おぼ)” の例文
孝子でも水にはおぼれなければならぬ、節婦でも火には焼かれるはずである。——彼はこう心の中に何度も彼自身を説得しようとした。
寒さ (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
およぎは出来たが、川水の落口で、激浪にまれて、まさにおぼれようとした時、おおきな魚に抱かれたと思って、浅瀬へ刎出はねだされて助かった。
河伯令嬢 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
そうかしら? と思いながらも、おぼれる者のわらにすがる気持もあって、村の先生のその診断に、私は少しほっとしたところもあった。
斜陽 (新字新仮名) / 太宰治(著)
智者はかえって智におぼれる——という。信玄は、誡めてみた。しかし、智を以てせずに、彼の智を観破かんぱすることはできない気もする。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
河の水は暗緑の色に濁つて、あざけりつぶやいて、おぼれて死ねと言はぬばかりの勢を示し乍ら、川上の方から矢のやうに早く流れて来た。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
知る必要がある、それにはときおり遊ぶがいい。おぼれたり乱れたりしてはいけないが、節度を守って遊べば教えられることが多いものだ
明暗嫁問答 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「今時、おぼれるものが無ければ生きて行けないなんて、ゼイタクな気持ちは清算しなければいけないんだ。全く食えないんだから……」
清貧の書 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
ベルトがヒタ、ヒタ………と動き出すと、声高にしゃべっていた人声が、底からグン/\と迫るように高まってくる音におぼれて行った。
工場細胞 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
かくてまた三年みとせ過ぎぬ。幸助十二歳の時、子供らと海に遊び、誤りておぼれしを、見てありし子供ら、おそれ逃げてこの事を人に告げざりき。
源おじ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
なんといって感謝したらいいのでしょう。けれども私はもはや三年昔の私ではありません。私は私の発情におぼれてはなりません。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
舷側げんそくに、しろくあわだっては消えて行く水沫うたかたは、またきょうの日のわれの心か、と少年の日の甘ったるい感傷におぼれこんでもみるのでした。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
水におぼれるものは水をると何かの本にあった。背に腹は替えられぬ今の場合、とあきらめて蹴ってしまえばそれまでである。が……
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
はえといえば下らぬ者の上無しで、漢の班固をして、青蠅せいようは肉汁を好んでおぼれ死することを致す、と笑わしめた程の者であるが
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
嬰児は何処をあてどもなく匍匐ほふくする。その姿は既に十分あわれまれるに足る。嬰児は屡〻しばしば過って火に陥る、しくは水におぼれる。
惜みなく愛は奪う (新字新仮名) / 有島武郎(著)
「詭計ぞ!」とばかり退き逃げたが、正成の勢に追い討たれ、或いは川におぼれて死に、全軍ことごとく意気沮喪し、二将は京都へ引あげた。
赤坂城の謀略 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
突然取乱して激情におぼれたりしても、ほんとはこの人がそんな激しい対象として僕の心に君臨することはもう出来なくなっていたのである。
青春論 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
小夜菊におぼれた友吉が、女房のお鳥の嫉妬しつとの眼を盜んで、小夜菊の顏を見に來るのでせう、從つて小夜菊の家へ來る時は女房の居る場所や
適度にとどめていた。とはいえその適度というのがまた多量で、もっと弱い理性ならその杯の中におぼれるだろうということも、真実だった。
私の家の近くの土手へ避難した者は、一人残らず川へ飛び込んだから、ことによるとその川におぼれているのかも知れない。……
麦藁帽子 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
出港しゆつかうのみぎり白色檣燈はくしよくしやうとうくだけたこと、メシナ海峽かいきようで、一人ひとり船客せんきやくうみおぼれた事等ことなどあだかてんこゝろあつて、今回こんくわい危難きなん豫知よちせしめたやうである。
もちろん何かの張合はりあいだれかがおぼれそうになったとき間違まちがいなくそれをすくえるというくらいのものは一人もありませんでした。
イギリス海岸 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
わたしいま屹度きつとばつせられるんだわ、うして自分じぶんなみだなかおぼれるなて—眞箇ほんと奇態きたいだわ!けども今日けふなにみんへんよ』
愛ちやんの夢物語 (旧字旧仮名) / ルイス・キャロル(著)
昭和五年には町の青年が川におぼれ、もうこれで眠流しに人が死ぬことが三年続くといって、恐ろしがったという新聞の記事を見たことがある。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
が、良寛さんがおぼれ死んでは大変だから、いい加減なところで棹を良寛さんの方へさしだした。良寛さんはそれにつかまつて、船にあがつた。
良寛物語 手毬と鉢の子 (新字旧仮名) / 新美南吉(著)
