痘痕あばた)” の例文
と、その声が呼んだかのように、土蔵の口へ現われたのは、顔に醜い薄痘痕あばたのある、蔵番らしい男であったが、手に匕首あいくちを握っている。
前記天満焼 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
伯母さんの痘痕あばたは見えぬかえと笑ふに、それでもお前は年寄りだもの、己らの言ふのは嫁さんの事さ、年寄りはどうでも宜いとあるに
たけくらべ (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
とともに、その痘痕あばたと、細君が若うして且つ美であるのをもって、処々の講堂においても、演説会においても、音に聞えた君子である。
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
王政復古——幕府はもう永くない——ご一新は近い、となると渋沢の顔は、柔和な眼も、痘痕あばたの一つ一つも、野心そのものに熱をおびて
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
物干の間からのぞいて見ると紺の股引ももひき唐桟縞とうざんじま双子ふたこの尻を端折り、上に鉄無地てつむじ半合羽はんがっぱを着て帽子もかぶらぬ四十年輩の薄い痘痕あばたの男である。
雪解 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
無残にも小豆あずき大の赤黒い痘痕あばたが、籠釣瓶かごつるべの佐野次郎左衛門で、会員達の好奇心も一ぺんにさめて、思わず顔をそむけることも少くはありません。
法悦クラブ (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
その日の旅で身体の節が硬くなったような気がした私は按摩あんま、即ちマッサージ師を呼びむかえた。彼は深い痘痕あばたを持つ、盲目の老人であった。
お庄は空罎の積みの前に立って、「え、え。」と言って聴いていたが、ぽつぽつ痘痕あばたのような穴のあるお袋の顔が、薄気味わるく眺められた。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
「疱瘡ですって? なるほどそう仰しゃれば、あの男には痘痕あばたがあったっけ! ですがなんだってまたあなたは……。」
其処は代々畳屋をやっていたが、肥った白痘痕あばたのある其処の主人が歿くなるとともに商売をよして、その比は老婆と年とった娘が何もせずにいた。
(新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
これまで見たことのある厭な意地くねの悪い顔をいろいろ取りだして、白髪のかつらの下へめて、鼻へ痘痕あばたを振ってみる。
千鳥 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
「みんなは知りませんが、そう云った奴の面付つらつきだけは記憶おぼえています。色の黒い、痘痕あばたのある、せこけたまずい面でした。朝鮮人かも知れません」
暗黒公使 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
痘痕あばたがあって、片目で、背の低い男ぶりを見ては、「仲平さんは不男ぶおとこだ」と蔭言かげことを言わずにはおかぬからである。
安井夫人 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
美しい蟹に痘痕あばたの名はふさわしくないと遠泉君は思っていると、老いたる漁師はその蟹の由来を説明した。
五色蟹 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
そのときお民はかゆがるのを掻かせないために、七昼夜というもの一睡もせずに看病をした、おかげで小太郎は痘痕あばたを残さずに済んだが、お民は過労にまけて倒れ
初蕾 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
緑いろの鳥打帽とりうちぼうをかぶった、薄い痘痕あばたのある物売りはいつもただつまらなそうに、くびった箱の中の新聞だのキャラメルだのを眺めている。これは一介いっかいの商人ではない。
十円札 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
「——我慢していらっしゃい、いい子だから。大痘痕あばたになるところを助ったんじゃあないの」
短く刈った褐色かっしょくの髪、痘痕あばたのある無髯むぜんの顔、太い眼、太い鼻、太いくちびる、二重あご、短い首、恐ろしく大きな背中、たるのような腹、胴体から分かれ出てる腕、馬鹿に大きな手足
「そんだつてかぶんねえよ」痘痕あばたぢいさんはすつかりしをれてしまつた。群集ぐんしふみなはらかゝへた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
痘痕あばただらけの、蟹の甲羅のやうな道化おどけた顔をして、白墨チヨオクの粉の着いた黒木綿の紋付に裾短い袴を穿いた——それが真面目な、教授法の熟練な教師として近郷に名の知れてゐる
(新字旧仮名) / 石川啄木(著)
少し痘痕あばたある鳳眼にして長面の片山君は、銭函ぜにばこの海岸で崖崩れの為死んだ愛犬の皮を胴着にしたのを被て、手細工らしい小箱から煙草をつまみ出しては長い煙管でふかしつゝ
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
「あたいはりゅうさんていう痘痕あばたのおやじが、鉱山やまへ働きに行けば、お母さんにもお金をやれるし、子供でも戦争の役に立つんだと云ったから路三ルサンや、万里ワンリなんかと一緒に来たんだ」
雲南守備兵 (新字新仮名) / 木村荘十(著)
痘痕あばたが有つて跛の男。これが此講義所の番人、如何にも敬虔らしく天からインスピレーシヨンでも受けて居るかの様に、眼を閉じては祈り、眼を開いては牧師の口に注意して居る。
ただ自分の隣りに腫物できものだらけの、腐爛目ただれめの、痘痕あばたのある男が乗ったので、急に心持が悪くなって向う側へ席を移した。どうも当時の状態を今からよく考えて見るとよっぽどおかしい。
坑夫 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「失礼ながら先生の奥さんのお父さんは痘痕あばたのあるお方じゃありませんか?」
負けない男 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
