矢立やたて)” の例文
平三は表紙一ぱいに肉太に「浜帳」と書いた厚い帳面と矢立やたてとを持つて、先刻から岩の上に腰かけて此活気に充ちた光景を眺めて居た。
厄年 (新字旧仮名) / 加能作次郎(著)
幸い本人は留守、捜して見ると、押入から、矢立やたてが一挺と、紙が少しばかり出て来たのには主人鹿右衛門を驚かしました。丁度其処へ
これは矢立やたての杉ともいって、以前はその下を通る人々が、その木に向ってを射こむことを、境の神を祭る作法としていたのであります。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
ただ読んでいるばかりでは済まない。時には抜書きをすることもある。万年筆などの無い時代であるから、矢立やたて罫紙けいしを持参で出かける。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
と、女は答えて、源右衛門の出す紙と矢立やたてを取って、その、銅の板から小判を造りだすという南蛮伝授の機械なるものを図面にしていて見せた。
私が、矢立やたての筆を動かしていると、主人はそこらに転がっていた出来損じの新らしい灰吹を持って来て巻煙草を燻らしながら、ぽつぽつ話をする。
東海道五十三次 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
三十歳を半ば越しても、六本の高調子たかじょうしで「吾妻あずま八景」の——松葉かんざし、うたすじの、道の石ふみ、露ふみわけて、ふくむ矢立やたての、すみイだ河……
監獄署の裏 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
大宮口の時は、友人画家茨木猪之吉君と、長男隼太郎を伴った。茨木君は途々みちみち腰に挟んだ矢立やたてから毛筆を取り出して、スケッチ画帖に水墨の写生をされた。
不尽の高根 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
これ矢立やたての初めとして行道ゆくみちなほすゝまず。人々は途中に立ちならびて、後かげの見ゆるまではと見送るなるべし。
桜の実の熟する時 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
彼は、紙と矢立やたてを出して、筆談を試みようとしたが、全然、盲目だ。冗戯じょうだんを書いてみせても、笑いもしない。
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
慌てて日記帳と矢立やたて(私はこういう場合に備えてすずりを用いず、矢立を用いている。それは父の遺品で、唐木とうぼくで作った、中国製のものらしい骨董的こっとうてき価値のある矢立である)
(新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
青、黄に、朱さえ交った、麦藁むぎわら細工の朝鮮帽子、唐人笠か、尾のとがった高さ三尺ばかり、なまずの尾に似て非なるものを頂いて。その癖、素銅すあか矢立やたて古草鞋ふるわらじというのである。
薄紅梅 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
へだちたり吉兵衞は御勘定部屋より金方の役所へ行道ゆくみちにてくだんの書付を出し見るに〆高しめだか金四十七兩二分と有しかばひそかこしより矢立やたてを取出し人なきをうかゞひ四十の四のの上へ一畫いちくわく
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
どういふわけ梅廼屋うめのや塔婆たふばげたか、不審ふしんに思ひながら、矢立やたて紙入かみいれ鼻紙はながみ取出とりだして、戒名かいみやう俗名ぞくみやうみなうつしましたが、年号月日ねんがうぐわつぴ判然はつきりわかりませぬから、てら玄関げんくわんかゝつて
塩原多助旅日記 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
竹崎の白石兄弟は、弟廉作の方が、矢立やたてをすてて生野いくの挙兵の主部隊に参加して死んだ。
志士と経済 (新字新仮名) / 服部之総(著)
喜蔵が矢立やたてを持っていた。忠次がふところから、鼻紙の半紙を取り出した。それを喜蔵が受取ると、長脇差を抜いて、手際てぎわよくそれを小さく切り分けた。そうして、一片ひときれずつみんなに配った。
入れ札 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
と言ひ乍ら山田は渋々しぶ/″\二重まはしを脱いだ。下にはまがひの大島がすりの羽織と綿入わたいれとを揃へて着て居る。美奈子は挨拶もせずに下へりて行つた。執達吏は折革包をりかばんから書類と矢立やたてとを出した。
執達吏 (新字旧仮名) / 与謝野寛(著)
矢立やたてをパチンとあけて、紙をスラスラとひろげる、その音まであざやかに響いて来るのです。竜之助は男女の挙動ようすを手にとるように洩れ聞いて、どういうものか、これを哀れむ気が起らなかった。
維新後は両刀を矢立やたてに替えて、朝夕算盤そろばんはじいては見たが、慣れぬ事とて初の内は損毛そんもうばかり、今日に明日あすにと喰込くいこんで、果は借金のふちまり、どうしようこうしようと足掻あがもがいている内
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
八つ橋、豆板、京洛飴、或はかま風呂、おけら餅、土地の名物を売る店に交って、重々しい古代裂こだいぎれを売る家や、矢立やたて水滴みずさしつば、竿など小さな物を硝子棚一杯に列べた骨董屋などが並んで居る。
六日月 (新字新仮名) / 岩本素白(著)
そして上さんのさしだす宿帳と矢立やたてとを取って、まずそれを記してから
世間師 (新字新仮名) / 小栗風葉(著)
勘次かんじ矢立やたてごと硬直かうちよく身體からだ伸長しんちやう屈曲くつきよくさせて一/\とはこんだ。かれ周圍しうゐ無數むすう樹木じゆもくいてさゝやくのをみゝれなかつた。加之それのみでなくかれ自分じぶん耳朶みゝたぶらるさへこゝろづかぬほど懸命けんめい唐鍬たうぐはつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
小供の私には、それよりか仙太郎さんが高い台の上に腰をかけて、矢立やたてと帳面を持ったまま、「いーやっちゃいくら」と威勢の好い声で下にいる大勢の顔を見渡す光景の方がよっぽど面白かった。
