河内かわち)” の例文
いにしえの国主の貴婦人、簾中れんちゅうのようにたたえられたのが名にしおう中の河内かわち山裾やますそなる虎杖いたどりの里に、寂しく山家住居やまがずまいをしているのですから。
雪霊記事 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
いつも朝日がさすたんびに、その木のかげ淡路あわじの島までとどき、夕日ゆうひが当たると、河内かわち高安山たかやすやまよりももっと上まで影がさしました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
重役のひとりたる陶義近すえよしちかののしると、その列の上座にいた老臣の蔵光正利まさとし、村井河内かわち、益田孫右衛門なども口をそろえていい出した。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ハハハハハハ、公方くぼう河内かわち正覚寺しょうがくじの御陣にあらせられた間、桂の遊女を御相手にしめされて御慰みあったも同じことじゃ、ハハハハハハ。
雪たたき (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
お出しになって『河内かわちイ——瓢箪山ひょうたんやま稲荷いなりの辻占ア——ッと……ヤイ。野郎……買わねえか』と云ううちに通りすがりの御客を
超人鬚野博士 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
軍監府では河内かわち大和やまと辺から、旧幕府の役人の隠れていたのを、七十三人捜し出して、先例によって事務を取り扱わせた。
堺事件 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
旅から帰ったのは翌文治三年七十歳のときで、しばらく京の近くにいて、それから河内かわち弘川寺ひろかわでらに入った。醍醐だいごの末寺で古義真言宗の寺である。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
「社会奉仕」というからには、あくまで善は急ぐべしと、早速おかね婆さんを連れて、三人で南河内かわち狭山さやまへ出掛けた。
勧善懲悪 (新字新仮名) / 織田作之助(著)
大和やまとの国内は申すまでもなく、摂津の国、和泉いずみの国、河内かわちの国を始めとして、事によると播磨はりまの国、山城やましろの国、近江おうみの国、丹波たんばの国のあたりまでも
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
なんにしても木津、宇治、加茂、桂の諸川がこのあたりで一つになり、山城、近江おうみ河内かわち、伊賀、丹波等、五カ国の水がここに集まっているのである。
蘆刈 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
打ち通すそうじゃが、かような例は、玉村千之丞河内かわち通いの狂言に、百五十日打ち続けて以来、絶えて聞かぬ事じゃ。七三郎どのの人気は、前代未聞みもんじゃ
藤十郎の恋 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
あるとき宰相さいしょうは、天子てんしさまの御用ごようつとめて手柄てがらてたので、ごほうびに大和やまと河内かわち伊賀いがの三箇国かこくいただきました。
鉢かつぎ (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
彼はその船中で眼前に展開する河内かわち平野の景色でもながめながら一服やることを楽しむばかりでなく、愛用する平たい鹿皮しかがわの煙草入れのにおいをかいで見たり
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
河内かわちの方からけて来た机竜之助、トボトボとして大和国やまとのくに八木の宿しゅくへ入ろうとして、疲れた足を休める。
ここで近畿きんき地方というのは便宜上、京都や大阪を中心に山城やましろ大和やまと河内かわち摂津せっつ和泉いずみ淡路あわじ紀伊きい伊賀いが伊勢いせ志摩しま近江おうみの諸国を包むことと致しましょう。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
しかしその弟、多田次郎朝実ただのじろうともざね手島冠者隆頼てじまのかんじゃたかより太田太郎頼基おおたのたろうよりもとは信頼するに足る存在です。さらに、河内かわちには石川の郡を領する武蔵守むさしのかみ入道義基よしもと、その子の石川判官代義包いしかわのはんがんだいよしかね
少なくともその貯蔵の酒には品質の高下こうげがあって、奈良とか河内かわち天野あまのとか、い酒ができると、その評判が高くなり、人がその名を聴いて飲んでみたがるようになった。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
イザホワケの天皇の御子、イチノベノオシハの王の御子のヲケノイハスワケの命(顯宗天皇)、河内かわちの國の飛鳥あすかの宮においで遊ばされて、八年天下をお治めなさいました。
日はすでに河内かわち金剛山こんごうせんと思うあたりに沈んで、一抹いちまつ殷紅色あんこうしょく残照ざんしょうが西南の空を染めて居る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
河内かわちの国の一豪族の身が、一天万乗の君に見出され、たのむぞよとの御言葉をたまわった。何んたる一族の光栄であろう。尽忠の誠心を披瀝して、皇恩に御酬い致さねばならぬ。
赤坂城の謀略 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
堀へついて真一文字に牧野河内かわちの下邸、その少し手前から鎧の渡しを右手に見て左坂本町へ折れようとする曲角に、金山寺御味噌卸問屋江戸本家八州屋という看板を掲げた店が
大坂は大和北葛城きたかつらぎ郡下田村で、大和から河内かわちへ越える坂になっている。二上山が南にあるから、この坂を越えてゆくと、二上山辺の黄葉が時雨に散っている光景が見えたのである。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
寛正かんしょう二年には、畿内きない河内かわちの国で畠山兄弟の家督をめぐる戦争が終りそうもないので、そのために都近くも物情騒然となったが、そのうえ、春のころから悪性の流行病がまんえんして
そう言う気で、前年の不足を、一度でとり返すつもりで行くものらしい。去年などは、永年住んだ大阪の家を失って、和泉いずみ河内かわちとに住み分れている弟たちを誘うて上ったものである。
花幾年 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
これは、河内かわちで出来る『八代やつしろ』という変り蜜柑で、鍛冶屋や鋳物師いものしの二階の窓から往来おうらいへほおる安蜜柑じゃねえ。……ご親類の松平河内守まつだいらかわちのかみから八日祭のおつかいものに届いたものに相違ない。
顎十郎捕物帳:07 紙凧 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
「では、河内かわちの国、富田林とんだばやしの、いそ上露子かみつゆこさんとどっちが——」
