トップ
>
河内
>
かわち
ふりがな文庫
“
河内
(
かわち
)” の例文
昔
(
いにしえ
)
の国主の貴婦人、
簾中
(
れんちゅう
)
のように
称
(
たた
)
えられたのが名にしおう中の
河内
(
かわち
)
の
山裾
(
やますそ
)
なる
虎杖
(
いたどり
)
の里に、寂しく
山家住居
(
やまがずまい
)
をしているのですから。
雪霊記事
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
いつも朝日がさすたんびに、その木の
影
(
かげ
)
が
淡路
(
あわじ
)
の島までとどき、
夕日
(
ゆうひ
)
が当たると、
河内
(
かわち
)
の
高安山
(
たかやすやま
)
よりももっと上まで影がさしました。
古事記物語
(新字新仮名)
/
鈴木三重吉
(著)
重役のひとりたる
陶義近
(
すえよしちか
)
が
罵
(
ののし
)
ると、その列の上座にいた老臣の蔵光
正利
(
まさとし
)
、村井
河内
(
かわち
)
、益田孫右衛門なども口をそろえていい出した。
黒田如水
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
ハハハハハハ、
公方
(
くぼう
)
が
河内
(
かわち
)
正覚寺
(
しょうがくじ
)
の御陣にあらせられた間、桂の遊女を御相手にしめされて御慰みあったも同じことじゃ、ハハハハハハ。
雪たたき
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
お出しになって『
河内
(
かわち
)
イ——
瓢箪山
(
ひょうたんやま
)
稲荷
(
いなり
)
の辻占ア——ッと……ヤイ。野郎……買わねえか』と云う
中
(
うち
)
に通りすがりの御客を
超人鬚野博士
(新字新仮名)
/
夢野久作
(著)
▼ もっと見る
軍監府では
河内
(
かわち
)
、
大和
(
やまと
)
辺から、旧幕府の役人の隠れていたのを、七十三人捜し出して、先例によって事務を取り扱わせた。
堺事件
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
旅から帰ったのは翌文治三年七十歳のときで、しばらく京の近くにいて、それから
河内
(
かわち
)
の
弘川寺
(
ひろかわでら
)
に入った。
醍醐
(
だいご
)
の末寺で古義真言宗の寺である。
中世の文学伝統
(新字新仮名)
/
風巻景次郎
(著)
「社会奉仕」というからには、あくまで善は急ぐべしと、早速おかね婆さんを連れて、三人で南
河内
(
かわち
)
の
狭山
(
さやま
)
へ出掛けた。
勧善懲悪
(新字新仮名)
/
織田作之助
(著)
大和
(
やまと
)
の国内は申すまでもなく、摂津の国、
和泉
(
いずみ
)
の国、
河内
(
かわち
)
の国を始めとして、事によると
播磨
(
はりま
)
の国、
山城
(
やましろ
)
の国、
近江
(
おうみ
)
の国、
丹波
(
たんば
)
の国のあたりまでも
竜
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
なんにしても木津、宇治、加茂、桂の諸川がこのあたりで一つになり、山城、
近江
(
おうみ
)
、
河内
(
かわち
)
、伊賀、丹波等、五カ国の水がここに集まっているのである。
蘆刈
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
打ち通すそうじゃが、かような例は、玉村千之丞
河内
(
かわち
)
通いの狂言に、百五十日打ち続けて以来、絶えて聞かぬ事じゃ。七三郎どのの人気は、前代
未聞
(
みもん
)
じゃ
藤十郎の恋
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
ある
時
(
とき
)
宰相
(
さいしょう
)
は、
天子
(
てんし
)
さまの
御用
(
ごよう
)
を
勤
(
つと
)
めて
手柄
(
てがら
)
を
立
(
た
)
てたので、ごほうびに
大和
(
やまと
)
、
河内
(
かわち
)
、
伊賀
(
いが
)
の三
箇国
(
かこく
)
を
頂
(
いただ
)
きました。
鉢かつぎ
(新字新仮名)
/
楠山正雄
(著)
彼はその船中で眼前に展開する
河内
(
かわち
)
平野の景色でもながめながら一服やることを楽しむばかりでなく、愛用する平たい
鹿皮
(
しかがわ
)
の煙草入れのにおいをかいで見たり
夜明け前:03 第二部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
河内
(
かわち
)
の方から
脱
(
ぬ
)
けて来た机竜之助、トボトボとして
大和国
