば紆曲うきょくにしてただちに相手をして呼ぶことを避けていた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
吾輩が例の茶園ちゃえんで彼に逢った最後の日、どうだと云って尋ねたら「いたちの最後屁さいごっぺ肴屋さかなや天秤棒てんびんぼうには懲々こりごりだ」といった。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
甲州街道に肴屋さかなやはあるが、無論塩物干物ばかりで、都会とかいに溢るゝしこ秋刀魚さんままわって来る時節でもなければ、肴屋の触れ声を聞く事は、殆ど無い。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
昼は肴屋さかなや店頭みせさき魚骨ぎょこつを求めて、なさけ知らぬ人のしもと追立おいたてられ。或時は村童さとのこらかれて、大路おおじあだし犬と争ひ、或時は撲犬師いぬころしに襲はれて、藪蔭やぶかげに危き命をひらふ。
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
小さい薄縁うすべりを敷いてある火鉢の傍で、ここの賄所まかないじょから来る膳や、毎日毎日家から運んでくる重詰めや、時々は近所の肴屋さかなやからお銀が見繕みつくろって来たものなどで
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
「そう、それじゃ、わたしお肴屋さかなやのおちゃっぴいになるから、あなた薪屋のおちゃっぴいにおなりなさい」
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
町では天秤棒を生活の要具としていたのは、今までは八百屋やおや肴屋さかなやとがしゅであった。配給の時代には問題はなかったが、その前にもすでに八百屋は車になっていた。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
たとへば肴屋さかなやの小僧などの「こんちはア」と云ふ言葉に。あの言葉は母音ぼいんに終つてゐない、ちよつと羅馬字ロオマじに書いて見れば、Konchiwaas と云ふのである。
僕は (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
鉄砲巻は山に積むし、近所の肴屋さかなやから、かつおはござってら、まぐろいきの可いやつを目利して、一土手提げて来て、私が切味きれあじをお目にかけたね。素敵な切味、一分だめしだ。
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
路地の入口の肴屋さかなやはもう表の戸を閉めているので、ちょっと前後ぜんごを見廻し、暗い路地へ進入すすみいろうとすると、その途端にばったり行き会ったのは間貸しの家の老婆である。
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)
次は鰹節屋かつおぶしや、小間物屋、箪笥屋たんすや、諸道具屋、肴屋さかなや、酒屋、いやしくも嫁入りの御用を勤めそうな店は、自分か子分か一と通り廻ってみましたが、どこにも怪しい節などはなく
「暑い夏の夜市中を通っておるとむくむくと物のにおいが鼻をく、肴屋さかなや果物屋くだものやも酢屋もまたごみための匂いも交って鼻を衝く。空にはうん気につつまれた夏の月が出ております。」
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
いなせな肴屋さかなやさんなどがいて、若い者と共力きょうりょくして死体引上げにかかったが、便所の中からでは迚も上げられないので、外側から竿さおで死骸を広い水の上までつき出した所が、妙なことには
陰獣 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
そしてそれに気がついた時分にはもう、近所の肴屋さかなやからお刺身やおかしらやお吸いものなどが十人前ぐらいも運んで来ていましたし、つづいて親類のものが四、五人やって来るのでした。
でもこんなのらくらの遊び人の絵をともかくも一文や二文で買ってくれ手があるから不思議なもんさな! どうで雪舟せっしゅうも元信も拝むことのできぬ肴屋さかなや八百屋やおや熊公くまこう八公がわたしのご上客だ。殿様だ。
私はお徳の前に立って、肴屋さかなやの持って来た付木つけぎにいそがしく目を通した。それには河岸かしから買って来たさかなの名が並べしるしてある。
(新字新仮名) / 島崎藤村(著)
双方がにらみ合ってる中に、父の弟分なり乾児こぶんなりであった肴屋さかなやたつという六尺近くもある大男の豪のものが飛び出して、相手を一拉ひとひしぎにしたので
「東郷大将が大和魂をっている。肴屋さかなやの銀さんも大和魂を有っている。詐偽師さぎし山師やまし、人殺しも大和魂を有っている」
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
西風が毎日のように関東平野の小さな町に吹きあれた。乾物屋かんぶつやの店には数の子が山のように積まれ、肴屋さかなやには鮭が板台はんだいの上にいくつとなく並べられた。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
鮓屋久次郎はもとぼてふり肴屋さかなやであったのを、五百いおの兄栄次郎が贔屓ひいきにして資本を与えて料理店を出させた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
爺さんは破けた股引ももひきをはいてよちよち使いあるきに出ながら、肴屋さかなやの店へ寄って愚痴をこぼしはじめた。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
はははは、いくら江戸めえ肴屋さかなやだって、玄関から怒鳴り込む奴があるかい。お客だぜ。お客様だぜ。おい、おめえの方で惣菜は要らなくっても、おらが方で座敷が要るんだ。
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
次は鰹節屋かつおぶしや、小間物屋、箪笥屋たんすや、諸道具屋、肴屋さかなや、酒屋、いやしくも嫁入りの御用を勤めそうな店は、自分か子分か一と通り廻ってみましたが、どこにも怪しい節などはなく
しかしまだ明治時代にはそこにも大紙屋のあつたやうに封建時代の影の落ちた何軒かの「しにせ」は残つてゐた。僕はこの馬車通りにあつた「魚善うをぜん」といふ肴屋さかなやを覚えてゐる。