「肉身のまま火も焼くことあたわず、水もおぼらすことの出来ない威力を得るまでは、どんな苦労でも修業は絶対に止めまい」
宝永噴火 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
古井戸の底には、膝から下ほどの水がたまっているばかりで、おぼれる心配はなかったが、しかし、一郎はなぜか、息も絶えだえに疲れはてていた。
暗黒星 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
今迄随分限りなく愛されもし、酔いおぼれもした。肉のよろこびは、じゃが、どこまで繰り返しても同じこと……私は退屈した。
艶容万年若衆 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
このほど大王何処いずくよりか、照射ともしといへる女鹿めじかを連れ給ひ、そが容色におぼれたまへば、われちょうは日々にがれて、ひそかに恨めしく思ひしなり。
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
人はその不能におぼれずして能に溺れる、とは、よく寺小屋の先生から聞いた言葉であるが、七兵衛もまたつくづくその真理であることを感ずる。
大菩薩峠:22 白骨の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
ただ美しいからといってこれにおぼれてはならないでありましょう。美しさに対しても、正しさは要求されねばなりません。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
しかしそういう日の来ないうちに不良映画の不良教育を受けた本当の不良が天下をおぼらすようにならないとは限らない。
教育映画について (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
「全くです。流れかかってるんですよ。だからお願いします。おぼれかかった人はわらでもつかむと言うじゃありませんか」
競漕 (新字新仮名) / 久米正雄(著)
決して海の上では災難にかからなかったものが、今度は、赤い蝋燭を見ただけでも、その者はきっと災難に罹って、海におぼれて死んだのであります。
赤い蝋燭と人魚 (新字新仮名) / 小川未明(著)
墳墓のうちにあってあざわらい、あたかも人々の倒れたらん後にもなおつっ立ち、欧州列強同盟を二音のうちにおぼらし
ついウッカリと、古い記憶におぼれながら坂道をくだっていった。あの小便ひっかけられた赤ン坊が自分の小説を読んだ。
冬枯れ (新字新仮名) / 徳永直(著)
尚侍ないしのかみは源氏の追放された直接の原因になった女性であるから、世間からは嘲笑ちょうしょう的に注視され、恋人には遠く離れて、深いなげきの中におぼれているのを
源氏物語:12 須磨 (新字新仮名) / 紫式部(著)
儒仏耶蘇、いずれにてもこれに偏するは不便なり、つまり自愛におぼれず、博愛に流れず、まさにその中道を得たる一種の徳教を作らんというものあり。
日本男子論 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
とみんなでけつけるうちに、あんまり手間てまがとれたので、なが庄助しょうすけさんは、とうとうみずおぼれてにました。
長い名 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
元来がんらい日本人はむずかしい理屈をこねることにおぼれすぎている。だから、太平洋戦争のときに、わが国の技術の欠陥をいかんなく曝露ばくろしてしまったのだ。
霊魂第十号の秘密 (新字新仮名) / 海野十三(著)
小心な男ほど羽目を外したおぼれ方をするのが競馬の不思議さであろうか。手引きをした作家の方があきれてしまう位、寺田は向こう見ずなけ方をした。
競馬 (新字新仮名) / 織田作之助(著)
イエスの許しを得て、悪鬼が豚に入ったから、約二千匹の群れががけを駆け下って湖水に入り、おぼれてしまいました。
かれ、その猨田毘古さるたひこの神、阿邪訶あざかいませる時にすなどりして、ヒラブ貝にその手をひ合されて海塩うしおおぼれたまひき。
仲間の人たちは、助け出そうとしましたけれど、水の中へおぼれるように、石の下へ私の恋人は沈んで行きました。
セメント樽の中の手紙 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
アーニャ (考えこんで)六年まえに、お父さまがくなって、それから一月ひとつきすると弟のグリーシャが、川でおぼれたんだわ。可愛い七つの子だったのに。
桜の園 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
信仰と歴史について思いをいたすことも浅かった。いきおい私は自分の文学的空想におぼれて行ったようである。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
「金城寺の旦那さまなら、水練に達者の筈だが、泳ぎの出来るものがおぼれ死ぬのは、腹を切るより我慢のいるもんだという話だが、——さすがだなあ……」
山県有朋の靴 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
〔譯〕惻隱そくいんの心へんすれば、民或はあいおぼれ身をおとす者有り。羞惡しうをの心偏すれば、民或は溝涜かうとく自經じけいする者有り。辭讓じじやうの心偏すれば、民或は奔亡ほんばう風狂ふうきやうする者有り。
一匹の蟻が、雨上がりのわだちのなかに落ち込んで、おぼれかけていた。その時、ちょうど水を飲んでいた一羽の鷓鴣の子が、それをくちばしで挟んで、命を助けてやった。
博物誌 (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
かれらは嵐が叫び狂う中でおぼれてしまい、今は白骨となって、海底のほら穴のあたりに横たわっている。
船旅 (新字新仮名) / ワシントン・アーヴィング(著)
おぼれた人の体がそれと同じ容積の水より比重が重くなるわけや、彼がもがいて腕を水面の上へあげたり、水面の下で呼吸をしようとしてあえいだり——あえいで