もた)” の例文
長椅子の隅に丸まって少女雑誌を読んでいた晴子が、顔をもたげおかっぱの髪を頬から払いのけながら、意を迎えるように口を挾んだ。
海浜一日 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
二階の大きな部屋に並んだ針箱が、どれも朱色の塗で、鳥のようにもたげたそれらの頭に針がぶつぶつ刺さっているのが気味悪かった。
洋灯 (新字新仮名) / 横光利一(著)
毛と云う毛は悉く蛇で、その蛇は悉く首をもたげて舌を吐いてもつるるのも、じ合うのも、じあがるのも、にじり出るのも見らるる。
幻影の盾 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
そこでこの力競べは、自然と彼等五六人の独占する遊戯に変ってしまった。彼等はいずれも大きな岩を軽々ともたげたり投げたりした。
素戔嗚尊 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
犇々ひし/\と上げくる秋の汐はひさしのない屋根舟を木の葉のやうに軽くあふつて往来と同じ水準にまでもたげてゐる——彼はそこに腰をかけた。
毛といふ毛はこと/″\く蛇で、其の蛇は悉く首をもたげて舌を吐いて、もつるゝのも、ふのも、ぢあがるのも、にじり出るのも見らるゝ
毒と迷信 (新字旧仮名) / 小酒井不木(著)
猛烈な達引たてひき鞘当さやあての中に、駒次郎が次第に頭をもたげ、町内の若い衆も、勝蔵も排斥して、お勢の愛を一人占めにして行く様子でした。
「聞きゃ、道成寺を舞った時、腹巻の下へ蛇をめた姉さんだと云うじゃないか。……その扱帯しごきが鎌首をもたげりゃかったのにさ。」
南地心中 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
此処は低いが四方が開けているのでなり眺望が好い。野営地からは見えなかった五竜岳や鹿島槍岳が唐松岳の南に頭をもたげて来た。
黒部川奥の山旅 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
と云いながら布団を頭からかぶっていたが、だんだん暴れ方が激しくなるので、しまいに首をむっくりもたげて枕元まくらもとの電燈の鎖を引いた。
細雪:02 中巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
何事ならんと頭をもたげて見れば前の肥えたる曹長にはあらでひげのむさくるしき一人の曹長が余ら一行の居場を縮めよと命ずるなり。
従軍紀事 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
それが茶に対する風雅な熱意ばかりであるのかと思ふと、さうではなく、それに芽生めばえたいろいろな俗情が頭をもたげて来るのであつた。
上田秋成の晩年 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
仲間はずれになって寝ていた左次郎は、何かと思って、亀首かめくびもたげてみると、丑がみんなの前にしわをのばして見せつけているのは
醤油仏 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
少女はあわてて頭をもたげて、振り反ってみて、その大方の涼しい眼、牝鹿のもののようにおどおどしたのをば、薄暗い木蔭でひからせた。
あいびき (新字新仮名) / イワン・ツルゲーネフ(著)
グングン頭をもたげて来るのを、常から快からず思っているから、こうした場合には、きっと自分に入れてくれるだろうと思った。
入れ札 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
そこで、何様である、徳川殿の勧めに就こうかと思うが、といいながら老臣等を見渡すと、ムックリとこうべもたげたのが伊達藤五郎成実しげざねだ。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
雲雀ひばりが高く舞い上がるを見て、その真下まで這い行き口をもたげて毒を吐かば、雲雀たちまちかえり堕ちて蛇口に入り、餌食となると書いた。
胸中の苦悶は我をりて、狹きヱネチアのこうぢを、縱横に走り過ぎしめしに、ふと立ち留りて頭をもたぐれば、われは又さきの劇場の前に在り。
ある年江州より彷徨さまよひ来り、織屋へ奉公したるを手始めに、何をどうして溜めしやら、廿年ほどの内にメキメキと頭をもたげ出したる俄分限
心の鬼 (新字旧仮名) / 清水紫琴(著)
時々、内儀かみさんは櫛巻くしまきにした病人らしい頭をすこしもたげて、種々雑多な物音、町を通る人の話声、遠い電車の響までも聞いた。
死の床 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
果然、これは双葉嬢でござる。このとき若殿はうっとりと眼をさまされ、けげんそうに、「なんだ」とおつむをもたげ召された。
若殿女難記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
おもむろにもたげて鉄縁の近眼鏡めがねごしに打ちながめつ「あア、老女おばさんですか、大層早いですなア——先生は後圃うらで御運動でせウ、何か御用ですか」
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
エバを取り逃がした蛇のように鎌首をもたげて、血走った眼で私を睨み上げていたが、やがて、うらめしそうに切れ切れに云った。
鉄鎚 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
乞へども乞はるゝ人答へず、かへつて願ひを増さしめんためその乞ふ物をかくさずして高くもたぐるもこのたぐひなるべし —一一一
神曲:02 浄火 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
箇でなければ何事もテキパキと出来ないといふ形になつて来る、そしてその時に圧せられた箇の思想がまた再び首をもたげて来るに相違ない——
自然 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