朱絃舎浜子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
渡り、河内かわち領へ米のぬけ買いにゆくそうです、なんでも当地の五分一ぐらいの安値だそうで、近ごろは私どもの裏口へ来る者がとんと少なくなりました、これでは商売のさきゆきが案じられてなりません
狐火やいづこ河内かわちの麦畠
俳人蕪村 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
ここは山城の綴喜郡つづきごおり河内かわち交野郡かたのごおりとの境をなす峠路である。光秀は旌旗せいきを立てて、終日ひねもす、何ものかをこの国境に待ちうけていた。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
お酔いつぶれになっていた天皇は、河内かわち多遅比野たじひのというところまでいらしったとき、やっとおうまの上でお目ざめになり
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
小父おじさんもう歩行あるけない。見なさる通りの書生坊しょせっぽうで、相当、お駄賃もあげられないけれど、なか河内かわちまで何とかして駕籠かごの都合は出来ないでしょうか。」
栃の実 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
堺はまたよき刃物の産地としても、当然記憶せらるべきだと思います。小刀とか鋏とかにもよい仕事を見せます。河内かわちの国にちなんだものでは「河内木綿かわちもめん」が名を得ました。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
大和やまと伊勢いせ紀伊きい河内かわち和泉いずみがその勢力範囲であって、大和アルプスを脊椎せきついとした大山岳地帯全体が海洋に三方を取りまかれて、大城廓をなし、どうにも攻め様がなかったのと
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
天皇は甲辰きのえたつの年の四月六日にお隱れになりました。御陵は河内かわち科長しながにあります。
そのために政府が欲すると否とに頓着とんちゃくなく、伊勢いせでも大和やまと河内かわちでも、瀬戸内海の沿岸でも、広々とした平地が棉田になり、棉の実の桃が吹く頃には、急に月夜が美しくなったような気がした。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
河内かわち高屋たかやそむいているものがあるので、それに対して摂州衆、大和衆、それから前に与一に徒党したが降参したのでゆるしてやった赤沢宗益の弟福王寺喜島ふくおうじきじま源左衛門和田源四郎を差向けてある。
魔法修行者 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
公儀の陣屋はつぶされ、大和やまと河内かわちは大騒動で、やがて紀州へ向かうような話もあり、大坂へ向かうやも知れないとまで一時はうわさされたほどである。ともかくも、この討幕運動は失敗に終わった。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
父のとむらいに大願寺を建て、一生孤独で終わろうとしたのだったが、その並みならぬ容色にこがれて言いよる若者のうちで、ひときわ熱烈なひとりの情にほだされて、河内かわち禁野きんやの里にしたのです。
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
河内かわち和泉いずみ、あの辺の田舎いなかから年期奉公ぼうこうに来ている丁稚でっちや下女が多いが、冬の夜寒よさむに、表の戸をめて、そう云う奉公人共ほうこうにんどもが家族の者たちと火鉢ひばちのぐるりに団居まどいしながらこの唄をうたって遊ぶ情景は
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
これは高麗こまの帰化人であるところの、背奈氏せなしと合してその土地に住み、他の一派は京都洛外の、太秦うずまさ辺に住居して秦氏はたしの一族と合体したりしたが、宗家は代々摂津せっつ和泉いずみ河内かわち、この三国に潜在して
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
河内かわちの国に天野四郎あまののしろうと云うて強盗の張本があった。
法然行伝 (新字新仮名) / 中里介山(著)
まだ十七歳というこの姉の子に、秀吉は、河内かわち北山で、二万石を与えていた。そして、しずたけ、その他に、転戦させ、すこし功があると
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
お二人は、それから河内かわち玖須婆川くすばがわという川をおわたりになり、とうとう播磨はりままで逃げのびていらっしゃいました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
深山みやまにかくれてきている事を信ぜられています——雪中行軍に擬して、中の河内かわちを柳ヶ瀬へ抜けようとした冒険に、教授が二人、それの中学生が十五人、無慙むざんにも凍死をしたのでした。
雪霊続記 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
大谷石はその名が示す如く、野州やしゅう河内かわち郡城山村大谷から出る石の名である。
野州の石屋根 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
しかもその酒がいつでも有ったわけでなく、造り酒屋の一般になったのは、京都附近ですら足利期の中頃、それも奈良とか河内かわち天野あまのとかの、おかしな話だが御寺から譲ってもらうものになっていた。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
ちなみに云う春琴と佐助との間には前記の外に二男一女があり女児は分娩ぶんべん後に死し男児は二人共赤子の時に河内かわちの農家へもらわれたが春琴の死後もわすれ形見には未練がないらしく取り戻そうともしなかったし子供も盲人の実父のもとへ帰るのを
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
おまえと別れてから間もなく、おれは、例の善信の奴が、岡崎の草庵を出て、難波なにわから河内かわちのほうへ旅に出たのを知ったからけて行った。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
涼しくば木の芽峠、音に聞こえた中の河内かわちか、(ひさしはずれに山見る眉)峰の茶店ちゃや茶汲女ちゃくみおんな赤前垂あかまえだれというのが事実なら、疱瘡ほうそうの神の建場たてばでも差支えん。湯の尾峠を越そうとも思います。
夜叉ヶ池 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
義昭の一子は、藤吉郎が警固して、河内かわち若江わかえの城へ送った。これも、恨みを恩でむくわれたとはいうものの、ひがみきっている義昭から見ると
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)