扶持ふち)” の例文
「我々はいざ鎌倉という場合、君の御馬前に討死する覚悟で扶持ふちを頂いております、武士として百姓仕事をいたす訳には参りませぬ」
蕗問答 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
三斎公様のお仁慈は、涙のこぼれるほどうれしい。一合のお扶持ふちといえ、うまくつを作る身には、勿体のうて、否応いえたことではない。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また今日いはゆる家元なるものが維新後扶持ふちを失ふたがために生計の道に窮して種々の悪弊を作り出した事も少くはないのである。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
「早々本意を達し可立帰たちかへるべしもし又敵人死候しにさふらはば、たしかなる証拠を以可申立もってまをしたつべし」と云う沙汰である。三人には手当が出る。留守へは扶持ふちが下がる。
護持院原の敵討 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
「お前が浪人した上に、二人そろって扶持ふちに離れるようなことがあってはならぬからな——ま、これはここだけの話しじゃけれど」
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
その薄馬鹿を守り立てて、そのお扶持ふちをいただいて、士農工商の上にいると自慢する武士という奴等が、癪にさわっているのであります。
大菩薩峠:17 黒業白業の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
げちょろの大小を、落し差しにした、この府内には、到るところにうようよしている、お定まりの、扶持ふち離れのならずざむらいだ。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
私のような木地師から、香具師やしというような者へまで、お扶持ふちを出してこっそりと、ご家来にしたのでございますからねえ。
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
馬まわりにて五百石をたまわり、なに不自由なく暮したこの身が、ふとしたことで扶持ふちに離れ、それ以来ながらくの浪々。
顎十郎捕物帳:09 丹頂の鶴 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
そうよ、嬶のおこるのも無理はねいだよ、婆さん。今年は豊作というにさ。作得米さくとくまいを上げたら扶持ふちとも小遣いともで二俵しかねいというに、酒を
隣の嫁 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
かれはかうしてきはめて悠長いうちやううごかすやうでありながら、それでもやとはれたさき扶持ふちはしてもらふので、相應さうおうぜにつゝあるのであつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
ただ注意すべきはこの精神を誤解して扶持ふちをくれる人にそむき、人に拘わらねば、それが心の独立なりと思うことで、これは疑いもなく間違いである。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
門跡寺、宮門跡などと云って、その寺格を取引にして、お寺から月々年々の扶持ふちを受けるという仕組であった。そのほかには暮しの手だてがなかった。
織田信長 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
廿年つとめられ只今以て三人扶持ふちづつ參る故しづか消光くらすのが望みなりとて馬喰町馬場に隱居して居給ふと委細ゐさいはなしけるを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
山の神や、小児連中こどもれんじゅうあごが干上るもんですから、多時しばらく扶持ふちを頂いて来いって、こんなに申しますので、お言語ことばわたりに舟、願ったりかなったりでございます。
貧民倶楽部 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
そして、兵士や羅卒らそつになることは、彼ら——扶持ふちをうばわれた昨日の武士にとっては、農夫や町人に変ることよりもより容易な方法であったにちがいない。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
「物を頼んだ上に威張るから、武家屋敷と聽いただけでもムヅムヅしますよ。こちとらは祿も扶持ふちも貰つてゐるわけぢやねえ、斷わつてしまひませうよ。親分」
権助は筒井順慶に仕えて居たが何様どういう訳であったか臆病者と云われた。そこで筒井家を去ったのであるが、蒲生家へ扶持ふちを望むに就いて斯様いうことを云った。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
僧侶の生活がもし仏の真理の体得にあるならば、檀那外護だんなげご扶持ふちをうけて「衣糧えりょうに煩ふことなく」仏道を行ずるのが、畢竟目的にふさわしいではないか、と人はいう。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
今の世でいくらか話せるやつは、大岡おおおかとこのせむしの化け物——どっちもあおい扶持ふちをいただく飼い犬だけれど、まアこの二人は、相当なもんだ……ぐらいに思ってる。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
侍が士族となり、百姓が平民になつて、世の中は目眩めまぐるしいほどに変つて行つた。実力を持つた百姓町人が世に出て、扶持ふちを失つた士族が零落して行くあはれなさまをも見た。
(新字旧仮名) / 田山花袋(著)
しかるに今度いよ/\帰農とえば、勿論もちろん幕府の物を貰うけもないから、同時に奥平家の方からもらって居る六人扶持ふちか八人扶持の米も、御辞退申すといって返して仕舞しまいました
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
養蚕ようさんおも副業ふくぎょうの此地方では、女の子も大切だいじにされる。貧しいうち扶持ふちとりに里子をとるばかりでなく、有福ゆうふくうちでも里子をとり、それなりに貰ってしまうのが少なくない。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
二人はもとはうちの家来の子で、おとうさんもおかあさんもたいへんよいかたであったが、友だちの讒言ざんげん扶持ふちにはなれて、二、三年病気をすると二人とも死んでしまったのだ
燕と王子 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