お彼岸に雪解けのわるい路を途中花屋に寄ったりして祖母につれられてきて、この部屋で痘痕あばたの和尚から茶を出された——その和尚の弟子が今五十いくつかになって後を継いでるわけだった。
父の葬式 (新字新仮名) / 葛西善蔵(著)
その大石というのは子持石こもちいしであった。凝灰岩ぎょうかいがんに堅くて黒いれきはらんでいる。その大小の礫の抜け出したあとが痘痕あばたのように見える。その穴にはしのぶが生えている。いわゆるのきしのぶである。
沸々沸々と、瓦斯の立つ痘痕あばためん、これがあの丸太の、美女の胴体とは。
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
顔中に薄い痘痕あばたがあったが、目は細く光ってまなじりが上り、鼻梁はなばしらが高く通って、精悍せいかんな気象を示したが、そのげっそりと下殺しもそげした頬に、じりじり生えているひげが、この男の風采を淋しいものにした。
船医の立場 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
見ると蒼白あおじろい顔色に薄い痘痕あばたがある。
狂乱 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
痘痕あばたのある柔和にうわかほで、どくさうにわたした。がくちかないでフイとかどを、ひとからふりもぎる身躰からだのやうにづん/\出掛でかけた。
神鑿 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
きらりと、うす痘痕あばたの中に、大きな眸が光った。安兵衛は膝を進めて、たった今、荷田春満から聞き込んだ事をつぶさに告げて
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
土竈へつつひの陰に恐れ入つてゐるのは、三十を少し越したらしい女、ひどい痘痕あばたで、眼も片方はどうかしてゐる樣子です。
藤さんはにわかに荷物をまとめて帰って行ったというのである。その伯父さんというのはだいぶ年のった、鼻の先に痘痕あばたがちょぼちょぼある人だという。
千鳥 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
痘痕あばたがあって、片目で、背の低い田舎書生は、ここでも同窓に馬鹿にせられずには済まなかった。それでも仲平は無頓着に黙り込んで、独り読書にふけっていた。
安井夫人 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
女は年ごろ二十二、三で、顔にうす痘痕あばたはあるが垢抜けのしたいい女。どう見ても素人らしくない人相、髪は散らしているので、どんなまげに結っていたか判りません。
半七捕物帳:67 薄雲の碁盤 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
最後に、ラインハルト夫人はクリストフに良人おっとを紹介した。彼はひどい醜男ぶおとこだった。顔はあおざめ、ひげがなく、痘痕あばたがあり、あわれっぽかった。しかしたいへん善良な様子だった。
あとではなみいはちつけるやうしばらくさわいだ。わかをんなみなぶんわらつて、また痘痕あばたぢいさんを熟々つく/″\てはおもしてたもとくちおほうた。到頭たうとうきま惡相わるさうにしてぢいさんもつてしまつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
痘痕あばたをその間にかくしているような皺の多い面長な重蔵の顔には笑いが浮んでいる。
猫車 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
痘痕あばたのある顔である。気付いてお繁が顔を向けると、すぐに襖は閉ざされた。
前記天満焼 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
おいらは痘痕あばたしつつかきは大嫌だいきらひとちかられるに、主人あるじをんな吹出ふきだして、れでもしようさんわたしみせくださるの、伯母おばさんの痘痕あばたえぬかえとわらふに、れでもおまへ年寄としよりだもの
たけくらべ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
よしんば、その不明の目的のために岩形氏を殺したとしても、その手がかりになる留学生は、唯、顔に痘痕あばたがあるというだけで、探し出すにしても雲を掴むような苦心をしなければならぬ。
暗黒公使 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
その日、いつものやうに、のそり/\二階へ上つて行つた時、わたくしは朝鮮人らしい痘痕あばたの目につく若い洋服の男が、化粧用の品物を詰込んだ革包の中を、そろ/\片づけ初めてゐるのを見た。
勲章 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
このてんから見ると主人の痘痕あばた冥々めいめいうちに妙な功徳くどくを施こしている。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
痘痕あばたのある怖い人でございます」
負けない男 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
がつらつら思うに、茶屋の帳場は婆さんか、痘痕あばたの亭主に限ります。もっともそれじゃ、繁昌はしまいがね。早いから女中はまだいびきで居る。
薄紅梅 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
大高源吾は、肉のかたくまった体を、ずんぐりと重そうにいつも扱っていた。浅黒いうす痘痕あばたがあって、すこし猪首いくびのせいか、首を曲げる癖がある。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
痘痕あばたでも眈目めつかちでもなく、どこか美しくさへある女ですが、何んとなく冴えない顏で、目鼻立の端正なのが、反つてこの女の魅力を傷つけてゐると言つた感じのお磯です。
んちいかせてせえ」先刻さつきぢいさんはいつた。かれかほには痘痕あばたふかいんしてる。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
煎餅やのお福のやうな痘痕みつちやづらや、薪やのお出額でこのやうなが萬一もし來ようなら、直さま追出して家へは入れて遣らないや、己らは痘痕あばたしつつかきは大嫌ひと力を入れるに、主人あるじの女は吹出して
たけくらべ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)