かて)” の例文
ある者は商家に嫁ぎ、ある者は良人に従って海を越えた遠い国へ移住し、あるいは又ようやくその日を送るだけのかてを得る為に営々と働いていた。
秘められたる挿話 (新字新仮名) / 松本泰(著)
常に人間の血が号泣ごうきゅうに出逢うのを忍ばなければ生きてゆくかてが得られないとすると、……これはすこし意気地がないぞとも考えた。
人間山水図巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
鉱蔵 其奴等そいつら騙賊かたりじゃ。また、騙賊でのうても、華族が何だ、学者が何だ、かてをどうする!……命をどうする?……万事俺が引受けた。
夜叉ヶ池 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
かて味噌みそなべとをしょって、もう銀いろのを出したすすきの野原をすこしびっこをひきながら、ゆっくりゆっくり歩いて行ったのです。
鹿踊りのはじまり (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
彼は家中の若武士ざむらいと槍を合わし、剣を交じえ、彼らを散々に打ち負かすことによって、自分の誇りを養う日々のかてとしていたのであった。
忠直卿行状記 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
いったい裏飛騨の漁師は、岩魚を釣っても売り場がないからかてに代えるわけにいかぬ。そこで岩魚や山女魚はかえりみないのである。
雪代山女魚 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
いかなる欲念も、畢竟ひっきょうお前の個性の生長のかてとなるのであるが故に、お前はそれに対して臆病であるべき必要がなくなるだろう。
惜みなく愛は奪う (新字新仮名) / 有島武郎(著)
この聖譚曲オラトリオ敬虔雄麗けいけんゆうれいな美しさは、古今、ヘンデルの「救世主メシア」と比較されるだけで、幾多の人の心のかてとなったかわからないのである。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
我はひとりの大いなる貴き君が他のかゝる君に迎へられ、かれらをかしむる天上のかてをばともにたゝふるを見き 二二—二四
神曲:03 天堂 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
正しい藝術を、みんなのこゝろかてのたしに——こゝろかてといふほどにならずとも、せめてこやしぐらゐにでもなるやうに——それが望ましいのだ。
むぐらの吐息 (旧字旧仮名) / 長谷川時雨(著)
そんなにまで自分にとつてはもはや命のかてにも等しく思へるほどな貴重な苦しみを、男は自ら與へながらそれには一向氣づかうともしない
七つの手紙:或女友達に (旧字旧仮名) / 堀辰雄(著)
日々のかての心配なく、専心に書物の中のことと、実験室の成績と突き合せながら、使える部分を自分の工夫の中へなめし取って
老妓抄 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
おれには精神的なかてがほしいんだ——それでもつて魂を養ひ、心を慰めてもらはうと思へば、何だい、こんな馬鹿々々しいことばかり……。
狂人日記 (旧字旧仮名) / ニコライ・ゴーゴリ(著)
たといわたくしのからだは、毒薬で養われていても、心は神様に作られたもので、日にちのかてとして愛を熱望していたのです。
所詮つまり周三がお房をよろこぶ意味が違つて、一ぶつ體が一にんの婦となり、單純たんじゆんは、併し價値かちある製作の資れうが、意味の深い心のかてとなつて了つた。
平民の娘 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
中には霊の飢餓を訴うるものがあっても、霊の空腹をたすのかてを与えられないで、かえって空腹を鉄槌のなぶり物にされた。
二葉亭余談 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
我々は心の爲めに他のかてを探せばいゝのです、味ひたいと願つた禁制の食物と同じ位に腹ごたへのする——そして多分もつときよらかなものを。
しかしそのおかげで一般消費者は日々のかてに不自由を感ぜざることをる、鉱夫の石炭を採掘するもまた自己の生活のためにほかならざれども
貧乏物語 (新字新仮名) / 河上肇(著)
われむかし年わかくして今おいたれど義者のすてられ或はそのすえかてこいあるくを見しことなし。(詩篇三十七の二十五)
基督信徒のなぐさめ (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
イギリスが数世紀来それをかてとしてるのを思うと、僕はおののかざるを得ない。イギリスと僕との間に海峡の溝渠こうきょが感ぜられるのは仕合わせだ。
その金は、天竜寺の和尚とやらの手許の金であったというではないか、生仏を地獄に落したほどの女が、人の恋愛のかてを盗み得ないと誰が言う。
大菩薩峠:40 山科の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
一方に支那の利源をかてとして東洋の覇権を握らむと焦慮しつつある日本の死命を制して、全世界を米国資本の植民地化し
暗黒公使 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
知ることは一つのかてであり、考えることは第一の要件であり、真理は小麦のごとき栄養物である。理性は学問と知恵とを断食する時やせてゆく。
ものの五町ともへだたらぬのだが、齷齪あくせくかてを爭ふ十萬の市民の、我を忘れた血聲の喧囂さへ、浪の響に消されてか、敢て此處までは傳はつて來ぬ。
漂泊 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
そして浄瑠璃は無学な父の心のかてであったのだ。父はこの中から何でも引き出して、生活と心ばえとの準拠としたのだ。
光り合ういのち (新字新仮名) / 倉田百三(著)