兎に角参勤交代さんきんこうたいの折は大名方の御用を足す重要な機関でしたから、本陣は苗字帯刀みょうじたいとうを許され扶持ふちを賜わったもので、即ち政府の特別指定と奨励金の恩典に浴したものですから
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
そのほか、越中守を見捨てて逃げた黒木閑斎かんさいは、扶持ふちを召上げられた上、追放になった。
忠義 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
江戸人は瓦解がかいと一口にいうが、その折悲惨みじめだったのは、重に士族とそれに属した有閑階級で、町人——商人や職人はさほどの打撃はなかった。扶持ふちに離れた士族は目なし鳥だった。
一窮民と扶持ふちもちとでは同じ時代に於て財産の観念は巨大にちがいますし、ユウタナジイのことにしろ、武家のモラルは楽に死なせてやる武士の情というものを承認しているのだから
鴨河の東の天部部落あまべぶらくの如きも、この平安京時代の京内の余戸あまべの残りで、班田にも入らず、役所が潰れて扶持ふち離れがしては、世人の嫌がる職業をでもして、生きて行かねばなりませんから
また日雇の扶持ふち麦一斛八斗米五斗を引き、正月餅などの米三斗余と種穀たねもみこくを引き、また子女あればその食料一人に九斗ばかりとつもり、また親属故旧こきゅうの会食二斗を引けば、米七斛二斗を残す。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
なるほど知行ちぎょうの制度が扶持ふちの制度に改まり、あるいは名は知行と称しながらその実管理権を政府に取って廩米りんまいをもって相当額を給するようになっては、武士と土地との因縁は一段と疎遠になるが
家の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
和尚おしよう如何どうだナなど扶持ふちでもしてくやうにはゞかせて、茶の呑倒のみたふしを、コレハ先生よくこそ御来臨ごらいりんさいはかたより到来たうらい銘酒めいしゆ、これも先生に口をきついただくは、青州せいしう従事じゆうじ好造化かうざうくわなどゝきゝかぢりと
隅田の春 (新字旧仮名) / 饗庭篁村(著)
「一人一合扶持ふちなんかで、食ってゆけるもんか」
戦争雑記 (新字新仮名) / 徳永直(著)
扶持ふちに離れて斯様にうらぶれておりますのか。
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
「武士でなければ再び主取りをせぬつもりだったが、少し考えることがあって足軽の扶持ふちをとる、もう暫くおまえも苦労をたのむぞ」
足軽奉公 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「おお呼んで見ろ、おお、呼んで貰おうじゃねえか。篦棒べらぼうめ、今じゃ扶持ふちに離れているおれ達三人、そんな事にビクついちゃいねえんだ」
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おれは、代々、僅少わずか扶持ふちをもらって、生きているために、人間らしい根性をなくしてしまった、侍という渡世とせいが、つくづくいやになったんだ。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
町中が、杢若をそこへ入れて、役に立つ立たないは話の外で、寄合持で、ざっと扶持ふちをしておくのであった。
茸の舞姫 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
重直が席を進めて、貴殿は公儀から百五十石の扶持ふちを受け、盛岡へ下向げかうの上は二三里の間を限り、自由に歩行せしめられると告げた。利章は重ねて禮を言つた。
栗山大膳 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
先代からの扶持ふちやその他で裕福ゆうふくに暮らし、院号やなにかで通るよりも本名のお絹が当人の柄に合います。
氏郷の申出は立派なものであった。秀吉たる者之を容れぬことの有ろう筈は無い。敵対又は勘当の者なりとも召抱扶持ふち等随意たるべきことという許しは与えられた。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
偽り裾野に住むということであるが、まことに人物経済上惜しみても余りある事ではある。とは云えきゃつは血吸鬼、剣に淫する一種の狂人きちがい扶持ふちすることは出来難い
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
裏切りを宣言した瞬間からわたしの生命はたちまち危険にひんするわけですが、阪井の扶持ふちから離れるとたちまち無一文になってしまうこのわたしが、廃人同様の男を抱え
ハムレット (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
かつては御大工頭中井主水の配下で、お城大工としては、江戸でも名譽の大棟梁、その後扶持ふちに離れて、諸藩の御用を承はり、多勢の弟子を養つてをりますが、繪圖面の紛失に
そんな怖ろしい犠牲ぎせいを主君は家来に向って要求することのできるものだろうか。家来に扶持ふちを与えておけば、その家来からそんな人間性を奪うような犠牲を要求してもいいのか。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
も呼れて五百兩の盜賊たうぞく相知あひしれしにより人違ひとちがひにて是迄雲源をくるしめ候あひだ其代そのかはり雲源を宜敷よろしく扶持ふち致すべしと申渡され雲源は出牢しゆつらうとなり利兵衞は得意を吉三郎に返さゞるだん不屆ふとどきなれば身代を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
ある僧が道元に問うて言った——自分には老母があって、ひとり子である自分に扶持ふちせられている。母子の間の情愛もきわめて深い。だから自分は己れをげて母の衣糧えりょうをかせいでいる。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
あの人のちいさい時分には、家が貧乏で——はて、彼処あすこは何人扶持ふちだったけかな? 根岸の奥でね、やぶのある、門に大きなのあった家さ。釜さん、遊ばないかったって返事もしやしない。
今日では最早能役者に扶持ふちの附いて居る時代ではないのである。それにもかかはらず各種の芸に一々家元呼ばはりなどをして居つては、人が足らないで能楽が出来ぬやうな事に成つてしまふ。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
わが徳川家とくがはけ瓦解ぐわかいのちは多からぬ扶持ふちさへ失ひければ、朝あさのけむりの立つべくもあらず、父ぎみ、叔父をぢぎみ道に立ちて家財のたぐひすら売りたまひけるとぞ。おほぢの脇差わきざしもあとをとどめず。
臘梅 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)