当時頭をもたげて来たのが東金家だった。東金君のお父さんは一代で身上しんしょうを拵えるくらいの人だから、ナカ/\の遣手やりてで、兎角の風評があった。
村一番早慶戦 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
と気の早い男があったもので、碌々ろくろく聞きもしないうちからもうグンニャリして、椅子いすうずくまった。そして恐る恐る顔をもたげて
葛根湯 (新字新仮名) / 橘外男(著)
ここに於て当選のあかつきには、議員の位地を利用して、一方に失いしところを他方に補わんとする野心が勃然と頭をもたげて来る。
選挙人に与う (新字新仮名) / 大隈重信(著)
女乞食は、大儀相に草の中から頭をもたげたが、垢やら埃やらが流るる汗にちて、鼻のひしやげた醜い面に、謂ふべからざる疲労と苦痛の色。
二筋の血 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
つぎあさしなはまだ隙間すきまからうすあかりのしたばかりにめた。まくらもたげてたがあたましんがしく/\といたむやうでいつになくおもかつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
私が顔を拭いたり、尚眼をぱちくりさせてゐる間、もういゝかといふやうに、それをもたげたまゝ、ぢつと私を見守つてゐた。
乳の匂ひ (新字旧仮名) / 加能作次郎(著)
しばらく草鞋を穿いて雲水の托鉢僧たくはつそうと洒落のめし日本全国津々浦々を放浪していたが、やがてお江戸ひざもとへ舞い戻って気負いの群からあたまをもた
「みよーさん、(娘の名)貴嬢あなたは、まあ如何どうして、こんな所へ来なすっただ」とたずぬると、娘はその蒼白あおじろい顔をもたげて、苦しそうな息の下から
テレパシー (新字新仮名) / 水野葉舟(著)
妖女が馬腹をくぐる時の文句に「周囲の山々は矗々すくすくくちばしを揃え、頭をもたげて、この月下の光景を、おぼろ朧ろとのぞき込んだ」
雪の白峰 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
『いろ/\くわしいことうけたまはりたいが、最早もはやるゝにもちかく、此邊このへん猛獸まうじう巣窟さうくつともいふところですから、一先ひとま住家すみかへ。』とじうつゝもたげた。
況んや蘇峰先生の名は反動思想のいささか頭をもたげんとしつゝある今日に於て又少からず社会の注目を惹くべきに於てをや。
所天が眼を開けて見ると、後妻が己を起しているのですぐそれを悟って首をもたげて見た。女はもうお辞儀をやっていた。
藍微塵の衣服 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
新生活の妄想でふやけきっている頭の底にも、自分の生活についての苦い反省が、ちょいちょい角をもたげてくるのを感じないわけに行かなかった。
贋物 (新字新仮名) / 葛西善蔵(著)
悩ましい、どうしようもない、悲しい一日々々を重ねた。しかし、彼の内部に一度巣くつた憧憬しようけいは、やがてまた新らしい形となつて頭をもたげ初めた。
新らしき祖先 (新字旧仮名) / 相馬泰三(著)
「……」私は頬冠りもとかずに、一寸顔をもたげ、きよとんと大学生の顔を視上げた。「あなたは、どなたでせうか?」
途上 (新字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
兼太郎かねたろうは点滴の音に目をさました。そして油じみた坊主枕ぼうずまくらから半白はんぱくの頭をもたげて不思議そうにちょっと耳をすました。
雪解 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
首をもたげて聞き澄ましたが、にわかにムックリ起き上った。周囲まわりを見ると女太夫共が、昼のはげしい労働に疲労つかれ姿態なりふり構わぬ有様で、大いびきで睡っていた。
大捕物仙人壺 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
『ファイルヘン、ゲフェルリヒ』(すみれめせ)と、うなだれたるこうべもたげもあへでいひし声の清さ、今に忘れず。
うたかたの記 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
作者の主観は隠そうとしても隠すことが出来ないのであって客観写生の技倆が進むにつれて主観が頭をもたげて来る。
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
お怒りにならないようならお話いたしとうございますと低い声音こえで、月のような顔をもたげる時、もう、生絹のいうことが何であるかが大抵わかっていた。
荻吹く歌 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
私は首をもたげて、窓の硝子の外をのぞいて見た。けれどもその内側に光る硝子の外はたゞまつ暗で、耳をすましても、雪の降るらしい音も響もなかつた。
輝ける朝 (旧字旧仮名) / 水野仙子(著)
心の動揺がすっかり収まったと見えて、いったんは見分けもつかぬ深みへ、落ち込んでしまった顔の凹凸が、再び恐ろしい鋭さでもって影をもたげてきた。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
すると、今までは、悲しみにまぎれて、忘れるともなく忘れていたあるうたがいが、猛然として頭をもたげ始めたんだ。
恐ろしき錯誤 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
それを一段聞くと道庵がしきりに昂奮して、軽井沢で発心ほっしんした武者修行の謀叛むほんが、むらむらと頭をもたげました。
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
墓地のしきみの木にさわるので、若い洋服の医師が手を添えて枝をもたげたりして、棺は掘られた墓の前に据えられた。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)