日脚ひあし)” の例文
初秋はつあき日脚ひあしは、うそ寒く、遠い国の方へかたむいて、さびしい山里の空気が、心細い夕暮れをうながすなかに、かあんかあんと鉄を打つ音がする。
二百十日 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
春の日脚ひあしの西にかたぶきて、遠くは日光、足尾あしお越後境えちござかいの山々、近くは、小野子おのこ子持こもち赤城あかぎの峰々、入り日を浴びて花やかに夕ばえすれば
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
そうして七兵衛は針ヶ別所に近い或る山の上に立って、木の下蔭から日脚ひあしの具合を見て、しばらく方角を考えていました。
日脚ひあしが斜めに樹の影を押して、微風が夕顔の白き花を吹きうごかすのを見ると何ともいはれぬ善い心持になつて始めて人間に生き返るのであつた。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
たもとのちりうちはらひて空をあおげば、日脚ひあしややななめになりぬ。ほかほかとかほあつき日向ひなたに唇かわきて、眼のふちより頬のあたりむずがゆきこと限りなかりき。
竜潭譚 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
このごろ日脚ひあし西に入り易く、四時過ぎに学校をで、五時半に羽生に着けば日まったく暮る。夜、九時、湯に行く。秋の夜の御堂みどうに友のなみだひややかなり。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
駒形堂こまかたどうの白壁に日脚ひあしは傾き、多田薬師ただのやくし行雁ゆくかり(中巻第七図)に夕暮迫れば、第八図は大川橋の橋袂はしたもとにて、竹藪たけやぶ茂る小梅の里を望む橋上きょうじょうには行人こうじん絡繹らくえきたり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
暑い日脚ひあしななめになって、そこらで蜩が鳴き出す。もう鞠場の日もかげって涼しくなったから、少し鞠でも蹴ようとして沓を穿く、という風に解せられる。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
わが淑女は、かうべを擧げ心をとめて立ち、日脚ひあしの最も遲しとみゆるところにむかへり 一〇—一二
神曲:03 天堂 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
当らず触らずに越したことはない、と秋の日脚ひあしを眺めまして、手桶を提げて立とうとする。
藁草履 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
少し西北には、青梅あおめから多摩川上流の山々が淡く見える。西南の方は、富士山も大山も曇った空にひそんで見えない。唯藍色あいいろの雲の間から、弱い弱い日脚ひあしが唯一筋はすに落ちて居る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
そのほかにはこの土地の名物といふ飴を売つてゐた。秋もけて、この頃の日脚ひあしはだん/\に詰まつて来たので、亭主はもうそろ/\と店を仕舞しまはうかと思つたが、また躊躇した。
小夜の中山夜啼石 (新字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
山の手線の複線工事も大略あらまし済んで、案の通り長峰の掘割が後に残った。このごろは日増しに土方の数を加えて、短い冬の日脚ひあしを、夕方から篝火かがりびを焚いて忙しそうに工事を急いでいる。
駅夫日記 (新字新仮名) / 白柳秀湖(著)
日脚ひあしはもうこくを過ぎていた。宗徒の手入にすこしの手落もないようにと、板倉伊賀守と共に鋭い眼を四方に配っている大久保忠隣のかたわらへ、役人に案内せられて貧相な一人の僧侶が来た。
切支丹転び (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
あきふかくなって、日脚ひあしみじかくなりました。かれこれするうちに、はや、晩方ばんがたとなりますので、あちらで、豆腐屋とうふやのらっぱのがきこえると、おかあさんのこころは、ますますせいたのでありました。
赤い実 (新字新仮名) / 小川未明(著)
めっきり日脚ひあしも短くなり、かなり遠い湯屋から帰って来る道では、湯上ゆあがりでも肌寒く感じるようになった。昼間仕事のたてこんだために、すっかりくたびれたのが、湯に入って一層空腹を感じた。
果樹 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
夕食後未だ日脚ひあしがあるので慾が出た。明日の足しに少しでも見物して置こうと宿の男衆を案内にソロ/\出掛けた。殿様を祀った松原神社というのは直ぐ向いだった。楠の大木が何本も生えている。
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
照り添ふ匂なつかしき秋の日脚ひあしの白みたる。
海潮音 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
よごれたる雪の山家やまが日脚ひあしのぶ
六百五十句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
とほ念力ねんりきの岩手の村や四日市見上る方は富士の峯をつといのち取止とりとめ鶴芝つるしば龜芝青々とよはひぞ永く打續き麓の裾野すその末廣く天神山や馬場川口柴橋しばはし大宮木綿島もめんじま吉原じゆくも打過て日脚ひあしも永き畷道なはてみち未刻ひつじさがりに來懸たり斯る折から遙か彼方より露拂ひ右左に立下に/\笠を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