(
やまとのくに
)
八木の
宿
(
しゅく
)
へ入ろうとして、疲れた足を休める。
大菩薩峠:03 壬生と島原の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
ここで
近畿
(
きんき
)
地方というのは便宜上、京都や大阪を中心に
山城
(
やましろ
)
、
大和
(
やまと
)
、
河内
(
かわち
)
、
摂津
(
せっつ
)
、
和泉
(
いずみ
)
、
淡路
(
あわじ
)
、
紀伊
(
きい
)
、
伊賀
(
いが
)
、
伊勢
(
いせ
)
、
志摩
(
しま
)
、
近江
(
おうみ
)
の諸国を包むことと致しましょう。
手仕事の日本
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
しかしその弟、
多田次郎朝実
(
ただのじろうともざね
)
、
手島冠者隆頼
(
てじまのかんじゃたかより
)
、
太田太郎頼基
(
おおたのたろうよりもと
)
は信頼するに足る存在です。さらに、
河内
(
かわち
)
には石川の郡を領する
武蔵守
(
むさしのかみ
)
入道
義基
(
よしもと
)
、その子の
石川判官代義包
(
いしかわのはんがんだいよしかね
)
。
現代語訳 平家物語:04 第四巻
(新字新仮名)
/
作者不詳
(著)
少なくともその貯蔵の酒には品質の
高下
(
こうげ
)
があって、奈良とか
河内
(
かわち
)
の
天野
(
あまの
)
とか、
佳
(
よ
)
い酒ができると、その評判が高くなり、人がその名を聴いて飲んでみたがるようになった。
木綿以前の事
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
イザホワケの天皇の御子、イチノベノオシハの王の御子のヲケノイハスワケの命(顯宗天皇)、
河内
(
かわち
)
の國の
飛鳥
(
あすか
)
の宮においで遊ばされて、八年天下をお治めなさいました。
古事記:03 現代語訳 古事記
(旧字新仮名)
/
太安万侶
、
稗田阿礼
(著)
日はすでに
河内
(
かわち
)
の
金剛山
(
こんごうせん
)
と思うあたりに沈んで、
一抹
(
いちまつ
)
殷紅色
(
あんこうしょく
)
の
残照
(
ざんしょう
)
が西南の空を染めて居る。
みみずのたはこと
(新字新仮名)
/
徳冨健次郎
、
徳冨蘆花
(著)
河内
(
かわち
)
の国の一豪族の身が、一天万乗の君に見出され、たのむぞよとの御言葉を
賜
(
たま
)
わった。何んたる一族の光栄であろう。尽忠の誠心を披瀝して、皇恩に御酬い致さねばならぬ。
赤坂城の謀略
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
堀へついて真一文字に牧野
河内
(
かわち
)
の下邸、その少し手前から鎧の渡しを右手に見て左坂本町へ折れようとする曲角に、金山寺御味噌卸問屋江戸本家八州屋という看板を掲げた店が
釘抜藤吉捕物覚書:03 三つの足跡
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
大坂は大和
北葛城
(
きたかつらぎ
)
郡下田村で、大和から
河内
(
かわち
)
へ越える坂になっている。二上山が南にあるから、この坂を越えてゆくと、二上山辺の黄葉が時雨に散っている光景が見えたのである。
万葉秀歌
(新字新仮名)
/
斎藤茂吉
(著)
寛正
(
かんしょう
)
二年には、
畿内
(
きない
)
河内
(
かわち
)
の国で畠山兄弟の家督をめぐる戦争が終りそうもないので、そのために都近くも物情騒然となったが、そのうえ、春のころから悪性の流行病がまんえんして
雨月物語:02 現代語訳 雨月物語
(新字新仮名)
/
上田秋成
(著)
そう言う気で、前年の不足を、一度でとり返すつもりで行くものらしい。去年などは、永年住んだ大阪の家を失って、
和泉
(
いずみ
)
と
河内
(
かわち
)
とに住み分れている弟たちを誘うて上ったものである。
花幾年
(新字新仮名)
/
折口信夫
(著)
これは、
河内
(
かわち
)
で出来る『
八代
(
やつしろ
)
』という変り蜜柑で、鍛冶屋や
鋳物師
(
いものし
)
の二階の窓から
往来
(
おうらい
)
へほおる安蜜柑じゃねえ。……ご親類の
松平河内守
(
まつだいらかわちのかみ
)
から八日祭のおつかいものに届いたものに相違ない。
顎十郎捕物帳:07 紙凧
(新字新仮名)
/
久生十蘭
(著)
「では、
河内
(
かわち
)
の国、
富田林
(
とんだばやし
)
の、
石
(
いそ
)
の
上露子
(
かみつゆこ
)
さんとどっちが——」
朱絃舎浜子
(新字新仮名)
/
長谷川時雨
(著)
渡り、
河内
(
かわち
)