イエスは罪のゆるしによる永遠の生命のかてを与えようとするのに、群衆は朽つる肉の糧を求めてイエスを王としようとする。
キリスト教入門 (新字新仮名) / 矢内原忠雄(著)
稽古を積めば積むほどたのしみが深くなってゆきまして、大業おおぎょうに申せば、私どもの生活のすぐれたかてとなって居ります。
無表情の表情 (新字新仮名) / 上村松園(著)
せっかく貴方の墓と思い、引き揚げた『鷹の城ハビヒツブルグ』も、ついには私たちの生計のかてとして用いねばならなくなりました。
潜航艇「鷹の城」 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
私は犬でもねこでもないのだから、かてで飼われているのでは、いかにも空しい気がする、という意味なのであった。
奥の海 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
住むに家なく、口にするかてもない難民は大路小路にあふれております。物とり強盗は日ましにしげくなって参ります。
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
小圓太の耳に入る噺の、講釈の、一木一草——ほんのかりそめのいと片々たる雑艸ざっそうまでが立派に明日のかてとなった。
小説 円朝 (新字新仮名) / 正岡容(著)
「さだめて空腹ひもじいことでござろう。わたくしがかてを求めてまいります。そのあいだ、しばらくここに休息なされ。」
小坂部姫 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
『グリム童話』は「久遠くおんの若さ」に生きる人間の心のかてである。『グリム童話集』を移植するのは、わが国民に世界最良書の一つを提供することである。
『グリム童話集』序 (新字新仮名) / 金田鬼一(著)
定めし男の方でも自分の言葉を思出して「説法は有難いが、朝飯の方が尚有難い。」とかなんとか独語ひとりごとを言い乍ら、其日のかてにありついたことであろう。
朝飯 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
されば農家は三年耕して一年のかてあまし、政府も租税の取りこころよく、わが三府六十県の人民、すなわち当今猫も杓子しゃくしとなえおる、わが三千五百万の兄弟けいてい
禾花媒助法之説 (新字新仮名) / 津田仙(著)
娘はもう三十六七のかみさんであつた。そこは穀物をあきなふやうな店で、街道に面した家の前には、馬にかてをやるために、運送の荷車などがよく来てはとまつた。
ある僧の奇蹟 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
そも/\われは寄辺よるべない浮浪学生ふらうがくしやう御主おんあるじ御名みなによりて、もり大路おほぢに、日々にちにちかてある難渋なんじふ学徒がくとである。おのれいまかたじけなくもたふと光景けしき幼児をさなご言葉ことばいた。
栄養食とは口に美味で人間を楽しませ、精神のかてともなるもの。栄養薬とは病人をいよいよ病人にするばかりの不愉快極まりないもの。もう一度言ってみよう。
不老長寿の秘訣 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
じっさい、彼は当然生徒たちと仲よくしなければならなかった。学校からあがる収入はわずかだったし、とても毎日のかてをもとめるにも足りないくらいだった。
燕将張武ちょうぶ悪戦して敵をしりぞくといえども、燕軍遂にたず。ここに於て南軍は橋南きょうなんとどまり、北軍は橋北に駐まり、あいするもの数日、南軍かて尽きて、を採って食う。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
参って門に立ちませねば……明日のかてさえ、いいえ今日の……今日の糧さえござりませぬ。……あなた様を
血煙天明陣 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
無論、世に神聖な戀愛などはない——あつても、ただの空想で、現世に活動する人間のかてにはならない。
……しだいに、家のことだの、世の中のことだのを一切わすれて、その日その日のかてと宿りとを求める以外には、ひとへにたゞ、大師の恩徳をのみ思ふやうになつた。
にはかへんろ記 (新字旧仮名) / 久保田万太郎(著)
これによって慰安を得、心のかてを得、もっ貧賤ひんせんたたかい、病苦と闘う勇気を養う事が出来るのである。
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
この種の尼は最初の狂熱がめた時何を感じなくてはならなかったか。彼らは国家の権力によって物質的生活を保証せられた。仏教芸術によって心のかてを与えられた。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
元より養ふ人なければ、食物も思ふにまかせぬにぞ、心ならずも鷲郎は、なれわざとて野山にかりし、小鳥などりきては、ようやくその日のかてとなし、ここに幾日を送りけり。
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
さればその日のかてあさらうにも、鹿熊なんどのたぐひをとりひしぐは、指の先の一ひねりぢや。
きりしとほろ上人伝 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
自分には猫の事をかくのがこの上もない慰藉いしゃであり安全弁であり心のかてであるような気がする。
備忘録 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
換言すれば、われ等の教訓が、正しき理性の判断にえるか? 精神こころかてとしてれ丈の価値を有するか?——われ等の教訓の存在理由は、これをもって決定すべきである。
文化の中心から遠く隔絶している私達に取って、外国の文学は無くてはならない心のかてです。
亜米利加の思出 (新字新仮名) / 永井荷風(著)