本所両国 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
君江は平素ふだんから頼んである表の肴屋さかなやに電話をかけ、間貸しのおばさんを呼出して様子をきくと、昨夜お友達の女給さんが見えて、先生はその女と一緒にお出かけになったきりだという返事である。
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)
ごちゃごちゃとした町中の往来を隔てて、さかなを並べた肴屋さかなやの店がその障子の外に見おろされる。向かい隣には、白い障子のはまった下町したまち風の窓も見える。
分配 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
魚勝うをかつ肴屋さかなやまへとほして、その五六軒先けんさき露次ろじとも横丁よこちやうともかないところまがると、あたりがたかがけで、その左右さいうに四五けんおなかまへ貸家かしやならんでゐる。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
家業を変えて肴屋さかなやを始め、神田かんだ大門だいもん通りのあたりを得意に如才なく働いたこともありますが、江戸の大火にって着のみ着のままになり、流れて浅草あさくさ花川戸はなかわどへ行き
なんのためか深張傘ふかばりがさをさして、一度いちど、やすものうり肴屋さかなやへ、お總菜そうざいぼらひにたから。
山の手小景 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
家へ帰るとすぐ鱗型うろこがた銘仙めいせんの不断着に着かえ、髪も乱れたままで、ホテルのそばにある肴屋さかなやや、少し離れたところにある八百屋やおやへ、女中のお八重をつれて買い出しに行ったりして
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
どの店でも弓張ゆみは提灯ちょうちんをつけて、肴屋さかなやには鮭、ごまめ、数の子、唐物屋とうぶつやには毛糸、シャツ、ズボン下などが山のように並べられてある。夜は人がぞろぞろと通りをひやかして通った。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
久しぶりに見世へ顔を出したのは肴屋さかなやの徳蔵でございます。いえ、肴屋ではございません。以前は肴屋でございましたが、今は人力車の車夫になつた、出入りの若いものでございます。
(新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
それは越した日に八百屋も、肴屋さかなや通帳かよいちょうを持って来て、出入でいりを頼んだのに、その日には肴屋が来ぬので、小さい梅を坂下へって、何か切身でも買って来させようとした時の事である。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
潰しましたよ。——最初は何んとかの水差で、次は肴屋さかなやとか、豆腐屋とうふやの茶碗
魚勝と云う肴屋さかなやの前を通り越して、その五六軒先の露次ろじとも横丁ともつかない所を曲ると、行き当りが高いがけで、その左右に四五軒同じかまえの貸家が並んでいる。
(新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「ほんとに、よく遅れる時計ね——栄ちやん、お肴屋さかなやさんへ行つて聞いて来て下さいな。」
出発 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
いや、寧ろ人並みよりも内気な女と思っていた。が、東京の或る場末に肴屋さかなやをしているお芳の兄は何をたくらんでいるかわからなかった。実際又彼は彼女の目には妙に悪賢い男らしかった。
玄鶴山房 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
胴づまりで肥った漢子おとこの、みじめなのが抜衣紋ぬきえもんになって、路地口の肴屋さかなやで、自分の見立てで、そのまぐろを刺身に、とあつらえ、塩鮭の切身を竹の皮でぶら下げてくれた厚情こころざしあだにしては済まないが
雪柳 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
理髪肆とこやの男の白いころもは汚れてるし、小間物屋ののきは傾いてるし、二階屋の硝子窓は塵埃ほこりに白くなつてるし、肴屋さかなやの番台は青く汚くなつてるし、古着屋の店には、古着、古足袋、古シヤツ
父の墓 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
彼は肴屋さかなや蠑螺さざえ一籠ひとかごあつらえ、銀子を促した。
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
「朝河岸へ行く肴屋さかなやでしたよ」
車屋の黒のように横丁の肴屋さかなやまで遠征をする気力はないし、新道しんみち二絃琴にげんきんの師匠のとこ三毛みけのように贅沢ぜいたくは無論云える身分でない。従って存外きらいは少ない方だ。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
九月はじめのことであって見れば秋鯖あきさばなぞをかついだ肴屋さかなやがそのごちゃごちゃとした町中を往ったり来たりしているようなところでなければ、ほんとうの日本橋のような気もしなかったのである。
食堂 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
出来ないことはありますまい、親もなし、兄弟もなし、行く処と云えば元の柳橋の主人の内、それよりは肴屋さかなやへ内弟子に入って当分梳手すきてを手伝いましょう。……何も心まかせ、とそれにまった。
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
私はその卓上で奥さんからその日いつもの時刻に肴屋さかなやが来なかったので、私たちに食わせるものを買いに町へ行かなければならなかったのだという説明を聞かされました。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「豆腐屋だって、肴屋さかなやだって——なろうと思えば、何にでもなれるさ」
二百十日 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)