領へ米のぬけ買いにゆくそうです、なんでも当地の五分一ぐらいの安値だそうで、近ごろは私どもの裏口へ来る者がとんと少なくなりました、これでは商売のさきゆきが案じられてなりません
三悪人物語:忍術千一夜 第二話
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
狐火やいづこ
河内
(
かわち
)
の麦畠
俳人蕪村
(新字旧仮名)
/
正岡子規
(著)
ここは山城の
綴喜郡
(
つづきごおり
)
と
河内
(
かわち
)
の
交野郡
(
かたのごおり
)
との境をなす峠路である。光秀は
旌旗
(
せいき
)
を立てて、
終日
(
ひねもす
)
、何ものかをこの国境に待ちうけていた。
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
お酔いつぶれになっていた天皇は、
河内
(
かわち
)
の
多遅比野
(
たじひの
)
というところまでいらしったとき、やっとおうまの上でお目ざめになり
古事記物語
(新字新仮名)
/
鈴木三重吉
(著)
「
小父
(
おじ
)
さんもう
歩行
(
ある
)
けない。見なさる通りの
書生坊
(
しょせっぽう
)
で、相当、お駄賃もあげられないけれど、
中
(
なか
)
の
河内
(
かわち
)
まで何とかして
駕籠
(
かご
)
の都合は出来ないでしょうか。」
栃の実
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
堺はまたよき刃物の産地としても、当然記憶せらるべきだと思います。小刀とか鋏とかにもよい仕事を見せます。
河内
(
かわち
)
の国に
因
(
ちな
)
んだものでは「
河内木綿
(
かわちもめん
)
」が名を得ました。
手仕事の日本
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
大和
(
やまと
)
・
伊勢
(
いせ
)
・
紀伊
(
きい
)
・
河内
(
かわち
)
・
和泉
(
いずみ
)
がその勢力範囲であって、大和アルプスを
脊椎
(
せきつい
)
とした大山岳地帯全体が海洋に三方を取りまかれて、大城廓をなし、どうにも攻め様がなかったのと
中世の文学伝統
(新字新仮名)
/
風巻景次郎
(著)
天皇は
甲辰
(
きのえたつ
)
の年の四月六日にお隱れになりました。御陵は
河内
(
かわち
)
の
科長
(
しなが
)
にあります。
古事記:03 現代語訳 古事記
(旧字新仮名)
/
太安万侶
、
稗田阿礼
(著)
そのために政府が欲すると否とに
頓着
(
とんちゃく
)
なく、
伊勢
(
いせ
)
でも
大和
(
やまと
)
・
河内
(
かわち
)
でも、瀬戸内海の沿岸でも、広々とした平地が棉田になり、棉の実の桃が吹く頃には、急に月夜が美しくなったような気がした。
木綿以前の事
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
河内
(
かわち
)
の
高屋
(
たかや
)
に
叛
(
そむ
)
いているものがあるので、それに対して摂州衆、大和衆、それから前に与一に徒党したが降参したので
免
(
ゆる
)
してやった赤沢宗益の弟
福王寺喜島
(
ふくおうじきじま
)
源左衛門和田源四郎を差向けてある。
魔法修行者
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
公儀の陣屋はつぶされ、
大和
(
やまと
)
河内
(
かわち
)
は大騒動で、やがて紀州へ向かうような話もあり、大坂へ向かうやも知れないとまで一時はうわさされたほどである。ともかくも、この討幕運動は失敗に終わった。
夜明け前:02 第一部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
父の
弔
(
とむら
)
いに大願寺を建て、一生孤独で終わろうとしたのだったが、その並みならぬ容色にこがれて言いよる若者のうちで、ひときわ熱烈なひとりの情にほだされて、
河内
(
かわち
)
の
禁野
(
きんや
)
の里に
嫁
(
か
)
したのです。
丹下左膳:03 日光の巻
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
河内
(
かわち
)
、
和泉
(
いずみ
)
、あの辺の
田舎
(
いなか
)
から年期
奉公
(
ぼうこう
)
に来ている
丁稚
(
でっち
)
や下女が多いが、冬の
夜寒
(
よさむ
)
に、表の戸を
締
(
し
)
めて、そう云う
奉公人共
(
ほうこうにんども
)
が家族の者たちと
火鉢
(
ひばち
)
のぐるりに
団居
(
まどい
)
しながらこの唄をうたって遊ぶ情景は
吉野葛