この日雨が上って、日脚ひあしがさっと茶の間の障子しょうじに射した時、御米は不断着の上へ、妙な色の肩掛とも、襟巻えりまきともつかない織物をまとって外へ出た。
(新字新仮名) / 夏目漱石(著)
何もせずにぼんやりと短い冬の日脚ひあしを見てくらしたので、時計を見るまでもなく察しる事が出来るのであった。
雪解 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
宇津木兵馬は、まだ日脚ひあしのあるのに府中の町へ入ると、そのまま六所明神の神主猿渡氏さるわたりしの邸を叩きます。
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
氷店こおりみせ休茶屋やすみぢゃや、赤福売る店、一膳めし、就中なかんずくひよどりの鳴くように、けたたましく往来ゆききを呼ぶ、貝細工、寄木細工の小女どもも、昼から夜へ日脚ひあしの淀みに商売あきない逢魔おうまどき一時ひとしきりなりを鎮めると
浮舟 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
軒端に瓢箪がぶらりと下っている、やや傾いた秋の日脚ひあしがその辺に明るくさしている、という光景らしい。作者はこう描き去ったのみで、瓢箪の影も点じなければ、他の配合物も持って来ない。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
照り添ふ匂なつかしき秋の日脚ひあしの白みたる。
海潮音 (新字旧仮名) / 上田敏(著)
このあめあがつて、日脚ひあしがさつとちや障子しやうじしたとき御米およね不斷着ふだんぎうへへ、めういろ肩掛かたかけとも、襟卷えりまきともかない織物おりものまとつてそとた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
さしも客を争う宿引やどひきも、ナゼか竜之助の姿を見てはあまり呼び留めようともしない、これはまだ日脚ひあしの高いせいばかりではあるまい。竜之助は仰いで高札こうさつを見る。
手の甲で水洟みずばなをふきながら首をすっ込めて窓をしめると、何処どこかの家の時計が二時を打ち、ななめに傾きかけた日脚ひあしはもう路地の中には届かず二階中は急に薄暗くなった。
雪解 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
真向うは空地だし、町中は原のなごりをそのまま、窪地のあちこちには、草生くさはえがむらむらと、尾花は見えぬが、猫じゃらしが、小糠虫こぬかむしを、穂でじゃれて、逃水ならぬ日脚ひあしながれが暖くよどんでいる。
薄紅梅 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
傾く日脚ひあし推しこかす
海潮音 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
彼はしばらく庭の方を向いて、うららかな日脚ひあしの中に咲く大きな椿つばきながめていたが、やがて視線をもとに戻した。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
阿弥陀街道を過ぎると黒野田の宿しゅく、ここは笹子峠の東の麓で本陣があります。日脚ひあしはまだ高いけれど、明日は笹子峠の難所を越えるのだから、今夜はここへ泊ることになりました。
ひるがえつて冬となりぬる町の住居を思へば建込むいえにさらでも短き日脚ひあしの更に短く長火鉢置く茶の間は不断の宵闇よいやみなるべきに、山の手の庭は木々の葉落尽すが故に夏よりもあかるく晴々しく
矢はずぐさ (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
ほっ呼吸いきさまに吹散らして、雲切れがした様子は、そのまま晴上あがりそうに見えるが、淡く濡れた日脚ひあしの根が定まらず、ふわふわ気紛きまぐれに暗くなるから……また直きに降って来そうにも思われる。
妖術 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
傾く日脚ひあし推しこかす
海潮音 (新字旧仮名) / 上田敏(著)
津田のうちへ帰ったのは、昨日きのうよりはやや早目であったけれども、近頃急に短かくなった秋の日脚ひあしくに傾いて、先刻さっきまで往来にだけ残っていた肌寒はださむの余光が
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
まだ日脚ひあしは高いので、このまま船中に閉じこもるのも気のかない話です。
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
ひる過ぎになって、空模様は少し穏かになった。雲の重なる間から日脚ひあしさえちょいちょい光を出した。それでも漁船が四五そういつもより早く楼前ろうぜん掘割ほりわりぎ入れて来た。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
しまいに東窓から射し込む強い日脚ひあしに打たれた気味で、少し頭痛がし出したので、ようやくを折って起き上ったなり、楊枝ようじくわえたまま、手拭てぬぐいをぶら下げて湯に行った。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
五分ごふんばかりは無事であったが、しばらくすると、いつのにやら、黒い眼はページを離れて、筋違すじかい日脚ひあしの伸びた障子しょうじさんを見詰めている。——四五日藤尾にわぬ、きっと何とか思っているに違ない。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)