硝子戸の中 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「これでよし」と出三郎は手をこすりながらひとり言を云って、「ついでに藩校のほうも退学しよう、そしてこれからは矢立やたてと帳面を一冊と弁当を持って、毎日ゆっくり歩きまわるんだ、しめたぞ」
艶書 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
彼は矢立やたての筆をきて、手形用紙に金額を書入れんとするを
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
黒い前掛けをしめて、角帯かくおび矢立やたてをさしている時もあった。
きちがふところから取出とりだしたのは、巻紙まきがみ矢立やたてであった。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
煙山はカバンをあけて、矢立やたてをとりだして示した。
投手殺人事件 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
矢立やたてを拝借いたしたい」
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
四十前後の町人風の男が二十三四の女と二人連れで参詣に来て、この絵馬の下に暫く立って眺めていましたが、女は矢立やたてと紙を
半七捕物帳:50 正雪の絵馬 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
日向西臼杵にしうすき郡の山中では狩の始めに鉄砲を一発放ちて山の神に手向たむくるを矢立やたてという。思うに鉄砲使用以前には矢を放ちて祝したものだろう。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
民部みんぶ即座そくざ矢立やたてをとりよせ、筆をとって、サラサラ八ぎょうを書き、みずから梅雪ばいせつの手もとへ返した。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
敵娼あいかたの女が店を張りにと下りて行ったすきうかがい薄暗い行燈あんどう火影ほかげしきり矢立やたての筆をみながら、折々は気味の悪い思出し笑いをもらしつつ一生懸命に何やら妙な文章を書きつづっていた。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
二人を船上へらっした夷人は、二人が船を見物に来たのだと思ったのだろう。二人に羅針盤を見せたりした。二人は首を振って、筆と紙とを求めた。矢立やたても懐紙も小舟へ残して来たのである。
船医の立場 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
この二人の武士は相当に身分あるものらしく、やぐらの上から、目の下に見ゆる薩州邸の内を仔細に見ていました。そうして一人のたけの高い方が、矢立やたてと紙を取り出しては見取図を作っていました。
大菩薩峠:10 市中騒動の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
万年筆などのない時代であるから、矢立やたてと罫紙を持参で出かける。そうした思い出のある抜き書き類も、先年の震災でみな灰となってしまった。
読書雑感 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
三、四冊の帳面をくるんだ萠黄唐草もえぎからくさの小風呂敷で、結び目に、手古びた矢立やたてが一本差しこんである。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
矢立やたての杉がうなっていやがる、矢立の杉が唸ると山にろくなことはねえんだ。
従って、矢立やたてを持つ者もあり、小さいすずりと墨を使っている者もあり、今から思えばずいぶん不便でした。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
と、旅僧の中の一人は、矢立やたてを取り出して、小さい紙片に、何やら書いて、結んで渡した。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼等は紙と矢立やたてを持っていました。
大菩薩峠:05 龍神の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
したためてやるは易いが、折あしく、矢立やたて懐紙かいしの用意もないが……む、金打きんちょうしてとらせる」
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それでも型ばかりの硯箱を違い棚に置いてある家はいいが、その都度つどに女中に頼んで硯箱を借りるような家もある。その用心のために、古風の矢立やたてなどを持参してゆく人もあった。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
そして、矢立やたてを求め、筆をって直ちに、出動の準備と心得方とを、数箇条に書いて
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、塔十郎は、ふところから覚え帖と矢立やたてを取り出して何やらしるしはじめた。
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、腰へ廻した包みの内から一さつの手紙を抜いて、それに矢立やたての筆を添え
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だが、そこに矢立やたてと手帖を持って立っていたのは、大番組の侍四、五名と、町奉行の与力同心と、外濠そとぼりの番小屋の小者や仲間ちゅうげんなどで、もう金吾も見えなければ、日本左衛門も倒れておりませんでした。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、懐中ふところから矢立やたてを出して、懐紙かいしへこう書いた。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
矢立やたてと仰せなされますか」
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「誰か、矢立やたてを持っとるか」
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)