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
これは
高麗
(
こま
)
の帰化人であるところの、
背奈氏
(
せなし
)
と合してその土地に住み、他の一派は京都洛外の、
太秦
(
うずまさ
)
辺に住居して
秦氏
(
はたし
)
の一族と合体したりしたが、宗家は代々
摂津
(
せっつ
)
、
和泉
(
いずみ
)
、
河内
(
かわち
)
、この三国に潜在して
あさひの鎧
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
河内
(
かわち
)
の国に
天野四郎
(
あまののしろう
)
と云うて強盗の張本があった。
法然行伝
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
まだ十七歳というこの姉の子に、秀吉は、
河内
(
かわち
)
北山で、二万石を与えていた。そして、
賤
(
しず
)
ヶ
嶽
(
たけ
)
、その他に、転戦させ、すこし功があると
新書太閤記:11 第十一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
お二人は、それから
河内
(
かわち
)
の
玖須婆川
(
くすばがわ
)
という川をお
渡
(
わた
)
りになり、とうとう
播磨
(
はりま
)
まで逃げのびていらっしゃいました。
古事記物語
(新字新仮名)
/
鈴木三重吉
(著)
深山
(
みやま
)
にかくれて
活
(
い
)
きている事を信ぜられています——雪中行軍に擬して、中の
河内
(
かわち
)
を柳ヶ瀬へ抜けようとした冒険に、教授が二人、
某
(
それの
)
中学生が十五人、
無慙
(
むざん
)
にも凍死をしたのでした。
雪霊続記
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
大谷石はその名が示す如く、
野州
(
やしゅう
)
河内
(
かわち
)
郡城山村大谷から出る石の名である。
野州の石屋根
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
しかもその酒がいつでも有ったわけでなく、造り酒屋の一般になったのは、京都附近ですら足利期の中頃、それも奈良とか
河内
(
かわち
)
の
天野
(
あまの
)
とかの、おかしな話だが御寺から譲ってもらうものになっていた。
木綿以前の事
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
ちなみに云う春琴と佐助との間には前記の外に二男一女があり女児は
分娩
(
ぶんべん
)
後に死し男児は二人共赤子の時に
河内
(
かわち
)
の農家へ
貰
(
もら
)
われたが春琴の死後も
遺
(
わす
)
れ形見には未練がないらしく取り戻そうともしなかったし子供も盲人の実父の
許
(
もと
)
へ帰るのを
春琴抄
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
おまえと別れてから間もなく、おれは、例の善信の奴が、岡崎の草庵を出て、
難波
(
なにわ
)
から
河内
(
かわち
)
のほうへ旅に出たのを知ったから
尾
(
つ
)
けて行った。
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
涼しくば木の芽峠、音に聞こえた中の
河内
(
かわち
)
か、(
廂
(
ひさし
)
はずれに山見る眉)峰の
茶店
(
ちゃや
)
に
茶汲女
(
ちゃくみおんな
)
が
赤前垂
(
あかまえだれ
)
というのが事実なら、
疱瘡
(
ほうそう
)
の神の
建場
(
たてば
)
でも差支えん。湯の尾峠を越そうとも思います。
夜叉ヶ池
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
義昭の一子は、藤吉郎が警固して、
河内
(
かわち
)
の
若江
(
わかえ
)
の城へ送った。これも、恨みを恩で
酬
(
むく
)
われたとはいうものの、ひがみきっている義昭から見ると
新書太閤記:04 第四分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“河内”の意味
《固有名詞》
(かわち)旧国名。畿内に属する。河内国。現在の大阪府東部。
(かわち、かわうち、かわのうち、かっち、こうち、こうず)日本の地名。
(かだい)古代中国の郡名。
(出典:Wiktionary)
河
常用漢字
小5
部首:⽔
8画
内
常用漢字
小2
部首:⼌
4画
“河内”で始まる語句
河内国
河内山
河内路
河内山宗俊
河内平
河内守
河内屋
河内郡
河内介
河内流